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聖剣物語  作者: 斑目 ごたく
逃亡
27/63

されど、歯車は止まらない

「先日はお会いできず、申し訳ありません」

「いえいえ、お気になさらないでください。勇者様がお目覚めになられることに比べれば、この老骨と顔を合わせることなど瑣末な事です」


 神殿裏の庭園の一角に設けられた東屋で紅茶を傾けていた老紳士に、聖女は心からの謝罪を告げる。彼女は彼に対して深く頭を下げようともしていたが、そうすることの危うさを知っている老人が先んじてその行動を制止していた。

 温かな紅茶が立ち上らせる湯気は老紳士の片眼鏡を曇らせる、彼はそれを咎めると胸元から取り出した真っ白なハンカチで拭っては曇りがないか確認していた。彼にとってそれは主人から下賜された誇りそのものなのだろう、その丁寧な手つきには愛着以上のものがあった。


「そういってもらえると助かるわ、ブルトン。マリーには感謝しても仕切れないわね、あなた達が差し入れてくれた果物には、勇者様も喜んでいたわ」

「それはようございました。ところで、勇者様はまだ若年の少年だとか。であれば、果物などよりもお好みの物があるのではないでしょうか?」

「そうですね、やはり野菜や果物よりも肉を使った食事の方が好まれるようです。ですがこのような状況ではそれも難しく、我慢を強いてしまっているのです。塩漬け肉のようなものならば手に入るのですが・・・」

「やはりそうでございましたか。実は主人もそうしたことを心配されておりまして・・・今回物資を運ぶ道中に、新鮮な食材を手に入れるようにと言い渡されておりました」

「それは素晴らしい!勇者様も喜ばれますわ!」

「そう仰ってくださると、こちらも嬉しく思います。どうです、近くまで運ばれておりますので、見にいかれては?」

「そうですね・・・では、そうしようと思います。先導をお願いしても?」

「勿論でございます」


 周りの護衛へと視線を向け、これからの予定を考えてそれが可能かどうかを確認した聖女は、返ってきた頷きにブルトンの申し出を了承する。椅子を引いて立ち上がり聖女に向かって一礼したブルトンは、彼女の傍へと近寄るとその手を引いて立ち上がる補助を行う、そういったことにあまり慣れていない様子の聖女は少し照れくさそうにしていたが、その手を取って立ち上がっていた。

 先導するブルトンの斜め後ろについて行く聖女に、護衛達は彼女を囲って半円を作る。その配置はブルトンの警護を疎かにしていたが、それに文句を言うものはいなかった。


「マリーは最近どうなのかしら?しばらく顔を合わせていないけれど、元気にしている?」

「実は、お嬢様は今こちらに向かわれている所なのです。今日の内には、ここに着くかと」

「あら、そうなの?それは嬉しいわね・・・ビュケ、予定は大丈夫?」

「か、確認します!」


 ブルトンが調達した食材が積まれた馬車へと向かう道中、友人の来訪を知り声を弾ませる聖女は笑顔のままでガストンへと話題を振る。腰にぶら下げた袋を探っては予定が書き込まれたメモを探す彼は、始めからどうにかして彼女の願いを叶えるつもりだろう、ついに見つからなかった紙片にも彼は必死に頭を捻っていた。


「コントレーラス様」

「えぇ・・・分かっています、ブルトン。あなたは食材を厨房に届けてくださいますか?勇者様のお食事に使うようにと」

「畏まりました」


 急に立ち止まったブルトンに合わせて聖女もその歩みを止める、メモの事を諦めきれずに探していたガストンだけが、それに気づかずに前の護衛の背中を叩いてしまう。状況が飲み込めないガストンは周りをきょろきょろと窺っている、しかしそんな彼も視界を隠す背中を避けて前を見ればすぐに分かる、何故彼らが足を止めたのかは。

 ブルトンの前方からは色とりどりの衣装を身に纏った集団が向かってきていた、その周辺には着かず離れずといった距離感で信徒達が群がっている、それは彼らに対する警戒を物語っていた。

