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ポムポム~ボクらの知らない虹色世界~  作者: アルセーヌ・エリシオン
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第一章 『回る数字』

「んっ……ん……5時……。


 ふぁ~~~っあぁ~。


 また、夏が……始まった……」


朧げに浮かび上がる視界のなか、見慣れた天井が普通に出迎えた。起きるでもなく、二度寝するでもなく、観ていた夢を思い起こしながらしばらく天井を眺めていた。


「暑っちぃ……」


無意識に口を突いて出た言葉だったが、意識してしまったせいで余計暑く感じた。まだ、早朝だと言うのにこれでは気が重い。夢と暑さで夏の到来を実感した朝だった。


 強制的で、攻撃的、それでいて開放的で、情熱的な独特の雰囲気を纏って、毎年それは例外なくやって来る。好き嫌いの賛否はあるにせよ、街も人も活気付く季節……『夏』。


艶やかな秋、


淑やかな冬、


麗らかな春、


そして


華やかな夏


と言ったところだろうか。思いっきり、独断と偏見な上に、ボキャブラリーが少ないとこうなる。それはいいとして、暑くて賑やか、そして、何かしら期待感が溢れる季節というのがごく一般的な夏のイメージだろう。しかし、『ボクの街の夏』はそれだけに留まらない。『灰』が降るのだ。活火山が君臨する街な為、たまにはしょうがない洗礼だと諦めてはいるが、夏は風向きのせいで、噴火すれば、ほぼこの街を直撃する。とは言え、茹だる様な暑さの中、汗をかいている状態での、灰の洗礼に慣れさえすれば、一応、普通に夏を楽しめる街ではある。まぁ、慣れたとしても、不快であることに変わりはないが……ただ、ボクにとっての夏は、それらとは別の理由で、不快さに拍車が掛かる季節だ。


 遡ること15年前。1970年7月7日夏。15年前の昨日、ボクがまだ2歳の時、父さんが他界した。事故だった。初めて家族3人で出かけたキャンプの帰り道、事故で父さんだけ帰らぬ人となった。ただ、その時のボクは、まだ小さかったせいなのか、そのことがトラウマになったりはしなかった。と言うより、

記憶にすら残っていないというのが本当のところだ。今思えば、それ自体が既に異変の始まりだったのかもしれない。実際、今も写真を見ても実感が湧かない。


ボクにも父さんが居たという実感、


この人が父さんなんだという実感、


そして、死んだという実感。


何れにせよ、父親という存在の微かな感覚はあるにせよ、実感を抱けないまま今に至る。父さんに関する記憶は思い出そうにも霞みがかってどこにも辿り着けない。散りばめられた記憶の断片にオブラートをかけたような、遠い微かな記憶とでも言えばいいのか。それが無造作に無作為に、ぼんやりと頭の中に散らかっている……。そんな感じだ。


 いつの頃からか、夏になると決まってそれが脳裏にチラつく様になり、軽い虚無感と焦燥感に襲われるようになった。それが原因かは分からないが、時をほぼ同じくして、夢を見るようになった。『夏を告げる輪廻する夢』を……。


 どこまでも果てしなく広大な


 意識を劈くほど真っ白い空間の真ん中に


 独りぽつんと佇むうすら淡い影


 感情を表現しないその立ち姿が印象的で


 ボクはいつもどこからともなく


 それに向かって走っている


 何の恐怖心も高揚感もなく


 ただ無感情のまま


 それに向かって寡黙に走っている


この、いかにもな程、意味深な夢は、忘れようも無いほどの単純な光景と数えきれないほどの回数を重ねボクの脳裏に棲みついている。今まで、その夢に変化を感じたことは無かったが、最近、ほんの僅か、本当に少しずつだが距離が縮まってきていることに気付いた。ボクとその影との距離が……。これは、視覚的にではなく感覚的にそう感じているだけだ。


独り佇むその影はヒトなのか、


それとも人の形をした別のモノなのか……。


明らかになるのも、そう遠い未来ではないと直感的に感じ始めていた。年を重ねる毎に、より鮮明に、より臨場感が増す中、次第に現実味を帯びるその感覚に、少々の不安を覚えるようになってきていた。


 と、ここまでなら、似たような経験をしている人が幾らかは居るかもしれない。しかし、ボクにはもうひとつある。他人には秘密にしていることが……。小さい頃は、何の疑問も持たなかったが、物心付く頃には既におふくろさまにやんわりと口止めされていたこと。それは……、


人に『色が着いて見える』という現象。


『桜の花の様な淡い紅色』


 と


『藤の花の様な薄い紫色』


この2つの色のどちらかが、何かの拍子に急に色づく。光るというより、『灯る』という感じだ。ぱっと見だと色の判別と言うよりは、暗いか明るいかという微妙な差異だ。見え始めて以来、通年出くわす現象だが、夏だけ自己主張するかのように鮮明になる。最近じゃ例の夢とこの現象で夏の到来を実感するほどだ。これが、見える様になったきっかけは心当たりがある。


『父さんの死』だ。


おふくろさまの話によると、事故後、暫くたった或る日、何の前触れもなくボクがそういうことを口にしたとの事だった。見え出してから15年近く経つ今も、ほぼ毎日見る機会がある。ただ、今まで見える事によって、何かの役にたったことはないし、かと言って何か害を及ぼすようなことも無かった。自分が気にさえしなければ何の当たり障りも無い現象だ。ただ、そう思えるまでには、おふくろさまとの二人三脚による結構な年月を費やした。空想、迷走を繰り返し、気にしないようにしながら、そのことについて考える。そんな矛盾している様な、していない様な、ややこしい日々を過ごしてきた。


 色については今までの経緯で、自分なりの仮説を立ててはいるが、勿論、自信も確証もない。最初は、機嫌とか体調のバロメーターみたいなものだろうかとか考えていたが、どうもそうではなさそうだ。と言うとこまで分かってきた。15年経って尚、この程度だ。おふくろさまに口止めされた理由も別に特別なことではなく、いつの間にか理解できた程度のものだった。


そんな不快感と不可解な現象が


無作為に交錯する季節、


それが『ボクの夏』だ。


 これだけでも充分気が重いのに、今年は近年稀に見る異常気象で、7月頭だというのに既に連日猛暑日。チリチリと音が聞こえてきそうなくらい暑い。梅雨が早めに明け、ラッキーと思ったのも束の間、いきなり襲い来た猛暑にテンションもだだ落ちだ。じわじわと夏らしさを醸し出してくれれば『暑さ』だけなら免疫というか耐性もつくだろうに。いきなりのこの例年よりでしゃばった茹だるような暑さに加え、こちらが求める以上に自己主張する存在感抜群の生きた夏の風物詩も、パワー全開、所構わずけたたましい。気が滅入る二つの夏らしさが相乗効果を醸し出す中、便乗するかのように活火山がいつも以上に活発な上、夏の風向きがお約束通り灰を纏って強襲する。という具合に、今年の夏はかなり好戦的だ。


 そんな夏の、まさに昨日。ボクに追い討ちをかける出来事が起きた。世の中は『七夕』だと言うのにボクは望みもしない初体験をした。失恋という名の初体験を……


「何もよりにもよって今日じゃなくても……」


初体験だからと言って別にモテるわけじゃない。告白されたことも無ければしたこともない。そういう意味での初体験だ。しかも、この失恋は良くある『臆病な失恋』。告白する勇気がないまま、他のヤツに先を越されたってやつだ。しかも、よりにもよってアイツに……。アイツと言うのは、中学時代のクラスメイト。つるんだことも対立したことも無い。互いに良くも悪くも意識してない、そんな関係だ。もし、アイツがボクの存在を覚えていたとしたら同じような印象を持っているだろう。同じ高校に通うようになったがその関係が変わることは無かった。可も無く不可も無く、良くも悪くも普通なヤツで、高校に入ってもそんなオーラを保持していた。


そんなアイツにOKが出たくらいなら、


もしかしたら……


本当、ついてない……。


勿論、先に告白したからと言って、良い結果になったという根拠はない。そんな『たら、れば』の自分会議をしたところで机上の空論、後の祭りだ。そんな反省やら後悔やらで足取りも少々重い帰り道、それは起こった。


「たかゆき~、ちょっと付き合えっ」


「いいけど……どこ?」


「ちょっとなっ、いいだろ?

