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つかの間の幸せ

 五時間目は生物の授業だ。始業チャイムが鳴る。席に着くと、すぐに日直が号令をかけた。

「起立、礼」

 ちらっと前の方を見ると、クラスの女子達がかったるそうに体を斜めに曲げている。

「着席」

 号令の声が、ものすごく遠い場所で発せられたような気がした。体がふわりと浮く。目が回って吐き気がする。足がふらふらしてこれ以上立っていられない。

 白衣を着た翔お兄ちゃんが、集まってくる女子たちをかき分けて私のもとに走ってくるのが見えた。そして、血相を変えて「渡瀬! 渡瀬!」と何度も私の名前を呼んでいる。

 幸せ――。今はただの生徒じゃないんだね。私、また翔お兄ちゃんの特別な存在になれたんだね。私だけを見てくれているんだね。

「渡瀬! しっかりしろ!」

 耳に響いてくる翔お兄ちゃんの心配そうな声。私の背中を持ち上げ、ひょいとお姫様抱っこをしてくれた。廊下を走り、三階から一階まで一気に階段を駆け抜ける。

「ひかる! お願いだから無事でいてくれ!」

 先生の荒い息づかいが腕からも伝わってくる。

「先生、ごめんね」

 涙が流れた。

「なんで謝るんだよ。ひかるは悪くない。悪いのは俺なんだ」

 翔お兄ちゃんは勢いよく保健室のドアを開けた。

「中田先生! うちの生徒が倒れたんです!」

 中はシンと静まり返っていた。どうやら、部屋には誰もいないらしい。

「ひかる、ごめんな。具合悪いんだよな。ここで寝て待ってろよ、いいな?」

 翔お兄ちゃんは慌てた様子で、中田先生を探しに行こうとした。でも、私はとっさに翔お兄ちゃんの腕にしがみついた。そして、力の限り引っ張った。

「お願いだから行かないで。ここにいて。ひかるのそばにいて欲しいの」

「ひかる……。お前、辛かったんだな」

 翔お兄ちゃんの目はみるみるうちに真っ赤になり、涙がこぼれおちた。私の手に自分の手を重ねて強く握り、泣きながら「ごめんな」と何度も繰り返した。

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