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エリスタール村は辺境の小さな村だ。
そう表現しても今のこの光景を見れば、信じられる人はいないだろう。
どこまでも続く人混みが、周りの景色から浮き出した巨大な神殿に向かっては消えていく。
この多くの人々の目的はそこにあり、そしてこの村に訪れる人の目的はそこにしかなかった。
聖剣トゥールヴィルとそれが収められた同名の神殿、ここに訪れる多くの人がそこが1000年前には深い森だったといわれて信じられるだろうか。
しかしそれは事実であり、辺境の開拓村でしかなかったこの場所は、神殿とその周りだけがその姿を変え、それ以外は昔のままの閑散とした田舎の姿をとどめていた。
この村に住む多くの住民は、一年で数日だけ行われるこの試しの祭儀で、一年の収入のほとんどを稼ぎ出していた。それはこの祭りに訪れる人々のための宿であり食料であり、またそれ以外のサービスのほとんどが住民達によって管理されているためである。
もちろんそれら全てを少ない住民だけで補われるわけはなく、この時期には多数の行商や周辺の村々から手伝いの人手が集まってくる。それらの人々から場所代としてお金を受け取る権利を彼らは有しており、営業の許可を出す権利も一手に握っていた。
しかし彼らも一方的に利権を貪っているわけではなく、平時に自分達が暮らす家屋以外に宿泊客や行商が泊まる家屋の維持も努めており、巨大が故に人手も必要な神殿の管理にも人を出している。
そんなエリスタール村が属するソルモン領は、伝統的に王の直轄領であり、その領土の管理をこの国の国教である七耀教が委託されて行うという形をとっていた。
しかし昨今その事情にも変化が見られていた。それはここ数十年に急激に勢力を拡大してきている、聖剣教団の存在である。
彼らはその名前の通りに、聖剣トゥールヴィルを信仰対象として崇める宗教であり、当然のことながらエリスタール村、特にその神殿を聖地として信仰の対象と定めていた。当たり前のことであるが彼らはソルモン領の管理権、特にエリスタール村のそれを強く要求した。
当初こそその要求は鼻で笑われるだけのものであった、しかしあるとき風向きが変わらざるえない出来事が起こる。聖女の誕生である、しかも本物の聖女の。
癒しの力を天から授けられたというその聖女は、この国に起こったある事件の際に死者を蘇生するという奇跡を披露し、その名が偽りでないことを示して見せた。
国はその事件の後にエリスタール村の管理を聖剣教団に委託する。名目上は事件の際に多くの犠牲を見せながらも、事態の収束に多大な貢献した教団に対する褒美として与えられものであったが、誰の目から見ても聖女の働きに対してものだと分かっていた。
村の管理を任された彼らがまず取り組んだのは、神殿の改修であった。というのもこの神殿は当初かなり損壊が激しく、立ち入りを禁止しなければ危険な場所が存在するほど、ひどい有様であったためである。
それはこの地は七耀教にとっても聖地ではあったが、あまり重要な場所として見られていなかったためである。彼らの信仰の中に七所巡礼というものがあるが、この七箇所の巡礼地からエリスタール村の神殿は、一度外された事すらあった。
これは1000年の平和の中で聖剣の存在が忘れ去られていったからであるが、彼らにもこの地が聖地であった認識はあったのか、聖剣教団によってその管理権を奪われてすぐに、七所巡礼の巡礼地として再度指定し直すということを行っている。
これは彼らなりの領有権の主張であったのだろう。そんな彼らを意識する意味もあったのか、聖剣教団はこの神殿において大規模な改修を行っている。
20年かかるといわれた大工事が、たった5年で終わったのも彼らの勢いを象徴する出来事といえる。勿論それの実現には頻繁に陣頭指揮に立ったという、聖女の存在も大きくかかわっている。
彼らは神殿の改修終了と同時に、今までは年中公開されていた聖剣を年に一度だけの公開と定め、それを試しの祭儀として人々に広める。神殿の大規模な改修は多くの人の間で噂になっており、そのお披露目と共に開催された祭儀には、多くの人々が詰め掛けることになった。
