ダンガンロンパ製作陣が作ったレインコードを完走した感想
子供の頃は自由にゲームが買えなくて、ダンガンロンパは動画で「見るもの」でした。
ユーチューブなんかで実況動画が流行りだしていてゲーム実況を見るのが当たり前になってしまっていました。だからこそ、ダンガンロンパは私にとってゲームではなくて、自分の手には届かないショーだったのです。
ダンガンロンパ。
十六人の高校生が閉鎖空間に閉じ込められ、モノクマという白黒のクマのぬいぐるみに扇動されて強制的に殺し合いをさせられるゲーム。人を殺してしまった「クロ」を暴き、おしおきと称した処刑にかける。
中学生というまだこころが柔らかく色々な情報を輝かしく、また痛々しく全て飲み込む頃の私には巨大な絶望が登場人物たちを容赦なくひねりつぶしていく様は爽快で、カッコいいものでした。そして、最後にはそんな巨大な絶望に覚悟を決めた主人公が真っ向から対峙するというのも。
最後には希望が勝つ! 本当かな? やっぱり、絶望じゃないか
そんな二転三転の七転八倒が私の心をぐるぐると回すのでした。
子供だったので私の手ではダンガンロンパシリーズをやれなかったけれど、アニメやらグレーな実況やらで結末までしっかり私は追い切ってしまっていました。まるで希望と絶望が交互に回ることで発生する渦は私に触れてはいけないものに触れてしまうような危うげな快感を与えました。
今となってはやれなかった後悔もそうですが、製作陣の方々への申し訳なさの方が多くあります。だからというわけではないですが、超探偵事件簿レインコードはちゃんと予約購入させていただきました。
彼らの作品は十分に私の人生に影響を与えました。彼らが作った画面を、誰かがさらにオーバリングして、そこから私に至ったものであっても。
だからこそ私の中でダンガンロンパはゲームじゃなくて、エンターテインメントショーで、「やるもの」ではなくて「見るもの」になっていました。
しかし、高校生くらいの時にはゲームは買えなくても小説くらいなら買えるくらいまで購買能力が成長していたので、まるでコレクションでもするように多くのスピンオフ作品を買いました。如何に動画媒体全盛期とはいえ小説の内容全てに触れられるものはなく、そこで初めて私は自分自身でダンガンロンパに間接的に触れることとなるのです。
小説の「ダンガンロンパゼロ」やスピンオフの「ダンガンロンパ 霧切」「ダンガンロンパ 十神」害伝漫画の「ダンガンロンパ キラーキラー」
絶望と謎。スタイリッシュでサイコポップ。まさしく私がみていたエンタメショーが寸分変わらず絶望的に存在していたのです。小説であるからこそ、人物たちが狂気と絶望に飲まれる様は緻密で、希望が淡く儚げに見えました。
いつの間にか私の手元にあるダンガンロンパは紙媒体のものばかりで、本編も持たずにスピンオフだけ買い込んでいる倒錯的な状況になっていました。
だからこそ、究極に憧れを抱いていた作品に私が思ったことは「あの作品を体験したい」「あの作品の一部になりたい」「あの作品を作り出してみたい」
ある意味で私は超高校級の絶望で、絶望の残党で、絶望的なダンガンロンパファンでした。
私が初めて小説を書こうと思ったきっかけはダンガンロンパの二次創作を書くためです。二次創作界隈で言うところの「オリ論破」を私はひたすらスマホのメモ帳に書き溜めていました。どんな超高校級の人物がいて、どんな風に死者が出て、どんなトリックで殺されるのか。また黒幕は一体誰なのか。たくさんの謎を考えるのはとても楽しいことでした。何より絶望的な展開を考えるのはその頃虫を潰して笑うような子供ながらの残虐さを抱え込んでいた私にはとてもワクワクドキドキする妄想のテーマだったのです。
物語としてのダンガンロンパの構成は簡単で、高校生たちが閉じ込められる→誰かが殺される→裁判で犯人を暴く→犯人がオシオキされる、というループが大本です(勿論、ダンガンロンパ本編はこんな粗雑な説明を遥かに超える絶望的超クオリティですが)
だからこそ、未熟な私にも「模倣」しやすかったし、オシオキや黒幕の妄想は私の想像力を育ててくれました。ダンガンロンパという絶望に立ち向かいながら、それでも希望が勝つ物語を私は何度も想起し、そしてV3という巨大で最新のダンガンロンパによって脳を破壊されるのでした。シンクロ率が高水準に保たれたまま、一気に心の底まで爆砕されたのです。
「ダンガンロンパV3」を持って崩落するダンガンロンパシリーズを私は絶望しながら見ていました。
終わりです。
終幕です。
球磨川禊でも友情出演していたのかと思うほどの完全大嘘憑きでした。
もう希望も、絶望も、勿論シリーズ続編という未来もなさそうな予感をさせる終わり方に私は配信窓から覗くオーディエンスの一人としていたのです。あるいはチームの一員として最悪な終わりに渋々手を振ってさよならをするような気分でした。
絶望だ! 希望だ!
