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膨大な命をあなたへ

5000字くらいの短編です。

ジャンルはSF。命の残機数が9999になった世界のお話。

 「別れよう」

 孝志からきたLINEは私を駅まで走らせた。


 乗りたくもないタクシーに乗って、駅まで駆け抜ける。信号無視をしすぎて車に何回か轢かれてしまったけど、なんとかホームまでたどり着く。


 品川駅のホームは出勤前のサラリーマンで溢れていた。みんなが長い一日が始まることを憂いていた。


 電車を待っている間、車に轢かれてボロボロになってしまったパジャマに気づく。

 着替える時間も惜しくてパジャマのまま家を出てきちゃったんだ。すっぴんだし、家の鍵も閉め忘れた気がする。自分の突拍子の無さに情けなくなる。



 孝志に電話をかけてみるが出る気配はない。まあ、どうせいつも通りだろう。


 孝志は別れのLINEを送れば私が飛んでくることを知っている。今回だってそうだ。付き合ってもう3年、1年前まではこんなんじゃなかったのにな。


 とはいえ、最近孝志の様子がいつもよりさらにおかしくなっている気もしていた。でも、それは1年前からの継続だろうってあんまり気に止めていなかった。やっぱりもうちょっと気にかけてあげといた方がよかったのかな。なんて、こんなこと考えちゃうからこういう事態になっているんだ。


 いっそのこと無視しちゃおうか、なんて考えがよぎったけど、そんなことしたら、取り返しのならないことになる気がしてしまう。「とりあえず今回だけは会いに行ってみよう」何度も自分に言い続けている言い訳を今回も繰り返す。


 ホームで並んでいるサラリーマンはみな、7月の熱気にうなだれていた。彼らの額から流れる汗はいくら拭いてもまた吹き出してくる。もう諦めているらしい。


 もうすぐ電車がやってくる。アナウンスが流れるとホーム上でため息が漏れ始める。もうすぐやつがやってくる。それを思うだけで私だって嫌になる。

 ホームの外から呻き声が聞こえ始める。来た。ドドドドという地響きと共に電車、ーーいや、大蛇がやってくる


 もともと山手線だったそれは、今や同じ全長かそれ以上の巨大な大蛇となってホームにやってきた。大蛇はホームにいる私たちを見下ろしながら舌づつみをする。これを見るといつも思い知らされる。人間は生贄になってしまったんだと。


*****


 大蛇様は私たちの世界を根本から変えてしまった。ちょうど1年前のこの時期、観光客で賑わうビーチに大蛇様は突然降臨した。ちょうど孝志と旅行に来ていた私はそれが生物であることを信じることができなかった。


 昼間とはいえ落ちてくる物体は流れ星か何かだと考えていた。ましてや、それがこれから世界を変えることになるなんて思ってもいない。空から勢いよく降りてきた大蛇様は、海へ飛び込むと辺りに巨大な水しぶきを飛ばした。


 そしてゴジラかと思わせる巨大な姿を現した。その姿は、昔絵本で見たヤマタノオロチを彷彿とさせた。かと思うと、大蛇様は世界中に響く巨大な彷徨を響かした。


 その彷徨は人間ごときが聞くにはあまりにも大きすぎた。周りの人がバタバタと倒れていく。私も遠くなりそうになる意識の中、霞んでいく景色を必死に見つめた。


 比喩ではなく空が割れ、海が裂けていく。大蛇様を中心に世界が黒に染まる。次元の裂け目があるのならばきっとあれの事なんだろう。


 それから私は気を失ってしまったけど、きっとそのあと世界は闇に包まれたのだと思う。その日の記憶を持っている人は、まだ私は1度も出会ったことがない。孝志でさえも覚えてなかった。


 次に目を覚ました時、世界は大蛇様のものになっていた。大蛇様は世界の仕組みを組み替えてしまった。それは私たち人間にはどうしようもない事実だった。


 大蛇様は神になり、私たちは生贄となった。目を覚ました瞬間、誰もがそれを本能的にそして当たり前の事として受け入れた。私たちの思考そのものまで組み替えられてしまったのかもしれないけど、きっと誰もが大蛇様の存在を前にして、「敵わない」と悟ったんだと思う。人間じゃ神には敵わないんだ。


 大蛇様が変えた大きな仕組み、それは私たちの命のあり方についてだった。私たちは9999の残機が与えられた。命が9999機に増えたのだ。寿命を除いて、人間はたとえ死んだとしても生き返ることができるようになったのだ。なんだかゲームの中の世界みたいで現実味がなかった。


