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闘戦経について

闘戦経(とうせんきょう)】    


【闘戦経】は平安時代(794年~1185年)末期、大江匡房(おおえのまさふさ)(1041年~1111年)が(あらわ)した(大江維時(おおえのこれとき)(888年~963年)とも言われている)現存53章から成る『武士道の基本』となる日本最古の兵法書(へいほうしょ)である。


大江家は代々朝廷(ちょうてい)(つか)え、また朝廷の書物を管理する家でもあり、大江匡房も幼少(ようしょう)の頃から多くの書物に()れて育った。

其れらの書物の中に【孫子】があり、大江匡房は【孫子】の専門家でもあった。

だからこそ大江匡房は、【孫子】を後世(こうせい)に伝えることの危険性に気付いた。


【孫子】は『知略(ちりゃく)』『策略(さくりゃく)』『謀略(ぼうりゃく)』に重きを置いており、其の思想は日本の伝統や文化、時代背景とは大きく異なっていた。


「もし【孫子】を其のまま後世に伝え日本が其れを受け入れれば、日本は合従連衡(がっしょうれんこう)の策を駆使(くし)した戦い方が主流となる。

そうなれば国の中で(ゆが)みが生じ、裏切りや対立が横行(おうこう)し、日本も(いず)(かん)(中国)のように無秩序(むちつじょ)な世界に(おちい)ることになるであろう」


大江匡房は、憂慮(ゆうりょ)した。


「戦に()いて『知略』『策略』『謀略』は、ある程度必要ではあるが、其れに特化(とっか)してはならない」


策士(さくし)策に(おぼ)れ、策により策が瓦解(がかい)することになれば其れは無策となるだけでなく、其の策が(がえ)って(あだ)となる可能性がある」


「『知略』『策略』『謀略』は人々を疑心暗鬼(ぎしんあんき)に陥らせ、懐疑的(かいぎてき)な世界をつくり、其の世界は何れ信頼関係を破綻(はたん)させることになるであろう」


「信頼関係で成り立っている日本に、『詭弁』を(ろう)する【孫子】の(おし)えは合わない」


「【孫子】の訓えを全て受け入れることは、何れ日本の脅威(きょうい)となる」


「【孫子】を伝え続ければ日本が日本でなくなり、日本人が日本人でなくなる」


大江匡房は【孫子】を学び、知り、気付いたからこそ、「本当に学ぶべきことは何か」「本当に伝えるべきことは何か」「取り返しのつかないことが起こる前に対処できることは何か」を考え、答えを(みちび)き出した。


そして後世の為に、【闘戦経】を書き(のこ)した。


前九年(ぜんくねん)(えき)(1050年~1062年)の後、勝利した源義家(みなもとのよしいえ)(1039年~1106年)は大江匡房から秘書(ひしょ)である【孫子】と共に【闘戦経】を伝えられ、学んだ兵法を用いて後三年(ごさんねん)(えき)(1083年~1087年)で再び勝利を手にした。


大正(たいしょう)以降の海軍兵学校や海軍大学校では、【闘戦経】が講義で使用されていた。


そして今も、【闘戦経】は伝えられている。


日本の戦い方は、昔も今も変わらない。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



【闘戦経】


〖第一章〗

我武在(わがぶなるものは)天地初(てんちのはじめにあり) 而一気(しかしていっきに)両天地(てんちをわかつ)

如雛(ひなのたまごを)割卵(わるがごとし)

故我道(ゆえにわがみちは)萬物根元(ばんぶつのこんげん) 百家権與也(ひゃっかのけんよなり)


〖第二章〗

此為一(これはいちとなし) 彼為二(かれはにとなす)

何以諭(なにをもってわと)輪與翼(つばさとをさとらん)

奈何者固(いかなるものかへたを)蔕載華(かためはなをのす)

信哉(まことなるかな)

天祖先以(てんそまづぬぼこを)瓊鋒造馭矣(もってじまをつくる)


〖第三章〗

因心因こころによりきによるもの気者未也(はいまだしなり)

不因心不因こころによらずきによらざる気者未也(ものもいまだしなり)

知不有知(しりてちをたもたず) 慮不有慮おもんぱかってりょをたもたず

密識而化骨ひそかにしりてほねとかし 化骨識矣(ほねとかしてしる)


