これからが楽しみだネ
意識がとんでいた。正しく言うと、とんでいたらしい。
気が付いたら僕は芝生の上に転がっていたのだ。身体の節々に痛みを感じる。
特にひどいのは腰だ。ズキズキと痛んで僕を唸らせる。
「ぅ……」
少し身体を起こそうと、芝生に手を付いたら腰に響いた。
あれ、僕は今、何故ここにいるのだ。と、いうよりは、ここはどこだ。ゆらがいない、脳内に。
たしか、僕はベッドの中にいて……。
あ、ゆらに連れてこられたのだ、異世界に。
ということは、ここは異世界なのだろうか?
周囲を見渡すと、人影はまばらにあり、小さな民家のような建物が沢山建っている。それらは一つ一つが違った色で、カラフルだ。
しかしとても小さく、きっと中には1部屋しか無いのだろうと思われるくらいの小ささだ。
庭は無く、カラフルな建物は、遊歩道のようなこれまたお洒落な道に沿って並んでいる。
空は明るく、正に澄み渡る空というものだ。
どこか玩具の世界のような、変なミニチュア感のするここは、一体どこなのだろう。
そして、ゆらはどこにいるのだろう。
僕は、このままここに座り込んでいても意味がないと思い、ゆっくり立ち上がると、建物が沢山集まっている円形の広場のような場所へ向かった。
ここからさほど離れていないし、人も多そうだ。少しでも事を進めたいのならばそこへ行くしかないような気がした僕は、痛む腰を押さえながら、ゆっくり歩いた。
広場の中心には噴水があり、何故かどこかで見たことのあるような、絵本の世界にありそうな風景があった。
ゆらは、どこだろう。
どんな人なのだろうか。身長はどれくらいなのだろう。どんな声なのだろう。僕は少し不安になり、俯いた。
広場の中心辺りへ来ると人の声が騒がしくなったように大きく聞こえた。やはり、人の多さと騒がしさは比例するのだろうか。
僕は、いつも脳内で会話してくれるゆらがいないのはこんなに寂しさを煽るものだったのだろうかと思った。
僕は噴水の前で立ち止まると、ちょうど近くにあったベンチに腰かけた。
先ほどまで、僕は不安と好奇心に支配されていたのだが、今はだいぶ不安に支配されている。
何も知らない所で、周りは知らない人達で、頼れる人の姿は分からなくて、僕は涙が出そうになった。
ベンチに座ったまま俯き、自分の両手を見る。何も変わっていない。
服装も、部屋に居たときと何ら変わったところは見当たらない。
さて、これからどうしようか。
まず、ゆらを探そうか。
どうやって? さあ、知らないよ。
僕はどうしようも無くなってしまった。その時、少し遠くから、誰かの大声が聞こえた。
「おーい! るなー! どこー!?」
拡声器を使ったその人物の大声は、僕の名前を呼んでいた。
周囲の人達がざわめく。
しかし、今はそんなことどうでもいいのだ。
あの人はゆらだ。きっとそうだ。僕の名前を呼んでいた。ならば、僕も返事をしなくては!
「ゆらー! ここだよー!!」
拡声器を持った人物は、僕が一度叫んだだけでこちらに気が付いた。すごい聴力だと思う。
拡声器を持った人物は、人を避けながら走って僕の方に来た。
ベンチから立ち上がった僕は、その場に立ち尽くしていた。
あの人がゆらなのか?
