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過労死した国交省官僚、異世界で《万象鑑定》を得て辺境村のインフラを直したら交易都市の王になっていた件  作者: ぽんぽこライフ


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伯爵城への道——護衛と覚悟

 荷馬車が石畳を踏む振動が、体に伝わる。健悟は馬車の荷台に座り、揺れに身を任せていた。隣にリーゼとマルテ。御者台にはガルドが手綱を握っている。馬は一頭——村で一番の馬だとトビアスが言っていた。


 村の門を出る時、見送りの人々が集まっていた。トビアスが拳を突き出し、フェリスが小さく頷き、ドラガが「行ってこい」と手を振った。ロッテは——何も言わなかった。ただ手を合わせて、祈るような仕草をしていた。


 村人たちの声が——遠ざかっていく。


「リーゼ。緊張してるか」


 ガルドが御者台から振り返らずに言った。


「う、うん。ちょっとだけ」


「嘘つけ。手が震えてるぞ」


 リーゼの手が、膝の上で握り締められている。碧い目が前方の街道を見つめているが——焦点が合っていない。


「大丈夫よ、リーゼ」マルテが肩を叩いた。「あたしだって初めて大口の商談をした時は——膝が笑ってたわ。でもね、始まったら——体が勝手に動くものよ」


「マルテさんも——緊張したことあるの?」


「あるに決まってるでしょ。商人だって人間だわ」


 馬車が街道を進む。ハルベルトを出て北に向かう道。かつて健悟たちが復旧した旧街道の延長線上にある。マギクリートで補修された路面は滑らかで、馬車の揺れが少ない。自分たちが作った道の上を、自分たちが走っている。


 (この道を復旧した時、まさか自分がこの道を使って領主との交渉に行くとは思わなかった。道路は——使われてこそ意味がある。国交省で何百回も言った言葉が、今は実感として腹に落ちる)


 街道の両脇に魔力灯が立っている。等間隔に設置された柱が、遠くまで続いている。夜間はこの灯が道を照らす。ザインが伯爵城に向かった時と同じ灯だ。ハルベルトの技術が——目に見える形で街道を守っている。


 森に入った。木漏れ日が荷台に斑模様を作る。腐葉土の匂いが鼻をくすぐった。鳥の声が高い木々の間で反響する。穏やかな森だ。しかし——ガルドの背中は緊張を帯びていた。右手が常に腰の剣に触れている。


「ガルドさん。この道は——以前も通ったんですか」


 健悟が声をかけた。


「ああ」ガルドの声は低かった。「何度もな。冒険者時代に——伯爵城と辺境の村を行き来した。依頼を受けるためにな」


「冒険者の依頼は——伯爵城で受けるものなんですか」


「大口の依頼はな。辺境の魔物討伐とか、交易路の護衛とか。ギルドの窓口がカッセルの街にある」


 馬車が揺れた。車輪が石に乗り上げ、荷台が跳ねる。ガルドが手綱を操り、馬を落ち着かせた。その動きは——慣れたものだ。何百回と馬を操った人間の手つき。


「パーティは——五人だった」


 突然、ガルドが語り始めた。


「俺、リーダーのクラウス、魔法使いのエレナ、弓手のヨナス、盗賊のマルク。五人で——六年。森も山も洞窟も、一緒に潜った」


 リーゼとマルテが顔を見合わせた。ガルドが自分から過去を語ることは——滅多にない。


「クラウスはな——元は伯爵の家臣だった。騎士の家に生まれて、二十で家を出た。『領主の命令で人を殺すのは嫌だ。俺は自分の意志で戦いたい』と言ってな。真っ直ぐな男だった」


 ガルドが右腕をさすった。袖の下の傷痕。布擦れの音が微かに響く。


「六年目の冬。山岳地帯の魔物討伐。大型の魔獣が出た。普通なら——五人で対処できるはずだった。しかし——情報が違っていた。一体のはずが、三体いた」


 森の空気が——冷えたように感じた。


「エレナが最初にやられた。盾もなく魔法を使っていたから。ヨナスが援護に入ったが——二体目に挟まれた。マルクが逃げろと叫んだ。クラウスは——逃げなかった。残った三体を二人で引きつけて、俺とマルクに退路を作った」


「ガルドさん——」


「クラウスは——死んだ。エレナもヨナスも。マルクは片足を失った。俺は——右腕の傷だけで済んだ。一番軽い傷で——一番重いものを背負った」


 沈黙が馬車を包んだ。馬の蹄の音だけが街道に響く。


「あとでわかった。情報を出したのは——伯爵の元部下だった。クラウスが家を出たことを恨んでいた男がいて——意図的に誤った情報を流した。証拠はない。伯爵も知らなかったかもしれん。しかし——あの城の中の誰かが、俺たちの仲間を殺した」


 ガルドの手綱を握る手に、力が入った。


「だから——借りがあると言った。あの城に行く理由が——俺にはある。交渉のためだけじゃなく。あの城の中を——自分の目で見たい。あの時何があったのか——今でも知りたい」


