戦いを呼ぶは、剣か人か
「ジャンさんじゃないか、珍しいねあんたがこっちに来るなんて。あんたが好きそうな店はこっちにはないんじゃないかい?」
「いやぁ・・・お気に入りの子がさ故郷に帰るって事になったから、見送りに行こうかなって思ってな。馬車はこっちで合ってるよな?」
「あぁ、そういうことかい。でも馬車はこっちじゃないよ、向こうのほう。なんでも魔物が出たから、別の道から行くんだと」
「うわっ、まじか!?ありがとな、助かったよ。いや~、これでぎりぎり間に合うかもな。実は最後に軽く抜いてもらおうかなって思っててさ」
「はは、奮発してやりなよ」
初老の男との和やかな会話を終えたジャンが、不安そうに佇むノエルの元へと帰ってくる。この避難所で注目を集める人の一人となった彼は、その人懐っこい性格で多くの顔見知りを作っていた。
今までの道中でも少なくない人から声を掛けられた彼らは、その都度ジャンが率先して気楽な会話を行う事で、余計な詮索から身をかわす事に成功していた。
そんな彼らでも兵士の格好をした男に話しかけられた時には、流石にこの試みの失敗を覚悟していた。しかし彼は他に気になることがあったのか、ジャンの適当な誤魔化しにもあっさりと納得して引き下がってくれ、その時には二人は顔を見合わせてほっと安堵の息を吐いたものだった。
「まずったな、昨日聞いた時にはそんな話はなかったんだが・・・」
「ジャン、無理はしなくても・・・ボクなら・・・」
「いや、向かう場所には見当はついてる。ここからそう遠くはないはずだ。いける、いける!」
ここまで辿り着くまでにも多大な幸運を要している、そうまでして歩いてきた道中が見当違いの場所だと知り絶望に諦めを口にするノエルは、これ以上友人を巻き込めないと視線を俯かせる。
しかしジャンは最初から一蓮托生の覚悟を決めていた、深い木々に覆われた森に馬車が着く場所などたかが知れている。初老の男から示された方向には一つしかないそれに、彼はノエルの肩を叩いて元気付ける、決して近くはないその距離に立ち止まっている時間はなかった。
「いくぞ、ノエル!もうあんま時間はねぇぞ!」
「あぁ、あぁ!行こう、ジャン!」
迷わず進もうとするジャンの姿に、落ち込んで蹲ろうとしていたノエルは顔を上げる、彼がついて来る事を疑おうともしないジャンは、すでに背中を見せて駆け出していた。
道の合流地点に少し開けた場所になっているおかげで、先行したジャンの姿を見失うことはなかった。遅れて駆け出したノエルは隠した聖剣にどうしても俯きがちの姿勢となる、その姿勢に周りへの注意力が散漫になるのは当然で、気づけば飛び出してきた人影とぶつかってしまっていた。
「きゃ!?」
「っ!?すみません、大丈夫です・・・か?」
ぶつかってきた人影は、粗末な布を何枚も重ねて纏っただけのような格好だった。衝突したときに思わず漏れた悲鳴で女性だと分かった彼女を、助け起こすために手を伸ばしたノエルは、その顔を見詰めると動きを止めてしまう。
その顔には驚きと戸惑いの表情が浮かんでいる。地面に尻餅をついた女性もノエルの優しい声に手を伸ばしていたが、その途中で何かに気がついたかのように手を引っ込めていた。
「っ!?ご、ごめんなさい!お願いです!許して、許してくださいっ!!許して・・・!」
「おい、どうしたんだノエル!これは・・・ほんとにどうしたんだ?」
「彼女は、ボクが・・・」
ノエルの顔をまじまじと見詰めていた女性は、怯えるように顔を震わせると急に跪いて地面に頭を擦りつけ始める。その突然の行動は周りの注目を集め始め、騒ぎに気づいたジャンも引き返してくる。
彼らの姿を目にしたジャンは事態を飲み込めずに首を傾げる。彼の口から出た言葉はその本心からのものだろう、ジャンのとぼけた仕草にもノエルは悲痛な面持ちを変えようとはしなかった。
ノエルの事で頭が一杯だったジャンの目には、彼女の姿は映ってなどいなかったのだろう。ノエルとて目覚めの混乱の中ではっきりと目にしたわけではない、それでも自分が傷つけてしまった存在のことは、忘れられはしなかった。
「ようやく見つけた!おい、あんた!そいつを捕まえてくれ!!」
「ひぃぃ!?た、助けて!誰か、誰かぁ!!」
