フェンリルの女王
~特別攻撃隊の紹介~
【レオンハルト】
辺境の小国、オルドヴィア王国の王子。魔王を討つため、特別攻撃隊を編成した。度が過ぎるほどの生真面目。
【グン】
レオンハルトに育てられたフェンリル(神獣の銀狼)の双子の兄。冷静沈着で自信家。
【カミロ】
騎士。故郷の村を魔族に蹂躙された過去を持つ。陽気で荒っぽい。
【ブリュー】
カミロに育てられたフェンリルの双子の弟。好奇心旺盛で無鉄砲。
【ルカ】
魔法使い。奴隷のように働かされていた採掘場から連れてこられた。温和で仲間思い。
ルカが意識を取り戻したとき、そこはすでに山麓だった。
「なぜ……わざわざ馬車を降りて、こんな険しい山を……」
震える声で問うルカに、先を行くレオンハルトもカミロも答えなかった。
標高が上がるにつれ、空気は刃のように冷たく鋭くなっていく。ルカは支給されたポーションを喉に流し込み、その空き瓶に残った数滴すら惜しむように、ポーションを染み込ませた布をパンパンに張ったふくらはぎに貼り付けた。
「はぁ、はぁ……っ、待って、ください……!」
這いつくばるようにして二人の背を追う。気づいたときには、周囲の気配が一変していた。
そこは、音のない世界。
木々の隙間から、月光を反射する銀色の毛並みが、幾つも、幾つも見え隠れする。伝説に名高い、山の神とされる狼の群れ――フェンリルだ。
ルカはカミロの上着の裾を引っ張って、哀願するように確認した。
「……フェンリルだよね?」
カミロは頷いただけ、その異様な光景を、乾いた瞳で見つめていた。
レオンハルトが無言で懐から、王家の紋章が刻まれた銀の聖杯を取り出した。
「……効くかは分からん。だが、無作法に踏み入るよりはマシだろう」
(王子は何を考えてやがる。王家の秘宝を持ち出して、化け物どもの巣窟に丸腰で飛び込むなんてのは、勇敢じゃねえ。ただの自殺志願者だ)
カミロは、前線で顔を半分潰されてなお立ち上がったレオンハルトの横顔を盗み見る。この男は帰国してから一度も、死んだ兄のためにも、泣き叫ぶ家族のためにも、涙を一滴も流していない。その徹底した「情の欠如」に、カミロは同じ地獄を見た戦友として、敬意よりも先に薄気味悪さを感じていた。
聖杯の効き目かどうかは分からないが、結局、牙を剥きかけていたフェンリルたちに襲われることなく、一行は無事に最奥の祭壇に辿り着くことができた。
白銀の小山のような巨躯が座しているのが見える。フェンリルの女王である。
「人間よ。聖杯に免じて、言葉を発する権利を与えよう」
地響きのような声が頭蓋に直接響く。レオンハルトは跪き、真っ直ぐに女王を見据えた。
「私はこれから一年を掛けて特別攻撃隊を鍛え上げ、魔王の幹部を討ちます。そのために、貴きフェンリルの子が欲しい。戦略の要として、共に戦場を駆ける翼が」
女王は喉の奥で、嘲笑うように鳴いた。
「人間。我ら一族を、馬の代わりに使おうというのか? 傲慢な。馬で我慢するがいい」
「馬では耐えられない。魔族の暴力にも、我らが背負う死の重さにも。……私にできることなら何でも差し出します。王族の命か、土地か。要求して下さい」
レオンハルトの懇願に、女王の黄金の瞳が細められた。
「……何もいらぬ。ただ一つ、問おう。……なぜ我らが神と呼ばれているか、その理由は……神と人間の違いとは何だ?」
「……神は絶大な力を持ち、脆弱な人間を護る者、だと理解しています」
「否」
女王は冷たく切り捨てた。
「神と人間の違い、それは『愛を知っているか』だ。神が人間に愛を教えたのだ。お前たちは忘れているが、人間も元々は他の魔族と大して変わらぬ、貪欲で邪悪なだけの存在だった。愛を知り、守るべき他者を知ったことで、お前たちはようやく人になった」
女王は立ち上がり、その巨躯からは想像できないほど優雅に舞い降りると、レオンハルトの前に二頭の、まだ目の開いたばかりの赤子を咥えて差し出した。
「レオンハルト。お前は、死に場所を求めて彷徨う哀れな人間に過ぎぬ。今のままでは、お前はただの壊れた道具だ」
女王の鋭い眼光が、レオンハルトと、その影に潜むカミロを射抜く。
「この子たちに愛を誓いなさい。自分よりも、自分の親よりも、そして実の子よりも、この子らを大切にすると。それができるなら、我が子をお前たちに授けよう」
女王の要求を聞き、カミロは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
(狂ってやがる。実の子よりも、この獣を愛せだと?)
カミロは隣に立つ王子を見た。レオンハルトはつい数日前、身重の妻を、泣きじゃくる家族を、まるで道端の石ころでも蹴飛ばす冷淡さで振り切ってきた男だ。そんな男に「愛」を誓わせる。それは女王による最大級の皮肉に思えた。
だが、レオンハルトは即答した。
「誓おう。私の命よりも、親よりも子よりも、王家の誇りよりも、この子らを尊び、共に地獄を駆けることを」
迷いのない声。その滑らかさが、カミロには恐ろしかった。
(嘘だ。この男は今、平然と嘘を吐いた。目的のために、神を欺こうとしている。……いや、違うのか?)
レオンハルトの瞳には、欺瞞も、熱い感情もなかった。ただ、目的を遂行するために必要な手続きを淡々とこなしているような、不気味なほどの「無」があった。
(……ああ、そうかよ。あんたが地獄に落ちるってんなら、俺も付き合うぜ)
カミロは自嘲気味に口角を上げると、震える拳を握りしめ、血を吐くような思いで言葉を絞り出した。
「誓います。この子らの命を、俺の魂よりも大切にし、守り抜くと」
沈黙が流れる。やがて女王はゆっくりと首を下げ、赤子を二人の足元に置いた。
「ゆけ。その誓いが偽りであれば、その牙がお前たちの喉を裂くことになるだろう」
レオンハルトに続いてカミロは、温かな赤子を抱き上げた。
カミロは、レオンハルトが抱いた赤子を横目で見ながら、独りごちた。
(愛、か。……そんなもん、あんたのどこに残ってるってんだよ、王子)
神を欺いたのか、それとも新しい呪いを引き受けたのか。
カミロは、これから始まる「一年」という名の狂気が、これまでの戦場よりもさらに深く、暗い場所へ自分たちを連れて行くことを確信していた。




