スワンプマンたちの天国
ルシファーは言葉通り、「天国」を作り上げた。
泥沼の中央に浮かぶ、蓮の花が密集した巨大な浮島。その美しき花びらの地では、人間たちが互いを尊重し合い、慈しみ合い、何不自由なく生活していた。歌声と踊りが絶えることはなく、そこにはかつて地上を覆っていた憎悪も、自己顕示欲に狂った頭の大きい信者の姿もない。
完璧な天国だった。
天国の住民が普通の人間と異なるのは、まばたきをする必要がないことくらいだ。
天国の住民となる新たな人間は、泥沼に架けられた虹の橋を渡ってくる。
橋のふもと、泥沼のほとりでは、人間の姿に化身したルシファーが、命からがら辿り着いた信者たちを迎え入れていた。ルシファーは彼らの血に濡れた手を優しく包み込み、頬に祝福のキスを贈る。――その瞬間、天から落雷が走り、信者は絶命した。
安らかな、だが空虚な表情……。
同時に泥沼からは、死んだ信者と寸分違わぬ姿をした、「心の清らかな泥人形」が生み出される。信者の代わりにスワンプマンが虹の橋を渡り、天国の住民となるのだ。
故にルシファーの作り出した天国は完璧であり、一片の曇りもない、真の平和そのものであった。
レオンハルト率いるイザベルの民は、地下遺跡にて閉鎖的な潜伏生活を余儀なくされていた。
魔法のバリアで「緑の光」の侵入こそ防げたものの、水と食糧の確保は喫緊の課題となった。広大な宮殿のごとき遺跡に、備蓄はない。
空気から水を生み出す魔法は窒息のリスクを伴うため、乱用は許されない。特別攻撃隊とフェンリルたちは、昼夜を問わず壁を掘り進めた。やがて鍾乳洞の地下水脈に突き当たって水の確保に成功すると、さらに数日かけて海沿いの崖へと繋がるトンネルを開通させた。
釣り場を確保し、餓死の恐怖から救われた民は歓喜に沸いた。だが、それもつかの間。この潜伏生活をいつまで続けられるか?という根本的な不安を拭い去ることはできず、人々の心は暗く沈んでいった。
その不安を如実に表すように、元気に走り回る子供たちの肌が、日に日に青白くなっていく。
レオンハルトは民の心を繋ぎ止めるため、国家事業として「石造りの線路」の建設を開始した。
地上から木材を得られないため、石を魔法で削り出した重厚なレールだ。民はフェンリルと共に汗を流し、トロッコを走らせるための労働に没頭した。石を削る粉塵、松明の熱、フェンリルたちの荒い吐息とべろりと垂れた舌、額から垂れて目に染みる自分の汗で、彼らは辛うじて正気を保っていられた。
「……そう言えばさ、ロマールの民は無事なのかな?」
焚き火を見つめ、ルカがぽつりと呟いた。横たわっていたフェンリルの王が、重い瞼を片方だけ開く。
「案ずるな。彼らには智恵の神フヴェズルングが付いておる。我らと同じく、地の底で無事に暮らしておるよ」
「そっか……なら良かった」
安堵したルカに、フェンリルの王が尋ね返す。
「循環システムの解析は順調か?」
「まぁ、順調かな。木の根から魔力を少しずつ抽出して、蓄えていることまでは分かったよ。ただ、何に転用したら良いか検討が付かない……」
二人が語るのは、遺跡の門番たるゴーレムを生成する古代の魔力装置のことだった。ルカ率いる探索隊は、遺跡の天井全体に細い木の根が張り巡らされており、それが魔力装置に収束していることまで突き止めていた。
「魔力装置の変換器を外して、植物を育てる栄養にはできんのか?」
「それも考えたんだけど、肝心の種が無いんだよね。種を採取するために外出したら、緑の光に当てられちゃうし……天井を壊して掘り進めれば、サッと種だけ拾って戻ってくることができるかな?あ、でも天井が決壊して遺跡が埋まっちゃうか」
ルカは自分の馬鹿げた仮定に苦笑した。
「遺跡の天井ではなく、トンネルに枝を作って掘り進め、そこから地上に向かって掘り進めれば良い。井戸を下から作るんじゃ」
「そっか。なるほど」
「その魔力で、ルシファーをぶちのめせないのかよ」
カミロが魚の干物を噛み切りながら、会話に加わってきた。
「できたら苦労しないよ。抽出しているのは、地上の森林を枯らさない程度の微々たる量なんだ。僕たちがゴーレムで訓練した時に、数千年分蓄えた魔力の半分を使っちゃったくらいだしね」
「なんだ、大したことねえな」
「でも、強い武器を作ることなら出来るんじゃないかな?」
グンも話に加わってきた。
「そうだね。それくらいなら、十分過ぎる量の魔力だ」
「ルシファーを倒せる武器、か。一体どんなものだろうね……」
「人間の、強い意志だろうな」
洞窟の奥から、レオンハルトが現れた。彼はグンとブリューの傍らに膝をつき、その頬に優しく口づけをしてから、焚き火の輪に加わった。
「具体的には、どういうこった」
カミロが嫌味っぽく尋ねると、レオンハルトは静かに、だが確信に満ちた声で答えた。
「分からない。だが……確実に、ルシファーの世界は崩壊する」
その真意を測りかね、一同は口を閉ざしてレオンハルトに注目する。レオンハルトは、揺れる炎を見つめながら言葉を継いだ。
「――いや、既に崩壊していると言ってもいい」




