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ルンバは歩くよどこまでも

捨てられてしまったルンバの新しい生活のお話です。

 少女はベッドの上で目を覚ました。

 眠った姿勢のままゆっくりと目を覚ます。彼女の目の前には、見たことのない景色が広がっていた。

 木製の天井、部屋に電球、部屋に差し込んでくる朝の陽ざし。床にいるだけじゃ目に出来ない光景ばかりだ。


 すぐに少女は飛び起きる。そして、飛び起きるという自分の動作にまた驚く。

 彼女にとって、これまでできる行動といえば、床の上を移動しながら、ゴミを収集することのみ。体に四肢が付いているということ自体がありえないことだった。

 少女は何度も自分の体を見つめながら、それが本当に自分の意志で動いていることを確かめる。


「人間……」


 自分の言葉を自分で聞きとる。コンピュータによって制御されている電子音ではない。自分の声帯を響かして出している、自分自身の声だ。


 自分が眠っていたベッドの上を見つめる。白いシーツに、水色の掛布団。シーツに広がっている皺は、自分のものなのだろう。これまで意識にすることすらなかった情報が頭の中にインプットされていく。


 彼女はふと、シーツの上に埃を一つ見つけた。すぐにその埃を拾い上げる。ゴミを手にすることで、ようやく彼女は落ち着くことができた。小さな埃を握りしめながら、ほっと一息つく。


 いったい何が起こっているのか、彼女にはわからなかった。


 元の家は……?


 記憶をたどろうとするが思い出せない。何度記憶をたどろうとしても頭の中の何かが彼女の思考を遮ろうとする。



「お目覚めかな。お嬢さん」


 部屋の奥から声がした。しわがれた男性の声だ。

 少女は声の方に目を向けると、一人の老人が扉をあけて部屋を覗いていた。白い白衣を着た男性。白い髪と白いひげが、彼の丸眼鏡とよく似あっていた。

 男は腕時計を確認している。


「午前九時ぴったし。さすが、機械としての設定は消したつもりでも、体は覚えているものなのだな。いい研究結果だ」


 男はうなずきながら部屋に入って来ると、真ん中にある椅子に腰を下ろした。

 少女は突然現れた男に驚いたが、不思議と警戒心は抱かなかった。


「誰……?」


 少女は不安そうな声で訊ねる。感情で変わる自分の声の変化を聞き取る。


「まあ、通りすがりの研究者、とでも言っておこうかね。昨晩、ゴミ捨て場にいた君を拾ってきて、勝手ながら身体をつけさせてもらったよ」

「昨晩……」

「そう覚えているかな?」

「私は……」


 少女はまだ昨晩の記憶を取り戻すことはできない。

 博士は少女の方を向きなおして言う。


「君は、ルンバというロボットだったのだ」

「……!」


 “ルンバ”という博士の言葉を聞いた途端、少女の中の記憶の回路がつながった。少女の中で隠されていた記憶――削除しようとしていた記憶――がよみがえる。


*****


「ごみを吸えなくなってしまったんじゃ、もうこれもごみと一緒じゃないか」

「買ってから結構立つものね。寿命なんじゃないの?」

「買ってからどれくらいだっけ?」

「2年くらいかしらね?」

「まだそんなに立ってないじゃないか」


 私を取り囲みながら、一家のみんなが話している。

 最近調子が悪いことは自分でもわかっていた。でもそれはバッテリーの問題なだけなんだ。私はまだやれる、まだやれるから気付いてほしい。

 

