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聖剣物語  作者: 斑目 ごたく
逃亡
31/63

Dance with Kitchen 1

 目の前の男が泡を吹いて倒れた時、ボルデは計画の失敗を悟っていた。

 勇者用の食材を手渡すと、彼は止める間もなく試食を始めていた。考えてみれば当たり前だ、勇者という最上級の貴人に食事を作るのに、毒見を行わない筈がない。目の前の安易な手段に目が眩んだボルデは、その当たり前の可能性から目を逸らしてしまっていた。

 あの男から渡された毒がどのようなものなのか知りもしないが、もはや痙攣し始めた目の前の男が助かることはないだろう。それは厨房という逃げ場の少ない場所で、周りを囲まれてしまった自分にも同じことが言えた。

 もしも、この事態が起きてしまった最初のうちに行動を起こしていたのなら、もしかしたら何とかなっていたのかもしれない。突然の悲劇に多くの人が悲鳴を上げて逃げ惑っていた、その中に紛れ込んでしまえばどうにかなったのではと、混乱に立ち尽くしてしまったボルデは述懐する、周りを取り囲む兵士達の姿に、今更どうしようもないが。

 そうして、自分にはその可能性すらなかったのだと思い知る。

 見覚えのある老紳士が、兵士達の間を割って姿を見せていた。


「おや、こんなことになるとは・・・いやはや、意外ですね」


 片眼鏡をかけ直す仕草をしたブルトンは、その矯正された視力で倒れ伏した男を観察すると、救護に掛かろうとしていた兵士を制止する。疑問に彼へと顔を向けた兵士も、目を伏せ首を振るブルトンの仕草に状況を飲み込んだ、まさにそれが最後の命の証だと吹いていた泡も段々と勢いが弱まってきており、彼が死体へと変わるのももはや時間の問題だろう。


「意外?予想通りの間違いだろう?」

「いえいえ、まさに虚を突かれる思いでございますよ。まさかこれほど安易に事を起こすとは、想像もしていませんでした」


 まるで偶然ここに居合わせたかのような、素知らぬふりをするブルトンにボルデは皮肉を口にする、彼の言葉にブルトンは誠心誠意を込めた侮辱を返していた。ブルトンの瞳はボルデを哀れんですらいる、彼にとってもこの結末は残念なものに違いない、わざわざ逃がしてやった鼠が目の前で猫に食われたような心持に、溜め息を隠しもしない。


「悪かったな、こちとら育ちが悪いもんでね」

「そうでございますか、しかしどのような者も使いようと申します。どうでしょう?そのような無能な上司など裏切って、こちらに付いては?悪いようにはいたしません」

「はっ!人を殺しといて、許されるわけがないだろう?」

「そちらの方は、私どもの手の者ではありませんので、問題ないのでは?心配せずとも、我がダングルベール家の力はそう弱いものではございません」


 泡を吹いて倒れた男も信徒の一人なのだろう、その命を問題にしないというブルトンの発言に周りの兵士達がざわつき始める。中には明らかに敵意を剥き出しにする者もいたが、この避難所に多大な援助をしているダングルベールの家名に、周りが慌てて取り押さえていた。

 家名が押さえ込んだ反感にも、不満の種はそこら中に転がっている、割くべき注意の散逸に注目が弱まったのを感じ取り、ボルデは僅かに生存への望みを抱く。しかしそれは目の前の老紳士をどうにかしたらの話だ、正直に言ってしまえば周りを取り囲む兵士の全てよりも、この老人の方が脅威に感じていた。


「なになにー?なんかあったの?あれ、ブルトンさんじゃん、やっほやっほ!うわっ!?なにこれ・・・?」


 その間延びした声に緊張を解いたのは周囲を囲む兵士達だけ、彼らの間をすり抜けるように割って入ってきたダフネは、ブルトンの姿を見つけると気軽に手を上げて挨拶をしていた。

 もはや死体と同じに見える倒れた男を目撃した彼女はそこで足を止めるが、それは向き合う二人の男の中間の位置だった。ボルデは後ろ手に回した手で慎重に調理台の上を探る、指先は硬質な感触に触れていた。


