合鍵
「おはよ」
聞き覚えのある甘い声。家の中には誰もいるはずがないのに。変だなと思いながら、辺りをきょろきょろと見まわした。ん? 誰かが玄関で靴を脱ぎながらこっちに手を振っている。
「ひかる? なんでここに? 鍵はどうやって開けたんだ?」
俺は寝ぼけているのか? 昨日貸した鍵は確かに返してもらったはずなのに。
「えへへーこれ見て」
ひかるは、自分の目の高さまで鍵を持ってきてブラブラさせた。先端には白っぽいチワワの顔をしたキーホルダーがついている。
「お前、それ……」
「昨日ね、合鍵つくっちゃったの。これで好きな時に翔お兄ちゃんのお部屋に来られるでしょ?」
「お前なー、それ犯罪だぞ?」
怖い顔をして睨んだつもりが、ひかるには逆効果だったようだ。
「絶対に返さないからね。ファーストキスまで奪った恋人なんだからいいでしょ」
手の中にある鍵を無理やり開かせようとしたが、なかなか取れない。ひかるはイヤイヤをするように、体をねじ曲げたり伸ばしたりして必死に抵抗している。もちろん男の力で押し倒しでもすれば簡単に奪い取れる。そんなことはわかっていた。だけど、こんなに華奢なひかるを簡単に降参させるのは気がひけた。
「クソッ!」
「諦めた?」
「お前の勝手にしろ。ただし、友達は絶対に連れてくるな。秘密にしてろよ」
「オッケィ。翔お兄ちゃんと二人だけの秘密だね」
ひかるは舌をちらっと出し、いたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「ねぇ、ゲームしない?」
「どんな?」
「これ持ってきたの」
ひかるは、カバンから携帯版のオセロゲームを取りだした。
「うわっ、これ懐かしいな」
「でしょ?」
「俺たち、昔勉強が終わったらよくやってたよな」
「うん、翔お兄ちゃんが教えてくれたよね」
「久しぶりにやるか」
「どうせなら賭けない? 負けた人は勝った人の言うことを何でも一つ聞いてあげるの」
「おっ、勝つ気満々だな」
「当たり前でしょ。昨日は家で練習してきたんだから」
ゲームを始めて三十分くらいたっただろうか。二回戦が終わった。今のところ、勝負は引き分けだ。
「学校に遅れるぞ。続きはあとだ」
俺は腕時計をちらっと見てひかるに言った。
「ダメだってば。賭けをしてるんだから、今やらなくちゃ」
結局、強引に三回戦に突入することになった。時間に焦る俺を尻目に、ひかるはどんどん追いあげていく。
「ヤッター!」
結果は、ひかるの勝利に終わった。
「お願い、聞いてくれるんだよね?」
「ん?」
俺は耳を塞いでわざと聞こえないふりをした。
「デートに行きたい」
聞く気がないとわかると、ひかるは紙とペンをカバンから取り出した。
“デートに連れて行って”と赤いボールペンで書き、俺の目の前まで持ってきて紙をひらひらさせる。デートなんてとんでもない。説得させなくては。
「デートって外でだろ?」
「うん。ダメなの?」
「絶対に無理だって。誰かに見られたらどうするんだ」
「変装すればいいでしょ」
「どんな変装だよ」
「伊達メガネをかけて、かつらをかぶるの。アフロなんてどう? 流行っているらしいよ」
ひかるはころころと笑った。
「逆に目立ちそうだな、それ」
「ねぇ、サングラスは持ってないの?」
「ない」
「じゃ、ひかるが買ってくる。それでいいでしょ?」
ここまで引き下がられると、どうしようもなくなる。またもやひかるのペースに巻き込まれたような気がした。