 せめて、修理に出してくれれば……


「ねえ、もう新しいのにしましょうよ」


 お母さんがスマホの画面をお父さんに見せ始めた。


「新しいタイプはスマホで操作とかできるらしいよ!」

「私ももう新しいのがいい!」


 息子の大地君と娘の美晴ちゃんもそれに乗っかりだす。いやな流れが家族の中に流れ始めていた。

 初めは悩んでいたお父さんも家族3人の説得に、ついに折れる。


「わかったよ、じゃあ新しいの注文しておいて」

「やったー!」


 喜ぶ家族のみんな。もうみんなの頭は新しいルンバでいっぱいみたいだ。


 ああ、私はもう捨てられてしまうのか。でも、まあ最後までよく頑張ったじゃないか。これも機械としての宿命だ。短い期間だったけど、家族の一員として受け入れてもくれた。

せめて、最後は丁寧に処理してほしい。


 お父さんは私を抱えて外に出ようとする。 


「お父さん、そのルンバどうするの?」

「ごみ捨て場に捨ててくる」

「それって粗大ごみじゃないの?」


 お父さんは私のことを見つめる。


「まあ、大丈夫だろ。ゴミ捨て場に置いてあったら、誰か物好きなやつとかが持って行ってくれるだろ」


 ……そうして、私はゴミ捨て場に捨てられた。私をゴミ捨て場に置いていったあと、お父さんは私のことを振り向こうともしなかった。

 何もない深夜のごみ捨て場。そこにただ一つだけ置かれる私はごみ以下な存在のように思えた。


 もうすぐ残りのバッテリーも切れる……せめて最後に。


*****


 記憶をすべて思い出した時、ルンバの目には涙があふれていた。

 機械だから出すことができなかった感情が、今はすべて出すことができる。始めて外に出す感情のはずなのに、少女はもうそれを抑えることができなかった。


 博士はルンバの感情を邪魔しないようにそっと見守っている。


「本当にゴミなのはいったい誰なんだろうかね」



「あの、私は、いったいどこにいればいいのでしょうか?」

 ひとしきり泣いた後、ルンバは博士に訊ねた。


「どこにって、行く場所がないのならばここにいればいいんじゃないのかな」


 ルンバは首をかしげる。博士の言葉がイマイチぴんと来ないようだ。


「あの、というよりも、部屋のどこに待機していればいいのでしょう? そして、私は何をすればいいのでしょう? ゴミを拾うことはできるのですが、どうやら今の体ではそれを収納しておくことができなくて……」


 博士は少女の問いを興味深そうに聞いていた。白いひげを何度か触って見せる。


「そんなもの、好きなようにすればいいのさ」

「好きなように?」

「そう。ルンバ……でいいのかな? 名前は後で決めよう」


 一度咳ばらいをして、博士は続ける。


「とにかく、君が行きたいところに行けばいいし、やりたいようにすればいいんだ。なんて言ったって、君はこれまでのルンバじゃない。その体は紛れもなく人間のものなんだからね。もう君を縛る充電器もないんだよ」


 ルンバは、あらためて少女となった自分の体を眺める。

 これまで自分の姿を見ることができる目なんてどこにもなかった。見ることができるのはごみと障害物の判別のみ。

 視界が変わっただけで、自分自身すら何か得体のしれないものになってしまったようだった。


「あの、今の私は人間なんですよね?」

「もちろん。紛れもなく」


 博士は机の上にあった鏡を見せてくれる。ルンバは初めて自分の顔を見る。長い黒髪の少女の顔がそこにはあった。


 ルンバはしばらく何かを考えこんだ後、ベッドから起き上がった。その顔には何かを決断した後の表れがあった。


「あの、それでしたら私行きたいところがあるんです」

「どうぞ、行ってきなさい。この世界の情報はあらかじめ入っているからね」

「……ありがとうございます」

「いいってことです。私も大変貴重な体験をさせてもらいましたからね。あ、でも一つ忠告があります」


 博士は人差し指を立ててルンバの前に差し出す。


「空腹には気をつけなさいね。あなたはもう人間の体ですから。ゴミなんか食べられませんからね」


 ルンバは、博士の忠告に曖昧な笑いをしたままお辞儀をした。博士はただ笑ってうなずく。


 そうしてそのままルンバは部屋を出て行った。

 時間は9時30分。ルンバが目覚めてまだ一時間もたっていない。


 博士は誰もいなくなった部屋で再び椅子に腰かける。


 ――これでいい。


 博士は元居た家に帰っていくであろうルンバの姿を想像した。

 たとえどのような扱いを受けたとしても、機械として過ごした2年間は変わらない。自分との縁なんかよりも強いことは当たり前だ。

 彼女が帰りたいと思った場所に返してあげればそれでいいのだ。


 博士は、研究前から予想していたことを何度も自分に言い聞かせた。


「不幸な機械に幸あれ」


 博士の研究のスローガン。その信念を胸に、何度も研究を繰り返した。このルンバの研究は必ずこれからの未来に役立つのだ。


 徹夜の博士にとって、朝の陽ざしはとても眩しかった。

 博士はそのまま椅子にもたれかかって眠りについた。



 夜になり、博士はようやく目を覚ました。どうやら朝から晩まで眠りについていたらしい。

 もう年なのだと自分の体力の衰えを笑う。


 博士は自分に掛けられている毛布の存在に気が付いた。間違いなく自分に家にある毛布なのだが、自分でかけた記憶などない。

 かけてくれる相手がいるとすれば……


「おはようございます」


 聞き覚えのある声がした。博士が顔を上げると、そこには少女がベッドの上に座っていた。

 少女は博士に礼をする。


「ルンバ……どうして」

「自分の帰りたい場所に帰ってきていいと博士がおっしゃっていたので」

「元居た家に帰らなくていいのか?」


 少女はうなずく。その目にはもう涙は浮かんでいなかった。


「最後の挨拶は済ますことができましたからもう大丈夫です。それに……」


 少女は一度唇をかむ。膝の上に載せているこぶしを一度強く握りなおした。


「私があの家に帰ってしまったら、第二の(ルンバ)が生まれてしまうだけですから」


 少女は笑って答えた。

 その表情を見てから、博士は質問を続けることをやめた。その少女の顔にはもう機械としての面影はなくなりつつあった。


 ――新しい名前を付けてあげないとな


「博士、そんなことよりもご飯にしましょう。私はもうお腹ペコペコです」


 少女はベッドから立ち上がりながら言った。お腹を押さえている彼女の表情にはさすがにもう曖昧なものはない。

 博士も椅子から立ち上がる。たんまり寝て元気満タンだった。


「そうだな、何か作ってやらないとな」

「お願いします。――できればゴミ以外のもので」


 少女と博士は笑いながら部屋から出て行く。

 時刻は深夜。ルンバが捨てられてからもう24時間が経とうとしていた。

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