 どうせ暇なんだろっ」


「勝手に決めるなっ」


「えっ? 何か用があんのか?」

「ないっ」


「うわっ、逆ギレ即答かよっ。

 ん? そのバッグ、おニューじゃん」


「あっ、うん」


「お前、そういう感じの、好きだよな~」


「ま~ね~」


「たまには冒険してみりゃいいじゃんっ」

「たまにはっていっつも思うんだけどさ、

 いざ、その時になると

 無難な方を選んじゃうんだよなぁ」


「まぁ、わからんでもないけど……」


こいつはよしゆき。良く言えば親友。だが、腐れ縁と言ったほうが正解。こいつとは本当に必然性を疑う偶然が今まで何度か重なってきた。こいつが男じゃなけりゃ運命の赤い糸を感じるくらいだ。


「しょ~がね~なぁ。

 付き合えばいいんだろっ」


「よぉ~しっ良く言ったっ。

 それでこそ我が親友だっ。

じゃ~早速行こうか」


「はいはいっ。

 って、あ~くそっ」


「なんだよっ。

 びっくりすんだろっ」


「また信号にひっかかった」


「はぁっ?」


「良くひっかかんだよな~」


「い~じゃんっ、信号くらいっ。

 詐欺とかじゃね~んだからよぉ。

 ……おっ、何か上手いなオレ」


「いやいや、確実に他の人より

 ひっかかる確率高い。

絶対にっ」


「何でわかんだよっ。

 それに、今、オレも一緒だっただろ~がっ。

 ってかスルーかっ。オレの自信作っ」


「体感……かな……」


「無視かっ! しかも体感?

 誰とも比べてね~じゃね~かっ」


「しかも、急いでる時はほぼアウト」


「ほぉ~、完全無視かっ」


「今まで、何回もあんだよっ。

 家から学校に着くまでの

全部の信号にひっかかったことが。

下校時ならまだしも朝だぞ朝っ。

登下校時に限らず時間に制約がある時程、

結構な確率でひっかかる」


「そ~かそ~かっ。

 徹底的にスルーかっ。

 ってか、お前んちから学校までは

 信号2つしかないだろっ。

 結構な確率で出くわすだろ、そんなのっ。

 しかも必ずじゃなくて結構なんだろ?

 そんな深刻じゃないじゃんっ」


「…………。

 こないだも買物行く時、ひっかかったしっ。

 タイミングと言うか、運が悪いんだよな~」


「今の間は何だっ。

 話まで変えやがって。

 ちょっと納得してしまったから

意図的にスルーしただろ。

しかも行く時ってことは

 帰りはそうでもなかったってことだろ。

 ただの被害妄想だっつ~のっ」


「お前も、

 あ~言えばこ~言う、

 こ~言えばあ~言う。

屁理屈オタクかっ」


「はぁ?

 訳のわからん八つ当たりはやめれっ。

 ってか聞いてたのかよオレの話」


「絶対多いしっ……」


「とことんだな。

 しかもへそ曲げやがって。

子供かっ」


「子供で結構っ」


「何じゃそりゃっ。開き直りやがって。

 そ~言うのを負け惜しみっつ~んだよっ」


「負けてねぇ~しっ」


そんな他愛の無い話をしながら、信号待ちをしていたボクらの前を、救急車がサイレンを響かせ通り過ぎた。そのサイレンに驚いたのか、頭上で無数の羽ばたきが聞こえた。いつものように、まじないと共に救急車を見送っていたボクに、よしゆきが怪訝そうに声をかけてきた。


「たかゆきさ~、救急車好きだよな~」


「はぁ? そんなわけないだろっ」


「だって、いっつも凝視じゃんっ」


「普通、目で追うじゃん。特殊車両」


「はぁ? 追わんし……

 あとさ、前から気になってたんだけど、

 お前何か話しかけてね?」


「あぁ~。おまじないだよ」


「おまじない? どんな?」


「秘密っ」


「何だそれ。

 いつからやってんだよっ」


「ん~、物心ついた時にはしてたかな。

 理由は分からんけど」


まじないの言葉は、別に秘密にする程の事でも無かったが、今までの経緯を含め、諸々説明するのが面倒だった為、秘密という言葉で誤魔化した。


「ふ~ん……」


「それよっかお前、

 肩にバクダン落とされてるぞっ」


先程のびっくりの名残がそこにあった。


「ん?

 うおっ。

ほんとだっ」


「ついてないな~

 お前も……」


「な~に言ってんだよっ。

 お陰で運がついたぜっ。

ラッキ~。

サンキュ~キャラスッ!」


満面の笑みだ。どういう思考回路してんだ、こいつは……。


「キャラスって……。

 ってか、鳩だっただろがっ」


「クルック~」


素直に認めたのか別にどうでもいいのか、いずれにせよ、このドヤ顔の鳴き真似は明らかにボクに何かを振っている。


「……オレにど~せ~って」


「お前もノリが悪いヤツだな~」


……あれに、乗れと……。


「そこまで読めんわっ」


「攻めろ攻めろっ。

 もっと攻めてこいっ」


「うわっ。

 うっぜっ」


「うざい言うなっ。

 つれないヤツだな~」


そう言いながら、肩に付いた『名残』を、笑顔で拭き取っていたよしゆきが、薄紅色に灯っていた。その隣にいたOL風のお姉さんも、巻き添えにあったようで、バッグについたそれを丁寧にティッシュで拭き取っていたが、そのお姉さんは薄紫色に包まれていた。


「お前はいいよなぁ~

 超ポジティブだもんなっ。

 いやっ、能天気の方かっ」


「ネガゆきには言われたくね~しっ」


「ネガゆきゆ~なっ」


『ネガゆき』……。誰が最初に言ったのかは分からないが、いつのまにか、何かある度にこのあだ名で呼ばれた。ネガティブなんじゃなくて、自分では慎重なだけだと思うのだが。おふくろさまは超ポジティブだし、ボクは父さんに似たんだろうか……。まあ、父さんがネガティブだったかどうかは知らないが。


「何ならこのポジティブ遺伝子分けてやるぞ。

 ただだ、ただっ」


「いらんっ。

 ただより高いもんは無いって言うしなっ」


「おやじかっ」


「やかましっ……

 ってか、うぅわっ。

 今、分けてもらうところを

想像してしまった。

きっしょっ」


「ど、どんな想像したんだ……。

 それより、お前こそ

早く拭いた方がよくね~か……それ。  

いくらポジティブなオレでも

 そこは少々へこむぞっ」


と、よしゆきが指差した先を見るとズボンのとても人前では拭けない場所にリアルな色とカタチを模って滴っていた。


「……うわっ」


もし、周りの人が気付いたら、場所といい、色といい、なんとも元気のいい高校生だと温かい笑いで済ませてくれる……訳がない。完全に猥褻物陳列予備軍に振り分けられる。


「はぁ~。

 まじ最っ低っ……」


流石にこれで、人前を堂々と歩く度胸もポテンシャルも無いボクは、よしゆきを壁にして丹念に拭き取った。案の定、瑞々しさこそ無くなったが跡はしっかりと残った。


「ん~、やっぱ跡が残るな……」


「ほらなっ。

 やっぱりオレの方がついてないだろっ」


「いやいやっ。

 ちゃんと付いてるじゃんっ」


「やかましっ」


「気の持ちよう、気の持ちようっ。

 良かったじゃんっ。

 お前にも運がついたってことだろっ」


「場所を選べっての」


「確かにっ。

 そこは否定せんっ。

 流石にそれじゃ~堂々と歩けんわなっ」


「当たり前だろっ。

 こんなので歩けるポテンシャルなんぞ

持ってね~しっ」


「だよな~。

 でも、お前の場合、

 場所云々じゃなくて、

落とされたこと自体が

既に不幸みたいなもんだもんな。

 しょ~がね~、一人で行くかっ」


「是非そうしてくれっ。

 ってか、どこ行く気だったんだよ?」


「明日さっ、あやの誕生日なんだわっ。

 ちょこっとプレゼントをなっ」


「何でもっと早く買わないんだよっ」


「男心に色々迷ってたわけよっ」


「何だそれ。

 でっ、まだ決まんないのかっ?」


「いやっ。

 もう決めてっけどさ」


「じゃ~、

 何でオレが行く必要があるんだよ?」


「こっぱずかしいって言うか……」


「おいおいっ。

 下着とかじゃないだろ~なっ」


「じょ~だんっ。

 往復びんた喰らうわっ」


「だよな~。

 でっ?

