カーテンの奥で
車を運転し始めてもうすぐ四十分になる。
「どうしてこんなに遠くまで来たの?」と言い、ひかるは不思議そうな顔を浮かべた。
「ここまで運転すれば、絶対うちの生徒に会うこともないだろ」
「あ、そっか!」
妙に納得をしたように縦に首を数回振った。
「次はこの曲にしよっと。CD変えるよ?」
助手席に座るひかるが、鼻歌まじりに話す。ダッシュボードを開けて、中のCDを何枚か取り出した。そして、「これはうまく歌えないから……」とか「こっちの方が自信あるかも」などとつぶやきながら、ゆっくり選んでいる。
歌詞カードを見ながら1人カラオケを楽しむひかる。たまに音を外しても気にせず熱唱する姿が、なんとも言えなく可愛い。こんなに小さな体から、随分と大きな声が出るもんだと感心してしまう。そういえば昔から、ひかるは楽しい時に身振りや手振り、声までが大きくなるクセがあった。時間がたっても、こうして変わらない姿を見られることに幸福感を感じた。
「ひかる、随分楽しそうだな」
「歌うのって気持ちよくない? たのしーぃ!」
ひかるは、屈託のない笑顔を見せる。俺もつられて、無性にはしゃぎたい気分になった。
「いっしょに歌おっかな」
ひかるの顔がぱっと明るくなる。
「ホント? 翔お兄ちゃんが歌うなんて八歳の時以来だね。じゃ、この曲にしよ!」
慣れた手つきでCDを替えた。俺は普段カラオケには行かない。そのせいか歌詞にはイマイチ自信がなく……。「ラララ」とごまかすたびに、ひかるが笑いながら助け船を出した。ゲームセンターに着くまでの間、車内はカラオケルームと化していた。
ジーという大きな音を響かせて自動ドアが開く。ゲームセンター特有の騒音がせきを切ったように溢れ出した。人工的な機械音に混じって、甲高いアニメキャラが喋っているような声も耳につく。ひかるは店内をきょろきょろと見回してから、プリクラのマシンを指さして「行こ!」と俺の手を握った。スタスタと歩き、二十台くらいある中から白とピンクの派手なマシンを選び、手前で止まった。四百円と書いてあるのを見て、俺は百円玉硬貨四枚をさっと差し出した。
「翔お兄ちゃんのおごり?」
目の前でしゃがんでいるひかるが、俺の顔を見上げる。
「ま、いちおう年上だしな」
中に入ってビニールのカーテンで仕切ると、にわかにふたりだけの空間になった。こんなに騒々しい場所でも、こうしてひかるとふたりっきりになると心が穏やかになれる。「ポーズを考えなきゃ」と呟いてひかるは俺の腕に自分の腕をからめてきた。「翔お兄ちゃんと撮るのは初めてだもん、ラブラブにしたい」と言いながらも、身長に三十センチほど差があるせいか、うまくポーズが取れないようだ。「あぁでもない」「こうでもない」と苦心している。
ひかるは、後ろに立っていた俺の方をふっと見て「どんな風に撮りたい?」と聞いた。
「そうだな……」
俺は、ひかるの背中と膝裏のあたりを持って横向きにひょいと持ち上げた。いわゆる、“お姫様抱っこ”というやつだ。体重は恐らく四十五キロ弱くらいしかないのだろう。軽々と持ち上げられた。ひかるは頬をピンクに染めて俺を見つめる。俺もひかるを見つめていた。心臓がドキドキと高鳴り、脈拍数が跳ね上がる。
シンと静まりかえった空間に、カシャという音だけが響いた。ふわりとひかるを下におろす。着地を確認し、そっと親指でひかるの下唇をなぞった。顔を赤くしてうつむく姿が愛おしい。ひかるの腰に手を当て、俺の方にぐいっと体を引き寄せた。そして、静かにゆっくりと唇を重ねた。甘い、甘い時間。体中の感覚が、唇の一点に集中しているような錯覚を起こさせる。
そのとき突如、プリクラのマシンが“早くしろ”とでも言いたげに勝手に撮影を始めた。ひとりでに「ハイチーズ」とか「3、2、1」などと号令をかけている。
「これってまだ撮れんの?」
「うん、あと何枚か」
「じゃ、俺の言うとおりにしろ。ポーズ考えたから」
「いいけど……」
ポカンとしているひかるを、背後からぎゅっと強く抱きしめて――カシャ。そのまま、後ろに立ってひかるの柔らかいほっぺたを指でつまんで――カシャ。数分後、プリクラが出来上がった。ひかるは「すごい! すごい!」と興奮して喜んでいる。俺は今の幸せを噛みしめるように、カーテンの中でひかるの手をぎゅっと握った。そして、前髪をふわっとかき上げ、額に優しくキスをした。