〖第四章〗

金知為金矣金(きんはきんたるをしる)

土知為土(つちはつちたるをしる)

則金為為金矣即すなわちきんはきんたることをなす

土為為土つちはつちたることをなす

爰知天地之道ここにてんちのみちはじゅんいつ純一為宝矣をたからとなすことをしる


〖第五章〗

天以剛毅不傾てんはごうきをもってかたむかず

地以剛毅不堕ちはごうきをもっておちず

神以剛毅不滅かみはごうきをもってほろびず

僊以剛毅不死せんはごうきをもってしせず


〖第六章〗

在胎而骨先成たいにありてはほねまづなり

在死而骨先残しにありてはほねまづのこる

天翁與地老てんおうちろうときょう以強為根(をもってねとなす)

故李眞人曰ゆえにりしんじんいわく 実其骨矣(そのほねをじつにすと)


〖第七章〗

有風払黄(かぜきをはらいしも)霜萎蒼(あおきをしぼますあり)

日南而無暖ひみなみにしてだんなし

仰観造化有断あおいでぞうかをみるにだんあり

知吾武在中也わがぶのなかにあるをしる


〖第八章〗

漢文有詭譎かんのぶんはきけつあり

倭教説眞鋭わのおしえはしんえいをとく

詭哉詭哉(きならんやきや)

鋭哉鋭哉(えいならんやえいや)

以狐捕狗乎きつねをもっていぬをとらへんか

以狗捕狐乎いぬをもってきつねをとらへんか


〖第九章〗

兵道者(へいのみちは)能戦而巳(よくたたかうのみ)


〖第十章〗

先学仁乎(まづじんをまなばんか)

先学智乎(まづちをまなばんか)

先学勇乎(まづゆうをまなばんか)

壮年問道者そうねんにしてみちをとふものは失南北矣(なんぼくをうしなふ)

先呑水乎(まづみずをのまんか)

先求食乎まづしょくをもとめんか

先取枕乎(まづまくらをとらんか)

百里而疲者ひゃくりにしてつかるるものは奈彼是矣かれこれをいかんせんとす


〖第十一章〗

眼雖崇明めはめいをとうとぶといえども 豈願三眼あにさんがんをねがはんや

指雖為用ゆびはようをなすといえども 豈為六指あにろくしをもちいんや

善亦善者ぜんのまたぜんなるものはかえって却非兵勝之術へいしょうのじゅつにあらず


〖第十二章〗

説死説生(しをときせいをとくも) 不弁死與生(しとせいをべんぜず)

而忘死與生しかしてしとせいとをわすれて 而説死與生之地しとせいとのちをとくべし


〖第十三章〗

孫子十三篇(そんしじゅうさんへん) 不免懼字也おそれのじをまぬがれず


〖第十四章〗

気者得容生きはかたちをえてしょうじ 亡容存かたちをうしなってそんす

草枯猶くさかるるもなほやまい癒疾(をいやす)

四体未破而(したいいまだやぶれず)心先衰者こころまづおとろふるは 非天地之則也てんちのそくにあらざるなり


〖第十五章〗

魚有鰭(さかなにひれあり) 蟹有足(かににあしあり)

倶在洋(ともにようにあり)

曾以鰭為得乎かつてひれをもってとくなさんか 以足為得乎あしをもってとくとなさんか


〖第十六章〗

物之為根者五矣もののねたるものいつつあり

曰陰陽(いわくいんよう)

曰五行(いわくごぎょう)

曰天地(いわくてんち)

曰人倫(いわくじんりん)

曰死生(いわくしせい)

故見其初之ゆえにそのはじめのはじめ始者為(をみるものはかみたり)

神神而為衆かみにしてしゅうじんのために人舌者為聖ぜつたるものをせいとなす


〖第十七章〗

軍者有進止而無奇正ぐんはしんしありてきせいなし


〖第十八章〗

兵者用稜(へいはりょうをもちふ)


〖第十九章〗

儒術死(じゅじゅつはしし) 謀略逃(ぼうりゃくはのがる)

見貞婦成石ていふのいしとなるをみれども 未見謀士残骨いまだぼうしのほねをのこすをみず


〖第二十章〗

将有胆(まさにたんありて)軍無踵者善也ぐんにきびすなきものはぜんなり


〖第二十一章〗

先得翼乎(まづつばさをえんか)

