裁判
四時間目の生物の授業は、翔お兄ちゃんがいないせいで自習になった。生徒たちは配られたプリントそっちのけで、嬉しそうにグループをつくっておしゃべりに花を咲かせている。理香も私の机にやってきて心配そうな顔をしながら、「朝のことは気にするんじゃないよ」とか「彩夏って最低だわ」などと呟き始めた。
「彩夏は誤解してるんだと思うの。中田先生の姪っ子だって言ってたし。事実無根の話を聞いてそれが真実だって信じ込んじゃってるんだよね、きっと」
私は自分に言い聞かせるように言った。
「え? あの子って保健室のお姉さんと親戚だったの?」
「うん。前に更衣室に閉じ込められた時、寛子さんと翔お兄ちゃんは付き合ってるって言ってた。私が誘惑して奪ったって思ってるみたい」
「だからさっき、裁判とか罪を償うとか変なことを言ってたんだね」
「私、やっぱり誤解は解くべきだと思うの。このまま、浮気だとか誘惑したとかそんな風に思われたくない」
「そっか……。ひかるの気持ちもわかる。だけどね、誤解がさらなる誤解を生むことだってあるんだよ。本当に大丈夫?」
「中田先生には負けたくないの。あの人の操り人形になるのはもう嫌だから」
私は覚悟を決めて立ち上がり、教壇の上に立った。
「みんなに言いたいことがあります」
私の一言で、教室がシーンと静寂に包まれた。
「私は、桜庭先生のことが好きです。そして、私のせいで事故に遭ってしまいました」
クラス中がざわざわし始める。彩夏はその場に立ち上がり、「ついに犯人が白状したわ」と大声で言った。
「犯人って言い方はやめて。たしかに今回の事故の原因は私だけど、恋をするのは罪じゃないでしょ」
「よくそんな事が言えるね。寛子さんとの仲をあんたが引き裂いたんでしょ」
彩夏の声はよく通る。クラスの女子たちが引きつったような顔をして私を見つめていた。
「私は他人の彼氏を奪ったりしてない。桜庭先生は中田先生とは付き合ってないって言ってたし」
彩夏はいきり立った様子で黒板の前まで来て、私から十五センチくらい離れた場所に立った。
「みんな、これを見て!」
一斉にみんなの目が彩夏の手元に集中する。そこには、中田先生と翔お兄ちゃんが映っている写真が握られていた。中田先生が私に見せてきた写真とまったく同じものだった。
「ちょっと、あれ……」
教室中が大きくざわつく。
「ここに証拠があんのよ。二人の仲を引き裂いたのはあんたでしょ? 違う?」
彩夏が機嫌の悪そうな顔で私を睨みつけた。
「その写真は私も見ました。でも、桜庭先生に聞いたら酔っぱらっていたから覚えてないって」
「それで釈明のつもり?」
今度は、学級委員の大滝さんが椅子から勢いよく立ちあがって言った。
「私、渡瀬さんみたいなタイプの人って許せない。不潔すぎる」
大滝さんの一言で、空気が変わった。クラス中が学級委員の味方というような顔をしている。正義感が強く、誰にでも平等に接することができる彼女は、女子の間で人望が厚い。そのせいか、普段は目立たないような生徒までもが「人の彼氏を奪うってひどくない?」とか「最低」などと一斉に私を非難し始めた。
「本当なんです。私と先生は昔からの知り合いで……」
「だからもう聞きたくないんだって。略奪愛とか、禁断の関係とか、聞いてるだけで胸がむかむかしてくる。そういう人って本当に嫌」
いつもの大滝さんではないようなピシャリとした口調に、私は何も言えなくなってしまった。
――こうして三年A組の裁判官である大滝さんは、検察官である彩夏からの証拠品を得て、陪審員であるクラスメイトたちの前で、私に有罪を突きつけたのだった。




