一本道の死闘 3
響く剣戟の音は鈍い。
断続的に打ち付けあう金属も間隔が開き、その勢いも弱く少なくなっている。それは相手をするゴブリンが減っていたこと示していたが、こちらの疲れと消耗も表していた。
振り下ろされた一撃を打ち返したガストンは、その隙に横薙ぎの一撃を見舞おうと手首を返す。しかし衝撃に痺れが残る腕は、力がうまく入らずに薄い傷を作るだけ、踏ん張りきれない足腰に身体が流れて逆にこちらが隙を作ってしまう。
その隙を突いてきたのは先程とは別のゴブリンだ、彼の攻撃はガストンの首筋を狙っている。動いている身体に正確ではない狙いは、致命傷にはならないかもしれない、しかしそれを受けている余裕は、すでにボロボロなガストンにはなかった。
このまま体勢を立て直そうとしても、その攻撃を対応するには間に合わないと判断したガストンは、流れる身体のそのままに地面へと転がり落ちる。多くの者に踏み荒らされ血とそれに類するものに塗れた泥濘は、意外にも叩きつける衝撃を和らげてくれる。
それでも落ちた肩口に衝撃は痛みとなって響いてくる、その痛みにガストンは歯を食いしばって耐えていた。勢いを逃がすための回転も、疲れ果てた身体では不恰好な形になってしまう、それでも放さなかった剣がうつ伏せとなった状態に、無防備な足元に狙いを定めていた。
「そこぉぉっ!!」
さらに加えた回転は身体を半身の体勢にする、渾身の力を込めて振り払った剣は、こちらを狙って空ぶったゴブリンの足首を両断していた。
制御の効かない腕はそのまま剣先を滑らせて、その先にいたゴブリンの足元へと迫る。彼のふくらはぎの肉を切り裂いた刃は、弱まった勢いに脛の骨を噛んで止まる、食い込んだ刃を引き抜く力はもう、ガストンには残されていなかった。
「くっ!抜け、ぐっ!?」
弱った握力に流れた腕は片手を離す、慌てて両手を戻して食い込んだ剣を引き抜こうとしても、伸びきった身体は力をうまく込めることも出来ない。足を切りつけられたゴブリンは、当然怒り狂って地面に横になっているガストンを狙っていた。
這いずった地面に跡が出来る、近づいて力が入るようになった両手が剣を引き抜こうと力を込めると、今度は後ろから首を絞められて身体が上ずっていた。
強い力に引っ張られた身体に、この手が剣を離さなければ引き抜けていただろう。突然の事態に驚いたこの指は、咄嗟に握った柄を離してしまう。
足を両断されたゴブリンは、支えを失い地面に倒れ付したが死んだわけではない。大量の出血にこのままいけば遠からず死が訪れるだろうが、それはガストンを絞め殺すよりも後の出来事だろう。
命の最後を燃やし尽くして締付けてくる力に、ガストンは抵抗する術がない。首元にフックされた腕を両手で離そうともがいても、弱まった握力が振り絞る死力に勝る訳もなかった。
頭をぶつけ肘を落とす抵抗も、死を覚悟した者が痛みで揺らぐ筈もない。しかし意識の寸断や反射の動きは抑えようもなく、僅かに緩んだ拘束にガストンは活路を見出した。
それはあまりに遅すぎる。ガストンに切り付けられ彼を狙っていたゴブリンは、仲間の密着に短い時間躊躇していたが、今はもうその凶器を振り下ろしている。彼を動かしたのがガストンへの怒りか、仲間の覚悟かは分からないが、その棍棒は仲間諸共ガストンの頭を叩き潰そうと迫っていた。
「ひっ!?」
絶対絶命に思わず目を瞑ったガストンは、締付けられる喉に悲鳴もまともに上げられない。衝撃に備えてみたところで、頭蓋を叩き潰されればそれを感じる暇もないだろう。
そして実際感じることもなかった。
衝撃はガストンの脇腹からやってきていた、結構な痛みにガストンが目を開けばそこには棍棒と、それを振り下ろしたゴブリンがいた。ただし彼は首から上を失って、その流れ出る血液で地面を汚している、切り跳ねられて遅れた頭部が、今頃ガストンの肩へとぶつかって転がっていった。
長髪の男の影がガストンの身体にかかる、彼は馬上で振るためであろう通常よりも刀身の長い剣を構えて、周りからじりじりと距離を詰めてくるゴブリン達を警戒している。
