私の爺ちゃんは、英雄なんだ
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「良い? この眼鏡は人前で外しちゃいけないの」
「なんでー?」
物心が付いた時の記憶。
母から言われた言葉……これだけはハッキリ覚えている。何度も何度も聞いた言葉。
「それはね、ルクナが可愛いから……お母さん、心配なの」
「可愛いと駄目なの?」
「そう、可愛いとわるーい男に拐われちゃうのよー。ルクナ美味しそうだからー、こちょこちょー」
「わきゃきゃ! くすぐったいよー!」
母も外ではいつも変な眼鏡を付けていた。目元が隠れるぐるぐる眼鏡。
美人なのに何故隠すかと聞いたら、家族以外に素顔は見せないものよ…と、言われた事がある。
他に理由はあるけれど、そんな母が大好きだった。
だから大好きな母の真似をして、眼鏡を掛けて素顔を隠す事に抵抗は無かった。
「外ではルナードよ。良い? ルナードよ」
「ぅん、ルナード。私はルナード……でもどうしてルナードなの?」
「男の子として生きないと、可愛いルクナはわるーい男に拐われちゃうのよー」
「むぅー! ちゃんと教えてよー!」
「本当よ。本当に、拐われるの。せめて十歳になるまでは、言う事を聞いて欲しい……私は、ルクナに幸せな人生を歩んで欲しいの」
「……」
この時の母は、いつもとは違う本当に真剣な口調で……真っ直ぐに見据える瞳が、少し揺れていたのが印象的だった。
地味な男子で生きて幸せになるのか? という疑問さえも言えないような雰囲気に、私はただ頭を縦に振る事しか出来なかった。
それから私は外ではルナード・エリスタとして生きた。ルクナという名前を知っているのは、父と母と私と……幼馴染のエルリンちゃんとその母親のエルフィさん、あと数人くらいだと思う。
でも、素顔は結構な人に見られた。自分から素顔を晒していたからね。男として。
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「爺ちゃん爺ちゃん、今日も魔物を倒したの?」
「あぁ、そうだよ。こわーい魔物だ。今度見に行くか?」
「行きたい行きたい!」
「はははっ! ルクナもエリスタ一族だからなっ! 爺ちゃんの格好良い所見せてやるぞ!」
グラン・エリスタ。
歴代エリスタ当主の中で最強と云われ、父でさえ一生敵わないと言う程の豪傑。
魔物の軍勢をたった一人で殲滅する光景、散歩に行くような足取りで山のような魔物を斬り伏せる光景を、今でもハッキリと覚えている。
「爺ちゃんすごいすごーい!」
「凄いだろー。でもルクナなら、爺ちゃんを越えられるかもな」
その後、私を連れ出した事がバレて母に怒られていた事も……爺ちゃんは、私の英雄だ。その背中はとても大きくて、いつか、隣に立てるくらいに強くなれたら……なんて思っていた。
そんな時、事件が起きた。
「ルクナ、良い? 凄く、強い魔物が現れたの。家で、良い子にしていてね」
「う、うん……大丈夫、なの?」
「絶対、大丈夫よ。ルクナは強い子だから、ね。待っていてね」
五歳の頃……魔の森から超位を超える魔物が出現した時、私は拐われた。
──ドォォォォォォオン!
「お母さん……大丈夫かな……あぁ……あの、爆発は……っ!」
「見付けたぞっ! 来い! 抵抗すんなよ!」
「いやっ! いやっ! ──かはっ……」
「おいっ! 殺すなよっ!」
近所の人も出払っていて、完全な一人の時に駆け寄ってきた大柄な男に腹を殴られて麻袋に詰められ、外に出てしまった事に後悔する余裕も無く馬車か何かに乗せられた。
怖くて痛くて、か細い声で母と爺ちゃんの名前を呼ぶ事しか出来なかった。
ガタゴトと、何時間も揺られて……母が言っていた悪い男が来たんだ、私は殺されるのか、これからどうなるのだろうという思考がぐるぐると回って、涙が止まらなかった。
「ここまで来ればこっちのもんだな。おい、本当にこいつが領主の息子なのか? 領主と全然似てねえぞ」
「地味息子って有名なんだ。ちゃんと確認してるから安心しろ」
「ったく、こんなのが欲しいなんて依頼主は変わりもんだな。でも俺達が一番乗りだぜ! あいつらの悔しそうな顔が目に浮かぶなぁ!」
「俺達以外に十組くらい居たよな。しかし同時依頼なんて珍しいよな。まぁでも、前金だけで凄かったじゃねえか」
「そうだなー、早く終わらせて女を抱きてぇよ」
「お前いつもそれだな。あん? なんだ?」
ガタンッと乗っていたものが止まり、反動で転がって何かに頭を強く打った。打った所が熱く、血が流れて……このまま死ぬんだろうかと諦めていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……荷台を、見せろ」
「はぁ? 馬鹿かお前ら。見せる訳ねえだろ。そこのねーちゃんが相手してくれんなら考えてやるよ」
「お、おい待て。こいつら、何処かで…」
「じゃあ、依頼主を吐かせたら死んでもらう」
「はははは! 死ぬのはてめえだ! 俺たちを誰だと思って……ぐふっ」
「おっ、おいどうした! 死…んで、即死魔法……まさか死神…ひいっ!」
何か、争っている音がするけれど、頭を打ったせいで意識が朦朧としていた。
「アズ、殺すのは後だ」
「無理……ルクナを拐ったのよ。どうせあいつらと同じ依頼主……軍関係者か、あっちの派閥……」
「そう、だな。軍は裏でエリスタの秘密を探っていたから……」
……なんか、眠くなってきたからウトウトしていると、袋が開けられて……夕陽が眩しかった。
目の前には、泣いている母の顔。心の片隅で、外で眼鏡外していけないんだーって思っていた。
私の頭に手を当てて、凄く暖かかった。
「ルクナ! ごめんね、ごめんね……」
「おかぁさん……? 私、死んだの?」
「ううん、生きて……良かった……本当に、良かった……」
「……ぐすっ、怖かった……怖かったよぉ……」
「ごめんね……」
「ぐすっ、ぐすっ……爺ちゃん、は?」
「……ルクナ、よく聞いて。お爺ちゃんは、もう、帰って来ないの」
沢山、泣いた気がする。誘拐された事と、爺ちゃんが死んだ事。
幼い私には、少し辛すぎる出来事だった。
「ねえ、お母さん……どうして、爺ちゃんが死んだのに……誰もお墓参りに来ないの? この国の為に、頑張ったのに……」
「……ここは、少し遠いから」
「遠くても、国を救ったんでしょ? 凄く強い魔物を封印したんでしょ? 英雄なんだよ? なんで? なんで誰も、来ないのさ!」
「……ルクナ、覚えておきなさい。この国は、英雄を嘘吐き呼ばわりしたの。一人で魔物の氾濫を対処出来る筈がない……嘘吐きエリスタ……そう言ってお爺ちゃんを信じなかった」
「嘘吐きなんかじゃ、ないのに……じゃあ、強い魔物も……嘘って、言われるの?」
「報告は、したのよ。エリスタの事を何も知らない奴らは……嘘だと言うわ」
「みんな爺ちゃんより、弱い癖に……」
この時から、この国が嫌いになっていたと思う。
爺ちゃんの墓の前で、国に何かしてやりたいって、困らせてやりたいって、思っていた。