 何にしたんだ?」


「あいつ花が好きだからさ~。

 花を色々調べてたら

ブリザードフラワーってやつがあってさっ。 これだって……」


「どんな花だっ。

 吹雪いてんぞっ。

 プリザーブドフラワーだろっ。

 でもあれ結構するぞ」


「プリザーブド?

 何だそれ?

 まぁ通じたからいいじゃん。

しかもそうっ、そうなんだよっ。

高いんだよっ。

って、何でお前知ってんのっ」


「おふくろさまが好きでさっ。

 父さんの影響らしいけど、

家にもいくつかあるよ」


「へぇ~、そうなんだ。

 オレも初めて値札見た時はびびったぞっ。

 でも、結構気に入ったのがあってさ、

 なんとか手持ちとバイト代合わせれば

 足りそうだったから、バイト代出るまで

 取り置きしてもらってんだよ。

 で、昨日バイト代が出たから、

 ぎりぎりの今日ってわけさっ」


「で、花屋に独りで行くのは恥かしいと」


「そっ、さっすが親友。良くわかったな」


「まぁ、オレらの年齢じゃ、ちょっと

 入りずらい場所のひとつだよな~。

 やっぱ一緒に行ってやろうか?」


「ははっ、さんきゅっ。

 気持ちだけもらっとくわっ。

 流石に、それで付き合わせたら

 罰当たりそうだしなっ」


「ははっ、罰は当たんね~だろっ。

 特にお前の場合。

 それより、まぢでいいのか?」


「い~よっ」


「そっか。

 きっと喜ぶよ、あやちゃん」


「だといいけどさっ」


「大丈夫だよっ」


「あんがとよっ」


「じゃ~、気をつけて行けよ」


「おうっ。

 じゃ~また月曜日なっ」


「おうっ。

 月曜日ノロケ話聞いてやるよ」


「ははっ」


嬉しそうに手を振って、横断歩道を駆けて行くよしゆきが心底羨ましかった。あのポジティブさが欲しいと心から思った。しかも、彼女にプレゼント……。そんな素敵な悩みを抱えてみたいもんだ。こっちは、このバクダン痕の悩みが関の山だ。と、急に我に返った。街中は避けられたとしても家まではまだ結構な距離がある。


ホントついてない……。


そう思った瞬間、二つの悪夢が蘇った。過ぎた悪夢と現実の悪夢が入り乱れる中、現実の悪夢対策が先だと左脳が判断した。いや、右脳が……どっちでもいいか……。自分でも時折、可哀想になる思考回路で色々考えた末、カバンをしおらしい女子高生のように前で持ちながら歩いた。そうしながらも少しは男っぽく見えるようにとか、そんな自分会議をしながら、見慣れた、しかし色褪せた景色の中を独り歩いていた。


 夕方だというのに陽射しも蝉も容赦のない中、脱臼してると勘違いされるほど肩を落として歩いていたであろうボクの横を、赤い自転車に乗って、普通に幸せそうな風を纏った女の子が、心地よい風と共にふっとすり抜た。ボクの目は何の感情も持たないまま自然と彼女を追った。と、その瞬間、不意にボクは彼女の引力に引き寄せられた。右肩に下げていたショルダータイプのサイドバッグごと右半身をもっていかれるような感覚が、実はリアルにもっていかれたことに気付くのに1秒もかからなかった。脱力全開で歩いていた為、肩からひっぱり落とされるバッグを握りとめる事が出来るはずも無く、あっさりと持ち去られ、すぐに落ちて、コンクリートの地面を滑った。どうやら、彼女の自転車にニケツしていた奴がボクのサイドバッグをひっかけたようだ。


「まぢか~。

 昨日買い替えたばかりの

 お気に入りのバッグだったのに……。

 今日はとことんだな」


それに気付いた彼女は、すぐさま自転車を停め、そのバッグを抱え上げると丁寧に汚れを落としながら小走りにボクに近寄って来た。


「ごめんなさいっ。

 怪我しませんでしたか?」


「うっうん、大丈夫っ」


「これ……傷が……。

 ごめんなさいっ。

弁償しますっ」


新品感全開のバッグに、あまりにも新鮮味を帯びた傷が目についたようだ。


「いいよっいいよっ。

 どうせいつかは傷も付くし汚れるから。

気にしなくてい~よっ」


「えっ……

 でもぉ……」


「ほんとっ、大丈夫だって。

 それよりキミの方は大丈夫?」


「私?

 私は……全然……」


彼女の反応を見たとき、何とも間抜けな質問をしたことに気付いた。


「良かった。

 傘の柄がたまたま外を向いてたんだね。

気にしないでっ」


「でもぉ」


「ほんとにいいって。

 バッグの傷も別に気にならないし。

それに、ほらっ怪我もしてないからっ」


勿論、内心いろんな意味で凹んでいたが、努めて明るく振舞った。万年八方美人の悲しい性だ。ただ、一貫してバッグは定位置に確保する変な冷静さは失ってはいなかった。これも、小心者の徳だろうか……


「……本当にごめんなさいっ」


「うんっ。

 大丈夫っ」


彼女は深々と頭を下げ、自分の自転車まで小走りで戻りハンドルを握ると、振り返ってまた軽く頭を下げ、自転車をゆっくりと滑らせた。ボクは軽く手を振って……気付いた。


「あっ……」


もしかして今の、神様がくれた細やかなチャンスだったんじゃ……。このきっかけを不意にするなんて……。


「はぁ……」


まったく……

ついてない……。


 そんな感じで二度落ちしていると、さっきの彼女が、ボクの6~7m先で急に停まって、前を歩いていたお婆ちゃんに声を掛けた。二言三言、言葉を交わすと、お婆ちゃんの手荷物を受け取り自分の自転車の前籠に入れて自転車を押しながら横を歩いた。雰囲気からすると知り合いではなさそうだ。


「そのままチャリンコターボで

 優しいひったくりの成功だ……」


思わず、頭に浮かんだことが口に出てはっとした。こんな事を考えてる自分を客観視するだけで、自分が荒んでるのがよくわかる。普通なら少なからず感動まではしないまでも、感心の一つくらいはしただろうに……。軽い虚無感と自己嫌悪がさらにテンションを下げる。そう、たかが臆病な失恋で、『それくらいのこと』でボクの人格は瞬時にこうも変わる。人格とは少々大袈裟だが……。と……危ない危ない。いつもの癖で、また自分会議に入るとこだった。いや、既に入ってたか……。


 次第に目の焦点が合ってきた先には、先ほどの光景がまだ、親切が保全された状態でそこにあった。そんな光景すら、その時のボクには色褪せた景色の一つに過ぎなかったが、次の瞬間、ボクはその二人に釘付けになった。


「ん?……

 なんだ……

あれ……」



二人の頭の上に数字が浮いていた。


しかもゆっくりと回っている。



よく見ると、二人ともそれぞれに違う数字が表裏となって回っている。淡い紅色の数字と、薄い紫色の数字が……。今まで、人そのものが色付いて見えたことはあったが、それ以外の変化は初めてだった。


「……数……字……?」


数字という認識出来るモノが、見た事も無い光景としてそこに存在している。


薄紅色の数字は、

優しさというか温かみというか

心を癒されるとでも言えばいいのか

とにかく、心地よい感じだ。


対して、


薄紫色の数字は、

刺々しさというか禍々しさというか

軽い不快感とでも言えばいいのか

とにかく、あまり良い感じは受けない。


と、色自体も印象も今までと変わらない。ともあれ、あまりのことに、その数字は、前からそこにあってボクがそれに今気付いたのか、それとも、今急に出現したのか分からないが、確かに数字が浮いて回っていた。


 ボクは、極端にびっくりすると、いつも変な自制心が働く。本音を言えば、勿論、頭の一部は大パニックだが、根本的な疑問や現実から目を逸らそうとするあまり、強制的に冷静に『目の前の状況だけ』を把握しようとする癖がある。ある意味、現実逃避に近い。いや、ほぼ現実逃避だ。と、言うより、ただの現実逃避だ。他人事のように客観視して分析を始めるのだ。


