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過労死した国交省官僚、異世界で《万象鑑定》を得て辺境村のインフラを直したら交易都市の王になっていた件  作者: ぽんぽこライフ


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壊滅した村——現実が突きつけるもの

 獣道。枯れ枝が折り重なり、足元の土は雨で泥濘に変わっている。馬を降りて歩くしかなかった。健悟の靴が泥に沈むたびに、ずぶりと不快な音がした。枝が上着に引っかかる。袖が裂ける。荊棘が腕を引っ掻いて、赤い線が浮かんだ。痛みよりも——苛立ちが先に来る。なぜこんなに時間がかかるのか。答えは簡単だ。道がないからだ。


「街道があれば——馬車で二時間の距離だ」ガルドが前を歩きながら言った。枝を腕で払いのけ、後ろの健悟のために道を開けている。「街道がなければ——こうして半日歩く。冒険者時代は慣れていたが——もう若くはない」


 半日。馬車なら二時間。その差が——昨日の会議で議論されたことの全てだ。


 レオンハルトの騎馬隊がザント集落に向かったのは昨日の午後だ。最短でも二日かかると言われた。健悟とガルドは——別の方角に向かっている。壊滅したグライフ村の視察だ。伯爵から直接の指示があった。「データが足りないと言ったな。ならば現場を見てこい」。あの鋭い目は——試しているのか、期待しているのか。判断がつかない。


 木の根に足を取られた。体が前に傾ぐ。ガルドの手が肩を掴んで引き戻した。


「足元を見ろ。前ばかり見ていると転ぶ」


「すみません」


「謝るな。前を見ているのは——悪いことじゃない。ただ足元も見ろ」


 ガルドの助言は——いつも二重の意味がある。


 木々の間から空が見えた。灰色の雲が低く垂れ込めている。風向きが変わった。焦げた匂いが——鼻に届いた。


 森が開けた。


 グライフ村だった場所。健悟は足を止めた。


 壁が崩れた家屋が十数棟、灰色の瓦礫に変わって散乱している。焼けた畑が黒く広がっている。麦の穂が灰になって、風に舞い上がる。黒い粉が空に漂い、陽光を遮る。魔物の爪痕が木の幹に深く刻まれていた。三本の爪。太い樹の幹が半ばまで裂けている。爪の深さは——指が三本入るほどだ。


 生活の残骸が、瓦礫の隙間から覗いている。割れた壺。焦げた衣服の切れ端。子供の木靴が片方だけ、崩れた壁の下に挟まっている。靴の中に土が溜まっている。もう履く者はいない。


「ここに——三十世帯、百二十人が住んでいた」


 ガルドの声が低い。感情を押し殺している声だ。腕を組んで立ったまま、焼けた村を見渡している。右腕の傷痕が——朝の光に白く浮かんでいる。


 村の外れに、避難民の仮設天幕が見えた。伯爵府が送った救援物資——粗末な穀物袋と毛布——のそばに、人々が座っている。虚ろな目。子供を抱いた母親が、動かない目で焼けた畑を見つめている。子供は泣いていない。泣き疲れたのか——泣く力も残っていないのか。老人が崩れた家屋の前に座り込み、瓦礫の中から何かを探している。煤で汚れた手が、小さな木箱を掘り出した。蓋を開ける。中には——小さな布人形が入っていた。孫のものだろうか。老人の肩が震えた。声は出ていない。


 健悟は——目を逸らさなかった。逸らしてはいけない。これが現実だ。会議室の地図の上の赤い印は——こういう景色を意味している。


 (前世でも——震災の被災地を視察したことがある。国交省の道路復旧チームの一員として。崩れた橋梁、寸断された道路。その先に——孤立した集落があった。三日間、物資が届かなかった。道がなかったから。体育館に避難した人々の目が——今、目の前の避難民と同じだ。虚ろで、怒りすら失っている)


 避難民の一人が健悟に声をかけた。中年の男だ。左腕に包帯を巻いている。血が滲んでいる。


「あんた——伯爵様のところの人か」


「いえ。ハルベルト村の——」


「ハルベルト? あの港を作った村か」


 男の目に光が戻った。一瞬だけ。


「噂は聞いてる。あそこは——道が繋がってるんだろう。街道がある。商人が来る。——うちの村にも道があれば。獣道じゃなく、まともな道があれば——逃げられた。援軍も来れた。道がないから——間に合わなかったんだ」


