傘
始業式の帰り道、私はアルバイト先のカフェに寄った。間接照明とシンプルな白系の家具でコーディネートされた空間は、まるで北欧のオシャレなカフェにいるような気分にさせてくれる。お金に余裕のある社会人がゆったりした時間を楽しめるように、コーヒーの料金も五百円からと少し高めに設定されている。
「いらっしゃいませー」
カウンター越しに顔をあげると見覚えのある男性が立っていた。まさかとは思ったが、あの外見はどう考えてもイケメン先生だ。向こうはこちらに気づかない様子で、一番端っこの窓際のソファー席に座った。嬉しいやら恥ずかしいやらで注文を聞きに行くのを渋っていたら、先輩に背中を押され「早く注文とりにいって」とせかされてしまった。覚悟を決め、ゆっくりと背後から先生の座る席へ近づいていく。
「ご注文はお決まりでしょうか」
「エスプレッソおねがいします」と先生は一言告げた。
もしかして気づいてない? それとも知ってて無視しているの? 一瞬迷ったが、意を決して「三年A組の渡瀬ひかるです。わかります?」と早口で聞いてしまった。
「渡瀬なのか? 制服がメイドっぽいと雰囲気変わるんだなぁ。ここでバイトしてるんだね」
「この制服、本物のメイドみたいで……。スカートも短いし、なんか恥ずかしい。あ、今日は九時までバイトなんです」
スカートを少し手で押さえながら、顔を赤らめた。しばらくたってエスプレッソを先輩が運んでいるのを遠目で見ながら、先生を観察した。カバンから文庫本を取り出して、かれこれ二時間くらい読みふけっている。鼻から口元にかけての横顔があまりに美しく、じっと見惚れてしまった。
突然、先生が振り返って私を見た。
「渡瀬ひかるさん、もう一杯エスプレッソをもらえる?」
先生の後姿を見ているだけで、なんだか胸が苦しいくらいにドキドキしてしまう。私、先生が好きなのかな? 一目惚れってこと? 自問自答してみたが、恋愛経験が乏しいせいか心臓の高鳴りが増すだけで答えは出なかった。
九時を過ぎた頃にそそくさと帰り支度をしていると、カフェの出入り口に人影が見えた。
「お客様、申し訳ありませんが閉店のお時間です」とクローズの看板を出そうとしたら、その男性が顔をあげた。先生だ……。
「どうしたんですか?」
「実は傘を忘れちゃって。ここで雨宿りをさせてもらってたんだ」
「それなら一緒に駅まで行きますか? 私、傘持ってますから」
「いいのか? 悪いなぁ……」
先生と私は並んで傘の中に入った。密着度が急激に上がったせいか、緊張のあまり手が震えてしまう。距離が近すぎて、まともに先生の顔が見られなかった。
「傘は俺が持つよ。君は背が小さいから」
遠慮して少し離れて歩く先生。
「あの、濡れるからもっと真ん中に来てください」と声をかけると、「ありがとう」と照れたように先生が少し笑った。心臓の高鳴りが止まず、まともに歩けない。先生の腕が私の腕に触れるたび、相手の体温を感じて身体の芯が熱くなった。先生の横顔をちらっと盗み見しようとしたら、思いっきり目が合った。慌ててそらす。これじゃあ先生を一目惚れしちゃったことがバレてしまう……。自分の頬が熱を帯びていくのを感じた。