閃光よりも早く
「―――――にまします我らが全能なる父なる神よ、いと高きその力の一端を聖なる剣へと貸し与え、迷える人々の導き手と遣わせた慈悲深さをここに現したまえ、苦難のときはここに、善良なる者もここに、祈りの声は絶えず、今は嘆きへと変わる間際・・・」
「違うっ!!お主らの信心とはその程度か!まるで魔力が集まっておらんではないか、これは心が乱れている証左であるっ!この司祭であり魔道部隊隊長であるジラルデの膨大な魔力をもってしても誘引できんとは、お主らの普段からの精勤の怠りを物語っておるわ!まったくけしからん!!」
神殿を見渡せる小高い丘に陣取っているのは、揃いの青い衣装を身に纏った信徒達であった。その集団の前に一人立ち大声で怒鳴り散らしている男は、左右に歩いてはその度に手に持った杖で地面を叩いて彼らを威圧している。
眼下に広がるエリスタール村の状況は、いまだに混乱を極めている。神殿の異変を察知したのか長蛇の列を成していた参拝客は既に各々して離散して、その姿は置いて行かれた露天の設備に残るばかり、今目下の課題は行き場を失くした様に彷徨う神殿周囲の参拝客達だろう。
彼らは当初こそ我先を争ってこの場から逃げようと走り出していたが、神殿から辺りへとその食指を伸ばし始めたハーピー達の姿に、二の足を踏む状況となっていた。
それは仕方がないことであろう、目の前に確かにある現実としてハーピーに背中を抉られ、地面へと倒れ伏している人の姿を見て、勇気を振る絞れる者などほとんどいない。彼らがそれらを啄ばむ様に食事を始めればなおさら。
今回の祭儀のために各地から集められた信徒達も対応を迷わせていた。彼らのほとんどは祭儀の運営のために集められた、司祭やそれを補助する役職の者達であり、その中にこのような状況に対応できる資質を持った者は、居ないといっていいレベルであった。
少数ながら辺境で魔物の退治を行い、それと並行して布教を行うという、戦闘に特化した部隊も警備の人員として召集されていたが、彼らの数は少なくまた、トラブルの多い場所に散らばって配置されているため、大きな戦力とはなりえないだろう。
もちろん聖剣教団にとって最重要の聖地であるこの地には、多くの信徒兵が配置されていた。しかし彼らはある事情によってあまり頼りにならない実情があった、それでも数は多いため多少の時間稼ぎ程度には働いてくれるかもしれないが、あまり期待しないほうが身のためといえる。
彼らの中には信仰心に溢れ、強い熱意を抱える若い兵士もいた。彼らはその情熱がために魔物に占拠された神殿へと無謀な突入を行っているようだ。それは指揮から逸脱した行動ではあったが、信仰心という観点から見れば立派な行いともいえる。
そうした事情もあり彼らの行動は黙認されていたが、誰一人帰ってこない現状にやがてそれを行う者も途絶えてきていた。
彼らが身動きが取れない理由として、大きなものはやはり多くの避難民だろう。神殿内もしくは神殿周辺まで訪れていた彼らは参拝客は、いまや逃げる場所すらない避難民と化して、多くがその場に留まるしかなくなっている。
彼らを管理するのにも人手がいった。信徒達の中には司祭やそれに近い仕事をする者や見習い達が多くおり、彼ら怯える民衆達を宥め落ち着かせることには長けていたが、現実として彼らを脅威から守る術を持ってはいなかった。
どんな言葉を重ねても、目の前で襲われている人を助けられなければ何の説得力もない。彼らの言葉に意味を持たせるにも、兵士は必要な存在であった。
そんな状況の中、唯一空を飛ぶ魔物たちに有効な戦力が存在した。
それがこの丘に集まった、魔道部隊である。
彼らは何もこんな事態に備えて訓練された精鋭部隊ではなかった。彼らは今回の祭儀の最後のセレモニーにおいて、魔法を使ってある現象を起こすことで、神秘さを演出する事を目的に集められていた集団であった。
そんな彼らがこのような危機的状況に対応できるかというと、否である。彼らが長い年月をかけて磨いてきた儀式魔法は、光や炎を用いて奇蹟を演出するためのものであり、戦いのために用意されたものではないのだから。