少しばかり集まってきた人垣を掻き分けて姿を現した男は、見回した視線に地面に蹲る女性の姿を見つけると大声を上げる。彼の声にそちらへと顔を向けた女性は劈くような悲鳴を上げると、地面を這いずるようにしてその視線から身を隠そうとした。
彼女は自らが後ろへと回った存在が、ノエルだと気づかないほどに怯えきっていた。その様子にノエルは彼女を庇うように一歩進み出る、思ってもいないノエルの反応に、こちらへと指を突きつけていた男は怪訝そうに眉を顰めていた。
「なんのつもりだ、あんた?言っとくがそいつの処遇はちゃんと許可を・・・」
「あなたの事情は知らない、それでもボクには彼女を守る理由があるから」
「お、おいっ!ノエル!?」
ノエルの行動を咎めようとした男の言葉は途中で途切れてしまう、それはノエルがその容貌を隠したフードを捲ったからだ。少ない接触の機会に、はっきりと覚えていない顔にも何か感じるものがあったのか、男はまじまじとその顔を見詰めてしまっていた。
ノエルの突然の行動にジャンは慌てて止めようとするが間に合いはしない、フードを捲り顔を晒したノエルに、周りの人達も徐々にざわつき始める。
彼らにとってまだ幸いだったのはノエル達の周辺で働き、その顔をよく見知ったものが周りにはいなかったことだろうか。それでもすぐ傍に佇むジャンの存在に噂は広がっていく、彼の存在は広く知られており、勇者の年恰好もまたよく知られていたからだ。
「彼女をどうにかしたいというなら、ボクが相手になります」
「おまえは・・・まさかっ!?」
守るという決意か、罪の意識から来るものか分からないがノエルは躊躇いなく行動を起こす。服を捲り隠した聖剣を取り出したノエルは、そのまま一気にそれを抜き放っていた。
ノエルの決定的な行動にジャンは頭を抱えて天を見上げた、ベルトに固定されていないため放り投げられた鞘が地面を擦って回る、それを見た女性はさらに怯えて蹲ってしまう。
ノエルの顔に見覚えがありながら、それが事実であれば危険な状況に必死で現実を否定しようとしていた男も、拭いようのない証明に目を逸らす事は出来ない。
日の光を浴びる聖剣は、よりいっそう眩く光り輝いていた。
「ジャン!彼女を頼む!」
「あぁ~もう、知らないぞ俺は!ほらっ、あんたもさっさと行こうぜ!逃げたいんだろっ!?」
「は、はぃ」
目の前の男と対峙し聖剣を構えるノエルはジャンに願いを託した。
これまで慎重に運んできた足取りを全て滅茶苦茶にされたジャンは、吼えるように不満を空に吐き出すと、吹っ切れた表情で女性へと手を伸ばす。それを掴んだ彼女の力は弱弱しいものであったが、それを引っ張り上げるジャンの力は弱くはなかった。
光り輝く聖剣の姿はどうやったって目に付いてしまう、元々ここに集まっている避難民はそれを一目拝むために集まったといっても過言ではない。そのため、ここの誰しもがその存在を目にした瞬間に理解してしまう、あの少年こそが勇者なのだと。
刻一刻と広がり続けるざわめきと注目に、ノエルと対峙する男の表情は一気に青ざめていった。ことここに至っては全ての行動が危険なものとなってしまう、追わなければならない存在が目の前から去って行ってしまっても、彼には見過ごすことしか出来なかった。
「な、なぁ、ゆう・・・いや、そうだ!カントループ君、君は勘違いをしているよ。あいつ、いや彼女の処遇は聖―――」
「言い訳は聞かないっ!退くか戦うか、選んでください!!」
この期に及んで勇者の存在を誤魔化そうとした男の努力は、戦いの気配を高まらせるノエルが聖剣を掲げたことで意味のないものとなってしまう。彼の戦意に反応しているのか、聖剣はその輝きを一層眩いものへと変えていた。
男が口にしようとしていた懐柔の言葉は、大事な部分でノエルに遮られてしまう。肩口の高さに掲げるように聖剣を構えるノエルに、人を切る覚悟はあるだろうか。
それはもはや関係ないのかもしれない、ノエルの行動は明らかに目の前の男との敵対を意味している。この地においてはそのポーズだけで、彼は目の前の男を切り伏せているといってもよかった。
そしてノエルと対峙している当の本人は、それほど楽観視はしていない。彼は目の前の年端の行かない少年が人に剣を振るった事実を知っている、それが混乱した時の出来事だとして、どうして今がそうではないといえるのだろうか。