先得足乎(まづあしをえんか)

先得觜乎(まづくちばしをえんか)

無觜者(くちばしなきものはい)難全命のちをまっとうしがたし

無翼者難遁締つばさなきものはわなをのがれがたし

無足難求食あしなきものはしょくをもとめがたし

嗚呼奈何乎我是ああわれこれをいかんせん

却生蝮蛇毒矣かえってふくじゃのどくをしょうず


〖第二十二章〗

疑則天(うたがへばすなわち)地皆疑(てんちみなうたがはし)

不疑則万うたがはざればすなわちばん物皆不疑ぶつみなうたがはしからず

唯随四体存没ただしたいのそんぼつにしたがいて而万物用與捨矣ばんぶつのもちいるとすつるとあり


〖第二十三章〗

呉起書六篇(ごきのしょろくへん) 庶幾説於常(つねをとくにちかし)


〖第二十四章〗

内臣為黄(ないしんはおうごんの)金不行(ためにおこなはず)

外臣為猶(がいしんはゆうよの)予不功(ためにこうあらず)


〖第二十五章〗

草木者懼霜(くさきはしもをおそ)而不懼雪矣(れてゆきをおそれず)

知懼威而(いをおそれてばつを)不懼罰矣(おそれざるをしる)


〖第二十六章〗

視蛇捕蜈へびのむかでをとらへるをみるに 多足乎不若無足矣たそくはむそくにしかず

一心與一気(いっしんといっきとは)兵勝之大根乎(へいしょうのおおねか)


〖第二十七章〗

可取倍可取とるべきはばいとるべし

可捨倍可捨すつべきはばいすつべし

鴟顧狐疑者(しこしこぎするものは)智者不依(ちしゃよらず)


〖第二十八章〗

木火(きやけ) 石火(いしやけ) 水亦火(みずもまたやく)

五賊倶有火(ごぞくともにひあり)

火者太陽精(ひはたいようのせい) 元神鋭也(げんしんのえいなり)

故守而不堅ゆえにまもりてかたからず 戦而見屈(たたかひてくっせられ) 

困而降者(くるしんでおるものは) 不在五行英気也ごぎょうのえいきにあらざるなり


〖第二十九章〗

食而万事足(しょくしてばんじたり) 勝而仁義行かちてじんぎおこなはる


〖第三十章〗

小虫之有(こむしのどくあ)毒天性歟(るはてんのせいか)

以小勢討大しょうせいをもってたいてきを敵亦然乎うつものもまたしかるか

 

〖第三十一章〗

鬼智亦智也(きちもまたちなり) 人智亦智也(じんちもまたちなり)

鬼智出人(きちじんちの)智上有無(うえにいづ)

人智出鬼(じんちきちのうえに)智上乎いづるなきことあらんや


〖第三十二章〗

戦国主者せんごくのしゅたるものは捨疑在益権うたがいをすてけんにますにあり


〖第三十三章〗

在手(てにありてはゆびを)勿懐指ふところにすることなかれ

在口(くちにありてはしたを)勿動舌(うごかすことなかれ)

懐與(ふところにするものと)動者(うごかすものとは)将有災心者まさにさいしんあるものを虎而為羊してとらにしてひつじとなす


〖第三十四章〗

知変為常知(へんのつねたるをしり) 怪為物與かいのものたるをしれば 造化若合夢矣ぞうかとゆめをあわすがごとし


〖第三十五章〗

胎子以有胞たいしにほうあるをもって 識造化護身也ぞうかはみをまもるをしるなり


〖第三十六章〗

瓢生葛ひょうはつづらにしょうじ 毒有蝮(どくはまむしにあり) 芥子入須弥かいしはしゅみをはいる

天地之性(てんちのせいあに)豈謂少乎(すくなしといはんや)


〖第三十七章〗

先断脚下蛇まづあしもとのへびをたち 而重可制(しかしてかさねてさん)山中虎ちゅうのとらをせいすべし


〖第三十八章〗

玉珠湿潤者知乎ぎょくじゅしつじゅんなるものはちか

影在中(かげはなかにあり)

故智者可顧ゆえにちしゃはかえりみるべし

炎火光明者勇乎えんかこうみょうなるものはゆうか

影在外(かげはそとにあり)

