イザベル共生領
建国の土地であるオルドヴィア山脈を目指し、ルカたちがメルカトリアの重厚な門をくぐろうとした時だった。ありったけの荷物を抱え、不安と期待の入り混じった表情で佇む数人の人影が見えた。
それは、嘲笑の嵐の中で唯一、彼らの言葉を信じ、共に歩むことを選んだ移民希望者たちだった。
それを見つけた途端、ブリューの瞳にパッと希望の光が灯る。
「ウォンッ!」
一気に駆け出してそこまで辿り着くと、温かな人々の歓声がブリューを包み込んだ。恐れることなく伸ばされる手に、ブリューは千切れんばかりに尻尾を振って応える。
「……分かってくれた人も、いたんだね」
ルカは嬉しさのあまり、滲んだ涙を袖で拭った。だが、感傷に浸っている暇はなかった。
背後から迫り来る、激しい蹄の音。ルカたちを追ってきた、メルカトリアの騎馬兵だった。
「お待ちくだされ! ルカ様! カミロ殿!」
聞けば、見たこともない禍々しい自動歩兵機の大軍勢が、ここメルカトリアに向けて北から迫ってきているという。
既に魔王軍の改造機と一戦交えているルカたちは、すぐにピンときた。とうとう始まったのだ。魔王軍と、神々と、そして人類による、総力戦が――。
「悪いが、僕たちはこの人たちを無事に送り届けなきゃならない。僕たちの母国――『イザベル共生領』へ」
ルカの拒否に、当然のように勇者が自分たちを助けてくれると信じていた騎馬兵は、呆気に取られた。
「……我々を見捨てると? 人類を助けては下さらないのですか!?」
「もう助けたぞ。その救いの手を払ったのは、誰だ?」
カミロの冷ややかな言葉に、騎馬兵の驚きは即座に醜い怒りへと変貌した。
「ふっ……ふざけるな! あれだけ良くしてやったのにッ! 宮殿の客室を貸し与え、国を挙げてパレードまでしてやった! 国費を……いくら使ったと思っているんだ! そこの移民だって、我が国が演説を許したから現れたのではないかッ! 返せ! その連中をこの国に戻せッ! そうすれば貴様らに戻る国はなくなる! 否応なしにここで戦えッ!」
その言葉に、ルカたちは絶句した。感謝を強要し、恩で命懸けの戦いを強要する。なんと身勝手な、搾取の論理か。
代わりに声を上げたのは、移民たちだった。
「私たちはこの国の所有物じゃない!」「勝手に決めるな!」「私は、私の生きたい国で生きるんだ!」
ドンッ、と重い音が響いた。
矛の石突が地面を激しく叩いた音に驚いてルカが隣を見ると、カミロが冷めきった目付きで騎馬兵を見据え、剥き出しの敵意を放っていた。
カミロはブリューから降りて、静かに進み出る。
「……俺一人でいいか?」
その提案に騎馬兵は一瞬混乱し、すぐに拒絶した。
「あんたじゃダメだっ!その山犬!そいつをよこせ!俺たちが上手く使ってやる!」
次の瞬間――男の首が、視界から消えた。
血飛沫が舞い、一帯に甲高い悲鳴が響き渡る。
ルカは驚愕のあまり硬直し、ブリューは「なんてことするんだ!」と言わんばかりに、カミロの背中を鼻先で突いて抗議した。しかし、カミロは返り血を拭うこともせず、移民希望者たちに淡々と告げた。
「見ての通りだ。こういう勘違い野郎は、俺たちのイザベル共生領では生きていけない。……今の処刑に納得できない奴は、諦めてこの国に残れ」
カミロは値踏みするように、一人一人に氷のような視線を送っていく。
「この中にもいるだろう? メルカトリア軍より俺たちの方が強そうだ。獣と同格に見られるのは鼻持ちならんが、今はこいつらに付いて行った方が得だ……なんて動機の奴が」
その凄まじい威圧感と選別。重圧に耐えかね、一人、また一人と人が抜けていく。最後に残ったのは、震えながらもブリューの毛並みを掴んで離さない、一組の家族だけだった。
「……カミロ、なんてことするんだ。人を殺しちゃダメだ……!」
ようやく意識を取り戻したルカが、震える声でその暴挙を諭す。だが、カミロはそれを「甘い」と一蹴した。
「処刑しなきゃ国民に示しがつかん。俺たちはもう、イザベル共生領の法の下で生きてるんだ。人と獣を同等に扱うと決めた以上、ここでケジメを付けずにズルズルと人間を優遇し続けたら、法はあってないようなものになる。……何も変えられないぞ」
ルカは、カミロの言い分に一理あることを理解してしまった。だが、それでも認められない一線があった。
「だからって、殺すのは違うだろッ! 今のはどう見ても、死に値する罪じゃない!」
「俺には殺すほどの罪に思えたが? あいつはブリューを、国民を物として扱った重罪人だ。」
一歩も引かないカミロ。ルカは腹に力を込め、睨み返した。
「ダメだ! やり過ぎだ! これじゃあただの恐怖政治だ! ……次は、僕が罪を決める。いいね?」
「……罪を決めるだけじゃダメだぞ。処刑まで完遂しろ。お前のような甘ちゃんに、それができるのか? 可哀想だからと手を止めれば、治安は守れない」
「で、できるさ! 僕は甘ちゃんなんかじゃない!」
「……ちゃんと殺せよ。死に値する罪を犯した者を」
カミロに至近距離で凄まれ、ルカは思わず唾を飲み込んだ。だが、退くわけにはいかない。
「……分かったよ。やるさ。その時は」
レオンハルトとグンが木陰を離れようとした時、荷物を抱えた一団が現れた。
「王子……いや、イザベル国王!お供させて下さい!」
レオンハルトに仕え、傍で特別攻撃隊の勇姿を見てきた使者たちだった。それとは別に移民希望者の老若男女が十数人……合わせて三十人は居る。
レオンハルトは十分だと思った。この人々が真の愛を育み、人類の歴史を一からやり直す。繁殖を急ぐことも、領土の拡大を急ぐ必要もない。それよりも二度と人類が道を踏み外すことのないよう、着実に一歩ずつ進むことの方が大切だ。だから……三十人の男女がいれば、十分だ。
「私の言葉を信じてくれて、ありがとう。君たちが人類最後の希望だ。特別攻撃隊が、命にかえても君たちを守り抜こう!」
イザベル共生領の国民たちが始めに手を付けたのは、隠れ家作りだ。これから始まる神々の総攻撃に備えて身を潜めるアジトを築かなければならない。
国民総出で洞穴に食糧を運び入れていると、一組の家族を乗せたブリューが現れた。カミロとルカの姿はない。それで国民の移動を優先させたのだと分かる。
「ゥ~ウォンッ!」
ブリューの短く、しかし切迫した吠え声を聴き、グンの表情が険しくなる。彼はすぐさまその言葉をレオンハルトへと伝えた。
「パパ、魔王軍がメルカトリア領に侵攻した。カミロとルカはまだメルカトリアに残ってる!」
その場の空気が凍り付いた。ようやく安住の地を築き始めたばかりのレオンハルトに、再び戦火の影が忍び寄る。カミロとルカ、二人の戦友を救うため、そしてこの小さな希望の灯を守るため、彼は再び過酷な決断を迫られることとなった。




