ガラスほどではないとしても
「なんだこりゃ、すげぇうまいな!ほらお前も食べろ、食べろ」
「う、うん。あ、ほんとにおいしいね」
目の前に山盛りにされた料理を遠慮なくバクバクと口に運ぶジャンは、今まさに咀嚼したものの感想を告げると、隣に座るノエルにも熱心に勧める。彼は二股のフォークで器用に同じものを刺しとって見せるが、ノエルはここに来て初めて見たそれをうまく扱えずに、口に運ぶのに苦労していた。
昼食にはまだ少し早い時間に、彼らの周りに人が少ないのはそれだけではない、寧ろまだ食事が用意されていない筈の食堂にしては人が多く集まっている。彼らは自らがいつも食事を取っている場所に登場した勇者に戸惑い、遠巻きにその様子を窺うことしか出来なかった。
「な、なぁ・・・俺達もここにいてよかったのか?」
「え、いいんじゃない?あ、ジャン君、それ取って~」
ノエル達の対面の席で肩を怒らせて畏まっているアルマンは、隣のダフネに口を寄せては場違いさを強調している。当のダフネはノエル達に便乗することで宛がわれた、豪華な食事を心底楽しんでいた。
彼女がジャンのお世話係に続いてノエルの侍女にまで選ばれたのは、何もジャンと築き上げた友人関係が理由とばかりではなかった。どうやらノエルは豊満な体型の女性に恐怖心を抱いてしまうらしく、スレンダーな体型の彼女がそのままノエルの侍女へと収まることになっていた。
そういった理由がなければ、聖女が自ら喜んでその役に立候補しただろうが、豊満な身体を持つ彼女は自らの存在が勇者に恐怖心を与えると知って、泣く泣く友人へとその役を譲ることになっていた。
「あ、これですか?どうぞ、シモーナさん」
「ありがと、ノエル君。でも、ダフネでいいよー。シモーナさんなんて堅苦しいなぁ、もう」
「お、おい!」
自分の食事に夢中なジャンにダフネの要求はノエルが受ける、元々培ってきた関係性に自然な役割も、周りから見ればとんでもない出来事にもなる。目の前で繰り広がれたやり取りに顔を青ざめさせたアルマンは、必死に肘でダフネを突いて注意を促すが、ダフネは気にした素振りも見せなかった。
ノエルとしてもダフネの気安い態度の方が接しやすいのか、彼女の呼称の注意にもはにかんで見せている。ジャンとすでに仲がよかったという事実はノエルにも大きく、彼にとって彼女はとても親しみやすい人物という印象だった。
「えぇー!いいじゃんねぇ、別に。ねっ、ノエル君!」
「あ、あはは。その、ボクは構いませんから。これ、カルネさんもどうですか?おいしいですよ」
「あ、ありがとうございます!是非、いただかせていただきます」
求める同意にウインクをして見せるダフネに、ノエルは苦笑いを返していた。そのやり取りにも冷や汗を流すアルマンに、ノエルは先ほど口にしていたものを勧める。
せっかく囲んだ食卓に、一人だけ緊張しっぱなしは悪いという彼なりの気遣いだろう。自らに話題が振られるなんて、考えてもいなかったアルマンは余計に緊張して、背筋を伸ばしてしまっていたがそれを責めるのは酷というものだ。
緊張に畏まってガチガチの両手を伸ばして受け取ろうとするアルマンに、ノエルはどう料理の皿を渡そうかと僅かに頭を悩ませる、彼はすでに頭を下げてこちらを見ようともしていない。その凝り固まった両手は突然の重みに取り落としてしまうかもしれない、そうなれば彼は余計に畏まってしまうだろう、ノエルは慎重に皿を動かして彼の両手へと軟着陸を試みていた。
「あっ」
「・・・っ!?も、申し訳ありません!す、すぐに」
「ボクが拾いますからっ、そのままで」
不自然な動きに集中した注意は、机に置かれていた食器の存在を忘却させる。肘にぶつかった感触に失態を悟ったノエルは声は上げるが、ちょうど料理を渡し終えたタイミングに、アルマンもそれに気がつくと責任を感じてしまう。