それは自然と祭りとして民衆に受け入れられることとなった。それには普段さまざまな仕事で飛びまわっている聖女がこの祭儀の間には神殿に常駐し、貧しい人々にも分け隔てなくその癒しの奇跡を施すという噂も、無関係ではなかっただろう。
そうしてこの祭儀は、この国一番の祭りといっていいほどに人を集めることになる。それにはこの祭りが、特に外国からの人も多く訪れるというのが関係していたかもしれない。
その多くの人の目的は聖女だろうが、最近はその事情も変わりつつある。それはつまり人々が聖剣の担い手、勇者の誕生を求めているのに他ならなかった。
しかしそうして訪れる人が多くなればなるほど、トラブルというものは付き物である。神殿の巨大な正門の前には、多くの人々で溢れかえっていた。
それらを制御しようとする試みる門番は、今も小太りな少年に食って掛かられては、大声で怒鳴り散らされていた。
「いいからとっとと中に入れろよ、くそ兵士!!そんなもんがいるなんて聞いてねぇぞ!!」
「聞いてなくても必要だ。それにそれを決めるのは、君じゃないな」
ジャンが勢いよく掴んだ胸倉に、指先が硬質の感触を叩いて痛みを覚える。門を警護しているのは聖剣教団の信徒兵だろう、ゆったりとした貫頭衣の下に薄手の鎧か鎖帷子の類を着ているようで、指を痛めたジャンは改めて逆の手で慎重に衣服だけを掴みかかっている。
「通ってるじゃねぇか、他は大勢!何で俺たちだけ・・・ほら、あいつなんか俺達より怪しいぞ!」
「彼には他の者が対応するさ、それよりどうするんだ?一人1000リラで、君達は二人だから2000リラ、参拝料として払わないのであれば、こちらとしてもこのまま通す訳にはいかないな、これも規則でね」
他の参拝客を囮に門番をすり抜けようとしたジャンの試みは、手放そうとした手を捕まえられてすぐにご破算となる。まるでこちらが無理難題を吹っかけているような態度をとる門番は、肩を竦めては首を振った。
その仕草に苛立ったジャンが隠れて拳を握るのを、曲がりなりにも戦闘の訓練を受けているはずの彼が見逃すはずもないだろう。ジャンの陰に隠れて様子を窺っていたノエルには、彼が薄く笑っているのが見えた。
「ジャン!ねぇ、ジャンってば!!まずいよ、それは!1000リラぐらいなら払えるから、なんならジャンの分も・・・」
「ふむ・・・いや、すまない勘違いしていたよ。実は一人2000・・・いや3000リラ必要なんだった、君達二人だと6000リラ必要だな」
握った拳を振り上げるより早く、それに組み付いたノエルが必死にジャンを止める。体格差に引きずられて僅かに砂煙を上げたノエルが足を突っぱねるよりも、ジャンが落ち着くほうが早い、それでもその目は確かに門番を睨みつけていた。
譲歩の姿勢を見せたノエルに、門番は値踏みの視線を下から上へと這わす。その目は財布に手を掛けたノエルの反応をつぶさに観察しており、言葉の先を濁らせては強請の加減を見極めていた。
「ふざけんな!さっきの三倍じゃねぇか、そんな金がどこにあるっ!!」
「・・・流石にそれは、帰りのお金が」
「ノエル!お前は黙ってろ!」
財布の中身を指で探りながら自らの懐具合を確認したノエルは、要求に対して妥協することも出来ない事を悟り目を伏せる。ジャンは無理な要求を吹っかけてきた門番にまた一歩詰め寄っていたが、先ほどからペラペラと自分達の情報を零していくノエルに対して、苛立つように声を荒げていた。
「では、こうしよう。君達に一時的に我が聖剣教団に入団してもらうというのはどうだろうか?なに、一時的なものだ。我が教団の拠点はこの国にいくつもある、きっと君達の故郷の近くにもあるだろう、ちゃんと送り届けると約束するよ。勿論、君達には労働という形で奉仕してもらうことになるが、なに、ちょっとしたものだよ」
「・・・それは」
「ちょっと待てノエル、こっちに来い・・・早く!」
急に優しげな態度に豹変した門番に、警戒心を抱くのは自然な反応だろう。それほど悪くは無い様に思える提案にも、ノエルは言葉を濁す。
その様子を見てさらに言葉を続けようとしていた門番は、目の前に突きつけられた手の平にその続きを飲み込んだ。ジャンは空いた方の手でノエルに近場に寄るように促すと、捕まえるように肩を抱きかかえた。
「お前、もしかして受けようとしてたか?」
「いや、流石にちょっと怪しいかなって。でも他に方法が・・・」