男はその鋭利な瞳でチラリとガストンの様子を窺うが、すぐに一歩前に出て剣を振るう。突出してきたゴブリンの武器を払った刃はそのまま翻り、そのゴブリンの胸元から脇腹を致命の深さで切りつけていた。
「こっちも余裕はない!そっちは自分で何とかしろ!!」
「は、はぃっ!」
救援に回復した気力も呼吸を確保することで精一杯だ、今復活しているように感じている握力は、感情が見せた一時的な錯覚だろう。出血に、いずれ死に行くゴブリンの命運と競走する気にはなれなかった。
肘打ちや頭突きでは決定的な打開策にはならない。捕まった顎を抜き出すのに役立ちそうな汗は、代謝の止まりつつあるゴブリンに一人分では心もとない。
ガストンは制限された視界で必死に別の手段を探す。男によって切り殺されたゴブリンの死体が身体へと圧し掛かり、うまく身動きも取れなかった。
「ぞ、ぞぅか!」
絞られた喉はだみ声を漏らす、呼吸を確保するのを諦めた両手は自らの身体の周辺を弄る、目当てのものはすぐに見つかった。なぜならそれは絶命してもなお、ガストンに圧し掛かるゴブリンが手に握り締めていたから。
強く握られたそれに、引き剥がされたのは棍棒の繊維の方だ。僅かに持ち手を余らせて柄の先端の方を持っていたゴブリンに、奪い取った持ち手は心持短い。
それもお構いなしにガシガシと、この首を絞めるゴブリンへと棍棒を叩きつける、緩まった腕に呼吸を求めて顎が上を向いた。
「ぐぅ!?」
打撃によって一時的に弱まった拘束も、すぐに締付けなおされる。呼吸を求めて上がった顎が、無防備な喉を晒してさらに深くへと腕が食い込んでいた。
この時ガストンがすぐ後ろのゴブリンの様子を、ちゃんと確認出来ていれば焦る必要などないと分かっただろう、打ちつけられた棍棒にゴブリンはすでに意識を失っている。
今ガストンを締付けているのは執念によるものだろう、それすら意識の喪失にやがて失われる。しかし今まさに首を締付けられ、意識を失いつつあったガストンにはそれを知る由はなく、落ち着いていられる理由もなかった。
「ぐぁぁぁあああっ!!」
遮二無二打ちつけられる棍棒にも、意識を失ったゴブリンには影響を与えない。乏しくなっていく呼吸に弱まっていく力では、その頭蓋を破壊して脳機能を停止させるには至らないだろう。
咄嗟にガストンに持ち手を変えさせたのは彼に残された冷静さか、それとも本能が齎した閃きか。持ち手を変えたガストンは、最適な場所に有効な打撃を求めたわけではない、より短くそして柄の部分をより長く持ち替えたガストンは、そのまま後ろに向かってそれを突き出した。
「ぎぃっ!」
それがゴブリンの眼窩に突き刺さったのは偶然だろう。短くはない柄を力任せに突き入れられたゴブリンは、脳を破壊され一度痙攣するように震えて跳ねると、そのままゆっくり後ろへと倒れていった。
何かの反射か一瞬強くなった締め付けに痛みを喘ぎ、涎を垂らしたガストンは解放された拘束に恐る恐る立ち上がる。振り返るとそこには、先程まで死闘を繰り広げたゴブリンが転がっていた。
「はぁ・・・はぁ・・・ぁ―――」
「ビュケ!早く来てくれ!!」
「は、はい!!」
ゴブリンの死体に対してなにを言おうとしたのかは、ガストン自身にも分からなかった。
救援を求める声は先程の男から、見れば大分減らした筈ゴブリンがまた増えているように感じる。包囲されつつある彼は、それでもその剣を振り回して、距離を詰められない様にゴブリン達を牽制をしている。
あの丘からの魔法の援護は、もうずいぶん前から途絶えてしまっている。それでも彼らがここまで生き残ってこれたのはそのおかげが大きい、事実としてこの戦場に転がっているゴブリンの死体の七割は彼らが作り出したものだ。
焼き焦げ異臭と目蓋を瞬かせる煙を放つそれらは、ゴブリン達の戦意を削ぐのにも一役買っている。死を覚悟していた彼らがここまで戦えてこれたのは、奇跡といっても良かった。
しかしそれもここまでだろう、尽きる気配のないゴブリンの増援は、ペースは落ちたとはいえ今も続いている。それは聖女の魔法が作った炎の壁が、ついに潰えたことも関係しているだろう。
全体的に減少した数に、なくなった障害がそのペースを吊り合わせ、彼らには絶望となって押し寄せてきていた。