そんな声が自分の中でループしながら離れていったのがあの最期の作品。
「彼女ら」を応援し、しかしながら「彼女ら」の死に一喜一憂していた自分をどうして「彼ら」が受け入れるでしょう。そして、剥がされるヴェール。ダンガンロンパはどこまで行っても希望と絶望とのぶつかり合い、そんなジレンマから解き放たれよう「彼ら・彼女ら」は藻掻き真実を求めたのでした。
そうして、ダンガンロンパのフィナーレから数年……
いや、数年たっても、V3で決着だと言われても、「彼ら」に人差し指で「それは違うよ!」と論破されても、青春時代を支えた作品から離れることはできず、SNSに流れているダンガンロンパの二次創作の絵を集めていました。さながら、Twitterというどぶ川の底を攫って砂金を探すような行為を時々の趣味としながら惰性に生きていたのです。そんな風に毎日川を攫っていると目を疑うほど巨大な金塊がザルに転がりこんできたのでした。ゴールデンカムイです()
それこそ現在絶賛発売中の「超探偵事件簿レインコード」でした。
ダンガンロンパ製作陣によるあらたな推理アドベンチャーゲーム。
馴染みの画風と魅力的なキャラクター、そしてどこかポップさと不気味さを感じさせるネオンに溢れた永遠の雨の町。
これ! ダンガンロンパじゃないけどダンガンロンパだ!
生き別れの双子とか、幼いころに行方不明になった娘との再会とか、そういうのに近しいショックを受けました。
私はすぐに飛びつきやることを決めました。
それにはかつて青春を共に歩むことはできず遠巻きに見ることしかできなかった「彼ら」への航海があったからです。
ダンガンロンパは結局どこまで行っても私には「ショー」でしかなかった。触れられない世界だった。
それがV3の最期をもってより強まった結論でした。
だからこそ、今度こそ、このダンガンロンパじゃないけど同じ血の流れたゲームをすることであの時得られなかった何かを得ようと思ってしまったのです。
その悲壮な決意は言い憚られる比喩ですが、「シン・エヴァ」の製作を以てエヴァシリーズとの決別を決めこんだ庵野秀明監督です。個人的にはそのくらい絶大でした。
「見るもの」から「やるもの」へ。
自分の手でこの後継を触りつくすことで足りなかったピースを少しでも回収したいと心のどこかで思っていたような気がします。
そうして、もう脇目も振らず一週間程度で全部終えてしまったわけですが。
なるほど……これがレインコード(ダンガンロンパ)か……
と二つの全く違う作品を重ねて終わらせたような気分になりました。
ダンガンロンパと自分の過去の決着がエンディングとともにつけれた瞬間、次に襲ってきたのは戻ってきたタイトル画面でのレインコードとの決着でした。
続編が出なかったら、もうあのキャラクターたちとは会えないのかな。もっと彼らのことが知りたいよ! 実際に話しかけ、にらみ合い、戦い合ったキャラクター達。もはやレインコードは完結し、舞台上で手を振りながら袖に掃けてしまった【彼ら】。こんな一瞬で彼らと別れてしまっては味気が無さ過ぎます。この執着が私を二週目へと誘う魔の手です。
ダンガンロンパが仲間と絶望を乗り越えるゲームだとしたら、レインコードは迷宮化した謎を解くゲーム。なので、その謎が主人公たちと関係のない死だったりすることから、思い入れで絶望する機会は少ないかもしれません(いや、私が嘘を言ってる可能性をあります)
なので、より深いキャラ掘りを求めてしまう。
求めて、Twitterに行って、またどぶ川の底を漁る。
レインコードの河底攫いは大変ですよ。まだ発売して半年もたっていない作品なのでイラストやキャラクターへの言及、ネタバレ込みの感想がとても少ない。
どうしましょう。どぶ川からプラチナを掬い取るほど大変な作業です。気分はドクターストーンの主人公の御父さん。
個人的には過去との決着を担ってくれそうでやっぱりあの作品とは違うものだったから、これからもダンガンロンパを渇望する日々は続きそうですが、レインコードで得た興奮は今度こそ自分一人だけ、誰も介することなく得られたのでそこは胸を張れそうです。
ダンガンロンパでは絶望と希望の対決だったり、何かに軸をぶっ刺してできた対立構造がどう変化するかが物語のキーポイントでした。どちらかが勝つのか、新機軸を立てるのか、軸をぶっ壊すのか。そして、生存者が閉鎖空間から解放されるというエンディングで終わりますが、その外の様子はいつも描写されないのです(アニメなどでの後日談は別として)。
彼らのその後が「どうなったか」はゲーム内ではブラックボックス化されたままエンドロールに入る。
では、レインコードはどうだったのかというと……それは内緒でしたね。
一つだけ言うならばやっぱり彼らはダンガンロンパではないのです。世界は絶望しないし、また希望もない。ただ謎が入り組んで迷宮に真実を隠す。レインコードは真実を探求する物語で絶望を乗り越える話でも、真実を導く話でも、何かを終わらせる話でもないということでした。
ダンガンロンパを追って、ダンガンロンパと違う作品に出会って、またダンガンロンパと同じようなちょっと違う思いをできたことに嬉しく思います。
振り返るとそこにはダンガンロンパ卒業式が閑散とした状態で立ってます。それはとっくにリアルタイムで追ってた人たちには過ぎた話。私はもう一度だけその門に触ってから、まだ潜らずに先に進みます。
まだまだレインコードには考察や妄想が山積みなのです。それにDLCもあるのですから、ダンガンロンパではあり得なかった、「物語の続き」を体験できるのです。ダンガンロンパだと追加でコロシアイを発生させるのはそれこそ難しい話ですからね(ifエンドとかならまだしも)
つまり!
まだ雨音は鳴り響いてる!
レインコードは終わらないんだよ!
……ってことです。
子供の頃私の視界を塗りたくったサイコポップなピンク色は褪せずまだ心の中にあります。
ですが、今私の手には迷宮を解く鍵が握りこまれているのです!
終劇