故勇者可進ゆえにゆうしゃはすすむべし

是陰陽自然乎これいんようのしぜんか

以自然不為至道しぜんをもってしどうとなさざれば 至道亦何謂乎しどうもまたなにをかいはんや


〖第三十九章〗

鼓頭無仁義(ことうにじんぎなく) 刃先無常理(はさきにじょうりなし)


〖第四十章〗

得体得用者成得たいをえてようをえるものはなり 用得体者変ようをえてたいをえるものはへんず

先剛学兵ごうをさきにしてへいをまな者為勝主ぶものはしょうしゅとなり 学兵志剛へいをまなんでごうにこころ者為敗将ざすものははいしょうとなる

 

〖第四十一章〗

亀鴻万年かめのこうをまなぶことまんねん 終不成(ついにならず)

螺祝子一じがばちのこをしゅくすこと朝能化いっちょうにしてよくかす

得與不得者(えるものとえざるもの)夫天乎(とはそれてんか)


〖第四十二章〗

龍騰大虚(りゅうのたいきょにあ)者勢也(がるものはせいなり)

鯉登龍門(こいのりゅうもんにの)者力也(ぼるものはちからなり)


〖第四十三章〗

単兵急(たんぺいにてきゅうに)擒者(とりこにするものは) 討毒尾矣(どくびをうつなり)


〖第四十四章〗

箭離弦者やのげんをはなるるものは 討衆之善歟(しゅうをうつのぜんか)


〖第四十五章〗

知所以輪為わのわたるゆえんをしらばすな輪則螂臂可伸わちかまきりのひじのぶべし

不知所以輪為わのわたるゆえんをしらざれば輪則螂臂可折すなわちかまきりのひじおるべし

然則智初而しからばすなわちちははじ勇為終乎めにしてゆうはおわりなるか

昔人有(むかしひとのふねを)作船者(つくるものあり)

或問曰(あるひととうていわく)

作帆後作楫乎ほをつくりてのちかじをつくるか 作楫後作帆乎かじをつくりてのちほをつくるかと

舟工擲鑿曰しゅうこうのみをうちていわく

子奚得渡しいづくんぞようかいを洋海人乎わたるひとたるをえんやと


〖第四十六章〗

虫而飛解飛乎むしにしてとぶをげせんか

蝉而知蟄乎せみにしてちっするをしらんか

一物為二岐いちもつにしてにきとなし

得彼無是(かれをえればこれなく)得是無彼(これをえればかれなし)


〖第四十七章〗

人張神気則勝ひとしんきをはればすなわちかつ

鬼張神気則恐おにしんきをはればすなわちおそる


〖第四十八章〗

生水有(みずしょうずるものは)甲有鱗(こうありうろこあり)

守者(まもるものは)以固(かたきをもってす)

生山者有(やまにしょうずるもの)角有牙(はつのありきばあり)

戦者(たたかうものはする)以利(どきをもってす)


〖第四十九章〗

擲石撃衆(いしをうちてしゅうを)者力也(うつものはちからなり)

放矢飲羽(やをはなちてはねをの)者術也(むものはじゅつなり)

術却勝(じゅつはかえって)力矣(ちからにまさるか)

雖然兵術(しかりといえどもへい)如草鞋じゅつはわらじのごとし

其足健而(そのあしけんにし)可着(てちゃくすべし)

豈為跛者(あにはしゃのもちうる)所用乎(ところとなさんや)


〖第五十章〗

化為龍致(かしてりゅうとなり)雲雨乎(うんうをいたさんか)

化為虎懼かしてとらとなりひゃく百獣乎じゅうをおそれしめんか

化為狐為(かしてきつねとなり)妖怪乎(ようかいをなさんか)

為龍者威也りゅうとなるものはいなり

為虎者勇也とらとなるものはゆうなり

為狐者知也きつねとなるものはちなり

威不久(いはひさしからず)

勇易缺(ゆうはかけやすし)

知無実(ちはじつなし)

故古人不頼威ゆえにこじんはいにたよらず 不頼勇(ゆうにたよらず) 不頼知也(ちにたよらざるなり)


〖第五十一章〗

斗向背(とのせにむかはせ) 磁指子者(じのねをゆびさしむる)天道乎(ものはてんどうか)


〖第五十二章〗

兵本在杜禍患へいのもとはかかんをふさぐにあり


〖第五十三章〗

用兵神妙へいをもちふるのしんみょう不堕虚無也(はきょむにおちざるな)