「っ!」

「シモーナ様!」


 先手を取ったボルデも即座に反応したブルトンに、獲得したアドバンテージは僅かなものだ。それすらブルトンの見た目に寄らない身体能力に、あっという間に詰め寄られる。

 ボルデがダフネを捕まえられたのは偶然によるものだ。彼女が倒れた男に驚いた時に、その恐ろしい表情を避けて動いた一歩が、ボルデの手を先に彼女へと至らせていた。

 捕まえたダフネと共にボルデは急いで後ろへと下がる、腰の高さの調理台が背中を叩いて僅かに跳ねさせる。彼女を盾にしてもなお止まろうとしないブルトンに、ボルデは手に掴んだもの突きつけていた。


「近寄るなっ!それ以上近づくと、こいつの命はないぞ!!」

「それで・・・ですか?これは中々、器用なようで」

「・・・なに?」


 突きつけた金属にもブルトンは動揺を見せようともしない、そればかりかその瞳には呆れと、僅かな感心が含まれていた。疑問に感じてよく見てみれば、その金属は刃物にしては重すぎて丸みを帯びていた。

 つい先ほどまで火に掛けられ熱々なそれは、観察のために傾いて調理中の粘り気のある中身を零し始めたフライパンだった。

「熱っ!?熱いって!!早く、早く助けてブルトンさんっ!火傷しちゃう、火傷しちゃうよ!!」

 熱々のフライパンを顔の近くに突きつけられ、その熱さによって頬が赤みを帯び始めたダフネは、大げさに騒いでピンチをアピールする。床に零れた料理がそこに広がっていい匂いを漂わせ始め、昼時に近い時間に誰かの空腹が音を鳴らした。


「シモーネ様、お屈みください」

「え、無理」

「っ!くそっ!」


 ブルトンの言葉は攻撃を予告していた、その要望にもがっちりと肩口から首元を抱えられたダフネは成す術がない、その間の抜けた言葉にもブルトンは振り上げた足を弱める様子は見られなかった。

 彼の攻撃に反応したボルデが彼女もろとも頭を下げる、円を描いたブルトンの足はどうにか二人の頭を掠めた。その軌道の終端は縦になったフライパンの底を叩いて、回転したそれに残った料理が飛沫を散らす。


「熱っ、熱ちっ!」

「おい、暴れるなっ!」


 顔やら首元やらに飛び散った煮汁は粘性を帯びており、その纏った熱をいつまでも執拗に主張してくる。その痛みに堪らず手を暴れさせたダフネに、ボルデは彼女を押さえようともがいていた。

 指で拭ってみてもその熱はすぐには消えてくれない、粘り気を服にこすり付けたダフネはそのひりひりとした痛みに涙を滲ませる。泣きたいのはボルデの方だろう、彼に掛かった煮汁は今だにその顔へと張り付いていた。

 周りにも飛び散った料理に、二次被害を恐れた兵士達は若干ながら包囲する輪を広めていた。回転によって放り出された残った料理は、不幸な兵士の顔面へと張り付いており、彼は必死にそれを拭っては周りへと撒き散らして、被害を広めていた。


「ずいぶんと、余裕がおありのようで」

「あんたこそ、余裕そうじゃないか。何でいま攻めてこなかった?」

「お嬢様から頂いた衣装を、これ以上汚したくありませんから・・・そろそろよろしいでしょうか?」


 胸元から取り出したハンカチで、煮汁を被って汚れた衣服の足元を拭っていたブルトンに、ボルデは凶悪そうに口元を歪めながら語り掛ける。煽っているようなその口調も時間を稼ぐための策だろう、周囲を窺う瞳は眼球だけを必死に動かし続けている。

 回転の結果、底を天井へと向けることになっていたフライパンは、残った雫をとつとつと落とし続けていた。それも間隔が長くなり、もはや縁へとへばりつくばかり、目を細くしてその様子を観察していたブルトンは、もう衣装が汚れる心配はないと一歩踏み込んだ。


「ふんっ!」

「ぎゃん!!」


 ボルデの脇腹を狙って放たれたブルトンの横蹴りは、ダフネを盾にしたボルデによって防がれた。彼女の腹に直撃するはずだったその一撃が、フライパンに吸い込まれたのはせめてもの優しさだろうか。

 それでも衝撃は響いてくる。汚い悲鳴を漏らしたダフネ諸共ボルデは吹っ飛ばされて、周りの兵士の元へと運ばれる、彼らは戦いに巻き込まれるのを嫌がるように彼らを弾き返していた。


