悲しい嘘
「もしもし」
「もしもし、ひかる? 今日は家庭訪問に来たぞー」
翔お兄ちゃんは、わざとおどけたように明るい声で言った。
「退院したんだな? 体はもう大丈夫なのか?」
窓の下を見ると、携帯電話を耳に当てながら私の顔を見つめる翔お兄ちゃんがいた。
「うん。もう大丈夫」
「よかった。お前が無事で本当に良かったよ。声が聞けて安心した」
「うん」
「窓から手を振ってみて。もっとひかるの顔が見たい」
私は一度だけ小さく手を振った。
「何もしてやれなくてホントにごめんな」
翔お兄ちゃんは、心から申し訳なさそうに言った。
「いいよ。気にしないで」
「いや、気にするよ。だって今回の入院も俺のせいだろ? 辛かったんだよな」
「ちがうよ。リスカは他の理由なの。だからもう忘れて」
「どうしたんだよ? 中田先生とのことを怒ってるんだろ?」
「別に」
「わかるよ、普通あんなとこ見たら怒るよな。でも説明させてくれないか? 中田先生とは何もないんだ。本当に何もない。キスされたのはただの事故だ。あの後、中田先生にはハッキリ断っておいたからな。これは天に誓って真実だから」
「そっか」
「本当にごめんな。お前を傷つけたことを謝りたくて。こうやって面と向かって謝りたかったんだ。電話じゃ伝わらないと思って……。でも家まで来ちゃったのは迷惑だった?」
「……そう、だね」
「お前なー、正直すぎ! いくら迷惑でもそんなにハッキリ言うなよ。俺は毎日でもお前の顔を見に来たいのに。帰りに寄っちゃダメかな? お前が登校してくるまででいいから。お父さんやお母さんに見つからないようにそっと来るからさ」
翔お兄ちゃんはいつになく饒舌だった。
「意識不明のお前を見て、絶対に失いたくないって心の底から思った。今までの俺は間違っていたよ。これからは中田先生とも正面からぶつかっていくつもりだ。全力でお前を守る。ひかるの親御さんにもちゃんと話をするよ。もう一度正面から向き合うつもりだ」
翔お兄ちゃんの発する一言一言が胸にズシンと響いた。すぐに走っていって翔お兄ちゃんの胸に飛び込みたかった。でも……。
「ごめん、もう終わりにしよう」
「え?」
「私たち、別れよう」
「ひかる、どうしたんだよ? 何があったんだ? お父さんから何か言われたのか?」
「普通の先生と生徒になりたいの」
「なんでだよ? 本当の理由を教えてくれよ」
「親からは怒られるし、学校でもいつかバレるかもしれないってビクビクしているのが嫌なの」
私は、翔お兄ちゃんからもらった指輪をぎゅっと手の中で握った。
「本当にそれだけなのか?」
「うん。これが本心だから」
「そっか……。わかった。ひかるの気持ちも知らずに勘違いして一人で突っ走ってたんだな。ごめんな、ひかる」
私は感情の高ぶりを必死で抑え、一方的に電話を切った。そして、カーテンを閉め、ベッドの中にもぐりこんだ。
「これでいいの。これで良かったの」と私は呪文のように何度も唱え、溢れ出る涙を手でぬぐい続けた。