お婆ちゃんの上には

薄紅色の数字が42、

薄紫色の数字は18……


女の子の上には

薄紅色の数字が92、

薄紫色の数字は37……


「な……なんだ……

 あの数字……」


ボクの思考回路が、失恋モノクロモードから切り替わるには十分過ぎる出来事だった。しかし、驚いたのはそれだけじゃなかった。数字が現れて数秒後、お婆ちゃんの薄紅色の数字が重く金属的な音を従えて41に変化した。と同時に、お婆ちゃんの胸の辺りから空色をした柔らかそうな、ま~るっこいつるぷりんな物体が『ポムッ』という小気味良い音と共に現れた。正確には、そう聞こえた気がしただけだ。そしてそのまま、ポテンッと落ちて2~3回軽く跳ねた。着地は絵に描いたように失敗していた。物体とは言ったが、確実に生命体だ。未確認生物だから、所謂『UMA』だ。畏怖など、微塵も感じないが……。


「あらら……」


数字の固い感じからは、想像もつかなかったその柔らかそうな生命体は、落ちてからほんの数秒じっと寝転んでいたが、不意に立ち上がると、キョロキョロと辺りを見回し、意を決したかのように、どこへともなく走り去った。ボクはそのお婆ちゃんのお迎えの瞬間を見てしまったのかとちょっと焦ったがお婆ちゃんが健在なとこを見るとそうではなかったようだ。


「生きているように見えたけど……

 妖……精……?」


高校生にもなって妖精とか想像するなんて思ってもみなかったが、幽霊でも妖怪でもなく……妖精……。この表現がしっくりくる。


 そんなことを考えていた矢先、今度は女の子の薄紅色の数字が、やはり金属音を伴って93に増えた。しかし、その時は、あの物体は見えなかった。数秒後、二人の頭上の数字は何事もなかったかのように周りの景色に溶け込むように消えた。ハッとして自分の上を見たが期待虚しく数字は浮いてはいなかった。周りにいた他の人達にも目を走らせたが、誰一人、数字が浮いてる人は勿論、他に色づいている人も、今の現象に気付いた人も居ないようだった。


「何だったんだ……

 あれ……」


 あまりの出来事に、ただただ呆然となったが、正気に戻ったところで、その二人に声を掛ける勇気などボクにあるはずもなく、暫くの間、その場に立ち尽くしていた。仮に声を掛けることが出来たとして、説明はすれば聞いてはくれただろうが、ただの可哀相な人か不審者として片付けられそうだと自制心が働いた。


昔からそうだ、もっともらしい理由をつけて、自分を守ることに一生懸命だった。他人に、自分の醜態を晒すのを極端に恐れ、自分から何かに飛び込むようなことは絶対になかった。と、いつものように自分会議で瞬時に楽な結論を出すと、談笑しながら、何気に楽しそうに交差点を左折していく彼女らを見送り、ボクはその交差点を直進して、まっすぐに家路へとついた。


 こうやって、今までもいろんなことから逃げてきた。こんな不思議なことがあって尚、これだ。一歩踏み出す勇気がない。いつも保身優先だ。これじゃいけないと分かっているのに、行動に移せないでいる。ボクはいつか変われるのだろうか……。大人という生き物になったら、自然と大人な男になるんだろうか……。と、またいつもの自分会議。何の結論も出ないまま、見慣れた家に帰り着いた。


「お帰りぃ~~~」


いつものテンションのおふくろさまの声が、心地よい夕食の支度の生活音と共に聞こえてきた。この感じはいつも落ち着く。まぁ~普通、自分ちなんだから当たり前と言えば当たり前だろうが……。


「ただいま~」


ボクも、いつも通りのテンションで返事をし、自分の部屋へと上った。いつも通り、お風呂を済ませると父さんの命日ということもあり、二人で遺影の前で手を合わせた。いつも絡んでくるおふくろさまも、ボクの様子から察してくれたのか、夕食中も、二言三言の会話を交わすだけで食後もそのまま絡まず開放してくれた。なんとなく疲れていたこともあり、すぐに自分の部屋へと滑り込んだ。


 おふくろさまは、えらく空気が読める。いつもならうざいを通り越して観念せざるを得ない位に絡んで来るのだが。それとも、ボクがあまりにも分かりやすいのだろうか。ベッドに横になって、あれこれ自分会議をしていると、時折軽い睡魔が邪魔をしたが、お陰で、ボクは失恋モードに浸ることなく睡魔に便乗したかのように普通に眠ることが出来た……訳が無いっ。夏の寝苦しさの中、失恋に加え、もっと眠れない出来事があったのに、普通に眠れる訳が無い。妄想と暴走の自分会議をしつつ寝落ちしてはいたが、その睡眠も、いつもの夢のおかげで限りなく浅い眠りにしかなっていない。


そんなけだるさをひきずって、時計を見ると午前7時過ぎ。気付けば、2時間以上の自分会議。幾ら癖とは言え、これは少々疲れる。もうひと眠りしようとしたが、8時から、お気に入りのアニメがあるのを思い出し、ひとまず自分会議を強制中断することにした。


 朝日がすっとカーテンの隙間から差し込んでくるのを無感情のまま眺めていると、光の移り変わりも自分会議の一時的な終息を促すかのようにボクに柔らかい陽光を浴びせた。あまりの心地よさに目を閉じ、軽く二回深呼吸をした。


「さてっ」


目を開けて時計を見ると9時ちょっと過ぎ。


「んっ?」


瞬きだと思ってたのに完全に堕ちてた。心地よさと自分会議に寄り添っていた睡魔に負けたようだ。


「最悪……。

 なんでそこピンポイントで寝るかな~」


その勢いのまま、ふて寝しようと目を閉じた。が、今度は何故だか爽やかに目が開く。


「あれっ……。

 何だよもぉ~。

 これじゃちょっと長い瞬きじゃん」


何回挑戦しても結果は同じ……長い瞬き。スキッと爽快に目が覚める。少々イラッとするのを抑えながら、いい加減寝るのを諦めてタオルケットを被ったまま再びぼ~っと天井を眺めつつ、軽く自分会議を再開した。


 あの出来事の後、自宅に帰りついてから、風呂でも、夕食時でも、勉強……はしてないかっ。兎に角、あらゆる場面で一人大討論会という名の自分会議。今もまた再開してる。それにしても、答えなんか出る訳が無い。あれはまさに『道での遭遇』……


「はぁ……」


睡眠不足のせいなのか、それとも、ただ単にセンスが無いだけなのか、改めて考えてみると、全然上手く無い。やはりセンスの方のようだ。まただ……また反れた。悪い癖だ。完全にパンパンパ~ンッて感じだ。


回る数字……。


この不可思議な現象と、父さんの命日、何か関係があるのだろうか……。答えの出ない自問自答……。そんな中だるみの自分会議の中、叩き慣れたテンポのノックが聞こえた。


「たかゆきぃ~。

 まだ寝てるぅ?」


おふくろさまだ。日曜日に起こしにくるなんて珍しい。大抵、お昼ご飯まで完全放置だ。ボクが思うに確信犯だ。朝食を作らなくて済むのが嬉しいに違いない。なのに、今日はどうしたんだ?何か約束でもあったっけっと自分会議をそちらに向けつつ


「ど~~~ぞっ」


とけだるく促した。ゆっくりドアが開き、いつものエプロン姿のおふくろさまが、顔を覗かせた。実年齢を感じさせないこの容姿のせいで、このかわいいエプロンを着けた姿も、違和感を感じさせない。まだまだ独身で通るルックスとオーラ。スタイルには人一倍気を遣ってるようで、息子のボクが贔屓目に見ても、感心するほどのスタイルだ……。誓って言うがマザコンではない。これは勿論、マザコンが良いとか悪いとか、そういう意味で言っているのではない。自分はマザーコンプレックスではないと言いたいだけだ。たぶん、そのはずだ。


「あらぁ~。

 もうぉ起きてたみたいねぇ。

 今日は雪かしらぁ~」


「なんじゃそりゃっ。

 コテコテだなぁ。

 てかっ、今夏だしっ」


あ~、徹夜明けとは言え、なんともセンスの無いツッコミだと自分でも思った。


「そのツッコミ面倒くさいわねぇ……。

 それにしても酷い顔ねぇ~」


「はぁ? 