「ちょっと!あたしを盾に使わないでよっ!」

「それが人質だろうよ!」


 ゆっくりと近づいてくるブルトンを牽制しようと、投げつけたフライパンはあっさりと回避される。その動きを予想できなかった後ろの兵士が、まだ熱を持っていたそれを顔に食らって悲鳴を上げる、その姿にまた少し包囲が広まったように感じた。


「シモーナ様の言うとおりでございますよ、彼女を無闇に傷付けるのはあまりお勧めいたしません。彼女は聖女様のお気に入りですので」

「ブルトンさん・・・そうだ、そうだ!もっと丁重に扱え!」


 ブルトンの言葉を受けて扱いに抗議するダフネが、暴れ始めてボルデは彼女を抑えるのに苦労する。それでも拘束を解くほどの抵抗にはならず、逆に動きまくるダフネにブルトンの方が攻撃を躊躇っていた。

 彼女の動きは自らの解放を遠ざけただけの無駄であった。しかしその行動によって触発されるものもいる、ブルトンの後ろの兵士達の方からなにやら騒ぎが聞こえてきていた。


「そうだ!彼女を、シモーナさんを傷つけるなっ!!」

「「そうだ、そうだ!彼女を解放しろっ!!」」


 周りを囲む輪の中から進み出てきた兵士達は、口々にダフネの解放を要求して拳を掲げる。彼らは彼女に世話になっている兵士だろうか、鎧の見た目が違う先頭の男は聖女の護衛だろう。

 彼らはダフネを傷つける者に敵意の篭った瞳を向ける、それは結果的に彼女に矛先を向けたブルトンも含まれていた。殺気立った彼らの雰囲気に、ブルトンは先を譲るように後ろへと退いてみせる。


「みんなっ・・・!」

「「うおぉぉぉ!彼女を放せぇぇぇ!!」」

「勝手にやってろ!」


 彼らの意気に感動して涙ぐむダフネにより一層興奮し、いきり立って向かってくる兵士達、彼らは彼女を傷つけないためにその腰に佩いた武器を手にとっていなかった。一連の顛末を冷めた瞳で眺めていたボルデは、ずっと前から掴んでいた物を彼らへとぶちまける。

 それは今の今まで火に掛けられ続けていた、熱々のシチューだ。大量に作るためなのかごろごろと大きな具材が転がっていたそれは、激情にダフネの事しか瞳に入れていなかった兵士達の足元を次々に掬っていく。

 彼らを最も傷つけたのは鎧を身に着けた自らの重さだろう、一目散にダフネと向かっていた彼らは密集して、結果的に折り重なるように積み重なっていく。その重さはいつか致命の威力になっていくだろう、鎧の隙間から染み込んでくる熱々のシチューも、その痛みを加速していた。


「ぐえっ!」「お、重い・・・」「熱っ、熱い!早くどいてくれ!」

「ちょっと、しっかりしてよ!」


 口々に悲鳴を上げる兵士達、不甲斐ない彼らの姿にダフネは呆れ交じりの文句を漏らす。せっかく湧いた希望の即座の退場に意気を消沈させる彼女は、うなだれて大人しくなっていた。

 静かになったダフネにボルデは気兼ねなく新たな武器を探す、ブルトンは床に広がったシチューに阿鼻叫喚の男達を見ては、呆れたように後ろへと下がっていた。


「じじいっ!!」

「えっ!きゃぁ!」

「ほう!」


 調理場から包丁を手に取ったボルデは、ダフネを突き飛ばしてブルトンへと突進していく。まさかそちらから攻撃してくるとは思っていなかったブルトンは、短く関心の声を上げる。

 周りの兵士達へと弾かれたダフネに床に倒れた兵士達が群がっていく、彼女を受け止めた周りの兵士は、彼らのあまりのおどろおどろしさに怯えてダフネを隣へと預けていた。

 刃物を手に向かってくるボルデにブルトンは徒手空拳でしかない、身をかわそうにも彼の足元までも転がってきたシチューの具材が動きを制限する。こちらへと駆けてくるボルデが足を滑らせないのは、始めからそれに備えてルートを考えていたからか、それにしてもいま目の前に迫っている彼の姿は、多大な幸運の賜物といえた。


「おっと、これはっ」

「くらえっ!・・・なにっ!?」

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