僕の前1メートルほどの所で立ち止まったその人は、待ちきれないと言うような笑顔で僕に語りかけた。
「キミはるな?」
僕は迷うこと無く答える。
「そうだよ! 君はゆら?」
たぶんそうなのだが、確認と歓喜の意味合いを込めて質問する。
すると、その人物は嬉しそうに目を細め、僕に抱きついた。身長は僕と同じくらいだ。たぶん、170くらいだ。およそ、体格も僕と同じくらい。
「るなはこういう人なんだネ! 嬉しくて舞い上がっちゃったヨ」
ゆらは楽しそうに抱きついたまま言う。
僕はいきなり抱きつかれた衝撃で浮いてしまった両腕を、不器用ながらもゆらの背にまわした。
「ゆらも、そういう人なんだね。初めて見た」
ゆらは、僕から離れると、僕の両手をとった。
「そう。ボクはこういう人。るなは可愛い顔をしてるネ」
可愛いかどうかは知らないが。ゆらは、イケメンだった。
なんというか、僕と同じくらいの身長の筈なのだが、スラッとしていて格好がいい。
「ゆらは身長どれくらいなの?」
咄嗟に聞いてみたくなってしまった。僕とゆらはどちらが高いのだろうか。
ゆらは一瞬面食らったような顔をすると、笑った。
「るなと同じだヨ。ボクはるなから生まれたからネ。あ、詳しい話はボクの家でするから。着いてきて」
るなは、自分の右手で僕の左手をとって、歩き出した。この頃には、何故だか僕の腰の痛みはほとんど無くなっていた。
ゆらは楽しそうに笑いながら歩いている。
どこへ向かっているのかは分からないが、広場からは少し離れ始めている。しかし、やはり僕たちが歩いている道の両脇には小さな建物が並んでいる。カラフルで可愛らしい。
不意に、ゆらが立ち止まった。そして笑顔で僕の方に振り返ると、僕の手をとったまま少し止まった。
僕は何か不都合があったのかと、思わず身をこわばらせた。
「……そういえば、るな、その服でずっと過ごすのもなんかあれだネ」
いきなり何を言われるのかと思えば、服の事だった。僕は別にどんな服でも大して気にしないのだが。
何があれなのだろうか。
「ボクが新しい服買ってあげるヨ。るなは、男物と女物とどっちがイイ?」
いや、どっちと言われても、そりゃあ勿論男物だと言わせてもらう。僕は生物学上男だ。
「男物。僕にそんな趣味はないから」
僕がそういうと、ゆらは少し残念そうだった。なんでだ。
「えー、顔が可愛いから似合うと思うんだケド……」
そういう問題ではない。
「絶対嫌だ」
「……じゃあ、服を買いに行こうネ。るなは、白と黒、どっちが好き?」
僕は、黒も好きだが、白の方が好きだ。
「白かな」
そういうと、ゆらは今度は嬉しそうに笑った。
「そっか。じゃあ、あの店に行こう」
ゆらは再び僕の手をひいて、比較的近くにある、小さな赤い建物に入った。
僕の身長より少し低いくらいのドアを開けると、建物の中は、意外に広かった。そして、少し新品の洋服の匂いが鼻をついた。
建物の中には、色々な服が並んでいてとてもカラフルだ。
僕が店内に見とれていると、ゆらは僕の手を離し、カウンターに立っている、一人の男性に声をかけた。
「ネルさんおひさー。ちょっとこんな服が欲しいんだケド……」
そういうと、ゆらはカウンターにあったペンで、カウンターにあった紙に絵や文字を描き始めた。
僕は入り口近くで呆然としていたが、楽しそうに話すゆらと店の人には何となく近付き難かった。
僕は、店に飾ってある洋服を見て回った。異世界の服は、意外とあっちの世界となんら変わらない。もはや同じだ。
何故だろうか……。
僕がそんなことを考えながら、店内を回っていると、いつの間にかゆらが店の人と離し終わっていた。
ゆらは僕の方に来ると、笑った。
「あともう少しで服できるみたいだから、待っててネ」
なんだか、少しワクワクしてきた。新しい服を人に選んで貰うというのは、こんなにも嬉しいことなのか。
僕はゆらに頷くと、店内の徘徊をストップした。
店の中は大体見終わったし、後は服を待つだけだ。
気持ちが落ち着かない。僕がソワソワしていると、ゆらはその整った顔に微笑をたたえて僕の事を見ていた。
僕は何故か更に落ち着かなくなってしまう。
そして、僕は店の人に洋服ができましたと伝えてもらうまで、ソワソワしたままそこに立ち尽くす事になるのだ。