 これは生まれつきだしっ。

 実の親に言われたく無いっ」


「バカちんっ。

 そういう意味じゃないのぉ~」


「わかってるっつ~のっ。

 付き合って上げたんじゃん」


こういう会話が、毎日のようにアレンジされつつ繰り返される。お互いにこのやり取りが日常で、別に苦ではない。むしろ、こうでないと調子が狂う。


「あ~らぁ~。

 我が子ながら優しい子ねぇ~。

 でっ、どうしたのぉ?」


「はぁ?

 おふくろさまが用があったんじゃね~の?」


「そうじゃなくてぇ~。

 そのクマよぉ~。

 く~まっ……。

ガオガオッ。

 ……寝てないのぉ?」


そう言いながら、熊のポーズ?をしてみせた。一瞬でもかわいいと感じてしまった自分に腹が立つ……。まぁ、もう慣れたが……。


「あぁ~。

 勉強のし過ぎっ」


と、いつも通り軽く乗ってはみたものの、もっと気の利いたことは言えないものかと自己反省しきりだ。


「…………」


おふくろさまも同感のようだ。


「あぁ~。

 もぉ~。

 なんだよその哀れみの目は。

 オレにもいろいろ考え事があんのっ。

 思春期なんだからほっといてくれよっ」


「あ~~~らそぉ~~~。

 思春期と反抗期が一緒に来るなんて、

 青春真っ只中で両手に花ねぇ~」


何気にチクッと刺してくる。


「うるさいなぁ~。

 ほっといてくれよぉ。

 それより何っ?

 用があるんでしょ~」


「あぁ~。

 いっけなぁ~~~いっ。

 エリちゃんが来てるわよぉ~」


「はぁ?

 なんでそれ先に言わないんだよっ」


「あなたの熊五郎ちゃんががいけないのよっ。

 ガオガオッ」


「誰だよそれ。

 しかも、ガオガオッて……」


「ここに呼んじゃおうかしら~」


「はぁっ?

 顔も洗ってね~しっ、

 ドパジャマじゃんっ。

無理無理無理っ」


「冗談よ~。

 私が恥ずかしいじゃな~いっ。

 早く用意なさいなぁ」


「おふくろさまっ、

 ちょっと相手して時間稼いでくれっ」


「まったくもぉ~」


「まったくもぉ~は

 こっちのセリフだっつ~のっ」


きっと、これもおふくろさまの計算の内だ。微妙なさじ加減で活かさず殺さず……。年増の小悪魔かっ……。ってそんな自分会議してる場合じゃないっ。たぶん、この自分会議すら想定内なんだろう。まったく。イラッとしながらも笑いがこみ上げて来る。それに気付いてまたイラッとする。これもいつものことだ。


 エリってのは同い年の幼なじみ。我が家から左へ2軒先にあるご近所さん。エリんちは元々この土地の出身で、うちは、ボクが2歳の頃越してきたらしい。その頃からの付き合いのせいか今ではすっかり家族ぐるみの付き合いだ。エリは小さい頃から社交的で、対してボクは引っ込み思案な為、常にエリが主導権を握っていた。本当の姉弟いや兄妹。これは未だに決着がついていないがそこに居て当たり前の存在という感じだ。中学生になりたての頃までは、幼馴染感全開だったが、いつしか、自然な距離感が生まれていた。今じゃ、良くも悪くも幼馴染の距離感を器用に保っている。

因みに、エリの両親はというと、金持ちを絵に描いたような感じだが、それを一切鼻に掛けてない上に、地元出身ということと、持ち前の社交性と親近感から、ご近所でも好印象を持たれている。ボク個人としては、おふくろさまが二人いるようで、ちと面倒臭いこともあるが全然不快ではない。向こうは、上品を絵に描いたようなおふくろさまだ。自分の都合で両方の母親に甘えてきた。そして、父さんが亡くなってからというもの、エリのおやっさんが父親代わりだ。父さんの実感も記憶もほとんどない中で、父親的存在として接してくれた。どんな感じなんだろう……。この年齢の、男子と父親の本当の関係って。たまにそう考えるが、おやっさんも最初の頃はぎこちなかったらしいが、今では、父親として真摯に接してくれている。そう感じる。ちゃんと怒られもしてきたし、普通に褒められもしてきた。キャッチボールもしてくれたし、自転車の練習にも付き合ってくれた。そして、そこには、いつもエリの姿があった。ボクも、少し前までは甘えたこともあったし、我侭も言えた。

流石に、今は昔と違って、本当の親じゃないことへの社交辞令と本音の葛藤はありつつ、良くも悪くも距離感は保てている。だから『父親』というのは、きっとこんな感じなんだろうと想像できるようにはなった。お互いの親も、お互いの子供に対していい意味で遠慮はしない。時にうっとおしく感じることもあるが、基本、感謝している。本当の親子と遜色ない。そのような感情で向き合ってくれている。


いか~んっまただっ……。

今は、そんな時間は無いのに……。


「そんな暇があったら急ぎなさいなぁ~」


「うわっ。

 まだいたんかっ?

 ってか居たなら止めてくれよぉ~」


「へっへっへ~~~」


「なんじゃその笑いわっ」


やっぱり読まれてる。魔女めっ。油断も隙もない。と言うよりボクが油断だらけ、隙だらけなんだろうか……。いや、だろうじゃなく、たぶんそうなんだろう……。いや、だからだろうじゃなくそうなんだろうのだろうでもなく……自分で訳がわからなくなってきた。


「元はと言えば、おふくろさまが

 用件を先に言わないからだろぉ~」


「文句言う暇があったら急ぎなさいなぁ~」


そういって今度はちゃんと退席したのを確認した。


「わかってるよ~」


と言いつつ、慌てて幼馴染用身支度最短コースで居間へ向かう。いくら幼馴染とはいえ、最低限の身支度はする。異性だし、思春期だし、恥ずかしいもんは恥ずかしい。最後に口臭とミラーチェックを速攻済ませ、居間に向かい、いざご対面。


「エリっ、待たせてごめんっ」


「んっ、おはよっ」


「おはよっ」


「こっちこそ、ごめんね急に」


「全然いいけど……どした?

 うちに来るなんて久しぶりじゃん」


「うん。

 ちょっと気になることが……」


「気になること?」


「うん。

 それより、ふふっ……。

 ごめんっ、まだ寝てたんだね」


「えっ」


なんでわかった? 時間がかかり過ぎたか?と俊足自分会議をするも、答えなど分かるはずもなく、


「いやっ、誓って寝てはいない。

 徹夜で勉強っ」


と、微妙な真実とみえみえの嘘で、もう、自分でも意味がわからない。


「勉強……そっか~。

 それでそんな芸術的な髪型なんだね……」


とエリがクスッと笑った。


「へっ?」


と頭に手をやると、まさにベートーベン的な髪型の感触がそこにはあった。しかし、寝てないんだから寝癖など付くはずも無く、いや……、横になってる時点で寝癖の可能性は有りか……。て言うか……、ちょこちょこ寝てたんだった……。まぁそれはどうでもいいとして、何故ミラーチェックで気付けなかった?いつもなら確実に引いて確認するのに、こんなときに限って……。


ついてないよまったく……。


「ちょっと……ね……。

 作曲に行き詰まっててさ~」


素の恥ずかしさの照れ隠しで顔中がひきつってるのが良く分かる。


「…………。」


真顔のエリが、ボクをまじまじと覗き込む。魔の……間だ……。


「おっ……お願いだから何かつっこんで。

 この髪型で作曲といえばベートーベンだろ。

 ほっとかれると永遠に帰って来れなくなる

じゃん……」


「じゃじゃじゃじゃ~~~~~んっ。

 自分会議してた割りに

 おもしろくなぁ~~~~いぃ~~~」


と聞きなれた神の声が直ぐ傍で聞こえた。


「うわっ。

 少々びびった」


「ふふっ」


「おふくろさまに言ったんじゃね~しっ。

 しかもなんでまだそこにいんのっ。

 ご丁寧に曲付きで……

嫌味かっ。

ってか、エリわざと黙ってただろっ」


「なんでってぇ、

 ある意味面白いからよぉ~。

 ごめんねぇ~エリちゃ~ん。

こんな微妙な子を生んだ私を

許しておくれでないかいっ。

いや、見方によっては

 ある意味面白いかしらねぇ……。

 やるなぁ~おぬし。

全て計算済みかえぇ~」


「なっ、なんじゃその一人ボケ突っ込みは。

 オレのこのセンスって遺伝じゃねっ?」


いや……だとしたら、それなりに面白いはず。じゃ~ボクのは独学ということか……。いやいやっそんなことはどうでもいいっ。いやっ、良くはないが、今はいいっ。


「まぁ~~~。

 この子ったら、失敬なっ」


「まぁ~が長いよっ。

 それに失敬って……」


「ふふっ」


蚊帳の外から観覧中のエリが笑った。


「今、笑っただろっ、エリッ。

 おふくろさまのには笑うのな~

オレ自身のセンスの無さを

痛感してしまうだろっ。

もっと、オレに優しさというもんを……

ちぇっ、ま~い~やっ。

でっ、どうした? 

