記憶喪失
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悪夢のような事件から三日経った月曜日。三年A組の教室に入ると、理香がドアの所まで駆け寄ってきて私に言った。
「ちょっと! 金曜日なんで電話に出てくれなかったの? すごい心配したんだよ」
「ごめんね、色々あって……」
「あ、そうそう。ひかる、知ってる? 先生、今日休みだって」
「うん。私のせいでケガしちゃったから」
「どういうこと?」
私は、あの出来事を洗いざらい理香に話した。
「信じられない……」
理香は絶句した様子で首を横に振った。
「それって、ひかるを守ってケガしたってことだよね」
「うん。先生がいなかったら私、今頃どうなっていたかわからない」
「先生は命の恩人か……」
「今日ね、放課後にお見舞いに行こうと思うの。理香も行かない?」
「いいよ。先生の様子を見に行かないとね。私も気になるし」
「土曜も日曜も病院に行ったんだけど、まだ家族以外は入れない状態だったの。意識が戻らないんだって……」
「でも、弟の修哉さんだっけ? その人は、たいした怪我じゃないから大丈夫だって言ってたんでしょ?」
「うん……」
返事をしながら、私の心は再び不安に支配され、嫌な予感が頭をよぎった。
放課後――病院のエレベーターで五階へ行き、足早に病室へ向かう。だが、ドアの前のプレートに翔お兄ちゃんの名前はなかった。週末に見に来た時はあったはずのに。私は廊下を歩く看護師さんに「桜庭翔太の妹なんですが」と嘘をつき、新しい病室がどこかを聞き出した。“妹”というのは、罪悪感もなく咄嗟に出た嘘だった。とにかく今は翔お兄ちゃんの居場所を突き止めなければ……と思ったのだ。看護師さんに教えてもらった通り、エレベーターで三階まで下りる。再度翔お兄ちゃんの名前を部屋の前にかかっているプレートで確認し、静かに引き戸を開けた。
「先生?」
理香は私より先に中に入った。だが、中からは物音ひとつしない。四人部屋のようだが、廊下側のベッドに寝ていた八十歳くらいのお爺さん以外は、誰も部屋にいなかった。「先生?」ともう一度理香が言った直後、お爺さんが昼寝から起きたようで、伸びをしているのが見えた。私は近くまで行き、「ここに桜庭って若い男の人いませんか?」と聞いてみた。
「え? お嬢さん、もっと大きい声で話してくれるかい?」
お爺さんは少し顔をしかめた。
「ここに、桜庭って男の人が今日移ってきませんでしたか?」
「あぁ?」
「今、どこに行ったかわかりますか?」
「さぁね」
埒が明かないので、お爺さんに質問をするのは諦めた。病室を出て右側に目をやると、十数人の人がお茶を片手にテレビを観たり、雑誌や新聞を読んだりしているラウンジのような場所が見えた。理香を呼び、私たちはラウンジへ行って探してみることにした。すると、窓際のテーブルに修哉さんと翔お兄ちゃんのお母さんらしき人が向かい合って座っているのが見えた。修哉さんはジーンズに白っぽいパーカーを着ている。翔お兄ちゃんのお母さんは昔からスラっと背が高くて、色白美人だ。セミロングの黒髪に淡いブルーのスーツがよく似合う。恐らく五十歳代なんだろうけど、四十代前半、いや三十代後半といってもおかしくないほど若く見える。大きくてパッチリした目は翔お兄ちゃんや修哉さんにそっくりで、やっぱり親子なんだなと私は改めて実感した。
「修哉さん!」
私は小走りで駆け寄って行き、笑顔で声をかけた。
「お、ひかるちゃんか! 兄貴なら今トイレに行ってるよ」
「私の友達の吉岡理香さんです。今日は二人でお見舞いに来ました」
理香は、二人に向かって会釈をした。
「わざわざ来てくれてありがとう。あなたがひかるちゃんね。随分と大きくなったね」
翔お兄ちゃんのお母さんは、小さく微笑んだ。そして、切なそうな声で話を続けた。
「あのね、今日は話しておきたいことがあるの。ショックだろうけど、聞いてほしいの」
心臓がドクンと高鳴る。
「うちの翔太ね、今朝目を覚まして一般病棟に移ったんだけど……記憶障害が残ってしまったの」
理香と私は、予想外の言葉に声を失った。
「部分記憶喪失と言うらしいわ。一応、翔太に会う前に伝えておいた方がショックが少ないと思って。突然こんな話をしてごめんなさいね」
翔お兄ちゃんのお母さんは、辛そうな表情を浮かべ、ゆっくりと言葉を選ぶように話した。
そこへ、ブルーと白のチェックのパジャマを着た翔お兄ちゃんがこちらに向かって歩きながら、手を振っているのが見えた。
「先生!」
私はその場で立ちあがり、大きく手を振り返した。
「制服ってことはうちのクラスの生徒かな? わざわざお見舞いなんて嬉しいよ。でもこんな姿で恥ずかしいなぁ」
翔お兄ちゃんから発せられた言葉に、私は耳を疑った。
「え? 先生……私だよ。ひかるだよ?」
「ごめんな、頭を打っちゃったらしくて記憶が定かじゃないんだよ。えっと、君はひかるさんだね」
「何言ってるの? 翔お兄ちゃん、私だよ」
「ん? 名字が思い出せないや。悪いな」
翔お兄ちゃんは申し訳なさそうに言って椅子に腰をかけた。
「本当に忘れちゃったの? 私のこと、覚えてないの?」
「今はちょっと思い出せないんだ。すまない」
「そう……なの……?」
私はあまりのショックに心臓がぎゅっと握られたような感覚に陥り、急に胸が苦しくなった。目の前にいる翔お兄ちゃんは、私の知っている翔お兄ちゃんではなかったのだ。