 最初、それに気づいた人間たちは喜んだ。「自分たちの命が扱いやすくなった」と。人々はこれまでできなかった危険な好奇心を存分に解放させた。殺人も起こったし、至る所で人がビルから飛び降りた。皆が自分の命の軽さに心躍らせた。


 私だって孝志と一緒に心中ごっこなんて不安定な遊びをしてみたりもした。死というものの快楽は悔しいけど心躍らせてしまった。


 しかし、大蛇様の思惑を悟るようになった時、人間はもう一度絶望に落とされた。


 私たちは命の残機を得た代わりに、この世のあらゆる活動、電車、タクシーとかお金を払うものならだいたいに私たちは命をもって支払わなければならなくなった。使い方は簡単で、乗り物の場合はそれ自体が大蛇様の分身に変わっているので食われればいい。そうすればあとはいつもと変わらない。


 ただ、食いちぎられる時の痛みは、残機が何機あろうとなくなるという訳では無い。私たちは9999ある無限に思える命を痛みを伴って大蛇様に捧げなければならなくなったのだ。まさに生贄だった。大蛇様はそこから得られる私たちの命、いや、魂を食していたいらしい。


 私たちは日々生活しながら、この抗いようのない神に命を捧げるために生活する家畜に成り下がったのだ。なんの契約もなく、ただ一方的に。


*****


 ホームでは、電車を待っていた人々が大蛇のもとへ近づいていく。電車の入口は一つ、大蛇の口しかない。乗客はその口の前に1列に並ぶ。先頭のサラリーマンが不気味な入口の前に立ち、そして食べられる。サラリーマンはすっかり慣れた調子で一連の行為をこなしていく。出勤のためのひとつの儀式として機械的にすましていく。


 大蛇様に支配されたからと言って、人間の社会が消えてしまった訳では無い。むしろ、これまでどおりの社会を継続することを強要されてしまった。人間がそのまま生きている方が、魂を搾取するには都合がいいと判断したのだろう。サラリーマンはこれまでと変わらず、どこかの会社で仕事をするために魂を捧げる。


 ストレスでおかしくなる人もあとを立たなかったが、魂を消費しなければ死ぬ事も出来ない。大蛇様が定めた縛りは予想以上に強かった。


 私の番まであと5人といったところで、急に列が止まった。何かと思って先頭を見てみると、どうやら5歳くらいの女の子が泣いているようだ。


「やーだ、死にたくない」

「何言ってるの。今からお父さんのところに行くんだから我慢しなさい」


 お母さんが必死に説得を試みるが、女の子が泣き止む様子はない。


「なんでお母さんの言うこと聞いてくれないの?ちょっと我慢するだけなんだから頑張って」

「だって美緒は食べ物じゃないよ?なんで食べられなきゃいけないの?」


 美緒ちゃんは必死にお母さんに訴えかける。お母さんは大蛇に聞かれているのではないかと焦りながら美緒ちゃんと大蛇に代わる代わる目をやる。お母さんの目にも涙が浮かび始めていた。


 2番目のサラリーマンがたまらず先に乗ってしまった。ホームの中は親子に対する哀れみの雰囲気が漂っていた。確かに大人はもう痛みには慣れたけれど、この感覚を子どもが味わうには辛すぎる。並んでいる人達はみな、美緒ちゃんの悲しい運命を眺めていた。私も含めて。


 しかし、私は美緒ちゃんの言葉がどこか引っかかってしまった。


私たちの命は食べ物なんかじゃなかった……。私はここに来るまで、どれだけの命を無駄にしてきたんだろう?

 タクシーに乗って一機、信号を無理に渡ろうとして車に轢かれて2~3機。この時点で最低でも3機。昨日は、思い出せない。私はあまりにも命を失うことに慣れすぎていた。


 私の命は食べ物なんかじゃない。そんな当たり前のことが、この世界じゃ当たり前じゃなくなっている。圧倒的な存在に対する諦めが、いつの間にか当たり前にすり変わってしまっていた。


 電車に向かう足が急に重くなる。


 女の子はまだ駄々をこね泣き続けている。大蛇はそんな声を聞いているのか、いないのかよく分からない。表情というものが読み取れない。ただじっと口を開け、次の生贄がやってくるのを待っている。この女の子が正しいのか、女の子を諭す母親が正しいのか、もう私には判断のつけようなんてなかった。


 結局美緒ちゃんはお母さんに手を引っ張られながら、大蛇の口の中に立った。親子一緒に入っても大蛇は許してくれるらしい。美緒ちゃんの泣き声は余計強くなる。お母さんの涙も頬を伝っていた。