 健悟は何も言えなかった。ガルドの背中を見ていた。武骨な背中。六年間の冒険と、一日で失った仲間の記憶を背負っている背中だ。


 しばらく沈黙が続いた。馬車の揺れだけが時間の経過を告げている。リーゼが膝の上の署名簿を開いた。何度も見返しているのだろう——紙の端が擦り切れかけている。


「ガルドさん」リーゼが静かに言った。「クラウスさんは——きっと、ガルドさんが生き残ったことを喜んでると思う」


 ガルドは振り返らなかった。しかし——手綱を握る手が、ほんの少しだけ緩んだ。


「そうかもな」


 それだけだった。しかしその短い言葉に——十年以上背負ってきた重みが滲んでいた。


 午後。宿場町に着いた。


 カッセルの街まであと半日の距離にある中継地だ。石造りの建物が街道沿いに並び、旅人用の宿屋が数軒ある。馬を休ませるために一泊する予定だった。宿屋の看板が風に揺れている。木製の看板に「旅人の休息亭」と彫られていた。街道沿いの宿場町らしく、行き交う馬車や旅人の姿がある。ハルベルトとは違う——人の多さだ。


 宿屋の入り口で——見覚えのある紋章がついた馬車が停まっていた。イレーネ商会の紋章だ。


「あら」


 宿屋の中から、女が出てきた。イレーネの使者——三十代ほどの女性で、商会の制服を着ている。名はクラーラ。イレーネの右腕と呼ばれる人物だ。


「ハルベルトの皆さん。奇遇ですわね」


「奇遇——かしら」マルテの目が細くなった。商人の顔だ。「イレーネさんは——伯爵城にご用事?」


「ええ。商会長が伯爵閣下に——交易許可の拡大をお願いに参る予定ですの。同じ日に——偶然ですわ」


 偶然。その言葉を——誰も信じなかった。イレーネは情報を持っている。ハルベルトの交渉団が伯爵城に向かうことを知っていたはずだ。同じタイミングで伯爵城に行くということは——支援か、牽制か。あるいは——自分の交易利権を確保するための別行動か。


「イレーネさんによろしく伝えてくださいな」マルテが微笑んだ。商人同士の微笑み。表面は穏やかだが、その下に計算がある。


 クラーラが去った後、リーゼが小声で言った。


「イレーネさんは——味方なの?」


「敵でも味方でもないわ」マルテが答えた。「商人よ。利益になることをする。今のところ——ハルベルトとの協力は利益になるから協力してる。でも——もっと大きな利益が別にあれば、そちらに行く」


 リーゼの表情が曇った。政治と商売の世界。村の中にいた時は見えなかったものが——村の外に出た途端に見え始める。


「怖い——かもしれない。でも」


 リーゼが拳を握った。


「村のみんなが署名してくれた。あの震える字を思い出せば——怖くない」


 健悟はリーゼの横顔を見ていた。二十歳。村長になってからまだ数年。政治的な駆け引きの経験はほとんどない。しかし——この若い村長の中に、折れない芯がある。署名簿に込められた村人たちの想いを、リーゼは体で受け止めている。


 宿屋の部屋で、健悟は夜遅くまで提案書の最終確認をしていた。魔力灯の光が紙面を照らす。一行一行、数字を確認し、論理の飛躍がないか点検する。隣の部屋からマルテの帳簿を繰る音が聞こえた。商人もまた——眠れぬ夜を過ごしているのだ。


 翌朝。伯爵城を望む丘の上に立った。


 夕陽——ではなく、朝日が巨大な城壁を照らしていた。石壁は灰色に光り、塔の先端に旗が翻っている。城壁の下には街が広がり、煙突から煙が立ち上っている。多くの人が暮らす都市の匂いが——風に乗って届いた。パンを焼く匂い、家畜の匂い、金属を叩く音。


 ガルドが馬車を止めた。


 城壁を見上げている。目が——遠い。今ここにいるガルドと、かつてこの道を歩いた若い冒険者のガルドが——重なっているのだろう。


「行くぞ」


 短い言葉。ガルドが手綱を引いた。馬車が丘を下り始める。


 リーゼが背筋を伸ばした。両手を膝の上に置き、碧い目で城壁を見据える。もう——震えていなかった。


 マルテが帳簿を鞄にしまい、髪を整えた。商人の顔になっていた。交渉の場に立つ準備は——できている。


 健悟は鞄の中の提案書に手を触れた。羊皮紙の束。村の全員の力が詰まっている。数字と署名と技術と——想い。これを伯爵に届ける。


 (国交省では、大臣への説明に行く時——廊下で三回深呼吸をした。今も同じだ。深く吸って、吐く。相手が大臣でも伯爵でも——やるべきことは変わらない。準備した資料を信じて、真っ直ぐに話す。それだけだ)


 城壁が——近づいてくる。城門の前に衛兵が立っている。槍の穂先が朝日に光った。四人を乗せた馬車が、カッセルの街へと入っていく。

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