覚悟の時
翌朝、銀色の毛並みのなかでルカは目を覚ました。どんな最高級の寝具も及ばない安らぎ……
目は覚めたが、起きたくはない。昨日の幸せを逃がさないように、その逞しい身体をガシッと抱きしめる。毛のなかに鼻を埋めてくんくんと臭いを嗅ぐ。
(……この匂いはブリューだッ!間違いないッ!)
寝返りを打ち、今度はグンの身体を力いっぱい抱きしめる。そして再び深呼吸。
(……この匂いはグンだッ! 間違いないッ!)
恍惚の表情で交互に「くんくん」を繰り返すルカ。
(堪らん……堪らん……一生ここにいたい……)
「いつまでやってんだ」
カミロの冷めた一言で我に返った。しかしルカは顔を上げずに「うるさい! 今いいところなんだから!」と一喝。やめる気はない。
今までも二人は自分を案じて、こうして挟んで寝てくれていたのだ。その優しさに心から感謝できぬほど、幸せを味わえないほどに自分の心は疲弊していたのだと気づかされた。だから今日だけはしっかりと二人の優しさを、この幸せを噛み締めたかった。
「起きろ、ルカ。作戦会議を始める」
「はい!」
とは言っても王様の命令には逆らえない。ルカは飛び起きて居住まいを正した。
カミロが広げた紙は、薄黄色の粉末を塗って、何度も上書きした考察の痕跡で埋め尽くされている。レオンハルトは腕を組み、険しい表情で口を開いた。
「まずは現状の把握だ。昨晩の偵察でも分かったことだが、未だに神々の軍勢は現れていない。神々に兵站は無縁だろう。人間の文明が滅ぼされた今、人間からの反撃に備えて戦力を温存する必要もない」
「そもそも人間と神々じゃ戦いにならないでしょう?クトゥルヒ人なんかに任せずに、最初から神々が人間を攻めたら、一瞬でこの戦争は終わってたんじゃない?」
ルカの素朴な疑問にレオンハルトとカミロが頷く。
「その通りだ。では、なぜ神々は人間をここまで放置したのか?考えられる可能性は一つ。人間が自省し、行いを改める可能性をギリギリまで信じて待った……神々の慈愛の深さを考えれば、ここまでは合っているだろう」
「それでも、今もなお神々が軍勢で攻めてこない理由にはならない……」
「腑に落ちないことはそれだけじゃない。どうやら魔王軍は野盗と化した人間の残党を執拗に追い回してはいないようだ。見つけ次第、襲ってはくるが、深追いはしていない。おかげで野盗は全滅を免れ、争いを続けている。まるで、この凄惨な状況をあえて長引かせているかのようだ」
「でも、そうだとしても長引かせる理由が分からない……。戦争はもう終わってるんじゃないのかな?人類の文明は破壊し尽くした。だから残党狩りもそこまで急ぐ必要はない。僕たち特別攻撃隊もまだ生きている。魔王軍の立場からすれば、深追いすると罠に嵌る危険がある」
「その可能性が一番高いと私も考えている。魔王軍は我々特別攻撃隊を抹殺し、任務完了となる。ただし急ぐ必要はない。故にこの生殺しのような状態が続いている。それなら全て腑に落ちるんだ。未だに魔王軍がオルドヴィアの跡地に本陣を構えている理由も、神々が軍勢で押し寄せてこない理由も」
「わざわざ軍勢で押し寄せる必要がないから、そうしないだけってことだね?でもそうなると、神々の小部隊くらいは送り込んでいるはずだ。なにせ僕たちは三柱も神を殺してる。ある程度は警戒するはずだ」
「いずれしても……救助活動を辞めた以上、我々は覚悟を決めなければならない。再びフェンリルの王に拝謁し、神王に赦しを乞う。それでダメなら、神々と戦うしかない」
「……国民にはどう伝える?」
ルカの問いに、レオンハルトは迷いなく答えた。
「正直に、ありのまま伝えるしかないだろう。嘘を吐いてなんになる。……残酷か?」
ルカは力強く首を振った。
「残酷じゃない。イザベルの王は国民に対して常に誠実であるべきだ」
深夜のオルドヴィア山脈は不気味なほど静まり返っていた。
歪な自動歩兵機の大軍が、崩壊した建物の間を埋め尽くしている。今は亡きレオンハルトたちの故郷、かつての栄華の欠片もないオルドヴィア王国の跡地に魔王軍の本陣はあった。
天井が崩落して吹き抜けになった玉座の間――、かつてレオンハルトの父王がいた玉座を占拠しているのは、四つ目の悪魔だ。
細長い六本指で掴んだグラスの中――、ワインの水面に微かに波紋が生じた。音も風もなく彼の背後に現れた銀色の影は、フェンリルの王だった。
四つ目の悪魔は振り向くことなく、前を見据えたまま話し掛ける。
「……なんだ、奴らの奇襲じゃないのか」
「その奴らから言付けを預かってきた。レオンハルトたちはお前たちとの『和睦』を望んでいる」
「……和睦?今さらなぜ?必要ないだろう」
「レオンハルトたちにとっては重要なことだ。お前たちの奇襲に怯えて暮らす必要がなくなるのだから……お前たちとて同じだ。和睦を結べば、レオンハルトたちの奇襲に怯える必要もなくなる」
四つ目の悪魔はフェンリルの脅しを鼻で笑った。
「我が軍は奴らの奇襲など恐れていない」
「お前はそう思っていても、下々の兵隊はどうだろうな?」
フェンリルの王の鋭い眼光に、悪魔はしかめ面で思案に沈んだ。
やがて彼は、傍らに佇む獅子仮面の上位魔族に手をかざし、跪くよう促した。
「人間というのは、思い込みが激しい獣だからな……いつ暴走するか分からん。念の為、和睦を結んで奴らの溜飲を下げておけ」