ゴブリンの脛に今だ絡まったままだった剣を引き抜いたガストンも、自らの命がもうそれほど長くないと悟っていた。いや、彼の命はとっくの昔に尽き果てている筈だった。
それを馬で駆けつけた長髪の男、デュリュイに救われて永らえているだけだ。今も彼に多くの敵を任せて突っ立っているだけガストンは、自らの不甲斐なさに奥歯をかみ締めると、デュリュイの下へと駆けていく。
その途中ガストンはチラリと後ろを振り返る、その先にはアルマンとダフネが少数のゴブリン相手に奮闘していた。早々に弩の矢を打ち切ったダフネは、これもどこからかちょろまかしてきたナイフを抜いて応戦の構えを取っていた。
逃げろと叫びたくなる場面も、すでにゴブリンの波に飲まれつつあった状況にどうすることも出来ず、戦いの中で負傷したアルマンが救援に来たデュリュイと入れ替わるようにして、彼女の援護へと向かうことになる。
彼らはどうにか戦えていた。見ればダフネの足元の男、モイーズもゴブリンが持っていた武器だろうか、粗末な短剣を手に奮戦しているようだ。
彼らはこのままであれば問題ないだろう、しかしその状況は、多くのゴブリンをガストンとデュリュイの二人が引き付けている事で成り立っていた。それが決壊しつつある状況に、彼らもいつまでも無事というわけにはいかない。
「まだいけそうか、ビュケ!」
「は、はい。い、いけます!」
「はっ!その元気があれば、お前一人に任せても大丈夫そうだなっ!・・・・・・なんだ?」
合わせた背中にデュリュイの鎧と、ガストンの服の下の鎖帷子がぶつかって音を立てる。勢いを持ってぶつかって来たガストンに僅か押し出されたデュリュイは、そのまま一歩踏み出すと前に出てきたゴブリンの腕を切り落とし、もう一度ガストンの背中へと戻ってくる。
抗議の意味を込めてか、少し強めに背中をぶつけてきたデュリュイに、ガストンは咳き込むように身体を俯けた。デュリュイが掛けてきた確認の声は、そんな反応を気にしたわけではないだろう、誰が見たとしても一目瞭然に、ガストンの状態はボロボロだった。
空元気を演じようとした返事すら、言葉に詰まるガストンに、いよいよ最後の時を覚悟したデュリュイは何か異変に気がつく。
それはこの戦場にも僅かにいたハーピーにまず最初に現れた。まるでどこからか聞こえる音の耳を澄ませるように頭を巡らせた彼らは、やがてどこかへと飛び去っていく。後から響いた太鼓の音を思えば、彼らにだけ聞こえる音がこの時鳴り響いていたのだろう。
響き渡る太鼓の音が何かの合図だというのは分かる、そして戸惑うようにざわざわと騒いでいたゴブリン達が引いていけば、それが退却の合図だと誰でも気付くだろう。
「退いていく、終わったのか・・・?」
「や、やった、やりましたよ!デュリュイさん!」
彼らの突然の行動に戸惑っていたガストン達も、周りから敵がいなくなれば警戒していた姿勢を収める気にもなる。剣を下ろしたガストンは喜びに拳を振り上げる、デュリュイは今だ半信半疑の表情を崩さずに剣を鞘に収めていた。
前線から距離があっても彼らにもその様子は伝わったのだろう。歓声を上げながらこちらへと駆けてきているダフネに、まだ警戒を解いていないアルマンが、必死に引き止めようと声を上げている。
両者からも置いていかれたモイーズが一番悲痛な声を上げているが、彼の事を気にする者はここにはおらず、まだ確保されていない安全に必死でこちらへと這いずってきていた。
「やった、やったよ~!!ガストン君!勝った、勝ったんだよ、あたし達!!」
「シ、シモーナさん!あ、危ないですからっ!」
飛び込んできたダフネに、ガストンは一瞬の迷って下ろしていた剣を捨てる。襲われる危険と襲ってくる危険を秤に掛けて後者を取った形だが、躊躇した時間に間に合わなかった両手は、受け止めきれずに押し倒されるという結果に繋がる。ボロボロの衣服に叩かれた背中は、ガストンに新たな傷を作っていた。
結局差し出した両手は、ダフネの身体を落とさないように留める役目しか果たさなかった。目測を誤ったのかガストンの鳩尾辺りに突っ込んできた彼女は、倒れこんだガストンの身体の上で好き放題に喜びを爆発させて、今もガンガンとガストンの顎にその頭部をぶつけている。
