窓の外の人影
リビングに流れる重苦しい空気に耐えかねて、私は逃げるように二階へ駆けあがった。そのまま自分の部屋のベッドに倒れ込み、掛け布団を被った。一か月の入院生活でガタっと体力が落ちていたせいか、体中が鉛のように重く、少し歩くだけでもめまいがした。
「ひかる、ご飯よ!」
階下からお母さんの大きな声がした。ふと木製の壁掛け時計に目をやると、既に午後七時半を回っていた。どうやら九時間近くも眠っていたらしい。
「お腹すいてない。いらない」
ドアを開けて静かにそう告げると、のそのそとベッドに戻った。そして、豆電球をつけて再び掛け布団を頭からかぶった。二歳か三歳の頃、お仕置きとして真っ暗な押し入れの中に何度か入れられた事を思い出した。あの頃は暗闇が何よりも怖かった。未だに暗所恐怖症の名残があるようで、十八歳になった今でも真っ暗で眠ることはできない。
音楽でも聞こうと、机の上に置いてある小さなMP3プレーヤーに手をかけた瞬間、コツっと窓に何かが当たったような音がした。静寂の中に響いた大きな音に、思わず心臓が跳ねあがった。無視をしていたら、三回、四回と連続して同じ音がした。家は角地に建っており、私の部屋は道路側だから偶然何かが窓に当たることは物理的に可能だ。でも連続して音がするのは、故意に誰かが窓に何かを当てているように思えて気味が悪い。カーテンを少しだけ開けて、おそるおそる窓の外を確認してみた。だが、目を凝らしてみても外の様子は暗くてよく見えなかった。
「こんな遅くに誰かがわざとイタズラするはずもないよね」と私は小さくつぶやき、カーテンを閉めようとした。その瞬間、下から「ひかる!」と聞き覚えのある声が飛んできた。おもむろに下を覗き込むと、黒い人影らしきものがこちらに向かって大きく手を振っている。私は防災用の懐中電灯がベッド脇のフックに掛けてあったのを思い出し、慌てて手に取った。窓の外の人影らしきものに向かって光を当ててみると、黒っぽいスーツにネクタイを締めた翔お兄ちゃんが私に向かって手を振っていた。これは夢なの? 現実なの? よくわからないまま、窓の外をしばらくボーっと見つめていたら、突然、携帯電話の着信音が鳴り響いた。画面には<桜庭翔太>と表示されている。
取るべきか無視するべきか迷っているうちに、音が止んだ。そして、三秒もたたないうちにもう一度着信音が鳴った。覚悟を決めた私は、震える指で電話を取った。