軍靴の音は静かに、されど多く響く
「これはこれは聖女様、ご足労いただいて・・・」
「挨拶は不要です。誰か神殿の中の状況を知っている者はいますか?」
指揮官の男の言葉をぶった切った聖女の態度に、彼の傍に控える護衛か副官と思しき男達が前に出ようと一歩を踏み出す。
それに対応して聖女の護衛達も周辺を警戒しては配置を変更する。一触即発の空気へと変わりそうな状況は、腕を伸ばして周りを抑えた指揮官によって沈静へと向かう。しかし聖女の護衛達は警戒を解こうとせずに、聖女の周辺を固め続けていた。
「我等が聖地の奪還が最重要・・・当然ですな。デュルュイ副長をここに」
「その者は?」
「彼は斥候部隊として送り込んだ隊の生き残りです。現状唯一の、ね」
隣に控えていた副官にデュルュイを呼ぶように命令を出した指揮官は、聖女を囲むように半円を描き、こちらにも向こう側にも何時でも刃を向けれるよう準備している護衛達を見渡して肩を竦める。
聖女はそんな状況に慣れているのか、気にする素振りも見せなかった。指揮官にとっては周りで警戒心剥き出しで騒いでいる彼らよりも、血塗れの服で静かに佇む彼女の方が恐ろしかった。
待っている時間は大して長くはなかったろう、しかし沈黙の空間に耐えかねた指揮官は足を踏み鳴らしては、時を刻みを少しでも早めようともがいていた。
気まずい沈黙を破ったのは呼び出された男ではなく、あたり一面を塗り替えるような光だった。ドーム状になった神殿の天井を掠めて抜けていったその光は、顔を出していたハーピーの軌道を逸らしただけで消えていく。
遠くで怒鳴り声のような雄たけびが聞こえたが、ここでは目蓋に焼きついた残光が、瞬きを早めるだけ。気まずい沈黙に苦しむ指揮官にとっては、喜びを共有する口実を作ってもくれない魔道部隊に、恨み言の一つも言いたい気分だった。
やがて運ばれてきた男はその長い金髪を顔へと張り付かせ、憔悴したためか頬がこけて見える美男子だった。大きく切り裂かれた肩口の傷には包帯が巻かれていたが、いまだに血が止まりきっていないのか、赤い滲みが徐々に広がり続けていた。
「デュルュイ副長、話せるかね?」
「待って・・・・・・どう、楽になった?」
沈黙に耐え切れなかったのか、指揮官はまだ到着しきっていないデュルュイに声を掛ける。戸惑うように足を止めたのは、彼に肩を貸し運んでいる二人だった。
どうすればいいか迷う彼らに聖女は慌てて駆け寄っていく。さらに混乱した二人のうち一人はあろう事か彼をその場で下ろそうとし、バランスの崩れた彼は脱力した姿勢で崩れ落ちそうになってしまう、結果的に聖女がデュルュイを受け止める形になっていた。
聖女が肩口の傷に手を添えると僅かな光を発する、その光を浴びてデュルュイは震えるように一度呻き声を上げた。彼はその後も短い呼吸を繰り返していたが、やがて顎を伝った汗が落ちると共に穏やかな表情へと変わっていく。
「あ、ありがとう、ございます、聖女様」
「いいえ、デュルュイ。あなたの信仰心が、その身を守ったのです。私はその手助けをしただけ・・・それで聞かせてくれる?中でなにがあったのか」
多くの血を失ったのであろう、傷を癒されてもなおデュルュイの顔色は青いままであった。しかしその瞳は生きようという強い意思を感じされるものに変わっていた。
強い意志が身体の力をも復活させたのか、聖女に抱えられるようにして立っていた彼は、どうにか自分に力で大地を踏みしめる。僅かにふらついて見えた彼の姿に、心配して手を添えようとした聖女に、彼は制止するように手を上げていた。
「はい、私はレスコー隊長と共に神殿に踏み入りました、そこで多くの・・・多くの逃げ遅れた者達を見つけました。しかし生きている者は、一人も・・・そして私達は二人の少年を出会ったのです」
「二人の、少年?生き残りがいたのですか?」
自らの記憶探りながら語るデュルュイの瞳には、確かな悔恨が混じっている。言葉を詰まらせるたびに彼は瞳に焼きついた死のイメージを反芻しているのだろう、その唇は悔しさで震えていた。
