無意味の連鎖
城塞近辺の村のほとんどは、洞窟で原始的な生活を営む部族だった。魔王軍が都市の破壊を優先したことで、たまたま難を逃れた彼らは、救助に訪れたレオンハルトたちに対し、一貫して冷淡だった。
「我らは関係ない。お前たちが始めた戦争に我らを巻き込むな」
彼らには自分たちもターゲットになっているという危機感が欠落しており、救いそのものを必要としていなかった。
そんな彼らが唯一、強い関心を示したのは神話に登場する「フェンリル」としてのグンとブリューだった。だがそれは敬意ではなく、どす黒い渇望だった。
「フェンリルの血を飲めば永遠の命が得られる。……その獣の血をよこせ」
無根拠なおとぎ話を信じ、グンとブリューを「血の袋」としか見ていない。カミロが「次同じことを言えば首を刎ねる」と警告しても、彼らは鼻で笑うだけだった。
「お前らは我らを助けにきたのか? それとも殺しにきたのか?」
救助活動そのものを小馬鹿にし、「血をよこすなら救われてやってもいい」とまで豪語する。その横柄さに、カミロが無言で得物に手をかけたのを、ルカが必死に止める。人類絶滅の間際の貴重な時間を費やして回った村々は、結局、腸が煮えくり返るような不快感だけを残し、完全な無駄足に終わった。
レオンハルトたちの読み通り、その日の晩にメルカトリアは陥落した。魔王軍は一時も休まず、そのままオルドヴィアへの侵攻に移行。
そこまで追い詰められて国王はようやく軍を出撃させたが、焼け石に水。魔王軍は歯牙にもかけず、オルドヴィアの街に雪崩れ込んで人間は殲滅された。
しかし、皮肉にも人類は粘り強かった。散り散りに逃亡した者たちは、生き延びるために小規模な野盗を結成。同胞である人間の村を襲い、食糧を奪い、女子供を労働力や「移動の盾」としてさらう。地獄の中で、人類は人類を喰らう共喰いを始めたのだ。
辺境の村々も黙って奪われる側に甘んじるわけがない。同じく野盗を結成し、野盗同士の命懸けの強奪戦が始まった。果ては人殺しの快楽に目覚める者まで現れ、世界は魔王城に踏み潰された王都の人々の方が「マシだった」と思えるほどの修羅の国へと変貌を遂げた。
「……自分たちは、何のために戦っているんだ?」
一人でも多くの人間を救おうと活動を続ける特別攻撃隊を、底知れぬ無力感が襲う。
昨日、強盗から助けられ泣いて感謝してきた少年が、翌日には別の人間を襲い、食糧を奪っている。その現場をレオンハルトたちに見つかった際の、バツの悪そうな顔。そして一転して「皆やっていることだ! こうしなければ生きられない!」と吠える、剥き出しの本性。
自分たちの行っている救助活動は果たして善行なのか、悪事に手を貸す悪行なのか、その境界すら分からなくなっていった。
助けた子供を「イザベル共生領」に招き入れようとすれば、自分こそふさわしいと割り込んでくる少年少女たち。イザベル共生領の理念を大袈裟に称賛し、労働力をアピールし、必死に庇護を懇願してくる姿は醜悪だが、生きるのに必死な彼らを無碍にはできない。
だが、そうして紛れ込んだ者たちは、安定した生活に慣れるとすぐに牙を剥いた。
「私が食糧を取ってきたからお前らは生きていられるんだ」、「感謝しろ」、「敬え」、「お前にはなにも与えてやらない」と彼らは自分より力の弱い子供や、抗う言葉を持たぬ動物を支配し、人目につかない場所で虐待した。
そんな者たちを見つけては注意し、再犯すれば警告し、それでも繰り返せば拘束魔法で捕らえ、二度と領内に侵入することがないよう、遠方の野に放つ。また、あらかじめそうなることを想定し、領内に招き入れる時は目隠しをさせることを徹底し、どこに隠れ家が存在するのか分からなくした。
人を助け、助けた人を追放する。この**「無意味の連鎖」**が、延々と続いた。
司法官の役を買って出たルカの心は、一滴の水もない砂漠のように荒廃していった。
手足に拘束魔法を掛けると、最初は泣き落とし。それが通用しないと分かると逆上。口を塞ぐと、罪人は芋虫のように悶え、涙を滲ませてルカを睨みつけてくる。
どれほど憎悪の視線を向けられようと、ルカの心は一ミリも動かなかった。心臓が機械に、冷たい鉄に変わってしまったようだった。
「追放」の作業はグンとブリューの足なら一瞬で終わるが、ルカはそれを許さなかった。人間を信じて戦ってくれている彼らに、国家の希望の象徴である彼らに、こんな汚れ役をさせるわけにはいかない。ルカはどんなに時間が掛かろうとも自らの足で罪人を連行し、野に放ち続けた。イザベル共生領の治安維持のために、人間と動物が共に暮らす理想郷の礎を築くために、その一念を燃料に動く機械として――。
救助活動に出たレオンハルトたちが帰還した瞬間だけ、ルカの顔に光が戻った。だが出迎えのキスを早々に済ませると、彼はすぐに汚れ仕事へと戻っていく。家族団欒の時間を削り、心を削り続けるその小さな後ろ姿を見て、カミロが呟いた。
「……このままでは、ルカが廃人になってしまう」
彼はレオンハルトに向き直り、進言した。
「もう辞めないか。……救助活動」
思案に沈むレオンハルトに、カミロの苛立ちが爆発する。
「今いる連中だけで十分だろうが! 救助活動のせいで国が崩壊したら、元も子もねぇんだよッ!」
カミロはグンとブリューに助けを求めた。
「お前らもそう思うだろ!なんなんだよこれ!なんの意味があんだよッ!人助けして、そいつに治安乱されて、追放して……プラマイゼロじゃねぇか!いや、治安乱されただけマイナスじゃねぇか!加害者を追放したら、はいそうですかって被害者の心が一瞬で回復するわけじゃないんだぞ!心を癒す魔法なんてないんだぞ!俺たちが神々に抗う準備期間も失って!全部マイナスなんだよ!」
ブリューが短く「ウォンッ!」と吠えて同意を示す。グンもまた、静かに、しかし重い言葉を口にした。
「パパ……僕たちが人間を助けたいと言ったから、救助活動にこだわってくれているの? ごめんね……こんなことになるなんて思わなくて……」
レオンハルトは渋い顔で黙り込み、猛省していた。自分たちは善い行いをしているのだと、偽善心に浸っていたつもりはない。だが、人類の希望となる子供がまだ居るかもしれない、まだ居るかも知れないと救助活動を優先するあまり、ルカを、家族を、そして国民を蔑ろにしていたことに気づかされた。気づくのが、遅すぎたッ……!しかし反省は後だ。
レオンハルトは王として、揺るぎない決意で国の方針を固めた。
「カミロの言う通りだ。これ以上の国民の誘致は国を崩壊させかねない。明日からは偵察に専念し、我らも『国造り』に汗を流す。それを国民の前で宣言しよう」
カミロはやれやれと溜息を吐き、だが力強い眼差しで胸を叩いた。
「イザベル王の、仰せのままにッ!」
グンとブリューも力強い吠えで続いた。
「ゥウォンッ!」「ウォウォンッ!」