 大蛇はそんな親子を容赦もなくかみ潰した。生々しい咀嚼音が叫び声とともにホームに響く。

 大蛇は、心無しかほかの乗客よりも強く噛み砕いたように思える。反逆しようとする者への怒りがこもっていたのかもしれない。


 列はまたスムーズに進み始める。私まであと2人。大蛇との距離がどんどん縮まる。大蛇の鼻息が顔にあたると、この電車だったものも、生き物なんだということが分かる。そして、私はやっぱり食べられるんだということも。


 先頭のおじさんの足が震えていた。美緒ちゃんの記憶がまだ頭に残ってしまっているんだろう。

 私だって今日はずっと美緒ちゃんのことを思い出してしまう気がする。美緒ちゃんの残機はあとどれくらいなんだろう。多くあればいいな。


 死とは本来あれくらい恐ろしいものだったんだ。なんで私は忘れてしまっていたんだろう。大蛇が来る前は、電車に人が轢かれるだけで大きな問題になっていた。今じゃそんなこと掲示板にすら残らない。

 美緒ちゃんが私たちに残した命の問題が私の心を占領し始めた。なぜだか、命が実はものすごく重いものなんだと思い始めた。


 孝志は私の大事な一機を使ってまで逢いに行く価値のある人間なのだろうか?会いに行ったところでどうなかなるかなんて分からない。ただいつも通り命を無駄にするだけかもしれない。


 思い出の中では、彼はいつも私に笑いかけてくれていた。この1年、彼との思い出の中で私はどれくらい命を捨ててきたのだろう。会いにいく時だって、いつもこの電車に乗っていた。孝志は大蛇様を見てから、全く電車に乗らなくなってしまったから、私がこれに乗って逢いに行くしかなくなってしまった。命懸けの大切な思い出だった。


 電車の口が開く。おじさんは震える足を持ち上げながら口の中に入り、そして勢いよく噛み潰された。また儚い命の儚い一機が世界に消えた。次の次が私の番。


 電車に乗ることがまだ痛くなかった時代が懐かしく感じる。一年前のことなのになぜかはるか遠い昔のことのように思える。あの時は孝志とよく駆け込み乗車していた。孝志は遅刻ギリギリの私の手を引いて電車の中に引っ張ってくれた。孝志の手に引っ張っられるのが好きでわざと遅刻していたっけ。


「間に合ってよかったね」なんて息切れしながら2人で笑い合うのが楽しみだった。


 今じゃ孝志の家に行って、お互いの存在を確かめ合うように抱き合うことしかしていない。大蛇様に遭遇したあの日から、私たちの心も少しずつおかしくなってしまっていたんだ、きっと。


「世界が怖い」

 孝志は私と会う度にいつもつぶやいていた。そんな時は決まって私が孝志を優しく抱きしめた。それがこの1年の私たちの全てだった。


 スマホの待受は今でも世界が変わる前の写真のままだ。その中の2人は無邪気に笑い合っている。今とはまるで別人みたいだ。


 後ろから背中をつつかれた。何かと思ったら前に並んでいた人はとっくに大蛇に命を捧げていた。

 大蛇はじっと私を見つめている。改めて見るとやっぱり迫力が凄まじい。口だけで私の身長をゆうに超えてしまうんだもん。やっぱり化け物だ。大蛇の鼻息は酷く生臭い。こんなもののために命を捧げていたのだと思うと心の底でなにかが冷たくなった。


 こいつには私の事情なんて関係ないんだ。欲しいのはただ均一に配られている、人間の命の味わいだけ。ただ搾取したものに喜んでいる能無しと同じだ。


 やっぱり孝志に会いたい。彼は私の全てだ。たとえ今悲しい現実に飲み込まれているとしても、2人ならやって行ける気がする

 だから、命を捧げても一緒に居たい。そして、もう1回、2人で抱き合いたい。一晩中2人でこの世界にいる存在を確かめ合いたい。


 「これで最後だ、コノヤロー」


 そう大蛇に吐き捨てて私は大蛇の口の中へ突き進む。あんなに慣れてしまった大蛇の中の生臭い匂いが、今はものすごく耐え難い。


 こいつに命を捧げるのはこれで最後にしよう。もう帰ってこない。これからは孝志がなんと言おうと一緒にいよう。


 このおかしくなった世界でもう一度、無邪気に笑い合うために、私は大蛇様に命を差し出すんだ。

 電車の口が勢いよく閉じる。消えゆく意識の中で大蛇様にそっとつぶやく。


「決意の味は美味しいでしょ?」

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