 男の声が震えた。怒りではない。後悔だ。道がなかったという、取り返しのつかない事実への。


 健悟は——答える言葉が見つからなかった。代わりに頭を下げた。深く。何の力もない自分に対する怒りを——飲み込んで。


 村の外れ。崩れた家屋の向こう。足元に違和感があった。


 泥の感触が変わった。柔らかい土から——硬い何かに。健悟がしゃがみ込んだ。泥を掻き分ける。膝が濡れる。冷たい泥が指の間に入り込む。しかし——この感触は知っている。


 石が出てきた。表面が滑らかな切石だ。泥に埋もれて見えなかったが——人工的に加工された石材だ。手を触れた。《万象鑑定》が起動する。


  【構造物:古代街道舗装石(残骸)】


  【築年:現暦900年頃(約300年前)】


  【構造:切石敷き(幅員推定6m)】


  【状態:埋没率95%以上——土砂堆積により地表から完全に遮蔽】


  【備考:かつてこの地点を通過する幹線街道が存在した】


「三百年前の——街道の跡だ」


 声が震えていた。泥の中から掘り出した切石の表面を、指で撫でる。滑らかだ。三百年間土の下に埋もれていても——加工の精度が感じ取れる。幅員六メートル。馬車二台がすれ違える幅だ。これを作った人間がいた。この地に街道を通し、人と物を行き来させた人々がいた。


 さらに鑑定を広げた。構造線が地面の下を走る。断片的だが——方角がわかる。北東に向かっている。グライフ村を貫き、その先の集落群を繋いでいた。


  【街道ネットワーク痕跡:北東方向に延伸】


  【接続推定:グライフ→フォルスト→メルツ方面】


  【途絶時期:現暦1050年頃(約170年前)】


  【途絶原因:維持管理放棄(推定)——洪水・戦乱による記録なし】


「三百年前、ここには街道があった。グライフ村は街道沿いの集落だった。フォルスト、メルツも同じ街道で繋がっていた。——しかし百七十年前に街道の維持管理が放棄された。理由は不明だが——結果は明らかだ。街道が消えた場所に、魔物が棲みついた。同時に襲われた三村は——同じ街道ネットワーク上にあった村だ。街道があった時代には、おそらく——こんな被害は起きなかった」


 ガルドが瓦礫の上に腰を下ろした。右腕の傷痕を無意識にさすっている。


「——健悟。データじゃない話を、一つしていいか」


 健悟は頷いた。ガルドの声はいつもより低く——重い。


「冒険者時代。俺のパーティが最後に戦った場所は——ここから東に半日の森だ」


 ガルドの目が、焼けた村を超えて東の方角を見つめている。七年前の記憶が——あの目の奥にある。


「あの時も——街道がなかった。森の奥に魔物の巣があって、近隣の集落が被害を受けていた。討伐依頼を受けて入った。退路を確認しなかった。奥に進みすぎた。レオンハルトの判断ミスだったが——俺も止めなかった。仲間が三人死んだ」


 沈黙。風が焦げた畑の灰を巻き上げた。黒い粉が二人の間を漂う。


「街道があれば——援軍が来れた。撤退路があった。あいつらは死ななかった。俺はそう思っている。七年間ずっと。——お前の言う『道は命だ』は、机上の理屈じゃない。俺の三人の仲間の命で——証明されている」


 ガルドの声が途切れた。武骨な男の告白だった。七年間胸に抱えてきた悔恨を——初めて言葉にしたのだ。


 健悟は——何も言えなかった。数字で語る訓練を受けた人間だ。感情を分析に変換する癖がある。しかし——今のガルドの言葉は、変換してはいけない種類のものだ。そのまま受け取るべき言葉だ。


「……ありがとうございます」


「礼を言われることじゃない。——やれ。お前の計画書を作れ。俺は剣で守る。お前は道で守れ。役割が違うだけだ」


 ガルドが立ち上がった。瓦礫の粉が鎧から落ちる。焼けた村を最後にもう一度見渡し——背を向けた。振り返らなかった。


 健悟も立ち上がった。膝の泥を払う。古代街道の切石を——もう一度見下ろした。三百年前の道路技術者が、ここに石を敷いた。その道が消えて——村が消えた。因果は明白だ。


 帰路。馬上で揺られながら、健悟は手帳に書きつけていた。


 《万象鑑定》で得た古代街道の痕跡データ。グライフ村の位置と最寄り街道の距離。援軍到着にかかった三日間。フォルストの二日間。街道があった時代の推定移動時間。防衛コストと街道建設コストの比較の骨格。数字が並んでいく。


 夕暮れの空が赤い。馬の蹄が地面を踏む単調なリズムが続く。ガルドは前を向いたまま、黙っている。しかし——あの告白の重みが、背中越しに伝わっている。


 (街道途絶と魔物被害悪化の歴史的相関。三百年前にも同じパターンがあった。大洪水後に街道が途絶え——魔物が人の領域を侵食した。百七十年前に維持管理が放棄され——さらに悪化した。歴史は繰り返している。同じ失敗を。そして——同じ解決策がある。道を作ること。道を維持すること)


 伯爵城の尖塔が、夕焼けの空に黒いシルエットを描いている。あの城の中で——明日、実行計画書を提出する。一晩で作る。前世の残業で鍛えた速度で。


 今度こそ——机上の空論では終わらせない。避難民の男の言葉が耳に残っている。「道があれば——逃げられた」。その声を——計画書に込める。

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