 様々な職種や立場の者が避難しているこの場所にあっても、彼らは間違いなく異物であった。それはこの場所が聖剣教団にとっての聖地であることが大きい、彼らがこの場所で歓迎される謂れがない事はそれだけで説明がつく。


「これはシャルトル司教様、わざわざこのような所まで足をお運びになられるとは、どのようなご用件でしょうか?」

「どのような用件かなど、そちらの方がご存知だろう?コントレーラス司祭。かのお方はどこに居られる?」

「かのお方?誰のことでしょうか?生憎とコベール司教は留守にしておりますので、ご用件なら私が代理としてお伺いいたしますが?」

「皆まで言わすでない・・・勇者、勇者様だ!かの聖剣に選ばれしお方と面会したい、通してもらえるな?」


 集団から一歩前へと進み出てきたのは紫を基調した衣装を纏った男だった。優しそうな面差しをした壮年の男性は、その綺麗に整えられた口髭を撫でつけながら聖女へと語り掛けている。

 その穏やかな容貌は人から警戒心を奪うには十分なものだろう。現に彼が集団を代表して言葉を発し始めたことで、彼らを取り囲む者達の雰囲気が和らいでいた。

 シャルトルと呼ばれたその男は、見た目のイメージ通りの優しい声色で聖女へと言葉を投げる。そんな彼の優しげな雰囲気にも、聖女は警戒を弱めてはいなかった。

 彼女は崩さない微笑のままでシャルトルの瞳を注視し続ける。穏やかな印象を醸し出すそれ以外の部分と違い、彼の瞳だけは爬虫類のような鋭敏な輝きを放っていた。


「勇者様にですか?申し訳ありませんがそれは出来かねます、コベール司教の許可がございませんと」

「コベール殿は先程留守だと、自ら話していたではないか。であれば代理である、あなたから許可を貰えばいいのではないかね?コントレーラス司祭、いや司教代理とお呼びすべきかな?」

「それは試しの祭儀の際にのみ、任せている役職ですので・・・今はただの司祭に過ぎません。先程代理と申させていただいたのは、あくまで用件をお伺いするためで、権限が任されているわけではありません。誤解を与える表現してしまい、誠に申し訳ありません」

「あなたが許可を与えれば、それに異議を申し立てる者もいないのでは?癒しの聖女殿?ふむ・・・しかしあなたの言い分も最もである、であれば仕方ない・・・勝手に通るとするか。なに、あなた方は司教たる私に逆らえなかったといえばよい」


 自らの言葉と共に進み始めたシャルトルに従って、集団は前へと動き出す。穏やかな口調とは裏腹に彼が取った強硬手段に、周りの信徒達も色めき立ち囲む輪を縮め始める。

 見れば彼らの中には、思い思いに武器を手に取っている者も出始めていた。武器といってもそこらに転がっていた木の棒や石といった粗末なものばかりであったが、武器を手に取るという事実自体が状況の緊張に拍車を掛ける。危険な雰囲気に聖女は前へと進み出て、彼らを抑えるように手を掲げては、落ち着くように振舞っていた。


「なにゆえ、それほどいきり立つ必要があるのかね?七耀教聖剣派の諸君、いやエヴラール派と呼んだ方がよいかな?」

「そう呼ばれるに至った経緯である、和解の誓約をあなた方が犯しているのではないでしょうか?この地はルルティア王国の国王陛下より我々が管理を任されているはず。一般の信徒や司祭ならまだしも、司教が訪れるとあらば事前に通告があるべきです」

「同じ宗教内であってもか・・・?まぁ、よい確かにそのような誓約も交わした事は憶えておるよ、そのために今の今まで遠慮しておったのだからな。しかし、勇者様も目覚め、静養も十分と思われる時間は過ぎた、であれば我等もその責務を果たせねばなるまい?」