「馬っ鹿かお前、あんなもん乗っちまったら好き放題こき使われて、放り出されるだけだぞ!いいや、それならまだいいさ。悪けりゃ一生あいつらの教団の奴隷扱いだってあるかもしれない、それによ・・・」
顔を寄せたまま少しずつ門番から距離をとっていたジャン達は、神殿へと向かう群集から少し外れて道の外へと歩みを進める。そしてジャンはノエルに言い聞かせるように向き合うと、その両肩に手を置き真摯に語りかける、その目は友人のことを心から心配しているものだった。
「お前はさノエル・・・綺麗な顔してんだから、ちゃんと自覚しろよ。あいつの目線に気づいてたか?絶対お前のけつを狙ってたぞ」
「ジャン、ジャン!」
「あぁ?何だよノエル、お前ちゃんと話を・・・」
「それで、話はついたかね?」
ノエルの方からではかなり前から見えていただろうが、ジャンにとっては急に後ろに現れた門番に、驚いたジャンは両手を挙げて降参のポーズを取る。
話の途中で勝手に退席した若者達を探して声を掛けたにしては、近すぎる門番の距離は何も不思議に思うことはない。その接近の理由は彼の右手が証明している、ジャンの肉付きのいい尻に這わしたその右手は、今も感触を楽しむように指先を遊ばせていた。
「お、俺かよぉぉーー!!?」
ジャンが上げた悲鳴は得体の知れない恐怖と衝撃のためか意外と小さい、跳ねてはその場で足踏みするように足を回転させたジャンは、着地するや否やノエルの方へと向かう。
しかしその歩みはすぐに止まっていた。ジャンは自らの上げた悲鳴によって気づくのが遅れていたが、ノエルは既に周りの様子を気にして頭を振っている。
今も上がり続けている悲鳴は一つや二つではない、これら全てが変態趣味の門番によるものだとは思えなかった。
「なんだ、なにが起こってやがる!?そこのお前、報告しろっ!!」
先ほどまでジャンの尻の感触を楽しんでいた門番が、周りにいる兵士に呼びかける態度を見て、彼が意外と高い地位にあることを知る。
道から少し離れたこの場所ですら、すれ違う人々に肩や肘をぶつけられる。今はまだ自由に動ける余地が残っているように思えたが、このスペースもいつまで残されているか予想もつかない。
多くの人は神殿から逃げているように思われた。事態が把握できていない人達が棒立ちのまま固まってしまい、津波のように押し寄せる人波とぶつかっては倒れたり転ぶことで、既に怪我人が出ているように見えた。
「おい、行くぞノエル!」
「えっ!?行くってどこに?」
「神殿だよ、行けるだろ・・・今なら」
戸惑うノエルにジャンは途中から声を潜めると周りの様子を窺った、飛び交う悲鳴は段々と高くなり、しかしそれは一向に事態の情報を明らかにするものではなかった。
先ほどまで近くにいた門番も、今は事態の収束と把握に精一杯のようだった。下っ端の兵士だろう二人を捕まえていた彼は、短く何らかの命令を下すとそいつらを送り出し、自分は群集と逆の方へと歩いていった。
「ここまで来たんだ、見たいんだろ、お前も!」
「・・・あぁ、行こう、ジャン!」
肩口から後ろに視線をやって神殿の入り口を確認したジャンは、ノエルに手を差し出す。ノエルが迷っていたのはどれほどだろうか、少なくとも彼らのその時間を邪魔するものはいなかった。
手を掴んだノエルに、待っていたのはジャンの意地悪げな笑顔だった。すぐに走り出した二人はしばらく道の外れを進んでいたため大して障害なく進む、やがて神殿の入り口へと差し掛かり人混みの中へ突入することになると、ジャンは静かに気合の声を吐いていた。
肩口からぶつかるようにして、人の波へと分け入ったジャンが作った隙間を、ノエルは小柄な体格を生かして縫うように進んでいく。
一際体格のいい男に身体をぶつけたジャンは仰け反りそうになるが、その背中はノエルがしっかりと支えて、崩れた体勢に逆らわぬように僅か進行方向を変えて先に進む、気づけば彼らは神殿の門を潜ろうとしていた。
「あっ!おい、誰か!そいつらを止めろ!!」
ノエルの背中の方からどこか聞き覚えのある声が響く。逃げ惑う人々とは逆方向に進む揉みくちゃに、気にする余裕などあるはずもないノエルは、ただ前に進むジョンの背中だけを頼りに足を進める、何時か日差しは翳り、今までとは違う空気が漂い始めていた。
そこはもう、神殿の中だった。