第五話 忘れられた祭壇
これまで数度モンスターと遭遇したが、進行はおおむね順調だった。
俺は約束通り戦闘には加わらず、ただ見ていただけだが、オオカミやゴブリンを難なく討伐していく冒険者たちの手際の良さは、学ぶべきものが多い。
目的地が近づくにつれ、木々の密度が増し、薄闇が地を這うように広がっていく。だが皮肉なことに、敵との遭遇はむしろ減っていく。妙な話だ。
「エイギス、この先が目的地なんだよな?」
「ああ。そろそろ着くはずだ」
「よし、初めて来る場所だしな。できれば帰りも村まで案内を頼みたい。もちろん報酬は払う」
「……帰りも、か」
頭の中には、既に拠点からここまでの道程が、たどたどしいながらも線を描いていた。目的地に着いたらそのまま拠点へ戻るつもりでいたが、さて、どうするか。
少し迷ったが、これも経験のひとつと捉えよう。
手間はかかるが、その分報酬も上積みされるのなら悪くない。
「わかった」
「助かる! じゃあ先に報酬の半分を渡しておく。残りは戻ってからな。いいか?」
「ああ、それで構わない」
俺は提示された銀貨二枚を受け取り、うなずいた。
「気を引き締めていくぞ。ここからが本番だからな」
俺の持つ地図作成の異能については、彼らには伏せておいた。
悪人には見えないが、自らの手の内を晒すことにどこか抵抗があったのだ。
だから最初に伝えたのは、「途中までなら来たことがあるから、大体の見当はつく」という説明だけだった。
森をさらに奥へ進むと、小さな建造物が現れた。
おそらく、あれが目的のものだろう。
ホーキンスが近づいて調べ始める。
「これは……宗教的な遺物でしょうかね」
「なんか、薄気味悪いわね。大ハズレなんじゃない?」
エミィが不満げに吐き捨てる。
黒味がかった異形の建物には、不思議な文様や見慣れぬ文字が刻まれており、不気味さは否めない。
もしこれを一人で見つけていたなら、俺も間違いなく近寄らずに通り過ぎていただろう。
「扉があるな。開けてみるか。エミィ、罠の確認を頼む」
「はーい。罠はなさそうよ、ブルードン。でも……ホントに大丈夫かしら」
「この造りで強力なモンスターが封じられているとは考えづらいが、警戒はしておこう」
「よし、開けるぞ」
内部は狭く、机と椅子、棚、そして奥には小さな祭壇のようなものがあった。
黒を基調とし、妖しげな紫の紋様が絡む異様な祭壇が、ひっそりと息を潜めるように据えられていた。その上には布を掛けられた小さな台座が据えられている。
石を載せた台座の縁には、煤けたような古文のような刻印が幾重にも並んでいた。
どの文字も、焼け焦げたように崩れていて判読はできなかったが、呪術や祈りの言葉にも見える。
周囲には骨の砕けた欠片と、熄びた燭台の残骸。ここで何かの儀式が行われていたことは間違いなかった。
「それは何だ? ホーキンス、台座の上に置かれているものを見てみてくれ」
ホーキンスが台座に歩み寄り布を取り除くとゴロリとした物体が現れた。
一見ただの石だが、表面に浮かぶ淡い紋様が、どこか脈動しているようにも見えた。
「ん……これは宝石ではないですね。ただの石にしては、随分と奇妙な色合いですが……」
それを見たエミィが、苛立ちを露わにした。
「はあ!? 何よそれ? 全然価値なさそうじゃない!」
「一般的には価値がなくても、宗教的な意味を持つこともあります。祭壇に丁重に安置されていた以上、何らかの信仰対象かもしれません。もっとも、多少の価値があったとしても、宗教団体とトラブルになるのは御免ですが……。それ以前に“この建物に入らなければよかった”と後悔する羽目になるやも知れません」
「そこまで言うか? まあ、せっかく来たんだ。売れそうなものだけでも持って帰ろうぜ」
ブルードンは気にも留めず、棚の脇に立てかけられた剣に目を向けていた。
「……この剣、そこそこの代物じゃないか?」
「棚の中にポーションもありますね。ちょっと怖くて使いたくはないですけど。……エミィ、試してみます?」
「何で私が!?!」
「こういう宗教施設で見つかったポーションは、市販品にはない効果があることも。若返りや美肌効果があったりしたら――」
「もしそうなら大当たりね! ……って、飲まないから!!」
「残念です。では町に戻ったら鑑定してもらいましょう。あとで“やっぱり飲む”と言っても、その時には値が付いてますから、三分の二はパーティーに払ってもらいますよ」
「そ、それは…! そういうルールだけど、ホーキンスってそういうとこ堅いのよね。……エイギス、こんな大人になっちゃ駄目よ?」
「エイギスは、こういう女性に引っかからないでくださいね?」
「何ですって!!」
「……お前ら元気だな。エイギス、その石、欲しいか? 大した価値はなくても、売れなくはないと思うぜ。ホーキンスが宗教がどうとか言ってたが、こっそり売れば問題ないだろ。気になるなら、別の町にでも移動すればいい」
「ブルードンは楽観的ですね……。まあ、ここが大規模な宗教施設には見えませんし、私の杞憂かもしれませんが」
そういうことなら――もらっておこう。
わずかでも金になるなら助かるが、それよりも――気になって仕方ない。
石を手に取り、目を凝らす。
……これは、以前ヴィンセル鉱山で見つけた石に、どこか似ていないか?
