優しい光
気がつくと、私は膝丈の真っ白いワンピースを着て、丈の短い緑の草が生い茂る野原のような場所に立っていた。一面に色とりどりの花が咲き誇り、美しい蝶々が花の周りを舞う。奥に見える小高い丘の上には大きな木が一本生えており、そこで羊や犬、リスなどの動物たちが楽しそうに駆けまわっている。ここがどこかはわからなかったが、私はたまらなく楽しい気分になっていた。はしゃぎたい気持ちが抑えられなくて、「ヤッホー」と大きな声で叫ぶ。その時、向こうから黄色のラブラドールレトリバーが一匹、尻尾を振ってこちらに走ってくるのが見えた。あれ? この子は……。向かいの家で飼われていた“まる”に違いなかった。五年ほど前に老衰で亡くなってしまった犬だ。まるが生きていた頃は、よく給食のパンをあげに行ったり、飼い主のおじさんに許可をもらって散歩に連れ出したりしていた。その場にしゃがんでまるをぎゅっと抱きしめると、まるも嬉しそうに尻尾を振って私の手をペロペロと舐めた。頭を撫でていると、まるが急に「僕についてきて」というような仕草をして何かに追い立てられるように走り始めた。私もあわてて後を追う。しばらく走っていると、突然目の前に一面のチューリップ畑が現れた。
「まる……?」
私は名前を呼んだが、すでに姿は見えなくなっていた。
紫のチューリップ。永遠の愛……。必死に忘れようとしていたあの人の顔が、ふと脳裏に浮かんだ。その時――。
「ひかる!」
突然、天から私を呼ぶ声がした。
「う……」
返事をしようにも声が出ない。喉に力が入って、苦しい――。
「ひかるの指が……指が動いたぞ!」
うっすらと視界が明るくなっていく。冷たくなった私の手を握る、温かいぬくもり。
「ひかる、お母さんよ!」
ぐずぐずと鼻水をすする音が部屋中に響き渡っている。お母さんは「先生を呼んでくるわ!」と言ってバタバタと病室を出て行った。
「まだ生きてるの?」
私は虚ろな目で天井を見つめた。
「すまなかった。お前にひどいものを見せてしまったな」
お父さんは私の手を握ったまま、かすれた声で話を続けた。
「もうこれ以上自分を傷つけるんじゃない。お父さんはお前を失いたくないんだよ。泣いてばかりのひかるを見ていられないんだ。辛いんだよ」
「本当の親子じゃないのにどうして心配するのよ」
「血のつながりが何だって言うんだ。たとえ実の親子じゃなくたって、いいじゃないか」
お父さんはふっと口角を上げ、優しく微笑む。こんなにも柔和な顔をしたお父さんを見たのは初めてだった。
「辛かったな、ひかる。学校でもイジメにあってたんだろ。俺は何も知らずにお前を傷つけてばかりだったな」
私は小さくため息をついた。裁判の日の記憶が鮮明に蘇ってくる。
「それに、桜庭先生はお前のことを忘れてしまったんだってな」
「知ってたの?」
「先生にそっくりの弟が、昨日吉岡さんと一緒にここへ来たんだよ」
「え……? 修哉さんと理香が?」
「弟は真剣な顔つきで、頭を下げてこう言ったんだ。――兄貴はひかるちゃんだけを十年以上も想ってきた。今も純愛を貫いてる。だから、教師ということを忘れて認めてあげてくれないかってね」
修哉さんのおだやかな笑顔を思い出し、胸が熱くなった。
「それから、この写真を俺に渡してきたよ。桜庭先生がずっと財布に入れていたらしい」
お父さんがジャケットの内ポケットから取り出した写真には、八歳の私と中学生の翔お兄ちゃんが映っていた。二人ともとびっきりの笑顔でピースサインをしている。
「この頃のお前は本当に幸せそうだった。毎日笑ってたな。お前もずっと桜庭先生のことが好きだったのか?」
私はコクンと頷く。そして、ゆっくりと口を開いた。
「先生とのこと、認めてくれる?」
お父さんはゆっくりと首を縦に振り、「そばに居てやりなさい」と言いながら私の頭を撫ぜる。あったかい大きな手に、私は言葉にならないほどの幸福感を感じた。窓から差す優しい夕陽の光を背に、私は震える声で言った。
「お父さん、ありがとう」