第八話 焚き火と、蒼き炎
まだ日は高かったが、適当な野営地を見つけた俺たちは、早めの野宿の支度に取りかかった。
闇に包まれてからでは、身動き一つままならない。準備どころの話ではなくなることは、過去に幾度も身をもって思い知らされてきた。
松明の明かりがあれば多少はしのげるが、それとて闇そのものに抗うには心許ない。可能な限り、陽のあるうちに整えておくに越したことはない。
欲を言えば、水場が近くにあれば理想だったが、この場所にはそれがない。だが幸い、水袋にはまだ余裕があり、当面は問題なさそうだ。
「――にしてもさ、エイギスのその力って便利だよな! アンデッド相手に“どれくらいで倒せるか”なんてわかる奴、初めて見たぜ! ははっ!」
「ほんとほんと! でもゾンビってやっぱり気持ち悪いし、できれば近づきたくないのよね。誰かさんが、魔法でドーン!って一掃してくれれば助かるんだけどなぁ」
「……なんで私を見ながら言うんですか? 自分の分は自分で倒してください。私は普通の魔術師ですよ? そんなに魔力が持ちません。それに……そういえばエイギスも、火の魔法を使ってましたね?」
「そう! 最初は意外だったけど、あんたって器用よね。あのときも邪教徒っぽいのが油断したスキをついて倒したんでしょ? 将来有望ってやつよ!」
「炎が出るだけの、ただの初歩魔法だ。それに、たまたま持っていただけの話だ。戦闘で使うには、あまりにも非力だ」
「いえ、それでも立派な才能です。初歩とはいえ、生まれつき魔法が使える者なんて、エルフのような魔術に長けた種族でもなければ、滅多にいませんから。どうか、自信を持ってください」
そういうものなのか――。
確かに言われてみれば、ブルードンもエミィも、魔法を使う姿はまだ見ていない。
「なぁ、エイギス。ちょっと踏み込んだことを聞くが……お前、昔、奴隷だったのか?」
「ちょっ……! ブルードン! そういうこと、もうちょっと言い方ってものがあるでしょ!? ガサツにも程があるわよ!」
「いいんだ、エミィ……。そうだな。言うなれば、そんなものだった」
「……と、仰いますと? 失礼ながら、気になります」
「ホーキンスまで……もう、みんな……。エイギス、無理に話さなくていいのよ?」
「ああ、大丈夫だ。俺は孤児で、幼い頃にあの村へ連れてこられた。働く代わりに、寝食の世話をしてもらってたんだ。……で、ある日、村の外での仕事を終えて戻ったら、村はゴブリンに襲撃されていた。それが、前に話した出来事の始まりだった」
「なんつーか……それって、勝手に連れてきて働かせてたんだろ? まんま奴隷じゃねえか。エイギスからすりゃ、ゴブリンのおかげで自由になれた、ってわけだな」
「まったく……人生、何が起こるか分からないものですね。数奇というほかありません」
「でももう終わったことよ! 大事なのは、これから何をするかでしょう?」
「その通りだな! エミィ、いいこと言うじゃねえか!」
どうやら、これまでのやり取りや俺の物腰から、彼らは薄々気づいていたらしい。
観察眼においても、俺より彼らの方が数段上手なのだ。
「次の町まで一緒に行くとして、その先の予定は?」
「正直、そこまでは考えてない。ただ、自由になれたのは良いが、この世界のことをまるで知らなくてな。だから――いろんな場所を巡って、少しずつ学んでいきたいと思ってる」
「“旅に出たい”って言ってたのは、そういうことだったんだな。いいじゃねえか! 好きに生きろよ!」
「気持ちはわかるけど、くれぐれも無茶はしないでね?」
「エイギスなら大丈夫でしょう。慎重で、頭の切れる方ですから。ただ……意外と人の方が魔物より恐ろしい場面もあります。特に気をつけてください」
三人はそれぞれ、“人間の怖さ”について、いくつか話してくれた。
単純な嘘や詐欺まがいの話から、命に関わる話まで――。
依頼を達成した途端に報酬を渋り、“まずは食事でも”と毒を盛られた者。仲間を囮にしてモンスターから逃げた者。傭兵として戦争に加わった途端、寝返った味方に背後から撃たれた者……。
あまりにも陰鬱な話ばかりだったので、途中でエミィが「これ以上はやめましょ」と話題を打ち切ったが、俺を心配しての忠告なのだと思うと、素直にありがたかった。
夕食を終え、警戒態勢を維持しつつ、簡素な寝床に横になってそれぞれ身体を休めていた。
俺は用を足しに、少し離れた茂みの方へと向かう。
岩場の陰を見つけて足を進めると、足元に何か硬いものがぶつかった。
しゃがんで確認すると、そこには土で少し汚れた袋のようなものがあった。
中身を改めると、衣服、指輪、そして分厚い一冊の本が入っていた。
ただの本にしては重厚な造りで、どこかで見たことがあるような――そんな気がした。
あとでホーキンスに聞いてみよう。
この場所に偶然落ちたとは思えないし、わざわざ隠すようなものでもなさそうだ。
