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ビート&ヨーン  作者: ダメだ里香ちゃん


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祈り

森の中を縦横無尽に探索する人影があった。クロスボウを抱え、腰に短剣を携えたゴブリンの歩兵たちだ。

走り出したゴブリンが「キーッ!」「キーッ!」と甲高い鳴き声を響かせて、周囲の仲間たちに獲物の居場所を知らせる。

人間たちはクロスボウから放たれる矢から逃げ惑い、やがて包囲され、神に助けを乞い、それが無理だと分かると、恐怖を撒き散らしながら首を刎ねられた。

人間を生かすことはできない。なぜなら彼らの**『祈り』**は、たとえ牢獄に閉じ込めようとも、猿轡さるぐつわを嵌めようとも、決して止めることができないからだ。

「祈り」とは心の中で行われる不可侵の行為であり、世界を書き換える力でもある。

北の帝国でルシファー教が生まれてから五千年。人間一人一人の祈りは微弱だが、雫が長い年月をかけて岩を穿つように、代々積み重ねられた祈りは世界の秩序を上書きし、歪めてしまった。

ルシファー教の聖書によれば、皆既日蝕が最長時間の七分三十二秒に到達したとき、現世と天国が一瞬だけ癒着し、ルシファーがその姿を現すことになっている。

秩序が書き換えられた以上、ルシファーの顕現はもはや避けられない。ならば、せめてその顕現する力が肥大化せぬよう、信仰の源である「人間」を殲滅せよ。それが神王アザトースの勅令だった。

天井が崩落し、吹き抜けになった玉座の間。そこから見渡すオルドヴィア山脈は、血なまぐさい人間狩りの戦場とは思えぬほど牧歌的で美しい。

ロマール共和国の最高司令官、四つ目のクトゥルヒ人イソグサは、兵士たちが焚き火に聖書を放り込む様を静かに眺めていた。

人間の中でも特に信心深い者は、どれほど貧しく苦しい逃亡生活にあっても聖書を手放さず、略奪も行わず、教えに忠実な「善人」であろうとする。

だがイソグサにとって、その清らかな祈りこそがルシファーの最大の糧であり、優先して抹殺すべき害悪であった。逆に、生きるために信仰を捨て、同胞を襲う野盗などは放っておいても構わない。むしろ野盗を「信心深い人間を炙り出してくれる潜在的な戦力」と見なし、深追いせぬよう命じていた。

現場の報告によれば、人間は聖書を神格視しており、剣で刺そうとも火で炙ろうとも決して傷つけることができないと本気で信じているらしかった。だから聖書を盾にして、ゴブリンたちの攻撃を防ごうとしてくるのだと言う。

また、聖書を傷つけた者には天罰が下ると、勝ち誇ったように脅してくるのだと言う。聖書は傷つけられないのではなかったのか?と思うが、そういった矛盾は人間には通用しないらしい。

兵士たちはみな、口々に人間を『イカれている』と評した。

イソグサは、手元にある一冊の聖書を眺めた。かつて人間の行動原理を分析し尽くした、研究の日々の名残だ。彼はそれを懐かしむようにパラパラとめくると、そのまま焚き火の中へと放り投げた。

突然降ってきた聖書に驚いた兵士たちが見上げると、最高司令官と目が合う。彼らは気勢を上げ、短剣を空に突き出した。

イソグサは知っている。この聖書に記された「強烈な自己肯定」こそが、奴らを矛盾から抜け出せなくしている元凶であることを。

ルシファー教の創設者と弟子たちは、聖書のなかで人間をルシファーに命じられて現世に遣わされた平和の使者と定義し、ルシファーに代わって平和をもたらすために暴力を振るって良い正義の執行人と定義し、死後はルシファーの元に帰る天国の住人と定義し、この強烈な自己肯定で、民の自然な判断力を麻痺させて、為政者にとって都合の良い善悪の基準を植え付けること成功したのだ。

彼らは衛生管理のために、細菌に汚染されている可能性の高い動物を『不浄な生き物』として食べることを禁止し、治安を守るために善人であることを推奨し、経済を発展させるために、他の動物を家畜として利用することを推奨し、領土を広げるために、異教徒を殺すことを推奨した。

イソグサは、それが欺瞞であることを除けば、その統治システムの見事さに感動すら覚えていた。

聖書を読み込むほどに、奴らが自省する可能性など皆無であると確信できた。もっと早く、自省を待つ神々の慈悲などが届かぬうちに息の根を止めていれば……。その悔恨は消えないが、やるべきことはやった。やり遂げた。という自負はあった。

ルシファー教の本拠地たる北の帝国を粉砕し、聖職者たちを血祭りに上げた。フェンリルの女王の裏切りやエグリアンプ城の墜落といった不測の事態はあったが、準備していた機械兵団によって、人間の国家は全て灰塵に帰した。

フェンリルの子供と人間による「特別攻撃隊」には煮え湯を飲まされたが、同族を守ろうとするその意志には、敵ながらあっぱれと敬意すら抱いている。

眼下では、宴の準備が着々と進んでいく。ぞろぞろと帰還する兵士たち。入れ替えで出撃する部隊はもういない。

今夜は宴だ。そして、日蝕は明朝。

世界の秩序を取り戻すための最終決戦が静かに始まろうとしていた。


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