そんな状況で、制止の言葉を詰まらせただけで済ませたガストンは頑張った方だろう。不定期に襲ってくる衝撃に注意して、どうにか舌を噛まずに済んだ彼は、自らの上で暴れるダフネをどう抑えようかと両手を迷わせている。
身長でこそ劣っている体格も、力ならば比較にもならない差に彼女を捕まえるのは簡単だろう。しかし女性に慣れていないガストンには、その身体にどう触れたものか戸惑っており、勝利に無邪気に喜んでいる彼女の姿があまりに楽しそうで、それを勝手に止めてしまっていいのかも分からなかった。
そう、決してダフネの身体の感触が柔らかくて、気持ちよかったからではないのだ。
「マティアス、助かったよ」
「なに、いつもの事さ。その傷は大丈夫なのか、アルマン?」
ダフネに遅れてこちらへと歩み寄ってきたアルマンは、今だに辺りへの警戒を解かないデュリュイの元へと近寄っていく。彼の接近に気がついたデュリュイはようやく剣の束からその手を離して、髪をかき上げては汗を払っていた。
彼の気障な仕草は特段意識したものではないだろう、変わらない知人の姿に笑みを漏らしたアルマンは、怪我をしていない方の手を差し出す。違和感のある格好に僅かに戸惑ったデュリュイも、すぐにその手を握り返していた。
「平気さ、どうせ聖女・・・っと、聖女様に治して貰うさ。彼女も流石に断りはしないだろう?」
「も、もちろんです!聖女様ならば、必ず!わ、私からも、頼んでみます」
「君は、早く立ち上がった方が良いな、ガストン君」
呼び捨てにしようとした呼称を、ガストン達に目をやって敬称に改めたアルマンは、切り裂かれ適当に布を巻いて血止めしただけの腕を撫でる。場合によっては障害も残りそうな深さの傷も、治る当てがあるとあって彼の表情は明るかった。
その保障は聖女の部下である、ガストンが自ら買って出てくれる。その台詞はダフネに下敷きになりながらでなければ、もっと頼りがいのあるものだったろう。
アルマンとデュリュイは目を見合わせて苦笑していた。彼らにはきりっとした表情を作っているつもりのガストンが、その鼻の下を伸ばしてしまっているのに気付けていたが、見て見ない振りをしてやるぐらいの優しさはあった。
「それで・・・奴らはどうして退いたと思う、マティアス?」
「さて、な・・・そもそも何故この地を攻めてきたのか。奴らに聖剣を奪うことなど出来るとも思えんしな、占拠するには兵の数が少なすぎる」
「ただ単に、獲物が大量にいたから襲撃してきたんじゃないか?」
「その割には組織的過ぎただろう?確かに被害は出たが・・・割には合ってないんじゃないか?」
肩を合わせたアルマンとデュリュイは、突然退いていった魔物達の動向について憶測を交す。デュリュイは自らの言葉に、開けた村の方へと視線を向ける。
彼らの周囲にも結構な数の魔物の死体が転がっていたが、ゴブリンに壊されたり魔法によって焼き払われた家屋が取り払われ、見晴らしの良くなったその先には、聖女や魔道部隊の魔法によって殺された大量の死体が積み重なっていた。
確かに良く見れば兵士や、逃げ遅れた民衆の遺体も見つかるが、探さなければ気付かないほど魔物の死体の方が多い。その凄惨な景色に目をやったアルマンは先程まで危なかった状況にも、なんともいいようない表情をその顔に乗せていた。
「止めだ、止め!そういう難しい事はお偉方に任せようぜ、俺達が考えることじゃないだろ?それより、いい加減腕の感覚がなくなってきちまった、早いとこ神殿に向かおうぜ。聖女様もそこにいるんだろう?」
「そうですね、この状況も報告しないといけませんし」
「あぁ、じゃあ私が乗ってきた馬を使おう。どこに・・・あぁ、あそこだ」
頭をいくら捻っても理解できない理由に、アルマンは苛立ちに頭を掻き毟る。衝動的な行為にも片手は僅かに上がっただけ、彼が口にした感覚がないという言葉は嘘ではないだろう。
ようやくダフネの拘束から逃れたガストンが、その言葉に同意する。彼は散々打ち付けられ、痛みの残る顎を擦りながら土で汚れた服を払う、その執拗な仕草は衣服に染み付いた女性の匂いを誤魔化そうとしているようにもみえた。