「責務?何の事でしょうか?」

「とぼけておるのか?我らは1000年の昔に先代勇者様が当時の国王へ謁見する際にも付き従い、かのお方に祝福を授け、聖別された衣服を献上したのだ!それを再び行わずしてなんとする、お前達が我が物顔で収蔵している聖剣の鞘も、元々は我々が勇者様へと寄贈したものだ!」


 会話を続けながらも徐々に近寄る二人は、いつかを互いの息が届きそうなほどの距離に近づいている。冷静な態度を崩そうとしない聖女と違い、いつまでも譲る気配を見せない彼女らに段々と苛立ちを隠せなくなっているシャルトルに、周りの信徒と護衛達は警戒を強めていた。


「1000年の昔?それはおかしいのぅ」

「っ!我らの偉大な歴史を疑うとは、どこの痴れ者か!」

「・・・先生」


 多くの者の視線を集める中で語っていた二人は、その立場と身に纏う迫力があいまり簡単に割って入れるようなものではなかった。そんな彼らに横槍を入れた存在は、周りを囲む信徒達の間を、のっしのっしと割って入ってくる。

 その人の波が自然に割れていったのは、彼の巨体故だけではないだろう。先日の戦いにおいて彼の活躍を知らぬ者はいない、それは彼自身が大っぴらにそれを語っていたこともあるが、丘の上より奔る閃光は誰の目にも眩く映っていた。

 しかし彼の存在を一躍知らしめたのは、戦いでの活躍よりもその後の働きだろう。聖女に治療された民衆も消耗した身体はどうしようもなかった、それらを癒してまわったのは彼とその部隊であり、その献身的な看護に多くの者が感謝の念を抱いていた。


「ふんっ!まだまだ未熟なわしでも、それが間違っておるのは知っておるわ!」

「・・・これは、これはジラルデ司祭。あなたほどのお人がそのようなことを仰るとは、意外ですな?」

「お主こそ勉強不足ではないか、シャルトル司教?七耀教では家柄で出世できるという噂を聞いたが、どうやら本当らしいの!」

「なっ!?我が家名だけならばまだしも、信仰まで侮辱されては黙ってもいられませんな!それに、なにが勉強不足だというのか、私は何も間違った事は言っていない!!」

「同じ宗教を信じる者同士、批判も議論も当然するわっ!甘やかされて育ったお坊ちゃんは、それを知らないと見える。聖典すらちゃんと読んでおらんのではないか?」

「そんなことはないっ!私は今もこうして、持ち歩いている!」


 その言葉と共にシャルトルが懐から取り出したのは見事な装丁の書物だった、その書物は分厚く年月の重みを感じさせるもので、恐らくこの世界で植物紙が発明されるより前に作られたものであろう。羊皮紙で作られたそれは、庶民には決して手に入らないものであり、彼が名家で生まれた証明でもあった。

 最近装丁を修復した跡が見られるそれは、確かに彼が何度も開いては勉強してきた様子を感じさせる。誇らしげにそれを見せ付けるシャルトルと違い、ジラルデの瞳は段々と冷たさを増していくようだった。


「それは立派な心がけですな、その本も大層な謂れがありそうだ。ところで、今から1000年前というと、ちょうど七耀教が創始された時期なのはご存知ですかな?」

「勿論です。勇者様の旅に同行した司祭の一人が、後に故郷に帰って立ち上げたのが始まりといわれています」

「その通りですな。つまり先程お主が言っておった、七耀教が勇者様に祝福を授けたというは不可能という事になる」

「し、しかし!聖典にはそのようにっ!」

「ふんっ!どうせ、それの元になったイリの民の伝承を取り込んだというだけじゃろうが。大体、当時の国家といえば失われし民イリが作ったものと相場が決まっておる、その式典に生まれたばかりの宗教が口出しできるわけがなかろうがっ!」


 ジラルデの一喝に、萎縮したように身体を縮こまらせて僅かに後ろに引いていくシャルトルは、彼の声量以上にその言葉が告げた事実に衝撃を受けているようだった。自らの行動の正当性を失ったシャルトル達はどこか戸惑うように周りを窺っている。