「いや、待ってくれよ!いいから聞いてくれ、俺は頼まれたんだ聖―――」
「うおおおおおぉぉぉぉぉぉ、らぁぃ!!!」
どこからやってきた巨体が、集まってきた人垣を弾き飛ばしながら猛進してくる。見ればその前方にはフードを被った人影が見える、彼らは結果的に開けた空間であるノエル達の目の前へと割って入ってきていた。
密集した人の間をすり抜けるのに減速したフードの男と違い、人垣を弾き飛ばして進んだ大男はその速度を落としてもいない。そのおかげで縮まった距離も追いつくまでには至っていない、大声を上げた巨体の男はずっと小脇に抱えていた荷物を逃げる男へと投げつける。
「ぶげらっ!?」
「くそぅ!仕留めそこなった!!」
投げつけれたのは鎧を纏った男だった。流石に筋肉隆々な大男もそんな男を軽く投げ飛ばせるわけもなく、低空の軌道を描いた男はノエルと対峙していた男へと命中していた。
絡み合い転がっていく二人に、何も狙いが大きく外れたわけではない。もんどりうって転がる彼らの手足が、逃げようとしていたフードの男の足を掬う、つんのめり地面へと膝をついたフードの男は、もはや逃げられないと追ってきた大男と対峙する。
「ようやく追い詰めたな、もう逃げられねぇぞっと・・・おぉ!?これは、勇者様ではありませんか!!まさかそのお姿は、このラバスの捕り物に協力してくださると!!?」
「いや・・・これは、えっと・・・」
突然の事態に、剣を掲げた姿勢のまま固まっていたノエルの姿を見つけたラバスは、大げさなリアクションで驚きと感動を示してみせる。彼の言うこととは違う思惑を抱えているノエルとしては、その言葉と圧力には言いよどむことしか出来ない。
ノエルの視線は彼によって投げつけられた男に、巻き込まれ倒れて伏せてしまった男を見詰めていた。気を失っているように見えるその姿に、ノエルは剣を収めるタイミングを見失ってしまう。
「勇者、だと・・・まさか、お前が・・・?」
「なにをいってだぁ、てめぇ!見りゃわかんだろうが!!この人こそまさしく聖剣の担い手、我らが勇者様よ!!」
「ちょっと、それは・・・」
今更ながらも隠しておきたかった事実を強調されて戸惑うノエルは、こちらを見据えて目を見開いているフードの男に気がつかない。彼はノエルの顔と聖剣とを交互に目をやると、静かに懐へと手を忍ばせる。
じりじりと気づかれないように距離を縮める男とノエルの間は、最初から遠くはなかったこともあって、すぐに間合いへと入っていた。
「危ねぇ、勇者様!!」
「っ!?」
音もなく襲い掛かってきたフードの男に、先に気がついたのはラバスだった。その声に反応して咄嗟に動かした聖剣が、男が振り払ったナイフを弾いたのは偶然に過ぎない。
聖剣の余りの鋭さは触れたナイフの刃を半ばから両断する、その動かした軌道は男の衣服をも切り裂いていた。その斬撃ともいえない動きが男の腕を切り落とさなかったのは、今はまだ幸運とも不幸とも分からない。
不意打ちの一撃を防がれ、武器すら失ってもなお彼の戦意は衰えはしなかった。すぐに新たなナイフを取り出した男は、聖剣の間合いから一歩後退する。
危険を避ける当然の動きも、彼は小さく舌打ちを漏らしている。突然の攻撃に戸惑い硬直するノエルを見れば、有無を言わせず畳み掛けることこそ正解に思えた、彼を庇うように身体を入れてきたラバスの姿を見ればなおさら。
「な、なんで!?」
「そりゃそうさぁ、勇者様。こいつぁ、あんたを暗殺しようとした奴の一味だ。目の前にその獲物が現れちゃあ、狙わずにおられんさ!」
「え、なに・・・あ、暗殺?」
さも当然の事という様なしたり顔でラバスが話した衝撃の内容に、ノエルはただ戸惑うことしか出来ない。暗殺という物騒な響きを否定する材料を探そうにも、目の前でナイフを構えながらじりじりと移動しては隙を窺っているフードの男の姿は、まさに暗殺者といった様相を見せていた。
暗殺といわれても、ついこの間まで一般人だったノエルには心当たりもない。いやと彼は思い直す、一つだけ彼には心当たりがあった、その余りに嫌な予感に冷や汗が背中を伝う。