彼から聞く初めての事実に確認は周りに向けている。聖女の言葉を受けた指揮官が副官達に目を配らせると彼らはすぐに動き始める、その動きに聖女は少なくとも一人は生き残りがいると感じていた。
「いえ、いえ一人です聖女様。一人はもう・・・お願いです聖女様!レスコー隊長を、残された仲間を、どうか、どうか・・・!」
「えぇ、えぇわかっているわ、デュルュイ。でもこれだけは覚悟しておいて、死者は蘇らない。あれは・・・本当に奇蹟だったの」
突然聖女の肩を掴み縋るように請願を始めたデュルュイに、護衛達は一斉にその手を剣に掛ける。彼らの動きに反応して他の兵士達も其々に備えようと動くが、それらは聖女の制止によって鳴りを潜めていた。
聖女は彼の願いを叶えると優しく頷いて見せるが、それと同時に奇蹟は起こらないと現実の予兆を囁いた、辛そうに目を背けた彼女の瞳はどこか遠くを見つめているようだった。
聖女の言葉は最悪の未来を語っていた、しかしデュルュイ自身それを予想してなかったわけではないだろう。彼が打ちひしがれたように目を見開いたのは、自らが望外の奇蹟に頼っていると知らされたからか、それとも目の前の存在が神ではないと教えられたからか。
「それで、生き残った少年とは彼のことですか?」
「なぁ、あんた聖女様なんだろう!ノエル、ノエルを、俺の親友を助けてくれよ!!」
聖女からの問い掛けを受けた指揮官は困ったよう肩を竦めるだけ。二人の兵士に抱えられながら狂ったように喚き散らす小太りの少年は、その愛嬌のある顔を歪ませて必死に親友の救助を願っていた。
今にも飛び掛って行きそうな勢いで暴れている少年に、護衛達が落ち着いた様子を見せているのは彼が脅威に見えないからか。用心のために聖女の傍に寄っている二人も、今は自らの得物から手を離し、どちらかといえば聖女の言葉を受けて崩れ落ちたデュルュイの方を気にしていた。
「デュルュイ・・・デュルュイ副長はあなたの親友は死んだと思ったようだけど、違うのかしら?」
「いえ、デュルュイ副長は彼の友人、ノエルという少年ですが。彼が襲われるのを目撃しております」
「違うっ!いや、襲われたのは本当だけどさ。それぐらいでノエルは死なない、今でも俺の助けを待っている筈だ・・・」
指揮官がデュルュイから聞き取った事実を話すと、すぐに少年が食って掛かる。しかし彼自身も目撃した事実であるためか勢いの良かったのは始めだけで、徐々に弱っていった語気は最後には濁って消えていく。
その様子を眺めていた聖女は、やがて下を向くようになった少年に興味をなくしたように背を向ける。急に背中を向けられた指揮官達は僅かに戸惑っていたが、護衛達は彼女のやりたいことを理解していたようで、自然と道を明けていた。
「神殿の奪還に向かいます!ビュケはダフネとここに、私についてくる者は半数とします。残りはここの兵士と共に民の守りにつくこと。特に飛び道具を所持している者は、優先してついて来るように!」
聖女の号令と共に護衛達は自らの役割を理解して動き始める、直接指名されたガストンは隣で手を振るダフネを捕まえては安全そうな場所を探していた。既にそれぞれの資質によって聖女のついて行く半数を選び終えた護衛達は、お互いの持ち物を公開しては必要なものを交換している。
「せ、聖女様!?危険です!!」
「彼が無傷でいるということは、中の魔物の数は少ない、そうでしょう?」
ようやく聖女の行動の意味を理解した指揮官は、彼女に慌てて駆け寄った。しかしその手を掴んでいいのか迷う彼は、足を止めた聖女に息を吐いて安堵漏らす。
聖女は指揮官の危惧に項垂れている少年を示してみせる、彼の身体は所々擦り傷があり汚れてはいたが、魔物に襲われたような傷は見えなかった。
「それはそうですが、御身を危険に晒すわけには・・・」
「先程もあなたの目の前で襲われたと思うのだけど?ふふっ、これは意地悪ね。でも、あなたも聖地奪還が最重要なのは分かってくれるでしょう?それに・・・」
言葉を濁して聖女の行動を諌めようとする指揮官に、聖女は冗談めいた口調で返す。彼女が口にしたことは彼の責任問題にも関わる事であり、一瞬で顔色を変えた指揮官はそれ以上言葉を続けられなかった。
