さつき、狂う?
私たちの中学校の授業にも「戦争実技」という科目が導入されました。
陸上競技で全国大会まで出たあの生徒も、バスケが上手いあの生徒も、柔道で向かうところ敵なしのあの人も、「特待生」として戦場に赴いていきました。
わたしの周りでも、クラスメイトが何人か死んでいった。
昨日までふつうに笑いあっていた友達が、瞬間にして永遠に戻ってこなくなった。
私はつい亡くなった友達の気持ちを考えてしまう。
「あなたは、死ぬ前何を思った?怖くなかった?痛くなかった?やり残したこと、たくさんあったんじゃない?」
あまりにもたくさんの別れを経験してきたものだから、私はもう、誰か大切な人なんか作るのはやめよう、と心にふたをして生きていくことを覚え始めました。
周りではたくさん人が亡くなっているのに、
「仕方がない。こうしないと生きていけないんだ。」って言いながら、お互いに殺しあっていく。
この星では、そんな光景が当たり前になってしまいました。
もう、目の前で人が死んでいても「・・・ま、気の毒だけど、よくあることだ。」
そこまではいい。
そこまではいい。
・・・あの子たちは、笑ってた。
人を殺しながら、自慢げに、何の悪びれもなく。
「敵を何人殺した?」
「えっ!?十人以上!!すごーい!」と嬉々として語られる空間が出現しました。
そんな人が、ちきゅうでは褒められ、称えられ、たくさんのお金をもらって高い身分にのぼるようになりはじめたのです。
戦争に反対した人たちは、みんなから「こいつは何を言っているんだ?」という目つきで見られた。
見せしめに、両足に鎖をつけられ、それぞれの鎖を二台のトラックが別々の方向に引っ張る。それも全員の前で・・・。
あとは・・・言いたくない。言えない。
人間という存在はどうしてこんなことができるようになってしまったのだろう。
人間とは何なのでしょう。
二手に分かれた国々が、地球を真っ二つに引き裂いて、
「自分たちの考え方が正義で、相手は悪魔だ!」と互いに言い張っています。
どちらも正しいんだとしたら・・・正しい者同士がなぜ殺し合いをするのでしょう。
ひとつだったさつきの街も学校も、考え方の違いで分裂して争うようになりました。
トラヒー将軍は笑顔が素敵でとても優しい。
自分に忠実で反対意見を言わない人に対しては。
だけど、少しでも違うことを言う人に対しては、みんなのまえでこきおろし、徹底的に弾圧して、まるで虫けらでも見るような目でにらみつける。
トラヒー将軍は、「自分は神の代理人だ!地上に降りた救世主だ!」と宣言するようになり、「私を信じれば助かるが、信じないものには容赦ない裁きが下る」と言いながら、反対するものを弾圧していきました。
一方、街を以前に占領していた軍隊たちのスパイや残党が別の考えを打ち出し、政権を打倒しようとします。
さつきは、何もかもが嫌になった。
何を信じていいのかわからなくなりました。
にいちゃんやはるか先生がいっていたことが、心の奥底では「正しい」と分かっていれば分かっているほど、絶対にそれをできない私自身の心がちりちりと苦しむのです。
人は・・・結局のところ、どんないいことをしたところで、「悪者」になるんだ。
そして、人間は「悪いこと」をしないと生きてはいけないのです。
そんなことをみんなでしているうちに人の心は、どうにかして「自分は正しい」って思いこもうとするものなのです。
だったら、何が正しいの?
まともな大人なんてこの世には一人もいやしない!
みーんな、みーんな、みーんな嘘、嘘、嘘、大嘘!!
哀しくて哀しくて涙がこぼれます。
・・・神話で悪魔という存在をよく耳にします。
だけど、それに一番近い存在はやっぱり人間だとおもうのです。
そして、地獄というのはこのちきゅうにほかならず、人間はきっと何かの罰で「生きている」という刑罰を背負わされているのです。
そして、もし、神様という存在がいてこの地球や人類を作ったとしたなら、まったくふざけているとしか思えない。
この世を作ったはいいが、こんなにして放置して何も助けてくれないのはなぜ?
人間が悪魔のような存在なら、神そのものが実は悪魔よりも残酷な存在だとしか思えないのです。
「人間は神様に似せて作られている。だから、人間の存在は尊いのだ。」
そんなことを誰かがいいました。
そうしたら、やっぱり、神様というのも人間に似ていて、戦争がお好きなのかしら。
「神様は、その人に越えられない試練しか与えない。」
そんなことを誰かがいいましたが、目分量を間違ったとしか思えないのです。
今、ちきゅうでは何百万人の人が殺されています。耐えられないから、限界を越えちゃったから死んじゃったんでしょ?