伝った汗が服に染みこむ頃には彼の疑問も氷解している、その心当たりは圧倒的に強大な存在だった。彼の者の手の者であれば自分の命などとうにないはず、それは思い違いかもしれないが、今はそう思っていたかった。
「おう、ノエル!どうなった・・・って。いったいどうなってんだ、こりゃ?」
「ジャン・・・これは、その・・・それより、彼女は?」
「馬車の途中まで案内したから、たぶん大丈夫だろう。まぁ使おうと思ってた、聖女のお墨付きの証を渡しちまったが・・・」
地面に倒れて動かない元々対峙していた男に、見知らぬ大男、ついでにナイフを手にした男まで現れている状況に、ジャンはただただ純粋に疑問の声を上げる。
それに一番賛同したかったのはノエル自身だろう。とりあえずノエルのすぐ傍にまで駆け寄ってきたジャンは、その耳元に寄せて現状を報告する。飲み込めない状況にも、尋常じゃない事態であることは分かる、二人の秘密はなるべく聞かれない方がいいように思われた。
「頭ぁ!!」「ラバスの頭ぁ!応援に来ましたぁ!!」「逃げてんのは、そいつですかい、頭ぁ!」
「遅いぞ、てめえらぁ!!ちゃんともう一人の方は捕まえてあるんだろうなぁ!!」
「当然でさぁ、頭ぁ!!」
「でかしたぁ!なら、後はこいつをとっ捕まえるだけだなぁ!手ぇ貸せぇ、おまえらぁ!!」
「「合点でさぁ!!」」
人垣の間を次々と割って入ってきたのは、ラバスを一回りか二回り小型にしたような男達だった。彼らはラバスの部下なのだろう、荒っぽい口調で情報を交換を終えると、ラバスの号令に従って一斉にフードの男を取り囲む。
彼らの存在はこの場においても異質であり、その突然の登場と迫力のあるやり取りに、周りの者の注目は一斉に彼らへと向いてしまう。それはジャンとノエルには都合のいいものであった。
「行こうぜ、ノエル!今なら行けんだろっ」
「でも、どこに?」
「あぁ?そうだな、馬車はもう行っちまっただろうし・・・元々行こうとしてた方に行ってみよう、なんかあんだろきっと。なんにもなかったら、そんときは頼むぜ!」
ノエルを連れて人垣から離れていくジャンは、彼と共に脱出の計画を再考する。始まった大捕り物に観衆の注目はそちらへと傾いていき、彼らの動向は衆目を集めることはなかった。
人の輪の外側で顔をつき合わせた二人は、ともかくここから離れようと結論を下していた。ジャンの心当たりは頼りないものであったが、ノエルは頷きだけでそれを了承する、彼らはどうしても目立ってしまうむき出しの聖剣に、せめて土をかぶしては輝きを奪っていた。
人垣の外側をこっそりと進みだした二人に観衆からの歓声が届く、それは大捕り物が始まった合図であり、フードの男がなかなかに粘っていることも示唆していた。
圧倒的な人数差に、すぐに決着がついたのではそんなには盛り上がらない。手を振り上げ大声で煽る観衆の後ろを通るたびに、彼の健闘のほどが窺えてきた。
「てめぇ、大人しくしやがれっ!」「こなくそ、ちょこまかと!」「そっちいったぞ!」「そっちってどっちだよ!!」
「どけどけどけぇ!!どきやがれぇてめえらぁぁぁ!!!」
「「うひゃあ!?」」「「お頭ぁ!!?」」
フードの男に翻弄され、次々とかわされていく子分達の姿に業を煮やしたラバスは、もはや辛抱溜まらんと突進を開始する。その圧倒的な質量は途中に立ちふさがるもの全てを弾き飛ばしていく、それは自らの子分も彼らを見守っていただけの観衆も関係はなかった。
次々となぎ倒されていく子分や観衆達に、その影響は外側でこっそりと逃げだそうとしていたノエル達にも届いてしまう。突然自分達に降りかかってきた危険に観衆達は逃げ出し始め、二人の逃げ道を塞ぎ始める、その状況に二の足を踏んでしまう彼らの前に意外な人物が降り立っていた。
「わははははっ!!どうだ、恐れいったか!!!」
「お、お頭!?あいつピンピンしてやがります!!」
「なんだとっ!!?」
ラバスが上げる大声が、どうやって彼がここまで来たのかを教えてくれる。吹き飛ばされたのか自分で飛んだのか知らないが、フードの男はノエル達の前に降り立ち、着地から起き上がる途中にこちらを見つけてほくそ笑む。
「これは・・・彼に感謝しないといけませんねっ!」
「ジャン!!」
並ぶ二人に先導していたのはジャンの方だ。ノエルは必死に彼を後ろへと追いやる、土で汚したはずの聖剣が、ノエルの意志に反応して輝き始める。
