【ウィズ】銀狼
血と祈りの香が混ざりあう、春の薫り。
ステラの言葉は、まるで世界の真理であるかのように、静かに、そして絶対的な説得力をもって私の脳髄に染み込んでくる。花の姿こそが、永遠の救済……?私が今まで信じてきた「命」の価値観が、足元からぐらぐらと揺さぶられる。
そうだ、私は何も護れなかった。チョビ助も、カナンも、会社の動物たちも。私の手は、いつだって無力だった。ならば、このステラの言う「救済」こそが、唯一の答えなの……?
「さあ、あなたも手伝ってほしいキュ」
ステラが、その小さな体で私に歩み寄ってくる。額のルビーが、妖艶な光で私を誘う。その光に触れれば、私もこの苦しみから解放されるのかもしれない。もう、何も失うことのない、永遠の安らぎを得られるのかも……。
私の心が、その甘美な救済に傾きかけた、その瞬間だった。
???「——それに触れるな!」
凛とした、それでいて獣の喉を震わせるような低い声が、森の空気を切り裂いた。
一瞬にしてステラが炎に包まれる。
「何が起こったの……」
私は茫然と燃え盛る炎を眺めるしかできなかった。
声のした方角——森の最も深い影の中から、ゆっくりと姿を現すものがいた。それは、私と同じ……?ワーウルフのようだ。しかし、その存在感はまるで違った。私の毛並みが夜闇に溶ける青みがかった灰色であるのに対し、そのワーウルフは、月光そのものを編み上げたかのような白銀の毛並みに覆われていた。私より一回りも二回りも大きな体躯、鋭く研ぎ澄まされた爪、そして何よりも、その黄金の瞳に宿る、揺ぎない理性の光。
「……だれキュ? いきなり燃やすなんて酷いキュ!」
燃え盛る炎を気にも留めず、ステラは無垢な声で問いかけた。白銀のワーウルフは答えなかった。ただ、その黄金の瞳でステラをまるで害虫でも見るかのように、冷たく見下している。
「貴様の理など反吐が出る。何が慈悲だ、汚らしいゴミが!」
白銀のワーウルフは天を仰ぎ、静かに息を吸い込む。次にその喉から紡がれたのは厳かな詠唱に続く咆哮だった。
「静寂を統べる月よ、我が声に応えよ。その清き光を刃と変え、穢れた理を此処に滅せよ!」
それは、ただの威嚇ではなかった。白銀の光を孕んだ咆哮は、浄化の奔流となってステラに直撃する。
「っきゅ、――――!?」
ステラの悲鳴に、音はなかった。光に焼かれたその体は、まるで薄いガラス細工のように、無数の亀裂を走らせて砕け散る。額のルビーだけが最後の輝きを放ち、それもやがて光の粒子となって、跡形もなく消滅した。
後に残されたのは、不気味な静寂と、巨大な花の前に立ち尽くす、ワーウルフ姿の私だけだった。
白銀のワーウルフは、ふう、と一つ息をつくと、こちらへ向き直る。
「危なかったな。アレはこの地を歪め、破滅に導く『調律者』のなりそこないだ。アレに触れようとするとは、正気か?」
そう言って、彼?は顎で巨大な花を示す。圧倒的な存在感を前に、私は何も言えない。ただ、目の前で起きた出来事を理解しようと必死だった。
白銀のワーウルフは、私の姿をじっと見つめると、少しだけ目を見開いた。
「ん……お主、我と同じワーウルフ……いや、だが……その魂の色は、この世界の者ではないな? お主、一体、何者だ?」
全てを見透かすような黄金の瞳。私は、ただ呆然と、その場に立ち尽くしていた。




