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紫のチューリップ

「あっ!」

 声を上げるのと同時に掃除用のモップが頭上に降ってきた。しかも、その拍子に滑って尻もちをついてしまった。

「渡瀬さん、大丈夫?」

 クラスの女子が数人駆け寄ってくる。

「うん、平気」

 私はうっすらと愛想笑いを浮かべた。

「呼んでくれれば取ってあげるのに。小さいんだから無理しちゃダメだって」

 クラス一美人と評判の彩夏が、年上ぶった口ぶりで立ったまま目線だけを落として口を開いた。彩夏は165cmかそれ以上の長身で、手足もすらっと長い。修学旅行ではモデルのような着こなしをして、みんなから注目を浴びていた。身長が151cmしかない私は、体育の時間、背の順番で前から二番目に並ばされている。これは小学校時代から変わっていない。背の低さは、私の中でコンプレックスのひとつだった。

 掃除当番はいつも憂鬱ゆううつで、ため息がでてしまう。私が属している二班の女子たち五人は、キャッキャと騒ぎながら楽しそうに床を掃いたり、机を並べたりしている。クラス内の噂話やアイドルの話、恋愛話を語らせれば、一日中眠らずに話し続けるんじゃないかと思うくらい、本当によく喋るのだ。一番後ろの机にリーダー格の彩夏が座り、周りをほかの四人が取り囲んだ。

「ねぇ、やっぱうちの担任ってイケメンだよねー」

 彩夏が大声で同調を求める。取り巻き女子は、頷きながら「ホントだよね」「カッコよすぎだし」と、口々に翔お兄ちゃんを褒める言葉を並べたてた。

「背高いし、細いのに筋肉ありそうだし、声はセクシーだし。それにちょっとSっぽい話し方もイイ感じじゃない?」

「わかる、わかる!」と女子たちが一斉に大声を上げた。

「目がいいよね。ぱっちり二重とか羨ましいんだけど」

「あたしは高い鼻が好きー」

「唇も下だけふっくらしててセクシーでしょ。あと歯並びもいいし」

「普通に芸能人とかモデルとかできるよね、あのレベルなら」

 全員が「うんうん」と首を縦に振った。

「キスしてみたくない?」彩夏が女子四人衆に向かって畳みかける。

「したーい!」

 全員が声高に叫んだ。女子たちは一様に興奮しているようで、いつもよりだいぶ大きな声で話している。いや、話しているというよりは叫んでいるといったほうが適切かもしれない。

「お前ら!」

 突然、背後から大きな声が飛んできた。振り返ってみると、翔お兄ちゃんが仁王立ちで彩夏たちを睨んでいた。

「掃除はどうした!」

 声と表情からかなり怒っているのが読み取れる。注意する時の口調はいつも厳しいが、こんなに声を荒げる姿は初めて見た。実際に、彩夏たちもかなり驚いたようで気まずそうに五人で目配せをしていた。そして、黙ったままそそくさと掃除を再開させた。

「渡瀬、ちょっといいか?」

 さっきとは一転して、いつもの調子に戻った声で私を呼ぶ。

「今日は理科準備室には来るな。代わりにどんぐり公園に来い。六時でいいか?」と、先生は小さな声で囁くように言った。私は近くに誰もいないのを確認してから、コクっと頷いた。

 先生が出ていった直後、緊張が解けたようにさっきの女子たちがクスクスと笑い声を立て始めた。

「マジで怒ってなかった?」

「ヤバかったよねー」

「でもさ、なんかSっ気全開って感じだったよね」

「そうそう! 怒ってもカッコイイ、みたいな」

 彩夏たちの黄色い声にイラっとしながらも、私の心は浮き足立っていた。どんぐり公園は思い出の場所だから。先生と再会し、初めてのキスをささげた特別な場所だ。


 腕時計をじっと見つめる。あと十分ほどで約束の時間になる。私は三十分も前から公園にいた。夕焼けを背にしてブランコに乗り足をぶらぶらさせてみたり、一人でシーソーに乗って小さく何度かジャンプしてみたり。最後に公園で遊んだのは小学生の頃だったかな。中学校に入ってからは来ることもなかった。遊具がとても小さく感じるのは、自分が成長したせいだろうか。滑り台に上ってみたが、お尻が大きすぎるのかすっぽり入らない。身長は相変わらず低い方だけど、ここで遊んでいた頃に比べたら外見がだいぶ変化したように思う。小さめの鼻や二重のぱっちりした目、小ぶりな唇はあまり変わらないが、体つきがだいぶ女らしくなった。

「時がたつのって早いな」

八歳の頃の自分を思い出しながら、私はぼそっとひとり言を呟いた。


 ブランコに腰をおろして少し揺らしていたら、突然目の前に紫色の物体が現れた。翔お兄ちゃんの手にはきれいにラッピングされたチューリップの花束が握られている。

「はい、ひかるに」

 短く言うと、照れたように口角を上げて微笑んだ。

「紫色のチューリップ?」

「そう」

「私に? どうして? 本当にもらっていいの?」

「いらないのか? じゃ、ほかの人にあげちゃおう」

 少しイジワルな言い方で、花束を上にひょいっと持ち上げる。私はあわてて「いる!」と言い、小さく跳び上がって取り返した。

「でも、なんでチューリップなの?」

「さぁね、なんででしょう? いちおう俺なりに悩んでこれにしたんだけど。気になるなら、あとで調べてみたらいいよ」

「調べるって何を?」

「ネットでググったら出てくるから。これはお前の宿題な」

「えー、また宿題?」

 翔お兄ちゃんは私の頭を軽くぽんぽんと撫でた。公園にはあいかわらず誰もいない。物音ひとつない静寂の中で、翔お兄ちゃんは私の隣のブランコに座った。錆ついた鎖がキーキーと耳障りな音を立てている。

「これから理科準備室で会うのはよそう」

「え? どうして?」

「もう二カ月になるし、だいぶわかるようになっただろ? テストでも百点目指せる実力はついたはずだ」

「百点?」

 思わずぷっと吹き出してしまった。生物なんて高校に入ってからずっと赤点なのに。

「俺が一生懸命教えたからな。感謝しろよー」

 翔お兄ちゃんの右手が伸びてきて、私のほっぺたを軽くつねった。そして、そのままちょっと左右に動かして「やわらけー」と満足そうに呟く。

「ね、お礼に何してほしい?」

「なんかくれんの?」

 翔お兄ちゃんは、いやに嬉しそうな顔をした。

「そういえば、お給料みたいなの一回もあげてなかったなって」

「じゃ、時給三千円でどう?毎日一時間は教えてたからざっと計算して……」

 空を見ながら指を折り、翔お兄ちゃんはぶつぶつ数字を言い始めた。

「もう! そんなの払えない。お小遣い全部合わせたって足りないよ」

「ひかる、お前ゲーセン好きだったよな?」

 翔お兄ちゃんは唐突に話を変えた。

「UFOキャッチャーでぬいぐるみをゲットして来い。それがお前からのお礼ってことで」

「え? ぬいぐるみが欲しいの?」

「そういうこと。今から取りに行こうよ」

 何がなんだかわからないまま、私は翔お兄ちゃんの車でゲームセンターへ向かうことになった。

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