考えてはいけないことを考えてしまった。
そして、さつきはうっかりそのことを口に出して言ってしまったわけ。
それまで、ニコニコしていたトラヒー将軍に忠誠を誓う先生たちのあの目つきは忘れることはできません。
「お前は地獄に堕ちる。」「悪魔の子!」「今からでも遅くないから反省して許しを請うんだ。」
「トラヒー将軍に対する冒とくでそれは許されないことなんだよ。」
・・・その先生たちだって、トラヒー将軍がトップに立つ前まではまるっきり街のことなんか興味なかった人だったのに。都合のいいものです。
他にも、なんだか本が何冊も書けそうなほどたくさん説得されました。
でもどうせ、これ以上「言っても無理だな」と思いました。
一方で、
別の先生たちは、「その通りだ!」とさつきのことを褒めたたえてくれました。
分裂した別の一方のグループです。
「そうだよ!そうだよ!その通りだよ!
みんなで、平等な社会を作ろうじゃないか。
この世から、完全に貧困をなくさなければいけない!」
「いいかい?さつきちゃん。
これからは、科学の時代だよ。目に見えるものだけがすべてだ。
私たちはね、科学的に平等な社会を実現することを目指す。
思いやりとか、愛とか、感謝とか・・・?そんなものは寝言だよ。たわ言だよ。
そんな目に見えない迷信を信じるからあんな気の狂った将軍が生まれてくるんだ。」
この先生たちは、二つに分かれた国々の一方の側へさつきをつけようとします。
何が何だか分からないまま、分裂した学校のもう一方の側の生徒としてさつきは拍手で迎え入れられます。
その教室では、みんな同じ真っ黒な服を着て、人と違うということは許されません。髪型もみんな同じです。だって、「平等」なんですもの。
さつきは90点を取りました。テストを一生懸命頑張った結果です。
そうしたら、頑張らずに怠けて授業を妨害してばかりの連中が、「不平等だ!さつきばっかりずるい!」と先生に訴えます。
「・・・確かにそうですね。」
と先生は頷き、すべてのテストを回収して、全員に「60点」をつけました。
体育祭では、一切の競争は禁止されました。マラソン大会でも、「みんなで手をつないでゴール」が当たり前です。リレーで一人だけ走ったりしようものなら、「みんな歩いているのにずるい!」と首根っこを掴まれ失格にされます。
文化祭では、劇をやったのですが、壇上いっぱいに主人公の男の子と、ヒロインの女の子がゾロゾロゾロ。
ある生徒が、廊下にスプレーで落書きをします。教師がそれを注意したところ、その生徒はさらにつけあがり、ついに先生の首につかみかかります。
先生がそれを振りほどくために生徒を押したところ、生徒は大泣き。
そこに警察がやってきて、「暴行罪」として書類送検されてしまいました。
平等や暴力反対はいいですが、行き過ぎると何だかそれもそれで人間がロボットのようなものになってしまうのです。
しまいに、この人びとは、
「一人一人個性を大切にしなければならないけれども、人と違うことをするな。」
「世界に一つだけのオンリーワンの花を咲かせなきゃいけないが、ナンバーワン以外無意味だ。」
「断固として言論の自由を守らなければいけない!これに反対するものは一切黙れ!」
「暴力反対!反対する者はボッコボコにするぞ!」
「命は大切にしなきゃいけないだろ!死ね!」
などという矛盾したことを唱えながら、弾圧と粛清を始めました。
あまりにも釈然としないので、
「なんでそういうことしなきゃいけないんですか?」
「さつきのはなしも聞いてください!」
「先生たちの言ってることは矛盾している!」
とさつきは叫びました。
「そんなこともわからないのですか?ダメなもんはダメですよ。」
「だから、なんで?」
って聞くと、「ハァー」とため息をつかれます。
周りから、失笑が巻き起こります。
「はじめから思ってたけれど・・・やっぱこのさつきという生徒はおかしいわ・・・。
〈特別教育〉を施さないと。」
さつきは、頭に電極の付いたヘルメットを被せられそうになりました。
わけの分からない薬をたくさん飲まされそうになりました。
「・・・さつきは・・・さつきは、モノじゃないよ!ロボットじゃないよ!」
そう叫ぶと、「あなたのためを思ってやってるんです!さつきさん、あなたは異常ですから治療が必要なんです。ほら、いい子だからベッドに横たわって。」などと猫なで声で先生たちは手招きしてきます。
「いやだ!」
と叫ぶと、彼らは態度を豹変させて怒鳴ります。
そうして、さつきは、教室から追放されました。というよりも、逃げざるを得なかった。
にいちゃんがされたみたいに。
はるか先生がされたみたいに。
どこに行っても、さつきは「ちょっとおかしい子」「問題児」呼ばわりされます。
怖くて、情けなくて、まったくどうしていいやらわからないのです。
さつきは、おかしい子なのでしょうか。狂った子なのでしょうか。
それとも世の中のすべてが狂っていて、さつきもその狂った人たちの一人にしか過ぎないのでしょうか。
どこにも、居場所なんかありやいたしません。
