26 乗馬体験
今日は乗馬体験だ。私たちは馬と対面して歓声を上げた。
「私、馬をこんなに近くで見るのは初めてだわ」
「私もです……!」
「思ったよりも大きいのね」
「毛並みがいいな」
「丁寧に世話をされているみたいだ」
初めて馬を間近で見る私たちとは対照的に、ルイス様とアレン様は乗馬を既にマスターしているらしく、馬の毛艶に感心していた。
「ソフィア嬢、なでてみなよ」
アレン様に言われて、おそるおそる近づいた。
「こんにちは、お馬さん。少し触らせてもらってもいいかしら?」
つぶらな瞳が私を見つめる。
「正面からじゃなくて、斜めから近づいて優しくなでるんだよ」
アレン様に見守られながら、ゆっくりと馬に近づいてそっとなでる。
馬の毛はつやつやとしていて、なで心地がいい。しばらく馬をなでて満足して、馬とアレン様にお礼を言った。
「ありがとう、お馬さん。アレン様も」
アレン様はにっと笑った。
「馬ってかわいいだろ?」
「ええ、それにとても賢そう」
知性を感じさせる瞳が魅力的だわ。
「私もなでたいわ! ソフィア、アレン様、いいかしら?」
「もちろん」
うずうずして順番を待っていたのであろうエレナと場所をかわる。
エレナは嬉しそうに馬をなでだした。
「わ、お馬さんをなでたのは初めてです……!」
フィオナの声が聞こえて振り返ると、フィオナがルイス様に教えてもらって馬と触れ合っている様子が目に入った。フィオナとルイス様が微笑みあって会話をしている。その事実だけで胸がチクチクと痛んだ。
ルイス様に教えてもらっているフィオナがうらやましい。笑顔を向けられているフィオナがうらやましい。
ルイス様がフィオナのことを好きだったら、あるいはこの合宿を通して好きになってしまったらどうしよう。
そんな考えが頭によぎって、私は初めて気がついた。
私が合宿を通してルイス様と距離を縮めたいと考えているように、1週間を共に過ごす合宿では普段よりも人との距離を縮めることができる。ということは、ルイス様と別の誰かの距離が近くなることも当然あり得るのだ。フィオナがルイス様のことを好きだったら? ルイス様に距離を縮めたい誰かがいたら?
「ソフィア嬢、大丈夫か?」
悶々としていた私を気遣ってか声をかけてくれたアレン様に、どきりとしつつ微笑む。
「ええ」
アレン様は、馬をなでるフィオナとルイス様、そしてエレナをちらりと見て、こちらに向き直り声を潜めた。
「なあ、ソフィア嬢ってルイスのことが好きだろ」
全身がかあっと熱くなった。どうしよう、否定しなきゃ。どうしてわかったの? ごまかせるかな。ルイス様に聞こえていないかな。
「その様子だと当たりかな?」
口をぱくぱくと動かす。何か言わなきゃ、そう思うけど声が出ない。
「大丈夫だよ、ルイスには内緒にするから。あいつはソフィア嬢の気持ちには気づいてないと思う」
アレン様はにこっと笑った。
「ただ、おれはソフィア嬢のことを応援するよって言いたかったんだ」
驚いて目を見開いた。どうして?