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【孫子】には、『心』が無い。


極めて『唯物的(ゆいぶつてき)』である。


一方、【闘戦経】は『唯物的』()つ『唯心的(ゆいしんてき)』である。


【闘戦経】は『知』『智』『勇』『力』『正』『誠』『心』『信』を重んじ、戦いの先を見据(みす)えた戦い方を目指した。

先を読み、先を知り、先を創造(そうぞう)する為の戦いを念頭(ねんとう)に置いていた。

故に【闘戦経】は、【孫子】のように勝つことのみを目的とし、『知略』『策略』『謀略』を巡らす戦い方を勧める書物とは全くの別物である。


日本の先人達は【孫子】を読んで『兵法』の基礎(きそ)を学びながらも、日本の伝統・文化・歴史・民俗・背景・場所・環境に(かんが)みた戦法を『選択』『選別』してきた。


日本の先人達は大江匡房のように多くのものの中から日本や日本人に『合うもの』『良質なもの』を日本に入れ、『合わないもの』『悪質なもの』を日本に入れないよう、常に取捨選択(しゅしゃせんたく)して今まで日本と日本人を守ってきた。

中国文化のみならず外来(がいらい)文化なら何でも取り入れ、無節操(むせっそう)に受け入れようとする風潮(ふうちょう)が高まった時、日本の先人達は危機感を持って都度(つど)拒絶(きょぜつ)してきた。

日本が(あやま)った方向へ進もうとする時、先人達は事前に其れを防ぎ、何らかの形で軌道修正(きどうしゅうせい)してきた。


『鎖国』も同様である。


『鎖国』は、日本に於ける身分制度や伝統文化の崩壊(ほうかい)、キリスト教を通した他国の侵略(しんりゃく)、日本人奴隷(どれい)の海外での人身売買を防ぐ為に行われたものである。

先人達は、意味も無くキリスト教の流入を禁止したのではない。


『鎖国』をしていたからこそ、日本の伝統文化や日本人は守られた。

ただ『鎖国』とはいっても、オランダや中国とは貿易(ぼうえき)を続けていた。

日本は門扉(もんぴ)(せば)めてはいたが完全に入り口を閉じることはなく、新しい文化も適宜(てきぎ)取り入れていた。


元々、日本人は好奇心旺盛(こうきしんおうせい)で、多くのものを取り入れ、尊重(そんちょう)し、融合ゆうごうし、原物(げんぶつ)を日本や日本人に『合うもの』に変え、原物よりも(すぐ)れたものを(つく)ることが得意な民族である。

(ただ)し日本に入って来たものは、日本に入ることを日本によって許され、選ばれた、(わず)かな素晴(すば)らしいものに限定していた。

全てが素晴らしいものであったとは言えないかもしれないが、そうやって日本の先人達は日本や日本人に『合わないもの』『悪質なもの』は受け入れず、『合うもの』『良質なもの』を受け入れて『新しいもの』を生み出してきた。


キリスト教を布教(ふきょう)しに来た宣教師(せんきょうし)の中には勿論(もちろん)純粋(じゅんすい)に人々を救う為に日本に渡ってきた者もいたであろう。

しかしキリスト教を隠れ(みの)にして日本人をキリスト教徒に改宗(かいしゅう)、つまり日本の精神や民族を置き換えて、日本を内側から少しずつ侵食(しんしょく)し、人々を対立させて国の分断(ぶんだん)(あお)り、最終的に日本をキリスト教の支配下に置こうと画策(かくさく)した者達も少なからずいた。


此れは、()わば宗教を通した『人口侵略(じんこうしんりゃく)』である。

『人口侵略』は、戦わずして静かに国を乗っ取ることが出来る。


互いを知る為には()ず互いを受け入れ、知ろうとしなければならない。

但し、人が『何か』を求め、『何か』を受け入れ、『何か』を与える時は、『其れ』が相手の『善意』からのものなのか、其れとも『悪意』からのものなのかを見極(みきわ)める必要がある。

見極めた後、『合うもの』『良質なもの』は受け入れ、『合わないもの』『悪質なもの』は(こば)み、『合わせられるもの』は合わせるという、『選択』と『選別』をしなければならない。