って、おふくろさまっ、

何でどさくさに紛れて

そこに座んだよっ。

下行けよ、下に~。

エリが話しずらいだろ~」


「あらぁつれないわねぇ~

 エリちゃんは絶対に嫌がらないわよぉ~

 ね~エリちゃんっ」


「もちろんっ」


「ほぉ~らぁ~」


「当たり前だっ。

 そんな露骨に嫌がれるかっ」


「本当に大丈夫だよ~」


「そうよっ、そうよっ。

 邪魔なら邪魔って……

えぐっえぐっ」


「あぁ~たかゆきぃ、

 おかぁさんを泣かせた~」


「うわ~面倒くせぇ~。

 エリも乗らなくていいからっ」


「えへへっ」


「しょうがないわね。

 たかゆきがそんなに嫌だって言うなら

出て行こうかしらぁ~」


「そういう言い方やめれっ。

 ストレス貯金が貯まるからっ」


「満期には

 特別大サービスがついくるわよぉ~」


「満期イコール入院ですっ……」


「あいやぁ~」


「何で、なんちゃって中国系なんだよっ」


「愛よっ。

 あ~いっ」


「わ……訳がわからん……」


「ふふっ」


「可笑しくないっ」


「二人とも楽しそうっ」


「楽しくないっ……こともなくもない」


「ややこしぃねぇ~」


「ん……そお?」


「うんっ」


「あ~らっエリちゃんには素直だことぉ~

 こりゃ将来、尻にしかれちゃうわねぇ。

 エリちゃんっ、こんなふしだらな……

 違った……いや……合ってるかしら」


「おいっ」


「冗談よぉ~こんな不束者ですが

 よろしくねぇ~エリちゃんっ」


「えっ、冗談ってそこぉ~?」


「こちらこそ、不束者ですが

 よろしくお願い致します」


「えっ……」


この社交辞令なやりとりの会話が、効力を持つんじゃないかと勝手に妄想した。


「いえいえ、こちらの方が不束者で……」

「いえいえ、こち……」

「おいっ。もうっ終わんないからっ」


「しょうがないわね~。

 開放してあげようかしらぁ~。

 でも、おぬしっおいたしちゃ~

 あっしが許しやせんぜぇ~」


「おいた? おいたって何だよ……。

 意味分からんけどしません絶対、

 そんなこと……。

しかも方言も時代背景もばらばらだな~」


「ふふっ」


「ほらみろ~またエリ笑った。

 早く行けよおふくろさま~~~。

 美味しいとこ取りはやめてくれ……」


「はいはいっ。

 じゃ~拙者はこれにてっ、どろんっ」


「ふふっ」


「拙者って……しかも、どろんって……。

 ん~オレの変なノリはやっぱ遺伝だなっ」


だが、おふくろさまの方が桁違いにテンポが良い上に面白いのがちょいむかつく。これがオリジナルのポテンシャルかっ。しかも、ご丁寧に忍者な成りで退席した。芸が細かい上に、完全に自分が楽しんでる。て言うか、あれはもう地だな。


「おかぁさん、相変わらず面白いよね。

 昔から変わんないねぇ~」


「まぁねぇ。

 でも、たまにイラッてするぞ」


一応、照れ隠しの社交辞令を言ってはみたが足の先ほどの罪悪感にも似た感情が過ぎった。


「ふ~ん……

 でも、羨ましいなぁ。

 賑やかで楽しそうっ」


「そっかな~。

 賑やかは賑やかだけど……」


「でしょぉ~。

 明るい家庭って素敵だよっ」


「エリんとこだって、

 おやっさんも、おふくろさまも

めっさ優しいじゃん」


「そ~なんだけど……

 面白みが……」


「面白み? 

 優しいので十分だろっ。

 ぜ~たくだっつ~のっ」


「ま~そうだけど……。

 でも、やっぱり羨ましい」


「そんなもんかね~。

 でっ、どした? 何かあった?」


「あっ、うんっ……。

 実はね、昨日気になるモノ見ちゃって」


そう言うエリの表情には、昔の幼馴染の遠慮ない気軽さはなく、幼馴染と友達の間を彷徨うかのような迷いが感じられた。その変化に、寂しさを感じつつもそこに触れる勇気はなかった。


「気になるモノ?

 なに?」


「下校途中だったんだけどさぁ。

 あのお婆ちゃんのタバコ屋がある

 交差点があるでしょ~」


「あ~。

 あの人形みたいにほとんど動かない

お婆ちゃんがやってる

 あのタバコ屋の交差点だろっ」


「うん、そう。

 昨日の夕方ね……、

その交差点の手前でさぁ、

 たかゆきを見かけてさ……。

 あれ……何だったんだろうって、

 気になっててさ~」


「昨日の夕方?

 ……えっ?

 あそこにエリいたの?」


「うん」


「なんだ、声掛ければ良かったのに」


「うん……」


「何?

 オレ何か変だった?」


「うん……。

 声掛けようとしたんだよ。

 したんだけど、たかゆき硬直したまま

 前を歩く女子高生とお婆ちゃんを

 ずっと凝視しててさ~。

それを見てたら、

何だか声を掛けるタイミングを

逃しちゃって……」


「あ~。

 そうだったんだ……」


「うん。

 今更、色が付いて見えたくらいで

あんなになんないだろうし……」


「オレの挙動が気になったってことは

 数字が見えたんじゃないんだ……」


「数字?

 数字って?」


「あっ……いや……」


「たかゆきには数字が見えてたの?」


「う……うん。

 エリは何も変なモノ見なかった?」


「え?

 たかゆき以外に?」


「おいおい……。

 そっか、ということは、

 やっぱオレにしか見えてなかったのか」


「数字?」


「うん。

 まだ会議中で結論が出てないけど」


「いつもの自分会議?」


「そっ」


「議題はな~にっ?」


「議題?

 ……議題?

 今までそんなの考えたことなかったな~。

 議題か………なるほど………。

 それでいつもぐだぐだなのかなぁ~」


「今まで議題なしで会議してたの~?」


「うん」


「それじゃ~ぐだぐだになっちゃうかもね。

 ふふっ」


「確かにな~。

 次からはちゃんと決めよう」


「その方がいいかもねぇ。

 で?

 今回は何の井戸端会議?」


「井戸端……。

 エリ、意外と辛口だなっ」


「幼馴染の特権かなっ」


「にゃ~るほど」


「で?」


と、さらっとしてはいるものの、その目は、興味津々、オーラは臨戦体制の女豹状態だ。


「おいおいっ。

 興味津々だなっ」


「は~や~くっ」


「へいへいっ。

 実はな、はっきり数字が見えたんだよ……」


「うん。

 言ってたね……」


結論も出てないのに、エリに口火を切ってしまった。正確には『言わされた』が正解だ。


「んっ?

 驚かないの?」


「だって、具体的に言ってくれないと

 驚きようがなくない?」


「ははっ、確かにっ」


「で、数字がどうしたの?」


「数字がさ、回ってたんだよ……。

 頭の上で」


「頭の上?