聖女は言葉の最後を引き伸ばすと、彼方を見るように遠くを見据える。長閑な農村の風景が広がるはずのその先は、今や怯える民衆が肩を寄せ合い心が落ち着く景色には程遠い。
聖女が視線を投げているのは、さらにその先の鬱蒼と茂る森だろう。地平を閉ざしている森からは断続的に鳥が飛び立ち、不吉な予感を漂わせていた。
「拠点として神殿を確保する必要がありますでしょう?真に、不本意ですけど」
「て、敵襲ーっ!!」
森の影から姿を現したのは、その視界を遮る木々と同じ肌色をした小人達であった。
彼らは動物から剥いだ皮で作った粗末な衣服を身に纏い、石や木といったものを加工した原始的な武器を手に持っている。所々金属で作られた武具を身につけている個体もおり、彼らはどこか他の個体とは一線を画す体格や雰囲気を持っていた。
彼らは森に住む悪鬼、つまりはゴブリンと呼ばれる人類の敵だ。
木々の隙間から這い出るように、湧いてくる彼らの数は今はそれほどは多くない。彼らはその体格からも分かるとおり個体としての脅威は低く、訓練された兵士ならば一人でも、二人掛りならば確実に勝てる程度であり、今見えている数程度ならば焦るほどではないだろう。
しかし彼らの強みは数である。一匹のゴブリンを見たら百匹いると思えと言われる程の繁殖力を持つ彼らにとって、個々の弱さなど大して意味がないといえた。
事実として木々の間から湧き出てくるゴブリンは今も止まず、弱い魔物の登場にどこか弛緩した空気が流れていた兵士や民衆にも、やがて恐怖が伝播していった。
「炎よ、我等を仇なす彼の者達に、茨の轍を!!」
聖女が張り上げた声と共に払った手の平から放たれたのは、信徒達にとっては見覚えのある聖印だろう。試練や破壊、もしくは再生を意味するそれは炎の印。放物線を描いて飛んでいったそれらは、その軌跡の途中に急に制止し、中空から地面に向かって膨大な量の炎を巻き上げた。
その炎は先頭を走っていたゴブリンたちを焼き払うと、消える様子も見せずに燃え続けている。ゴブリン達はその理解の及ばない力に戸惑い、精鋭であったであろう同族の悲鳴と燃える匂いに怯えていた。
彼らは中空に浮かんだ聖印に向かって石を投げつけるなどを行っていたが、それに効果がないと分かると二つの行動を取るグループに分かれた。つまりは強行突破を図る者と、迂回して目標に向かおうとする者だ。
悲鳴が上がった、今度は人のものだ。
それは聖女の力に上がった歓声が姿を変えたもの、燃え盛る炎に突撃を繰り返すゴブリンはただ無駄に死体を積み上げているだけに見える。しかしそれは途絶えることのないその数を考慮に入れなければだ、今は僅かに盛り上がって見えるだけの死体の山も、何時か伸びた火の粉を踏み越える。
広がる地平の伸びた炎の壁は確かに長大に見える。しかしそれも無限に続いているわけもない、壁の端へと防備の兵を走らせても、それは到達する前にゴブリンによって突破されるだろう。
確実に訪れる崩壊の姿に民衆は恐怖に駆られて逃げ出し始める、しかしそれはゴブリンの姿をはっきりと視認出来ている森側の者達だけだった。
あまりに多く様々な者達が集まった民衆に、恐怖の伝播は時間差となり、突然の事態に状況が飲み込めず混乱する者達と、恐怖に駆られて逃げ出す者達はお互いを壁としてぶつかり合っていた。
「私達は神殿へと向かいます、あなた達は避難の誘導と彼ら防衛に努めなさい」
「し、しかし聖女様、このままでは」
「ここで戦っても持ちはしませんよ、神殿ならば半分は・・・無理にしても、かなりの数の民衆を収容できます、あそこのへの道は一本だけですし、少しは守りやすくなるでしょう?」
聖女を引き止める指揮官の目には、縋るような色が見えていた。彼からすれば彼女は無限の力を秘めた存在なのかもしれない、フローラは大魔法の使用に消耗した身体の震えを必死で押さえていた。
聖女の言い分が最もだと感じたのか押し黙る指揮官に、兵士達は彼と聖女の間で視線を彷徨わせていた。彼らはずっと迷っているのだろう、自らの直接の上官である指揮官と、雲の上の存在である聖女どちらの指示に従うのが正しいのかを。