渡し終えた料理を手にしたまま、落としたスプーンを取りに動こうとするアルマンに、更なる惨事を察知して慌てて制止の言葉を掛けたノエルは自らで机の下へと潜っていく。屈んだ姿勢に腰に括りつけたままの聖剣が床を擦って音を立てる、床の素材の境目だろうかに引っ掛かってつっかえたその慣れない感触に、ノエルはどこかむず痒さを感じていた。
「これでしょうか、勇者様?」
「うわぁぁぁぁっ!!?」
床に転がったスプーンはノエルの見当とはまったく違った方向へと落ちていた、それを拾い上げ声を掛けてきた男に、ノエルは叫び声とともに聖剣へと手を掛ける。勇者が食事を行う食卓には当然の如く周りを護衛が固めている、落としたスプーンを拾ったのはノエルの後方に控えていた、黒髪を後ろでまとめた男だった。
驚きに咄嗟に後ろへと跳ねたノエルは背中で座っていた椅子を弾く、床を掻いた聖剣は尻餅をついた姿勢に柄を脇腹へと突き刺した。その痛みは咳き込みをもたらすほどではない、動揺に必死で聖剣を抜き放とうと腕を動かしても、長い刀身に途中で引っ掛かってうまく抜き放つこともできない。
恐怖に血走った目を見開いているノエルは、それでも必死に腕を動かしていた。
「どうしたっ、ノエル!?」
「ジャン・・・?あぁ、ジャン、ジャン!」
「大丈夫、大丈夫だノエル、心配すんな。何も怖いことなんてないから・・・」
隣のノエルの混乱にジャンはいち早く反応する、つい先ほどまで食事を頬張っていただろうその口元はソースか何かの汁かで汚れていたが、親友の姿を見つけたノエルの表情は見る見るうちに緩んでいく。
ノエルと目線を合わせるために中腰になったジャンへと、彼は飛び込んでいく。中途半端に抜き放っていた聖剣がジャンの衣服を僅かに裂いたが、重力に従ったそれはもはや鞘へと収まって、これ以上誰かを傷つけることはない。
スプーンを拾った男はばつが悪そうにその姿を見ていた。ノエルの振る舞いに呆気にとられていた他の護衛達は、慌てて取り乱す勇者の姿を隠そうとその周りに身体を入れる。
遠巻きに勇者の動向を見ていた群集からは、その姿はどう見えていただろうか。机の下に頭を入れたと思うと悲鳴を上げた彼に、食堂ということも相まって気持ちの悪い虫を目撃したという、少年らしい可愛らしさを感じたかもしれない、少なくとも彼らからは聖剣に手を掛けたノエルの姿は見えないはずだから。
「・・・すみませんでした。その、オベールさん。拾ってもらってのに」
「いえ・・・こちらこそ驚かせてしまい、申し訳ありませんでした。これは取り替えてもらいますので、どうかそのままお食事をお続けください」
ジャンに宥められて落ち着きを取り戻したノエルは、オベールへと謝罪の言葉を告げる。何も悪いことをしていないにもかかわらず微妙な立場に追いやってしまった彼に、ノエルは申し訳ない思いを引きずっていた。
ノエルの謝罪に対して同じように謝罪の言葉を返したオベールの表情は、深く下げた頭に窺うことはできない。彼が片手で引いた椅子へと座りなおしたノエルは、どうにも居心地の悪い空気に、椅子の上で身じろぎを繰り返す、ジャンはそんな友人の姿を心配そうに見つめていた。
「さぁさぁ!早く食べないと、せっかくの食事が冷めちゃうよ!アルマンもそれおいしいんだから、早く食べな!」
「・・・お、おうっ!」
沈んだ空気を気にして過剰に弾んだ声を上げたダフネの意図を、アルマンはすぐには察せられない。一瞬の沈黙の後にようやく元気よく返事をした彼は、勢いよく渡された料理をかっ込んで見せた。
無理な咀嚼にすぐに喉を詰まらせた彼に、ダフネは水をぶちまけて見せる、慌しいトラブルの連続に食卓に笑いが響いていた。
その笑い声はまだどこか乾いたものだったが、沈んだ空気は少しだけ軽くなる。
変えてもらったスプーンを抱えたオベールは、その光景に薄く笑みを作っていた。