 誰の?」


「あの時、オレの前にさ、

 同じ学校の女の子と

 お婆ちゃんが居ただろ」


「たかゆきが凝視してたあの二人でしょ」


「そっ。

 あの二人の頭の上にさ、

 回ってたんだよ……数字が」


「……ごめんっ

 ……意味がわかんないっ」


「だろ~。

 オレも初めてで、訳分かんなくてさ。

 なもんだから史上最高の自分会議を

 繰り広げていたのよ。

ほんの今しがたまで」


「でっ、結論が出てないって

 さっき言ってたんだ~。

要は、冷静にパニックってた訳ね一人で」


「そっ。

 だってオレというより……

 人知の理解を超えてるだろ。

エリもあれ見たら、

きっとオレと同じになるぞっ」


「かもねぇ。

 話を聞く限り、意見やアドバイスすら

 思いつかないもんなぁ~」


「って言うか、信じてるのか?

 オレの話」


「ん?

 だって、見たんでしょ」


「あぁ。

 見たけど、あまりにも突飛過ぎて

 誰にも言えないな~って思ってたから」


「でも、私には話してくれたねっ」


「ん……うん」


「たかゆきには昔から不思議なことが

 よく起こるもんね」


「普通、怖くないか?

 そういうヤツ」


「普通はそうかもね。

 でも、たかゆきだからさっ。

 たかゆきは、

色んな意味で普通じゃないしっ。

 小さい頃から、

そんなたかゆき見てたから、

 全然、怖くないよっ」


「やっぱり、普通じゃないよな、オレ」


「ふふっ。

 そういう意味じゃないよっ。

 それに、昔から私には

 隠し事とか嘘とか無かったし、

 今も、ちゃんと話してくれたでしょ。

 だから怖いとか全然ないんだっ」


「さっきのは勢い……って言うか、

 エリの誘導尋問にひっかかったんだよ」


「あれのどこが誘導尋問なのぉ。

 純粋に聞いただけじゃんっ」


「オレには十分な誘惑になったのっ」


「誘惑?」


エリがすかさずツッコミを入れてきた。


「誘惑?」


ボクは、ただオウム返しになってしまった。


「今、たかゆきが誘惑って言ったんだよぉ~」


「ちがっ……ごっごめんっ。

 誘導に訂正っ」


「面白い……、たかゆき……」


やっと、ボクに向けて笑ってくれたようだが何か違う気がして微妙に満足できなかった。


「面白くないっ。

 しかも微妙に嬉しくもないっ」


「えへっ。

 でも、何なんだろうね……。

具体的にどんな感じだったの?」


「あの時さぁ、あそこに居た二人の頭上で、

 薄紅色の数字と、薄紫色の数字が

表裏一体になって右回りに回ってたんだ」


「その二人は、

 いつもの様に色づいて無かったの?」


「あぁ、全然」


「人自体に色が付いてたんじゃなくて、

 数字についてたんだ……」


「あぁ、そうなんだ……。

 数字までは覚えてないけどな……」


「そっかぁ」


「でなっ、数字が現れてすぐ、

 お婆ちゃんの方の薄紅色の数字が

 確か『1』減ったんだ。

 あって思った瞬間、

お婆ちゃんの胸の辺りから

 空色をした美味しそ~な物体が

 1つ出て来たんだよ。

オレはそのお婆ちゃんに

 お迎えが来たのかとちょっと焦ったけど、

 出て来るなり普通に落ちて

 勢い良く走って居なくなったんだ。

 そしたら、

今度は女の子の薄紅色の数字が

 『1』増えたんだ。

でも、それは別に

 何も起こらなかったんだよな~。

 ただ数字が増えただけだった。

 その後、すぐにその数字は両方とも、

透き通るようにスウ~ッと消えたんだ」


「へぇ~……。

 何だったんだろう……」


「分かんねっ……。

 でも気味が悪いとか、

怖いとかいう感覚はなかったな~。

 不思議というか……。

どっちかというと、

 明るいイメージだったな……」


「そのときは、薄紫色の方の数字に

 変化は無かったんだね……」


「あっ、確かに……

 そういえばそうだな~」


「でも、何で数字になったんだろうね……」


「オレの魂が抜けかかって、

 臨死体験しかかってたからかもなっ」


「魂?

 何それ?

 ふふっ何かあったの?

 それはそれで興味があるなぁ~」


「それは秘密っ」


「えぇ~、教えてよっ」


「やだっ」


「もうっ、け~ちっ」


そう言って、イ~ってして見せた。


「けちで結構っ」


ボクはふんぞりかえって見せた。


「あぁ~、かわいくな~いっ」


と口を尖らせたエリに不覚にもキュンと来た。


「へっへ~」


と、表向きは平静を装ったが、装いきれてない自分がいた。久しぶりに、希少な優越感に浸れると思ったが、キュンとした時点で、いつもの立ち位置に戻った。


「で……。

 おかぁさんに相談とかしてみた?」


「いやっしてないし、しないっ。

 エリに聞いてもらって

 ちょっとすっきりしたし……」


「そう……。

 でも、ちょっとでも

 すっきりしたなら良かった」


「おうっ。

 ありがとなっ。

………いろいろと」


「んっ。

 いいよっ」


この絶妙なタイミングでノックが入った。


「はいよっ。

 どうぞ~」


「紅茶いれたよぉ~。

 おふたりさんっ」


「おっ。

 サンキュッ」


「ありがとっ。

 おかぁさんっ」


「それにしてもぉ、

 世の中、不思議なことがあるもんねぇ~」


「ブ~~~~ッ」


「あらまぁ。

 汚いわねぇ~おぬし~」


「立ち聞きしてたのかっ、

 おふくろさまっ」


「立ち聞きも何もぉ、

 この家は壁が薄いんだから筒抜けよぉ。

 夜は夜であなたが一生懸命、

 何の勉強か知らないけど

 ギシギシ、ミシミシやってるのもねぇ」


「お~いっ。

 おいっおいっお~~~いっ」


「あらまぁ~この子ったらぁ~。

 照れちゃってぇ~」


「なっ、何を言い出すんだっ。

 こんな時にっ。

 プライベートの侵害だっ。

 もういいからあっち行けよぉ~」


「へいへいっ。

 邪魔者はこれにてっ。

 でも、まだ勉強の成果を試しちゃぁ

だ・め・よぉ~。

エリちゃんも

 私のかわいい娘なんだからぁ~」


「なっ……、なんなんだよぉ~。

 もぉ~、早く行けよぉ~」


クスクスッと、ほんのり赤面したエリが笑った。おもいっきり、微妙な空気を残し、おふくろさまが威風堂々退場していった。何なんだ、あのしてやったり顔はっ。お陰でめっさ話しずらくなった。


「…………」


「…………」


夜の勉強の話題から生まれた変な間を、容赦なく打開したのはエリだった。


「ね~何の勉強してるの?

 ギシギシと?」


赤面してるくせに、何気に楽しんでるエリは絶対Sだ。ドSに違いない。


「エリの想像通りだよっ」


こっちも負けてられない。


「勉強……、見てあげよっかっ」


「えっ」


「な~んてねっ。

 たかゆき、かわいいっ」


ここで試合終了~

惨敗です。惜敗じゃなく……


ついこないだまで、この違いも読み方も分からなかったけど、今は知ってるんだよ~と現実逃避一歩手前……。あ~。なんで精神年齢は女性の方が高いんだ? 参りました。参りましたよまったく。おふくろさまといい、エリといい。何か手のひらで転がされてる気がする。いや、転がされている……確実に……


「私も見たいな~」


「なっ」


「違うよぉ~。

 その数字とつるぷりんちゃん。

 まぁ、もういっこのも、

 見たくないこともないけど……」


「あ~、そっちね~。

 ……もういっこ?……。

 それは却下。

ってか、何もしてないしっ。

 しかもつるぷりんちゃん?

 なんだか、一気にファンタジーだな~」


まったく、この大事件が『夜間勉強事件』で蔑ろにされるとこだった。


「ね~、見えるようになったきっかけとか

 思い当たることないの?」


「きっかけ……。

 ないことも……、ないけど……」


「ん?