低い姿勢のそのままに、突進してきた男との間に遮るものは何もない。その先にあるのはジャンを庇ったために、無防備な身体をさらけ出しているノエルだけだ。
そんな状況でも、聖剣から流れ込んでくる莫大な力にまかせて、全力で剣を振るえば間に合うという確信があった。でもそれは目の前の男の絶命を意味している、躊躇うノエルに男はにやりと笑ってナイフを振るう、ノエルはせめて致命傷は避けようと身体を捩っていた。
「うらあぁっ!!!」
「ひぃぃぃぃぃ!?」
「うわっ!?」
「ちっ!」
ラバスによって投げ飛ばされた子分は、その狙いを違ってノエルへと命中する。それは結果として男の一撃をかわす手段となって彼を生かしていた。
地面へと倒れたノエルを構えたままの聖剣が支える、彼のことはジャンがすぐに引き起こしていた。追撃の一撃を放とうとしていた男の足首に、投げ飛ばされた子分が絡みつく、彼の頭をフードの男が蹴りつける頃には、彼の背中へとまた一人子分が投げつけられていた。
「っ!?くそっ、しつこい奴らめ!」
「ノエル、急げ!」
「あぁ!」
フードの男の背中へと降ってきた子分もまた彼へと絡みつく。それを振りほどこうと振るった腕は、逃げようとしていた誰かの顔を払う、そうしているうちにジャンとノエルは逃げ出す体勢を整えつつあった。
「なにすんだ、おめぇ!」
「ったぁ!?てめぇ・・・俺は関係ないだろうがぁ!」
フードの男に顔を殴られた観衆の一人は、それに対して報復の一撃を見舞う。それは最初に投げつけられ、ようやく起き上がろうとしていた子分へと命中する、彼らはもはや追っていた男とは関係ないところで争い始めていた。
「わはははは!!もっとやれ、もっとやれお前らぁ!!!」
ラバスは笑いながら自分の向こう側へとまた子分を放り投げる、それはフードの男の逃げ場を塞ごうとする行動だ。
彼は子分の始めた喧嘩を煽っては、周りの者達にも焚きつけるように腕を振り回す。それは馬鹿騒ぎの雰囲気を撒き散らし、散らばりつつあった観衆を再び集めるきっかけともなる、フードの男は自分を中心に人が輪になりつつあるのを感じていた。
「お前らぁ、もっと騒げ騒げ!!お客さんが退屈しちまってるぞぉ!!!」
「・・・退路を断つつもりですか?」
「あぁ?なにいってんだてめぇ!?騒ぎてぇだけに決まってんだろうがぁ!!!」
大声でさらに子分を煽っているラバスに、フードの男は静かに問いかける、彼に返ってきた返答はラバスの布で幾重に覆われた彼の巨大な拳だった。
それを払ったナイフの方が歪んで折れる。刃を弾いた時に硬質の音がしたのを見れば布はフェイクで、下に手甲の類を身に着けていたのだろう。豪快に振舞うラバスの強かさに、男は短く舌を打つ。
新たなナイフを懐から取り出そうとするフードの男が横目でチラリと目をやっても、ノエル達の姿はもう、聖剣の輝きが僅かに糸を引くばかり、眼前に迫ってくる拳に慌てて身をかわすことしか出来ない。
こちらへと迫ってくるラバスの巨体に観衆は後ろへと引いていく、しかし周りで繰り広げられる喧嘩の盛り上がりが、彼らの事もその一つとして受け止めさせた。間延びしても決して開くことはない人の輪に、男は諦めにも似た気持ちを抱く、目の前では楽しそうに笑いながら拳を打ち付けるラバスがいた。
「がっはっは!ついに覚悟を決めたかっ!!」
「・・・そうでも、ありませんがね」
「それでこそよぉ!!」
大振りな一撃を叩き込んでくるラバスをいなして避ける。彼のその巨大な質量は男が持つちっぽけなナイフよりもよっぽど観衆達には危険に見えるのだろう、慌てて避けていく彼らの姿に一瞬、目指すべき道筋の影が覗く。
彼にとっての光明はそこにしかない、軽くした重心に身軽な足捌きで息を吐く、目の前の脅威は自らの武器にもなるものだ。
今も後ろから襲い掛かってきた、子分だか観衆を軽く捌いた状況に、混乱は深まっていくのを感じる。望むところだと男は笑みを深める、円を描く動きはラバスの攻撃を誘って、包囲の薄い方へと彼を誘導していた。
男の笑みは打ってこいと歪んでいた、それを見逃すラバスではない。
今度の一撃は今までのよりも一段と早い。それを避けきることが出来るか、男は地面を蹴った。