全てを見境(みさかい)なく否定してはならないが、全てを無条件に受け入れてもならない。

其れが、互いにとって良い『選択』なのである。

其れが互いを尊重し、信頼関係を構築(こうちく)する為に必要なことである。


一方が『合わない』と感じれば、他方も『合わない』と感じるはずである。

其れでも『合わない』『合わせない』『合わせようとしない』ものが強引(ごういん)に押し()ろうとするのであれば、其れには何らかの意図(いと)があると考えた方が良い。


否定せず、全てのものを出来()る限り受け入れようとする日本の寛容(かんよう)さはとても美しいことではあるが、其れが悪意ある者達に利用されることがある。

悪用(あくよう)を許し続ければ、必ず増長(ぞうちょう)する。

日本にとって『合わないもの』『悪質なもの』を無理をして受け入れ続ければ、少しずつ日本社会は破壊(はかい)されていく。

日本の『良質なもの』を残し、守り、悪用されないようにする為には、絶対的な規則(きそく)条例(じょうれい)、法律の制定と遵守(じゅんしゅ)罰則(ばっそく)が必要である。


人によって様々ではあるが、日本人は『個』の為だけに生きる民族ではない。

日本人は今まで『個』と『他』、両方の為に生きてきた。

だから、『個』の為だけに生きる人間とは相容(あいい)れない。

『個』の為だけに生きる人間と『共に生きる』など、其のような言葉は美辞麗句(びじれいく)に過ぎない。


気候(きこう)風土(ふうど)など環境的背景、文化・伝統・慣習(かんしゅう)など歴史的背景が異なれば、必ず『合わないもの』が存在する。

『合わないもの』は、『合わない』。

無理矢理『合わせる』ことによって秩序が乱れるのであれば、合わせる必要も、受け入れる必要も無い。

全てを統一する必要もない。

抑々(そもそも)、異なるものを統一することなど出来はしない。

結局『何か』を優遇(ゆうぐう)し、『何か』を冷遇(れいぐう)することになる。

其れは必ず、軋轢(あつれき)を生む。


それぞれの国には、それぞれの国に『合うもの』がある。

それぞれの国には、其処(そこ)に古くから住んでいる人達が今まで生み育て守り続けてきたものがあり、其れは其の土地に根付いた其の国『独自(どくじ)固有(こゆう)のもの』である。

もし其の国に『合わないもの』が大量に入って来れば、多くの『独自・固有のもの』は『合わないもの』に()り替えられることになるであろう。

其の国が受け入れようとするものが其の国に『合わないもの』であれば、其の国は『合わないもの』を断じて受け入れてはならない。

其の国に『合わないもの』を受け入れ続ければ、見えないところで少しずつ『独自・固有のもの』が『合わないもの』に(おか)され、全てのものが『合わないもの』に置き換えられ、何れ其の国も其処に古くから住む人々も衰亡(すいぼう)するであろう。

故に自分の国に『何か』を受け入れる際には、細心(さいしん)の注意を払う必要がある。

判断を誤れば、取り返しのつかないことになる。

失ったものを取り戻すことは極めて難しい、()しくは出来ないと考えた方が良い。


自分の国には今『欲しいもの』が『不足している』から他国から『何か』を大量に受け入れようとすることは、とても危険なことである。

『不足しているもの』を『量』で補うなど、(おろ)かな行為である。

『良質』であるなら良いが、『悪質』なものを大量に受け入れれば、元々あった『良質』なものが『悪質』なものによって(むしば)まれ、『良質』なものは少しずつ『悪質』なものへと変容(へんよう)し、何れ『良質』なものは消滅することになる。

『不足している』からと言って、『量』で補ってはならない。

『量』で補うのではなく、『質』を高めた方が国は豊かになる。


其れは、日本に於いても同様である。


日本に『不足しているもの』を補う為に『何か』を受け入れる際は、「日本や日本人に合っているかどうか」「受け入れることは日本の為になるかどうか」「受け入れることによる損益(そんえき)は何か」「本当に受け入れるべきものであるかどうか」を『選択』『選別』しなければならない。

