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永遠の愛

 ステージの脇から、ダークグレーのスーツに紫と白のチェックのネクタイをした翔お兄ちゃんが顔を出した。さっそうと歩く姿には何の迷いも感じられない。翔お兄ちゃんは、お父さんの立っている位置から一メートルくらい離れた場所で止まり、軽く会釈をしてお父さんの手からマイクを受け取った。

「しばらくお休みをいただいてましたが、今日から復職しました」

 翔お兄ちゃんは、ステージ上から生徒たちの方に向かって深くお辞儀をした。同時に、彩夏が興奮冷めやらぬ様子で翔お兄ちゃんを怒鳴りつけた。

「先生! どういうことなの?」

「保健室の中田先生と僕の間には何もありません」

 講堂中が一斉にざわめき立った。そして私の頭も混乱し始めていた。少し痩せた翔お兄ちゃんの姿を目で追いながら、隣に座る理香に質問を投げかけた。「記憶戻ってる……よね?」

「三日前にひかるのお父さんと一緒に先生の病室に行ったの。そこでこれまでの出来事を全部話したんだ。その時の先生はまだ記憶がなくて理解不能って顔だったけど、後から病室に入って来たひかるのお母さんが紫のチューリップの花束をたくさん抱えててね」

「それで? まさかチューリップの匂いで記憶が戻ったとか?」

「うん。プルースト効果って言うらしいよ」

「本当に? なんで教えてくれなかったの?」

「ごめんね、ひかるのお父さんに黙ってるように頼まれたの。考えがあるからって」

 その時、彩夏の困惑したような叫び声が耳に入ってきた。

「寛子さんはどうなるの? みんな、騙されちゃダメ! この人たち、言ってることおかしいよ。二人とも渡瀬ひかるに騙されてるんだよ」

 彩夏はひどく憤慨してなおも叫び続けている。

「証拠写真だってあるのに! 先生は二股をかけていたってことなの?」

「違う。最初から中田先生とは付き合っていないんだよ」

 翔お兄ちゃんはきっぱりと言い切った。

「どういうこと?」

「その写真は、飲み……」

「もう、やめて!」

 急に中田先生の大きな声がしたと思ったら、椅子から立ち上がってステージへ駆けあがっていくのが見えた。

「翔太くん、言わないで! お願いだから! 私が悪いの。全部私が悪いの」

 中田先生は息を切らしてステージまで上がってくると、急に膝を落とし、床に手をついて翔お兄ちゃんの右足をつかんだ。

「寛子さん、どういうことなの?」

 彩夏の顔には混乱の色が浮かんでいる。

「翔太くんの目には最初から渡瀬さんしか映ってなかった。それが悔しくて悔しくて……。生徒なんかに翔太くんを取られてたまるかって意地になってたの。だから、その写真もわざと付き合っているように見せたくて撮っただけなの。全部私が仕掛けたことなのよ」

 中田先生は声を震わせ、涙を流しながら話し続けた。

「高校三年の時、テニス部で期待の星だった私は不幸にも交通事故で右腕をダメしてしまったの。しかも医者からテニスは一生できないって言われて。ずっとテニスしかない人生だったから、私は絶望の淵に立たされたわ。その時、同じ生徒会にいた翔太くんが『先輩ならもう一度立ち上がれます』って言ってくれて。この一言でどんなに救われたか……。あの頃から、私はずっと翔太くんに片想いしていたの」

 彩夏は「片想い……?」と小さくつぶやいた後、その場にへなへなと座り込んだ。そして、中田先生の顔を睨みながら「嘘をつくなんてひどい! 今まで騙してたなんて」と号泣し始めた。彩夏の取り巻きの女子たちは慌てて駆け寄っていき、そのまま彩夏の肩を持って講堂を後にした。翔お兄ちゃんは彩夏を困った顔で見ていたが、気持ちを切り替えたような表情で私の方を向くと「ひかる、ステージに上がってきてくれないか?」と、優しい声で呼びかけた。だが、その一言で講堂中の空気が私に突き刺さるのを感じた。生徒たちは振り返って私を見ると、隣同士でコソコソと話を始めたのだ。

「え……どうしよう」

 私は思わず隣の席の理香に助けを求めた。

「行っておいで。ここで見守ってるから」

 理香は不安な子どもをあやす母親のような表情を浮かべ、私の手をぎゅっと握った。理香の包み込むようなぬくもりに触れると、なんだか鉄のよろいを被っているような気がして、気持ちがだいぶ楽になれた。

 意を決して中央の階段からステージへ上がると、翔お兄ちゃんは「よく頑張ったな」と小さな声で言い、笑みをのぞかせた。そして、少し緊張が混じったような顔をしながら、ゆっくりと口を開いた。

「結婚しよう」

 はっきりとした語調で、たしかに聞こえた“結婚”という言葉。信じられないような嬉しさとあまりに突然のプロポーズに私はただ目を真ん丸くするだけだった。だが、翔お兄ちゃんはおもむろにジャケットの内ポケットに手を入れ、小さな箱を取り出し、中に入っている指輪を抜き取って私の左手の薬指にはめた。その瞬間、静まり返っていた講堂中から大きな拍手が巻き起こったのだ。もうそこには私を敵視する目はなかった。「おめでとう」「幸せになって」という温かい歓声に包まれる中、翔お兄ちゃんは私の耳元でそっとささやいた。

「もう離さない。永遠に」


(完)

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