 なになにっ?」


「死んでも教えんっ」


「え~、それがきっかけだったら

 どうするのよぉ~。

きっかけさえ分かれば

 色々分かるかもしれないじゃんっ」


親身な物言いとは裏腹に、瞳が爛々と輝いている。


「…………」


「たかゆきはどうしたいのぉ?」


と、煮え切らないボクに、恐らくわざと前かがみで大接近してきた。これは絶対、ボクの反応を楽しもうとしている。と構えたが、香りと襟元から覗く胸の谷間で思考回路が一瞬にしてショートした。


「どう……したいか……

 どう……したいか……」


もう言葉ではなく呪文だ。ボクが今この時をどうしたいか……。エリとどうしたいか……。妄想暴走列車が発射寸前です。


「真相を知りたいとか

 思わないわけじゃないでしょ?

自分会議してたくらいなんだから」


と、際どいタイミングで距離をとった。小悪魔だ。将来はきっと小悪魔大魔王だ……。


 と、その時、不意に幼馴染に異性を感じたことに気付いた。たぶん、今までもそういうシチュエーションはあった。あったが、恐らく、無意識に避けていた。世間一般の自制心が働いていたんだろうか。エリは美人だし、可愛いし、天然だし、気は利くし、スタイルだっていい。ほんの少しの頑固さと時折見せる小悪魔感がいい具合にアクセントになっている。あくまでボクの主観だが。いや……、単に好みなだけか……。あれっ、やっぱり意識してる……。今更ながらに、見て見ぬ振りをする必要がないことに気付いた……。というより、受け入れたといった方が正解か。ボクは、この時、エリを昔から異性として認識していたことを再認識させられた。


「真相、もちろん知りたいよ」


「だったら、気になることは

 視野に入れた方がいいよぉ~。

 私に言いたくないなら、

 それでもいいけどさぁ~」


「……振られたんだよっ」


自分でもびっくりするくらい、勇気も覚悟も必要なく、あっさりと口から出た。


「えっ?

 振られた?

 たかゆき、好きな子いたのっ?」


エリの声が一瞬、複雑な例えようもない空気を帯びた気がした。それを聞いた瞬間、ボクは我に返った。


「好きな子っていうか……、

 憧れてたというか……、

 高嶺の花……だったかな……」


「へぇ~。

 告白する勇気あったんだぁ……。

 あっ変な意味じゃないからねっ。

 でっ、どんな子?

 かわいい?

 私の知ってる子?」


「隣のクラスの子。

 エリの知らない子だよ、たぶん。

 告白せずしてふられたのっ」


「へ~そっか~。

 残念だったね……」


エリの声のトーンが……と考えている時、エリの顔をまともに見れていなかった事に気付いた。


「え?

 それだけ?

 詳しく聞かないの?

 なんなら笑ってもいいんだぞ」


慌てて取り繕うのが精一杯だったが、実際には、きっと取り繕えてはいない……。自分自身、頭の整理が出来ていなかった為、エリに色々考えさせる時間を与えたくなかった……。


「えっ?

 聞きたいけど、でもなんで笑うの?

 それに根掘り葉掘り聞かれたくないでしょ。

 たかゆきらしいと言えばらしいけどさっ

 でっ?

 それがきっかけだと思うの?」


それだけ? と口に出せない距離感といつもと変わりないエリの様子に意識をひっぱられていた。


「それ以外に

 思い当たることが無いからなぁ」


いろんな意味で凹んでる自分に気付いた。ちゃんと考えてくれているエリに、そっちじゃなくてさ~と軽くつっこめない意気地なしの自分にがっかりもした。


「ということは……、やっぱり、

 頭打ったとかの肉体的なことじゃなくて

精神的なショックが原因なのかなぁ」


「どうだろ……」


「何かスイッチが入っちゃったとか?」


「かもな~。

 世の中の失恋経験者は

 皆見えてたりして……」


「じゃ~。

 私も今日から見えるのかなぁ……」


「えっ?

 エリも振られたのか?」


意外という理由とは別にかなり動揺した。


「ん?

 冗談よ……」


そう言ったエリの笑顔は少し寂しそうだった。もしかしてという自分本位な妄想をしたが、偶然、エリが今日振られてたとしたら……。そこに触れる勇気などボクにはなかった。


「精神的なショックか……。

 幻覚とかじゃないんだよね?」


「ん~、無くもないかもな~。

 でも、それにしてはリアルだったな~。

 あっ。

でも、その後に1回だけ、

 元々の色づく現象があったんだ」


「えっ?

 そうなの?」


「うん。

 よしゆきと別れてから、

あの二人に会うまでにあった事と言えば、

その二人のうちの女の子の自転車との

接触事故もどきがあったけど、

 体にそこまでの衝撃や、

何か特別な事があったわけでもないしなぁ」


その流れで、一通りよしゆきとの出来事から二人に数字が見えるまでの経緯を話した。それを聞いたエリが唐突に言い放った。


「たかゆきっ。

 今日デートしてあげよっかっ」


「……デ……デート?

 オレとエリが?」


「ふふっ。

 そこは『あげるって何だよ』でしょっ」


まさに青天の霹靂だった。その言葉に、反射的にエリを見た。さらっと流れるような言葉の割りに表情は少しだけ緊張しているように見えた。


「あぁ……

 嫌がってる~」


「いや、全然そんなことないよ。

 でもどうして急に?」


「なんとなくっ。

 あっ、もしかして今日、用事とかあった?」


「な~んもない。

 でも、いいのかエリ?」


「ん?

 何が?」


「いや……。

 オレと……デート……」


「ん?

 なんで?」


「いやっ……。

 したこと……ないからさ……」


一瞬で、今までの二人の育ってきた環境には血の繋がりという壁が無い事実に改めて気付いた。


「うんっ。

 したことないねっ。

 でもしちゃいけないことないでしょ。

 それに、もしかしたら、

 今日私にも見えるかもしれないし。

 もし、私に見えなくても

 たかゆきに見えたときに

 何が起きてるのか

 分かるかもしれないでしょっ。

 今の時点で原因が分からないんだから

 考えててもきっと答えは出ないよぉ。

 いっそのこと、もっと経験すれば

 何か分かるかもしれないよぉ」


「ははっ。

 相変わらず行動派の

ポジティブ女子だなっ。

 でも、色々あんがとっ」


「いえいえっ」


「初デートだ……」


「うんっ。

 初デートっ」


たぶん、このタイミングにお互い違和感はあったが、このアクシデントのお陰で、ボク自身は、色んな事と向き合えた気がした。この瞬間、今までの関係に新しい風が吹き込んできたのを感じた。たぶん、完全に異性として意識した瞬間……と言うよりは、それはありなんだと、自然なんだと自分に言い聞かせた瞬間だった。


「しようっ」


「うんっ。

 そうと決まれば、

 私、今から着替えに帰るねっ」


「えっ?」


「えっ?」


「着替える?」


「うんっ。

 折角のデートだもんっ」


「そっか……だよなっ。

 じゃ~オレも速攻着替えて迎えに行くよっ」


「迎えに来てくれるの?」


そう言ったエリの笑顔は、いつもの笑顔に戻っていた。


「あぁ、勿論っ」


「うれしっ」


エリの笑顔が余所行きのそれではなく、素の笑顔だと感じて嬉しかった。


「おかぁさ~んっ。

 お邪魔しましたぁ~」


「あらぁ~。

 エリちゃんもう帰るのぉ~?

 またいつでも遊びにいらっしゃ~い」


「は~いっ」


そう言って玄関を後にするエリが、幼馴染の女の子としてじゃなく、恋愛対象に成りうる『女の子』に見えた。


「エリ、気をつけてなっ。

 また後でっ」


「うんっ。

 後でっ」


 今回のデート、これをきっかけに、エリと向き合い、スタートラインに立てるという思いが芽生えた。しかし、その反面、このデートへの高揚感は、振られた寂しさを紛らわせたいだけの、一時的なものだとしたら。複雑な心境が入り乱れるが、今は、正直分からない。昨日までの憧れやら失恋はなんだったんだ。都合よすぎる自分に少々不信感が募るが、今はその自分会議は止めることにした。今日は、自分の気持ちに素直に従い、自分の気持ちを、自分自身をさらけ出して確かめたくなった。この時点で、目的を履き違えている事くらい分かるが、これが、今できる自分へとエリへのけじめであり、誠意だと思った。結果として、数字に対する答えの糸口も見えてくる様な予感がしていた。


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