ここへと乗ってきた馬を探すデュリュイの指は、その馬を撫でてやっているダフネに止まる。戦いの気配に興奮していた馬は彼女に優しく鬣を梳かされて、ようやく落ち着いてきたのか足元の草を食んでいた。
デュリュイ達の注目に気付いたダフネは、食事に夢中な彼の首元を叩いてやり移動を告げる。首を擡げた彼は不満からか、もしくは愛情表現か彼女の胸に頭を擦り付ける、それに撫でて応えてやったダフネはその手綱を引いて、デュリュイの方へと近づいていった。
「助かるよ、シモーナ」
「いいのいいの、助けに来てくれてありがとね、マティアス!・・・お礼は後でねっ」
「ははっ!それは隊長にいってやってくれ」
手綱をデュリュイへと手渡したダフネは、改めて彼に救援の礼を告げると、そのまま少し引っ張っていき周りから背を向ける。周りから見えないかを確認した彼女は、彼に耳元に口を寄せると、手を動かして卑猥なポーズを取ってみせる。
女性慣れしていないガストンあたりならば焦ってしまいそうな誘いも、デュリュイは軽く笑ってかわしてみせた。その特殊な趣味が知れ渡っている彼の上官を引き合いに出されては、流石のダフネでも成す術がなく、軽くいなされた苛立ちに唇を尖らせて見せるだけ。
「さて、馬に乗っていけるのは二人ぐらいか、となると・・・」
「悪いが一人は俺にしてくれないか?聖女様の力は疑っちゃいないが、出来れば早めに治して欲しい」
「勿論だとも、アルマン。皆もそれで構わないな?・・・そうすると、もう一人は・・・アルマン、片手で手綱を操れるか?」
控えめに自らが先に行く必要性を訴えたアルマンに、反対する者は誰もいない。視線だけで周りの確認を取ったデュリュイは、もう一人の乗員の選別に視線を巡らせる。
それは対して迷うこともなく決まっていた、戦いに消耗しているとはいえ健康な男達は、この場にいる唯一の異性を歩かせることを良しとしなかった。それは彼女が手を掲げては、指で自らを示してアピールしなくてもそうなっていただろう。
「出来るさ、マティアス。・・・っと、悪いガストン君、ちょっと手伝ってもらっていいか?」
「は、はい。こうですか?」
「あぁ、いけそうだ。っと、悪かったな」
デュリュイから手綱を受け取ったアルマンは、一人で馬に跨ろうと試みるが、片手が動かせない状態ではどうにも難儀してしまいガストンに救援を願う。
アルマンの腰の辺りに手を添えたガストンは、馬へと飛び上がる彼にタイミングを合わせて身体を持ち上げる。どうにか馬の背中へと抱きついたアルマンは、落ちないように身体をずり寄らせると、上体を持ち上げて具合を確かめるように軽く馬を歩かせていた。
「それでは、お嬢様。お手を拝借してもよろしいですか?」
「えぇ、良くってよ。エスコートをお願いできるかしら、騎士様」
見れば器用に攻撃を回避していたダフネも、その衣服はいたる所が切り裂かれている。そんな状態でありながらほとんど血が滲んでいないのは、彼女の技能というよりも彼女を守っていた存在が頑張ったからだろう、当然代わりに攻撃を受けていたアルマンは見た目も中身もボロボロだった。
そんな二人がする姫と騎士の真似事は不恰好で、合わせた瞳に自然と笑みが漏れ出していった。そんな二人の様子を眺めて何かを察したデュリュイは、ガストンの横に並んで彼を肘でつつくが、ガストンはただきょとんとデュリュイを見上げるだけだった。
「待て待て待てーっ!!なにを勝手に乗っておる、最優先は私だろう!この司令たるモイーズ・ジュアンを一刻も早く運ばないで、誰を運ぼうというのかっ!!」
「あぁ、まだいたのか、あんた」
ダフネを馬の背へと引き上げたアルマンは、二人分の体重に馬が問題ないかと軽く走らせる。そこにここまで頑張って這いずってきていた、モイーズが叫び声を上げる。
その声の要求は、実に至極もっともな内容に聞こえた。彼はこの村の指揮系統の最高位だ、その命令には従う義務があるし、怪我をしている彼を救護すべきという理由もある。
