35 違和感 ~2~ ルイスside
フィオナ嬢の茶色い小綺麗な靴の下。
その下にある、あの白いものは、なんだ。
「ルー?」
不思議そうに呼びかけるフィオナ嬢。
「フィオナ嬢……。何か踏んでいないか?」
フィオナ嬢は慌てて足を持ち上げた。
「嫌だ、何か変なものでもあったのですか? あら、花しかありませんよ。ルーの見間違いではありませんか?」
僕はその答えに愕然とした。
花しかない、だって?
「そんなことより、フィーって呼んでくださいよ。昔みたいに」
そんなこと?
鳥肌がたった。急に寒くなったように感じる。
この女は、誰だ。
「ルー? 何か言ってください」
別人だ。そう思いそうになって、かぶりを振った。
もしかしたら、僕が好きだった、花を愛するフィーではなくなってしまっただけかもしれない。
「そういえば、昔一緒に見たあのピンクの花はなんという名前だったかな。忘れてしまったんだ」
すがるように見つめる。本当は花の名前なんて知らない。だが、フィーならば知っているかもしれない。本物のフィーならば。
「ピンクの花、ですか……。なんて名前でしたっけ……」
悩む様子を見せる。不安がつのる。
「あ、そうです! アネモネです!」
この時の僕の感情を言い表す言葉は、見つからなかった。
日が落ち徐々に暗くなっていく視界は、僕の感情を加速させるようだった。
アネモネ。アネモネなら僕も知っている。美しい花だが、大きな木に繊細に咲くあの花とは、大違いだ。
「君は、フィーではないようだね。悪いけど、帰らせてもらうよ」
帰ろうとすると、フィオナ嬢が腕にすがりついてきた。
「どうしてですか! 私がフィーです! 間違いありません!」
不快でしかなくて、振り払った。
これほどの雑な対応は、女性に対しては紳士的でいようと心がけている僕の記憶には未だかつてない。
わずかに残った理性が彼女は女性だとささやいたが、どうでも良かった。
「あれは、アネモネではない。アネモネと間違うような似た花ですらない。それだけだ」
「そ、そうでしたっけ? 記憶違いをしていたかもしれません。それくらい、いいじゃないですか」
僕は冷めた目でフィオナ嬢を見下ろした。
「私にとっては、よくないんだ」
あの花はフィーと仲良くなるきっかけだ。大切な想い出の花だ。
僕が譲らないということを察したのか、フィオナ嬢は顔をしかめて吐き捨てた。
「知りませんよ、花なんて。確かに満開がどうのって日記には書いてあったけど、名前までは書いてなかったもの」
やはり、彼女はフィーではなかったのだ。
ほぼ確信してはいたものの、本人の口からその言葉を聞くと改めて落胆した。
「うまくやれてると思ったのに、花なんかのせいで台無しよ」
花なんか、か。
その時点でフィーとは大違いだ。
また一からフィーをさがさなければ。そう思ってため息をついた。
待てよ。
「日記に書いてあったって、どういうことだ。何に書いてあったんだ。フィーの日記か。どこで読んだ」
それに、本来この女が知らないはずのことをどこで知ったんだ。
フィオナ嬢は答えようとしない。
日記。日記か。おそらくフィーが日記をつけていて、彼女はそれを読んだのだろう。誰の日記だろうか。
可能性が高いのは二つ。一つは、学園入学までの間にフィーと出会って日記を読んだ場合。もう一つは、学園に入学してから、学園の生徒であるフィーの日記を読んだ場合。
前者ならば相手を特定するのは困難だから、「学園の人ではない」くらい言ってもいいのではないだろうか。より可能性が高いのは、後者だ。
沈黙を貫くフィオナ嬢に、そう推測して鎌をかけた。
「この学園の生徒だろう」
フィオナ嬢はピクリと肩を震わせた。動揺したな。図星だ。
もう彼女に用はない。
「もう二度とルーとは呼ばないでくれ」
それだけ言って、すっかり暗くなった庭園にフィオナ嬢をおいて走り出した。
この学園でフィーである可能性が高いのは、現状、ソフィア嬢だ。
「おい、どうだったよ」
声をかけてくるアレンを無視してその前を駆け抜けた。悪いが、今の僕にはそんな余裕はない。
ソフィア嬢の部屋の前にたどり着いて、荒れた呼吸を整える。
ソフィア嬢がフィーであるという保証はどこにもない。
ただ、僕がソフィア嬢に好感を持っていて、彼女がフィーだったらいいと勝手に期待しているだけだ。
認めたくはなかったが、僕の心の中にはいつの間にか、記憶の中のフィーのことが好きな自分と、フィーによく似た、実際に会って話すことのできるソフィア嬢のことが気になっている自分がいた。
2人が同一人物であればいいが、別人なら僕はとんだ浮気者だ。
数回深呼吸をして、部屋のドアをノックした。
ドアが開き、赤い髪の令嬢が姿を見せた。彼女は僕のことを認識するなり、すさまじい形相で僕を睨みつけた。
「何の用ですか」
昨日まで普通だったのに、この短時間で何があったんだ。
少し怯んだものの、引き下がるわけにはいかない。エレナ嬢がただソフィア嬢を思って言っているということは分かる。
「エレナ嬢。ソフィア嬢と話したいんだ。2人で。少しの間はずしてもらえないだろうか」
エレナ嬢は黙って僕を見つめた。
僕の瞳に何かを感じ取ってくれたのだろうか、彼女は渋々といった様子で了承した。
「少し待っていてください」
ドアが閉まる。どうやら、ソフィア嬢と話しているようだ。
再びドアが開いた。エレナ嬢は、僕に部屋の中に入るように促した。
「ソフィアを傷つけたら承知しないから」
そう言って音を立ててドアを閉めた。僕は呆気に取られてドアを見つめた。だから、僕が何をしたっていうんだ。
気を取り直して、ソフィア嬢の方を見る。彼女はぼんやりとした表情を浮かべ、何かに怯えているような瞳を僕にちらりと向け、目を伏せた。
「話したいこととは、何でしょうか」
僕は深く息を吸った。
全部話そう。彼女がフィーではなかったとしても。