・・・もともと、このちきゅうに正しいことなんてひとつもありやいたしません。
さつきには、いいたいことがたくさんあるのに・・・なにひとつ自由に言うことができないのです。
間違ったことをしないと生きていけない・・・そう言うなら・・・
ワルになってやれ。
「お前の人生は、終わったな。
もうこれから先、何にもできないよ?」
先生は吐き捨てるように言いました。
よく勉強をさぼってカラオケやゲームセンターに行くことが多くなった。
電車に乗って、遠くまで海を観にいくことがたくさんあった。
なんだかわからないけれど、先生にも親にも周りのものすべてに対してむかつくことが多くて多くて仕方がなかった。
よく考えたらあきらかに自分が悪いしわがままなのはわかっていた。
にいちゃんがみんなにたいしてやられたことを、私もうけた。
さつきは、ひとりで夜空の星々を見上げながらつぶやきます。
「ねえ、遠い星のうちゅうじんのおともだちのみんな。
わたしたち人類に生きる価値はあるの?」
だけど、こんなちきゅうでも、優しい人はたくさんいた。
「おねえちゃん、ちょっと寄ってきい。」
喫茶店で無料でコーヒーをごちそうして話を聞いてくれたおばちゃん。
「わたしもねえ、おかしいとおもうよ。今のちきゅうは。おもいやりっつうもんを忘れてしまっただかねえ・・・。大変だねえ、今の若い子は。がんばらんでええ。辛くなったらにげたらええ。いつでもここに来な。」
人間は、みんな狂っているかもしれない。
だけど、きっと、きっとみんな優しいところや思いやりのある心も持ち合わせている。
さつきは、人間の姿の一体どっちを信じればよいのだろう・・・。
傷つけられることもあったけれど、わたしは、人間を信じることと、信じないことの境目でいつも揺れていました。
人間の心なんて、時間とともに変わっていくものなのです。
小学生時代、無邪気にうちゅうじんのにいちゃんをキラキラした目で眺めながら、一緒にお風呂に入って水をかけあって笑っていたさつきちゃんなどもはやどこにもいないのです。
少しずつ、少しずつ、わたしは、不良になっていった。
何のために勉強して、何のために毎日を過ごしていいのかまったく分からなくなったのです。
生徒たちはいつも「つまらないつまらない」と、互いの陰口や先生たちの悪口で盛り上がっている。その非難は、確かに正しいことだったかもしれない。だけど、そこから先に何も進まない非難だけの非難。
わたしもその人たちに加わった。
そうでないと、誰も「友達」がいなくなってしまうから。
人間と人間の絆なんてしょせん、誰か共通の敵を作ること、不満や不安でつながっているにすぎません。
ある日、鏡をのぞきこみます。
それは、さつきなようでいて、さつきではありませんでした。
そこに映っていたのは、「すごく嫌な奴」でした。
そんなことをしているうちに、わたしは、ある子をひどく傷つけた。
その子の「大切にしているもの」をふみにじった。
くすっと笑った瞬間、わたしの心の中で何かが壊れた。
そうです。はじめは「正しい」ことを求めていたんです。だけど、いつのまにか、わたしは「悪者」になっていた。
うん、そうだよ。
誰もかれもみんな「自分は悪者」なんてみじんも思いたくないのです。
誰もかれもみんな「自分たちは正しいんだ」って思いながら、それ以外の他人のことをあれこれ裁くものなのです。
誰にも言いわけもきかないし、償うことのできない罪を抱えながら、誰しもが生きているのです。
これからも、死ぬまでずっとずっとこうして他人に迷惑をかけたり、傷つけたりして生きていかなくちゃならないのです。
だとしたら、私たち人間に生きる意味も価値もないような気がするのです。ちきゅうじんの存在自体が、この星の癌細胞なのでしょうか。
そんなことがあってから、さつきはその集団とは距離を置くようになりました。
友達だと思い込んでた人たちは、
「・・・さつき、なんかわけわかんないし、暗いし・・・。
今が楽しけりゃいいじゃん。」
と盛り上がります。
少年少女たちは、猿の集団のように何も考えてなんかいないのです。
やがて、その「友人」たちは手のひらを返したようにさつきのことをいじめてきます。
「あいつ、なんかお高く留まってね?」
「まさか、さつき、自分だけ特別とかなんとか思ってない?」
「もっとね、他人と折り合いをつけてうまくやっていく方法を見つけ出さないと将来困るんだからね?」
そう言った言葉がぐさりぐさりと心に刺さります。
先生たちは言います。
「あいつには、もう近づくな。」
兄ちゃんに関する根も葉もない悪い噂を流され、さつきは完全な問題児になっていました。
「にいちゃんは・・・悪い宇宙人で、地球を破壊しにきたの?」
みんながそろってにいちゃんのことを噂して笑って悪者にしている。
わたしも・・・つられて「そうだよね。」と笑ってしまったのです。
そのとき、自分の心の中で、何か大切なものがパリンと音を立てて割れるのが聞こえたような気がしたのです。
もう、「あいつ」のことを「兄」などとは思いたくなかった。
宇宙やどこやらに行った「もう、関係のない別の生命体」。