しかしそれは彼の指揮下であればの話だ、ここにいる者の中で彼の指揮下にあるのはアルマンしかいない。そのため彼らは彼の扱いを憂慮はするが、それほど重要視はしていなかった。
そして彼に従う義務のある唯一の男であるアルマンは、真っ先に逃げだそうとした彼の事を完全に見下していた。
「なんだ?何故誰も動こうとしない!おかしいだろう、そんな小娘より、この私の方が先に運ばれるべきだ!!そこのお前、お前はここの兵士だろう!何故従わん!?」
「・・・っは!ジュアン司令閣下、了解いたしました!私、アルマン・カルネは聖女の侍女たるダフネ・シモーナ嬢を送り届け、戦況を報告する任に就きます!!私などの負傷に考慮してくださった司令閣下のご厚意、まことに感謝いたします!!」
周りの鈍い反応に、やがて矛先をアルマンへと絞ったモイーズは彼を糾弾する。指揮権を考えれば彼にはその命令に従う義務があったが、それは後ろで彼の事を心配そうに伺うダフネを置いていく事を意味していた。
しばらく黙ってモイーズの言葉を聴いていたアルマンは、俯かせていた上体を突然起こすと、拳で胸を叩いて信徒兵式の敬礼を行う。思ったよりも大きな音が響いたそれに、竦んだモイーズは言葉を詰まらせてしまった。
アルマンはモイーズが黙った隙につらつらと口上を述べる、それはモイーズの事を褒め称える内容で、彼を置いていくことを語っていた。
顔を上げてそれを宣言するアルマンに、ダフネは途中から彼の背中に隠れて笑い出す。完全の外野の立場となっていたデュリュイは、腕を組んで彼らの動向を見守っていたが、アルマンの振る舞いに皮肉げな笑みを漏らした。
ガストンだけがその意図を理解するのに時間が掛かったようで、今ようやく何かを納得したかのように手を叩いていた。
「なんだ・・・?なにをいっているのだ、貴様は?」
「っは!いいから急げと?了解でありますっ!はっ!!」
「えっ?きゃあ!?」
一人状況についていけていないモイーズが疑問の声を漏らす、彼がアルマンの意図に気付くのも時間の問題だろう。
それを嫌った彼はさっさと手綱を引いて進路を定めると、踵で馬の腹を叩いて駆け出していく。彼の素早い動きを予見していなかったダフネは、悲鳴を上げて上体を仰け反らせる、一瞬心配して駆け出しかけたガストン達も、すぐにアルマンへとしがみ付いた彼女にほっと胸を撫で下ろした。
立派な体格な駿馬に、二人の姿は見る見る小さくなっていく。彼らが巻き上げた砂煙に咳き込んだガストンは、隣のデュリュイと目配せをすると撤収のための準備を始める、とりあえず彼は放ったままだった愛剣の回収に向かった。
「あぁ・・・何故だ、何故誰も彼も、私を置いていく・・・私がなにをしたというんだ・・・」
「さて、どうしたものかね彼は?」
「流石に置いて行く訳には・・・」
「それもそうか。じゃあビュケ、そっちを持ってくれ」
去っていく二人の姿に何か感じるものがあったのか、気落ちしたように地面に手を付きさめざめと恨み言を零しているモイーズに、扱いを困るガストンとデュリュイは二人で肩を並べて腕を組む。
指揮系統が完全に別な二人にとって、彼を保護する義務はない。しかし流石に怪我人をそのままにはしておけないと、彼らはモイーズの両肩にそれぞれの身体を滑り込ませる。
「・・・あの馬は、私のだぞ・・・それなのに・・・」
「あぁ、それはどうも。いい馬でしたよ。・・・しかし、時間が掛かりそうだな」
「そうですね、どこかで馬でも拾えればいいんですが」
「そうだな。まったく、その通りだよ、ビュケ」
足を引き摺る成人男性の重さに早速辟易する二人、不釣合いな身長に掛かる負荷も不均等でバランスが取りづらい。特に鎧を着込んでいるデュリュイの負担は、見ため以上のものがあるだろう。
神殿へと続く一本道はまだまだ長く続いている。同じような景色が続くそれに避難民が取り落とした荷物がなければ、永遠に続くと勘違いしてしまいそうだ。
重い足取りに、何時までも終わることないモイーズの恨み言が永遠と連なっていく。そのじめっとした空気に辟易する二人は、静かに溜め息をついた。
神殿はまだまだ遠い。
何時しか彼らの影を長く伸ばしていた太陽は、その姿を地平の向こうに隠そうとしていた。