最後の戦い
あれから約二週間後、私は無事に退院して家に戻った。その日の晩に理香から電話があり、登校するのなら一緒に行こうと提案してくれた。そして翌日、私たちは肩を寄り添うようにして学校の門をくぐった。教室が近づくにつれて、脈がどんどん速くなっていく。胃の辺りもズキズキ痛んだ。
「そうだ、一時間目は演劇を見るんだよねー」
理香は通学カバンから時間割を取り出し、嬉しそうに言った。
「演劇?」
「うん、毎年あるでしょ。今年はミュージカル風の英語劇らしいよ」
「楽しみだね」
「だよね」
理香が三年A組の教室のドアを開けた。
「おはよー」
予想通り、誰もが返答をせずに私たちをまるで空気のように扱った。やっぱりこの重苦しい雰囲気は変わっていない。なんだか自分たちが惨めに思え、涙が出そうになるのを必死にこらえた。
理香と一緒に校舎とは少し離れた場所にある講堂へ移動すると、そこにはすでに一年生と二年生、そして三年B組、C組、D組の生徒たちが集まっていた。映画館のような備え付けの椅子に着席し、思い思いにおしゃべりに花を咲かせている。A組の女子も私たちを含めてすでに半分以上が着席し、残りの生徒もだるそうな足取りで講堂の中へ入ってきているのが見えた。その時――。
「皆さん!」
突然、ステージの方から聞き覚えのある声がした。
「私は渡瀬ひかるの父親です。皆さんにお願いがあります。一分だけ話を聞いてください」
お父さん?! 私は一瞬、自分の耳を疑った。ステージを見ると、紺色のスーツを着たお父さんが仁王立ちでマイクを握っていたのだ。講堂中がザワザワし始め、私はいたたまれなくなった。
「突然ですが、うちの娘は二週間ほど前、自殺未遂をしました。こんな事は言うべきかどうか、正直とても迷いました。でも、あえて言います。なぜなら、これはひかるだけの問題ではないからです。娘を追いやったのは紛れもなくあなた自身です。三年A組の皆さん、保健室の先生、見て見ぬふりをした生徒たち、学校中の先生方、そして私たち親にも罪があります。ひかると担任の桜庭先生の関係は、皆さんもすでにご存じでしょう。教師と生徒という禁断の関係に、最初は親である私たちも大反対をしました。生徒の皆さん方や先生方が嫌悪感を示すのも無理はないと思います。世間一般的にはタブーの関係ですから、後ろ指を指されるのも当然でしょう。ただ、そこにもし純粋な想いがあったとして、その想いを私たちが踏みにじってしまったら……それは罪にはなりませんか? ひかるは一人で傷つき、自らの命を絶とうとしました。桜庭先生も同じです。彼は自殺しようとしたわけではありませんが、自らの命を投げ出してまで娘を救おうとしました。これまでずっと二人の関係を否定してきた私も、娘の一途な想いを知り、頭から冷水をかけられたような気持ちになりました。私たちは道徳という槍で二人を突っつき、崖から突き落としてしまったのです。もちろん、人間にとって道徳や常識を守ることは大切な事です。でも、時に道から外れてしまうのが人生じゃないですか? これまでに、一度もやましいことをしたことがない人間が、この地球上にどれだけいるでしょう? 自分の犯した罪は棚の上に置き、他人のほころびを指摘するなんて卑怯です。私は今ここで皆さんに問いたい。二人はそんなに悪いことをしましたか? 集団で、死に値するほどの罰を与える理由は何ですか? クラスで裁判を起こして娘を有罪にするなんて酷すぎませんか? 娘はまだ高校生ですが、私は父親として我が子を信じています。だから、二人の純粋な想いを貫かせてあげたい。親バカだと言われようが、非常識だと言われようが構いません。私は一人の父親として、娘を心から愛する親として、ここに二人の結婚を認めます。ひかるは十六歳を超えていますから、親の同意があれば籍を入れられます。今、ここにいる皆さんが二人の証人です」
生徒たちも先生たちも度肝を抜かれたような顔をして、シーンと静まり返った。その静寂の中、彩夏は突然立ち上がり、ステージを睨んで叫んだ。「こんなこと絶対に許されない。マスコミに訴えてやる!」
「どうぞご自由に。私は最後まで娘を守る覚悟を決めて、ここに来ましたから」
「寛子さんは? 寛子さんはどうなるの? 渡瀬ひかるは他人の彼氏を奪ったのに!」
彩夏は怒りで顔を真っ赤にして、ステージ上のお父さんに食ってかかった。
「それは本人に説明してもらいましょう」
お父さんはステージの裾に目をやると、ゆっくり手まねきをした。