「ソフィア嬢は他の令嬢たちと違って、ルイスの容姿や身分だけを見てるわけじゃないだろ? ちゃんとルイスの中身とか、そういう他の部分に目を向けてる」
「どうしてそう思うの?」
「なんとなくだよ。おれの勘は当たるんだ」
アレン様はヒラヒラっと手を振った。
「んじゃそういうことだから、応援してるよ。おれに協力できることがあったら何でもするから気軽に言ってくれな。……おい、ルイス! そろそろ馬に乗りたいんだけど。もう待ち切れないよ」
アレン様がルイス様と話すのを見ながら、私は両手で顔を覆った。
気持ちがエレナだけでなくアレン様にも知られていたなんて。ルイス様は気づいていないと言っていたけれど、本当かしら。まだ気づいていなくても、すぐに知られてしまいそうだわ。
「ソフィア、何してるの、行くわよ! 乗馬のお時間よ!」
「今行くわ」
エレナに呼ばれて、考えを振り払って返事をする。後でゆっくり考えよう。
そう思っていたのに。
「馬を信頼して身を任せるんだ。力を抜いて」
どうしてこうなっているのだろうか。
私はアレン様をにらんだ。アレン様はニヤニヤとこちらを見ていて、こっそりウインクを飛ばしてくる。
少し前、乗馬をしようという段階になって乗馬経験がない私たちが尻込みをしていると、アレン様があっけらかんと言い放ったのだ。
「1人で乗るのが怖いなら、おれたちと一緒に乗ればいいよ。その方が教えやすいし、落ちそうになったり馬が暴れた時に落ち着かせたりしやすいし。大した時間じゃないから、2人乗っても馬も大丈夫だろ」
アレン様の言葉にぽかんとすると、ルイス様もこともなさげに言った。
「そうだね。その方が私も安心できるよ」
アレン様が私に視線を送る。何となく予感がして、私は顔をひきつらせた。
「ソフィア嬢はおれより身分が高いから教えるのは気が引けるなあ。ルイス、頼むよ」
「身分なんて気にしなくてもいいんじゃないか?」
ルイス様に同意を求められて、「そうですね」と返事をする。
「いいからいいから。ルイス、お願いだよ」
「ソフィア嬢に敬語はいらないと言われた時はあっさり敬語をやめたのに、どうして乗馬はだめなんだ。ま、私はかまわないよ。ソフィア嬢は?」
「え、ええ……。私もかまいませんが……」
得意げに私を見る瞳にため息をつく。応援するとは言っていたけれど、強引だわ。
そういうわけでさっきの状況に至ったわけだけど。確かに1人で乗るのは厳しそうだから、一緒に乗って教えていただけるのはありがたいのだけれど。「馬を信頼して力を抜いて」と言われても、だ。
最初は普段よりも高い視界にくらっとして、後ろから支えてくれるルイス様の存在がありがたかったけれど、今はもう慣れた。高さには。馬のことも信頼している。私が初めてだということを分かっているかのように、揺れないようにゆっくりと歩いてくれているのだから。
問題は、ルイス様だ。私を抱え込むようにして手綱を握った腕は頼もしいし、背中に感じる胸板はしっかりとしているし、何よりルイス様が話すと、体勢上仕方のないことだが耳元で声がするのだ。好きな人と一緒に馬に乗って緊張しない女性なんているわけがないわ。
鼓動が速くなって体も顔も熱くて、それがルイス様にばれないかとドキドキして。体に力が入るのは当然だと思う。
「深く息を吸って、リラックスするんだ。大丈夫だよ、落とさないから。しっかり支えるよ」
私を安心させるためなのだろう。ルイス様の左手が私のお腹に回されてしっかりと抱え込まれる。状況は悪化した。心臓がこんなに仕事をしたことは今までにない気がする。心臓さん、そんなに頑張らなくていいから、お願いだから落ち着いて……! ルイス様も、そんな親切心なんて発揮しなくていいから! 私の心臓を過労死させる気ですか!?
アレン様がニヤニヤしている。一緒に馬に乗っているエレナに何かをささやくと、エレナは驚いたようにアレン様を見上げて、アレン様とそっくりな表情でニヤニヤし始めた。もう、本当にやめて! 恥ずかしさでどこかに飛んでいきそう。
その後馬から降りるまで私の心臓は必死に動いていたし、馬から降りた後しばらくはルイス様の顔が見られなかった。
フィオナと一緒に馬に乗る役目は、早々にエレナを下ろしたアレン様がさらりと引き受けてくれていた。フィオナがルイス様と一緒に馬に乗っている様子を想像して、アレン様に感謝した。
馬から降りたエレナはルイス様と馬に乗っている私を観察するのに夢中だったようだ。全く、もう。