しかしこの状況を好機と捉えた者がいた。
それがこのボドワン・ジラルデ魔道部隊隊長である。
彼はその禿げ上がった頭からも判るとおり、老境に差し掛かった男であるが、若くして司祭へと任じられた熱心な信徒であり、本人もゆくゆくは司教やもっと上の地位をと野心を抱いていた。
しかしあるとき彼は、その魔力の才を買われて新設の部隊の長に推薦される。彼にはそれが輝かしい出世の道に思え、詳しい説明も聞かずに飛びついてしまっていた。
蓋を開けてみれば、それは左遷に近い扱いであった。大小様々な式典があるたびに借り出され、それに適した演出を考え、時には新たな儀式魔法を考案する。
確かに多くの人に感謝され、やりがいもあったため彼も必死に努力したが、しかしそれらはあくまでその先に待つ出世を夢見た行いであった。
彼がその望みがないことに気づいたのは、かつての同僚達が次々と自らの地位を追い抜いていく姿を見た時だった。そうして彼はようやく思い知る、当時の自分が同僚達に嵌められてこの場所に追いやられたのだと。
しかし彼は諦めなかった。
光や炎を操る魔法は攻撃にも使える、何もない所から水や風を発生させるのも威力を高めれば兵器にもなる、彼は魔道部隊を名前通りの戦闘集団へと生まれ変わらせようと画策していた。
年齢的にこれ以上の出世が難しくなった彼は、自らの立場の価値を向上させることによって、相対的に地位を高めようと思いつく。しかも彼が魔道部隊の新生を行ったとなれば、それは教団史に名を残す行為であった。
彼は興奮した自らの発想に、そして奮起した自らの偉業のために。
彼にとってこの状況はまさに打ってつけの出来事であった。
「いいか、目標はあの神殿上のハーピー共だ!狙いをつけるのも攻撃手段の選択も全て私が行う、お主達はただ心一つにして私に魔力を集中すればよい!いつも儀式を思い出せ、何も違わないぞ!!」
大きな身振り手振りを交えながら力説する姿は、まさに栄光の戦いへと向かう将軍の演説を思わせた。事実彼にとってはまさにそうなのだろう、こめかみに浮き出る血管が彼の興奮具合を物語っている。
オーバーなほどに大口を上げて喚き散らす口上に、飛び散り降りかかる唾などは、彼から圧し掛かってくるプレッシャーに比べれば可愛いものだろう。横にも縦にも大きい彼の体格はその立場も相まって、近くから覗き込まれるように見下ろされれば物理的な重圧として降りかかってくる。
「分かったな!よしそれでは始めから、これは聖句をアレンジした呪文だから唱えやす―――」
「ジラルデ隊長!ジラルデ隊長!」
最後に隊員一人一人の目を見ながら、言い聞かせるように指示を出していたジラルデは、所定の位置に戻ると大きく杖を地面へと打ち鳴らす。自らの下へと全ての視線が集まったことに満足した彼は、詠唱の開始を前に一言を述べようとする。
その途中に割り込んだ勇気ある隊員は、並びの中で最も年若そうな少年であった。彼のその行為が蛮行であることは誰の目でも明らかだ、事実ジラルデは血走った目でその少年を睨みつけていた。
「なんだ、ヴァレリー!お主は今が大事な局面だと分かっているのか!!それに呼ぶならジラルデ魔道隊長か司祭と―――」
「ジラルデ隊長!ハーピーです、すぐ後ろに!!」
「なにっ!?」
疑問の声を上げて後ろに振り返ろうとするジラルデの顔のすぐ傍には、既にハーピーの鉤爪が迫っていた。
流石に新たな戦闘部隊を作ろうとするだけあって、鍛えられた肉体を誇るジラルデがどうにか身体を捻ろうと試みるが、間に合うはずもない。彼の瞳にはこれまでの雌伏の日々が、走馬灯のように駆け巡っていた。
「ここで死ねるかぁぁぁぁ!!!」
かわそうとするよりも、怒りで限界を振り切ったジラルデの拳が届くのが早い。
こめかみに突き刺さった鉤爪は、確かにジラルデの眼窩の骨を削っている。しかしそれが致命の深さに届く前に、ハーピーは身体ごと彼方へと吹っ飛ばされていた。