「兵士の半分は民衆の避難の誘導を行え、他の者達はあのゴブリン共を押し留めるっ!なにをぼけっとしている、聖女様が作ってくださった時間を無駄にするのか、貴様らはっ!!」
指揮官の命令に一度は肩を跳ねさせた兵士達も、明確な命令が下れば後は迷うことはなかった。近くに控えていた副官達が手早く人員の選抜を終えると、誘導に向かう者達は早速各所へと散って行った。
彼らの姿を見て満足した聖女は、護衛達が用意した馬に跨る。彼女は馬上からゴブリンの方を見ると、迂回を選んだグループがちらほらと炎の壁を突破し始めていた。
聖女は右手を掲げて突破してきたゴブリンの先頭に狙いを定める、一呼吸ほど躊躇ったのは消耗を気にしてか。飲み込んだ呼吸に瞬きをすると、別の方向から伸びてきた光の束が彼らを焼き払っていた。
「聖女様、彼らはこっちで使ってよろしいか?」
「もちろんです、好きに使ってくださって構いません。・・・それと、丘の上にいる彼らの所にも兵を。あの戦力は貴重です、うまく使いなさい。そうね、一緒に何か長柄の武器を・・・棍棒でも持っていって巨体の男に渡せば、うまく使うわ」
残していく護衛の扱いを聞かれた聖女はすぐに了承する。馬上からダフネの姿を探した彼女は、既に避難の先頭に立って誘導している彼らの姿に笑みを浮かべる。
彼女自身は一刻も早く避難したがっているように見えたが、真面目なガストンは民衆の避難が済むか、彼女の身に危険が迫るまでそこを動こうとしないだろう。心底嫌そうにガストンを手伝う友人の姿は、フローラに一時の安らぎを与えてくれた。
丘の上に陣を張る魔道部隊が貴重な戦力なのは事実だ、しかし言葉の最後に加えたものは彼女なりの冗談だったのだろう。その意味を理解した指揮官は頷きと微笑で返す、冗談ではあっても有効なのは確かな事実だった。
「お、俺も連れて行ってくれ、聖女様!ノエルは俺がっ!」
「何故?あなたは彼らと共に避難しなさい」
兵士達が他の事に対応することを迫られたからか、押さえる者がいなくなっていた少年は聖女に詰め寄って嘆願する。彼の接近は護衛によってすぐに遮られたが、声までは押さえようがなかった。
少年はかなりの決意を持って声を振り絞っていたようだったが、聖女にとっては既に済んだことであった。指先で避難する民衆達のほうを指すと、すぐに手綱を引いて踵を返していた。
「ま、待ってくれ・・・ぬ、抜いたんだノエルは、聖剣を!」
「つまり・・・その彼が勇者様だと?デュルュイ?」
「・・・見ていません、私は」
少年が口にした事実はどう考えても苦し紛れのでっち上げだ。しかし聖剣を、そしてその担い手を強く信仰する聖女にとっては許しがたい偽りとなった。
彼女がデュルュイに問いかけた声は冷たい、癒されたとはいえ傷つき倒れた彼を兵士と扱っていいのか、それともこの状況で避難民と扱うべきなのか迷った兵士達は、その場で放置することで問題を放棄していた。勿論それには彼が奮起して戦うこと選ぶことも期待された結果ではあった。
「ち、違う!そいつは見ていないだけだ、俺の方がそいつより長くあの場所にいた!ノエルは確かに聖剣を抜いた、でもその時にはあいつはもうボロボロで倒れてしまったんだ。だから、だから俺が行って、あいつを安心させてやらないと!!」
「そう・・・・・・では、ついて来なさい。誰か、彼を乗せてやって」
少年の言葉にデュルュイに目をやった聖女は、その微妙な反応に彼の言葉がある程度事実であることを知る。しかしそれでも彼の同行を許したのは、誰の目にとっても意外な事であったのであろう、すぐに護衛の何人かが彼女へと近づいて真意を窺うような態度を見せていた。
「聖女様、彼は・・・」
護衛達の言葉を制した聖女は、喜び勇んで馬の背中へと乗り込んでいる少年の姿を、冷たい瞳で眺めていた。そのゾッとする様な冷たい表情に、制止されるまでもなく護衛達は言葉を飲み込むしかなかった。
「・・・あれは、囮にでも使えばいい。我らが希望、聖剣の担い手である勇者様の名を騙るなど、その罪の重さを思い知らせなさい」
沈黙を続ける護衛達に、聖女の冷たい言葉だけが響いていた。