色あせない約束
終業のベルが鳴る。部活のない生徒たちは、一斉に帰宅準備をはじめた。
「ねぇ、ひかるは今日もバイトでしょ?」と隣の席の理香が声をかけてきた。
「あ、うん」
本当は違うけど、先生と補習をすることは誰にもナイショだって言われてたから黙っておこう。あれから、カフェでのアルバイトは土日だけのシフトに変えてもらった。放課後はこれから毎日、先生との時間になる。公園でのファーストキスを思い出すだけで胸がときめいてドキドキした。
ガラッ――。理科準備室のドアを開けた。あれ? 誰もいない。
「先生?」
返事はない。
「どこ?」
シーンと静まり返った教室。ドアの外に出て、もう一度白いプラスチックのプレートを確認した。真新しい黒い文字で“理科準備室 桜庭翔太”と書かれている。間違いはないはずだ。もう一度呼んでみる。
「先生?」
突然、背後から石鹸の良い香りがして、ぎゅっと抱きしめられた。
「え?」
戸惑いながら振り向くと、先生が立っていた。
「ひかる、来てくれたんだな」
私は、照れたような嬉しいような顔をして、口角を上げてニッと笑って見せた。
「ねぇ、ひかるとした約束、今でも覚えてる?」
「あぁ。お前が八歳の時、俺のお嫁さんになるって言ってたよな」
「覚えててくれたんだね」
翔お兄ちゃんは椅子にもたれかかった。
「お前も座れ」
「はーい」
「さぁ、勉強するぞ」
「えー? 本当に勉強するの?」
「あったりまえだろ!」
「センセー、私勉強したくないよ」
「ん? じゃあ、何しに来たんだ?」
「……」
私は公園での出来事を思い出して、顔を赤らめた。
「変なこと想像してたんだろ?」
「ちがう!」
「あやしいなー」
「ちがうもん」
ふてくされて頬を膨らませる。翔お兄ちゃんは、下から顔を覗き込むように私を見てぷっと吹き出した。
「やっぱかわいい。そのすね方、変わらねぇな」
「もしかして八歳の時のこと?」
「そう、あの時のまま。まだまだガキだな。」
「ちょっとー! 私はもう大人のオンナなのに」
「大人のオンナ? 色気もないくせに」
「見てよ、胸だってこんなに……」
着ているセーラー服が白色なのをいいことに、今日はわざと濃いピンクのブラをつけてきた。中にはキャミソールもタンクトップも着ていない。
「俺を誘惑してるだろ?」
「だって、私のことまだ子ども扱いしてるでしょ。そんなの嫌だもん」
翔お兄ちゃんの顔色がさっと変わった気がした。
「本気で襲われたいのか?」
「……」
またあの時の目だ。公園でキスをした時と同じ。翔お兄ちゃんは、ごくんと唾を飲み込んだ。そしてふーっと大きく息を吐き出す。
「お前はまだ未成年だろ。オトナぶっていると痴漢に遭うぞ」
「何? 電車とか?」
「そうだよ。気をつけろよ」
翔お兄ちゃんは私から目を逸らすと、手元に置いていた生物の教科書をぱらぱらとめくり始めた。
あの日公園でキスをしてから、私は何か期待していたのかもしれない。でも翔お兄ちゃんは思ったよりも真面目で、生徒である私との関係にためらいを感じているようだった。