襲い掛かってきた魔物に隊長を見捨てて逃げ始めていた魔道隊の面々は、あまりの事態に呆気に取られて固まってしまう。そんな静寂の中で興奮からか、ジラルデの傷口から大量の血がピューピューと吹き出していた。
「危ないっ!!」
血の匂いに誘われたのか新たなハーピーが襲い掛かってくる、しかし今度はジラルデは反応を示そうとしなかった。というのも彼は大量の血を失った上に、頭部に強い衝撃を受けたことによって意識が朦朧としてしまっていたからだ。
逃げ出そうとしていた多くの隊員達は彼を助けれる位置にいない、唯一彼の近くにいたのはヴァレリーだが、彼にはハーピーを撃退する手段などありはしなかった。
そのためせめて彼はジラルデを助けようと、その巨体にタックルを行う。しかしあまりの体格の違いから微動だにしない、魔物はすぐ目前にまで迫っていた。
「動けぇぇぇぇぇー!!」
「光よ」
裂帛の気合を込めて押し出しても、絶対的な体格差は覆ることはない。それでもヴァレリーはジラルデの巨体を押し続ける、既に限界は超えていた彼は光に包まれる幻覚を見る。
身体全体を包まれるような暖かさを感じ目蓋を閉じると、不思議と今まで感じていた重さもなくなっていく。再び目を開けたときにはヴァレリーの目の前から、脅威となるものは全て消えていた。
「危ないところだったわね・・・魔道隊の方かしら?あなた、お名前は?」
「はっ?・・・・・・・せ、聖女様?じ、自分はドナルド・ヴァレリーであります!!」
小高い丘から全体の様子を確認しに訪れたフローラは、エリスタール村の現状を確認し苦い表情を作る。しかしその表情を見せたのは一瞬のことであり、ヴァレリーに向き直る頃には柔らかい微笑が浮かんでいた。
ヴァレリーは馬上に佇むフローラの顔を、しばらく呆けたように見つめていた。その様子に自らの身体の汚れを思い出したフローラは僅かに頬を撫でる、ヴァレリーはそんな聖女の仕草にも魅了されていた。
「そう、それで・・・ちょっと待って、光よ!こんなものかしら。それで、あなた達の隊長はどこに?」
短い一言と共に聖女の手の平から溢れた膨大な光の束が、神殿の上へたむろするハーピー達を射抜く。瞬きの間に行われたその行為に、ハーピー達は反応も出来ずに大半が焼き殺される、魔法から逃れた僅かな者達だけが、神殿内へとその姿を隠していた。
圧倒的な熱量の余波だろうか、強い空気の流れに暴れる髪を押さえているフローラは、涼しい顔で自らがもたらした破壊を眺めている。
その横顔をただぼうっと見つめていた、ヴァレリーが抱いた感情は恐怖だろうか。いやそれは身震いするほどの崇拝だ、その両手は自然と祈りの形に収まっており、自らに向けられる視線にも気づかないほどだった。
「・・・えっと、ヴァレリー?」
「あっ、は、はい!ジラルデ隊長なら、そこ・・・・に?」
微妙な間の沈黙に困ったように首を傾げたフローラに、ようやくヴァレリーは自らの責務を思い出す。背筋を正した彼はフローラに対して教団式の敬礼を行い、胸を叩いた姿勢のままジラルデがいる筈の方へと顔を向ける。
しかしそこにいる筈のジラルデの巨体は影も形もなく、誰もいない空間を示されたフローラは、先程と同じ困った仕草を続けるしかなかった。
「えっ!あれ!?ど、どこですか!ジラルデ隊長、ジラルデ隊長ー!!」
「ヴァレリー、下、下!」
「えっ!?・・・・・・・あっ」
ジラルデの姿を見失って慌てふためくヴァレリーに、一部始終を目撃していただろう隊員の一人が声を掛ける。彼らは安全が確保された現状に徐々に戻ってきていたが、突如現れた聖女の存在に戸惑い微妙な距離を保っていた。
彼からの指示を受けたヴァレリーは丘の突端へと手を掛けた。反対側のなだらか勾配と違いそちら側は切り立った崖となっており、ヴァレリーは恐る恐るその先に顔を伸ばす。
空気の流れの違いに吹きすさぶ風が髪を逆立て、目蓋は自然と引き絞られた。鋭くなった焦点が左右に振られればあまりの高さに目が眩みそうになる、それでもその巨体は見間違える筈もなかった。
ボドワン・ジラルデ魔道隊隊長はそこにいた、崖の下の強い日差しに一層輝いて。