おそらく持ち主は、何かに襲われ、命を落としたのだろう。これは、その遺品――。
戻って事情を話しつつ中身を見せると、ホーキンスはすぐに本を手に取り、「これは……呪文の書ですね」と告げた。
「持ち主がいない以上、これはもう拾った人のものです。盗みにはあたりませんよ」
それを聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。
見知らぬ地で“盗人”の汚名を着せられるのは、ごめんだ。
「それ、読むと魔法が使えるようになるのか?」
「はい。これは“低級精霊”の召喚呪文です。エイギスの火炎魔法も、もともと才能がなければ、こういう呪文書で学ぶんですよ」
「そうなのか。 ……じゃあ、俺でも召喚ができるのか?」
「ええ。低級なものなら市場に流通していますし、売って金に換えるのも一つの手です。ただ、これから冒険者として生きていくなら、自らの力を高めておくに越したことはありません」
「なるほど……。じゃあ、使ってみるか。本を開けばいいんだな?」
「そうですね。開けば精霊が姿を現します。それ以降は、魔力を通して呼び出すことができますよ」
「面白そうだな」
書を開いた途端、青白く淡い炎が静かに立ち上った。
炎はまるで、俺の新たな一歩を祝福するかのように――。
蒼炎に縁取られた球体がふわりと浮かび、俺のまわりを静かに漂い始めた。
俺が初めて得た召喚魔法――それは《ウィル・オー・ウィスプ》だった。
夜が明け、空は澄み渡っていた。
特に変わった出来事もなく、旅路は穏やかに進んでいく。
昨夜覚えたばかりの召喚魔法――ウィル・オー・ウィスプは、実戦においての効果がいまひとつだった。
先ほど遭遇したコボルトとの戦闘で試しに呼び出してみたが、例の青白い光球は、ただフワフワと空を漂うばかり。目立つだけで、攻撃も妨害もしてくれない。
灯りとして使えなくもないが、光量は弱く、実用にはほど遠い。
その様子を見ていたホーキンスが「――低級精霊なんてそんなものですよ」と、慰めとも本音ともつかぬ言葉をかけてくれた。
ブルードンとエミィは、それに苦笑を返す。
「要は、使いようです。たとえば、完全な闇に包まれた洞窟の中では、これ一つでも随分助けになりますし。あるいは囮として先行させるなど、工夫しだいで戦術にも組み込めるでしょう」
なるほど――確かに、そうかもしれない。
ホーキンスは、こういった知識や考え方を惜しまずに分けてくれる。
ブルードンは前線の戦士として、エミィは索敵・奇襲に長けた斥候として、それぞれの立場からの意見をもたらしてくれるのも、本当に貴重だ。
この旅で学べることは、想像以上に多い。
それからしばらく歩いた頃、エミィが前方を指さすように手で合図し、小声で告げた。
「……シッ。あれ、またゴブリンよ。剣持ちが一、棍棒持ちが二。計三匹。どうする、ブルードン?」
「三匹か。――エイギス、やってみるか?」
「一人で、か?」
「ああ。今のお前には、戦闘経験が何より必要だ。こっちで援護はする。無理そうならすぐ助けに入るから、安心して挑め」
……確かに、その通りだ。
モンスターとの戦闘は命懸けだが、援護がある状況下での実戦訓練など、そう何度も得られるものではない。
これは、絶好の機会――。
「でもね、無傷ってわけにはいかないだろうし、大怪我しないよう気をつけて。二人とも、危なそうならすぐに助けてあげてよ?」
「ああ、分かってる」
「もちろんです」
「……じゃあ、行ってくる」
二人の力強い声を背に受けながら、俺は気づかれぬよう、ゴブリンたちへと慎重に距離を詰めていく。
まだ、距離はある。飛び込むには早い――。
その時、不意に「ビヒュンッ!」と何かが風を裂く音がした。
見ると、上方から太い木の枝が飛来し、俺とゴブリンたちのちょうど中間地点にドサリと落ちた。
ゴブリンたちは瞬時にその音に反応し、唸り声を上げて武器を構える。そして、俺の存在にも気づいたようだった。
――不意打ちは、失敗だ。
全員がしっかりとした戦闘態勢を取り、こちらに向き直っている。
「……ブルードンの仕業か? くそっ。……いや、これは正面から三体同時に相手をしろということだな。いいだろう!」
剣を構え、一気に距離を詰める。
初撃は軽くいなされたが、これはあくまで牽制。狙いはそこではない。
俺が取るべきは、三体を同時に相手にしないための、位置取りと間合いの掌握。
熟練の戦士であれば、それでも容易に敵を薙ぎ払えるのだろう。
だが、俺には無理だ。だからこそ、考える。
どうすれば、生き延びられるかを。
恐怖と、不安と、闘志と。
それらが胸の内で渦を巻き、ぶつかり合い、俺の剣を動かしていく。
一歩間違えば、地に伏すのはこちらの方だ。
だが、退くわけにはいかない――俺は剣を、握りしめた。
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