『合っているかもしれない』などという曖昧(あいまい)な判断をして例外を認めれば何れ法は瓦解し、秩序が乱れるきっかけとなる。

『選択』『選別』は、断じて誤ってはならない。

そして『選択』『選別』した結果『合うもの』『良質なもの』だけは受け入れ、其れらを日本や日本人に合わせ、其れを以て日本の『不足しているもの』に()てれば良い。

其れとは別の『不足しているもの』は、今『有るもの』そして『有るもの』を改善(かいぜん)改良(かいりょう)向上(こうじょう)して補えば良いことである。


現在とは状況も環境も異なるが、江戸時代は少ない人数や物で全てを(まかな)っていた。

我慢(がまん)できることは我慢し、必要以上に求めず、『不足しているもの』は『有るもの』で補っていた。

不足していたからこそ、日本人は「どうすれば補えるのか」「何が必要なのか」「此れを試してみよう」「此れを代わりにしてはどうだろうか」「此の部分を変えれば使えるのではないか」と、試行錯誤(しこうさくご)を繰り返して多くのものを生成(せいせい)して困難を乗り越えてきた。 

そうやって人や文化が発展(はってん)し、技術革新(ぎじゅつかくしん)が進んだ。

不足しているなりに、『発展』『革新』した。

不足していたからこそ、『発展』『革新』した。

不足している時を、今までを見つめなおす『良い機会』と(とら)え、今まで出来なかった『発展』『革新』を進めていけば良い。

『不足しているもの』は、知恵と知識と技術で補えば良い。

『不足しているもの』は、皆で協力して創れば良い。

出来得る限りのことをすれば、出来ないことはない。

自分の心得次第(こころえしだい)で、どうとでも出来る。


人口が減少すれば、『何か』で対応しなければならない。

しかし人口増減(じんこうぞうげん)は、昔から幾度(いくど)となくあった。

自然災害(しぜんさいがい)食糧不足(しょくりょうぶそく)による『天災(てんさい)』や(いくさ)悪政(あくせい)による『人災(じんさい)』など、様々な要因(よういん)で人口増減は繰り返されてきた。

つまり増えたものが減るには原因があり、減っても増える方法があるということである。

人口増減の根本的原因を追究(ついきゅう)し、どのような対策を講じ、どのように克服(こくふく)し、どのように乗り越えたのかは、今までの『歴史』を(さかのぼ)れば見えてくるものがある。


打開策(だかいさく)解決策(かいけつさく)は、『歴史』の中にある。


日本と日本人は、様々なところで先人達に守られてきた。

そして『今』も、私達は先人達が遺してくれたものに守られている。

否定しようとも、其れが『事実』である。

『今』を生きる私達には、『守られてきたもの』『守ってきたもの』を未来へと(つな)げる『責務(せきむ)』と『役割』がある。

だから『今』を生きる私達も先人達と同様、後世の人々の為に『今』を守り、『今』を伝えなければならない。


もし『今』、窮地(きゅうち)に陥っているのならば


『何が起こったのか』

『原因は何か』

『どう対応したのか』

『何を必要としたのか』

『どう感じたのか』

『何を思ったのか』

『今後どうすれば良いのか』

『何を残すべきか』

『何を伝えるべきか』


を先人達と同様に、後世の人々の為に『歴史』として残さなければならない。


先人達も、『成功』と『(あやま)ち』を繰り返してきた。

しかし『成功』は『成功』のまま、『過ち』は『過ち』のままにしたのではない。

『成功』と『過ち』を、次の『成功』の為の(かて)とした。

後世の人々が自分達と同じ『過ち』を繰り返さない為に、『成功』は教訓(きょうくん)とし、『過ち』は(いまし)めとして、其の『歴史』を遺した。

そして其の『歴史』を受け継いだ人々が先人達の『成功』を手掛(てが)かりとし、更なる『成功』へと導いた。

其の『歴史』を受け継いだ人々が、先人達の『過ち』から学び、生かし、(かつ)ての先人達の『過ち』を『成功』へと変えた。


其の繰り返しである。


何十年、何百年、何千年、其の先も、『歴史』は繋がり続けてきた。


其の『歴史』を無駄(むだ)にしてはならない。


其の『歴史』を途絶(とだ)えさせてはならない。


先人達の気質(きしつ)は、『今』の日本にも日本人にも受け継がれている。


だから、先人達と同様のことが『今』の日本や日本人に出来ないわけがない。


必ず()()げることが出来る。



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〖参考文献〗


大江匡房 家村和幸 編著 『闘戦経』(2011年)並木書房


浅野裕一 『孫子』 (1997年)講談社

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