 彼らは居心地の悪いこの場から出来るだけ早く撤退したい願っているのだろうが、集団の中で最上位のシャルトルがその場を動こうとしないため、ただおろおろと周りを窺うことしか出来ない。


「つまりお主らが主張する正当性など存在せんわっ!とっとと荷物を纏めて、この場から出て行かんかっ!!」

「ひ、ひぃぃぃ!?」


 身体を小さくしていたシャルトルに、ジラルデはその巨体を生かして覆いかぶさるように迫る。その状態で叩きつけられた一喝は、先程のものとは比べ物にならないほど響いただろう、周りで聞いていただけの者ですら尻餅つかせてしまう迫力に、彼は一目散に逃げ出していた。


「・・・助かりました、ジラルデ先生」

「お主に先生呼ばわりされる謂れなどないわっ!!」


 シャルトルとその一行が去っていくのを見送った聖女は、ジラルデの正面へと回り深々と頭を下げる、その光景に周りの信徒達はざわめくが、彼らの関係性を知っている護衛達に動揺はなかった。目の前で頭を下げる聖女の姿を、心底嫌そうな表情で見下ろしていたジラルデは、彼女が告げた呼称にこそ虫唾が走ると大声で否定する、そんな彼の姿を見て嬉しそうに聖女は微笑んでいた。


「それにしても先生、少し無理矢理ではありませんでしたか?過去の歴史はどうあれ、この国の国教は七耀教です。その司教が勇者様をお連れして国王に謁見しようというのは、もっともなことにように思いましたが?」

「ふんっ!屁理屈で結構!!エヴラール様が仰ったならともかく、あんな若造に言われたぐらいでひょいひょい勇者様を引き渡せるかっ!!」

「ふふっ、先生らしいです」


 変わらぬ師の姿に尊敬の眼差しを細める聖女は微笑を絶やす事はない、そんな彼女の変えようとしない呼称に、ジラルデは舌打ちだけを漏らして顔を背けていた。ジラルデの大きな背中を眺めながら聖女は考えを巡らせる、七耀教の人間が催促に来るだけならばいくらでも追い返せるが、国からじきじきに通達が来ればそれには従うしかない。

 あのシャルトルは確か貴族の出身でもあったはず、近く国からお達しがあるかもしれない。聖女は細く開けた目蓋に瞳をスライドさせて対処方法を探る、幾つかの手段は浮かんでも、確実な対応はついに見つかることはなかった。

 聖女の思案は身体を動かしたジラルデの背中に押されて中断する、身長差にすぐには窺えない表情も、只事ではない事は感じられた。


「先生?」

「・・・黙っとれ」


 ジラルデの視線の先にいたのは伝令に馬を走らせている男の姿だった、確かに狭くはない避難所には伝達に馬も使いたくもなる。しかし避難している民衆の心情を慮ることもあって、それに馬を使うことは禁じているはずである、にも拘らず彼がそれを使っている理由はなんだろうか。

 それはそれほどまでに、重要な事が起こったということだ。

 ジラルデの巨体を目印に、聖女の姿を見つけた伝令は一直線に彼女の下へと馬を走らせる。あまりに急激な動きに対応し切れなかった信徒の何人かが、軽く弾かれては地面へと倒れこんでしまっていた。

 聖女もジラルデもそれを叱責する気はなかった。それは彼女の力を知っているという以上に、先程から感じ続けている嫌な予感の方が大きい。


「せ、聖女様、並びにジラルデ司祭に申しあげますっ!!」

「前置きはいい!!用件を言え、用件をっ!!」

「は、はい!ゆ、勇者様が攫われましたっ!!」


 ジラルデの一喝が作り出した静寂に、伝令の大声が響く。

 その事実はあまりに衝撃的で、響き渡った言葉にも誰もうまく反応を示せない。

 ただ一人、ジラルデの後ろで砕けるほどの強さで歯を噛み締めた、誰か以外は。

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