ここでまた発光などされたら厄介だ。慌てて袋に押し込む。
……反応はない。ただの石、なのかもしれない。
「さて、もう用はねえな。出るか」
皆が建物を出た、その時だった。
「――来る! 矢だ! 伏せて!!」
エミィの叫びとほぼ同時に、ブルードンが俺を押さえつけて地面に伏せさせた。
咄嗟の出来事に思考が追いつかないが、俺を庇ってくれたのだと理解する。
矢の風切り音が耳をかすめ、地面や周囲に突き刺さる音が響く。しかし、冒険者たちの悲鳴はない――避けたか、防いだか。
「起きろ!」とブルードンの声が飛ぶ。俺は立ち上がり、三人を確認する。誰も怪我はしていないようだ。
少し離れた木陰に、四人の人影があった。
血に塗れたようなボロ布のローブを纏い、異様な雰囲気を纏っているが、人間のようだ。
攻撃してきた以上、敵であるのは間違いない。
……もっとも、勝手に建物に侵入し、内部の物品を持ち帰ろうとした時点で、敵対行為を仕掛けたのはむしろこちらだが。
「ここの関係者か?! 立ち入ったことは詫びる! 中の物も金も全部返す! だから見逃してくれねぇか!?」
ブルードンが叫びながら、ゆっくりと斧に手を伸ばす。
エミィは飛びかかる体勢を、ホーキンスは魔法の詠唱に備えて杖を構える。交渉しつつも、戦闘への備えは怠らない。
「ふざけるな! 我らの聖域を穢した異端者め! ここで死ね! ――かかれ!!」
四人が一斉に襲いかかってきた。
――失敗、か。
「くそっ、ホーキンスの予想が的中か!」
「そのようですね。褒美に銀貨一枚ほど頂ければ――」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!! 来るわよ!」
元はといえばこちらが悪いと分かってはいる。だが、それでも黙って殺されるつもりはない。
冒険者たちも同じ気持ちなのだろう。落ち着いた動きで即座に戦闘態勢を整えていた。
エミィは敵の指揮を執っていた男へ向かい、ナイフを構えて突進する。
ブルードンはその間に、他の二人を相手に前線へ。
ホーキンスは少し距離を取り、弓を持った敵と対峙しつつ魔法を放つ機をうかがっている。
――俺は、どう動く?
戦わなくていいと言われていた。だが、こんな状況で手をこまねいていられるほど、俺は鈍感ではない。
おそらく彼らの作戦は、エミィが敵の頭を押さえている隙に、ブルードンが数を減らして戦況を傾けるというものだろう。
ホーキンスの相手は弓兵。互いに遠距離戦を展開しており、時間がかかりそうだ。
ならば、まずブルードンの戦線を動かすべきか――。
俺は戦力として数えられていない身だ。なら、いっそ飛び込んでやる。
意を決して突っ込み、剣を振るう。
幸運だった。俺の攻撃を受けて一瞬の隙が生まれた。
その隙を、ブルードンが逃さない。重く振るった斧が敵の胴を深々と裂く。
「グアッッ!!」
あと一人。
だが――視線を走らせると、エミィが徐々に押されている。ホーキンスも弓を相手に苦戦気味だ。魔法の詠唱が追いつかず、防戦一方のようだ。
「ブルードン、エミィの援護を!」
気づけば、俺は叫んでいた。
俺は、人と命のやり取りをした経験がない。
獣や魔物とは違う――それでも、共にここまで来た三人が傷つくのは見たくなかった。
ブルードンは一瞬だけ躊躇したが、すぐに「すまん! 耐えてくれ、すぐ戻る!」と声を飛ばし、エミィの元へ駆けていく。
俺は、残された敵と剣と盾を構えて対峙する。
観察してみると、先の戦いでそれなりの傷を負っており、体力も削られている様子が見て取れた。
これなら――俺にも、勝機はあるか。
俺も身体の大きさには自信がある。モンスターとの戦いを通して、多少なりとも鍛えられてきたはずだ。
ならば――やってみる価値はある。
……そう思った瞬間、敵が先に動いた。
上段からの力任せの一撃を盾で受け止め、すぐさま横に薙ぎ払って距離を取る。
こちらも剣を振るい反撃するが、敵も受けつつ巧みにかわしてくる。互いに有効打を与えられないまま、数合交えた末にまた距離が開く。
隙を窺いながら、横目で戦況を確認する。
――ブルードンが加勢したおかげで、エミィは無事に間合いを取れているようだ。
今はブルードンが敵を引きつけ、エミィがその機を突いて斬りかかる。連携は見事だった。戦局は明らかに優位に傾いている。
問題は――ホーキンスか。
炎の魔法を以て応戦してはいるものの、敵の矢の連射に圧され、決定打を与えるには至っていない。
だが、それでも彼がすぐに倒されるような気配はない。ならば――俺は俺の敵に集中する。
俺は、盾を構えた左手を振りかぶり――それを、敵に向かって投げつけた。
敵は容易くそれを避けた。口元からは、明らかに侮蔑を含んだ嘲りの笑みが漏れる。
――笑っていればいい。
未熟な素人の癖に、とでも思ったのか。
だが、俺が盾を捨てた本当の意味に、気づいていないようだな?
左手を空けたのは、魔法を使うためだ。
俺は迷わず、左手から火炎を放った。敵の顔面めがけて、鮮烈な熱が迸る。
直撃を受け、敵は顔を覆いながら絶叫した。
その隙を逃さず、右手に握る剣を振り下ろす。
鉄の刃が、断末魔と共に敵の身体を貫いた。
「……声が……聴こえる……あの石は……主の──」
男の口から漏れた言葉は、血と共に喉の奥で途切れた。
俺は、勝った。
「……素人だからと侮るべきではなかったな。だからお前は負けた。今後は俺がそうならないよう、どんな相手にも油断しないと肝に銘じておこう」
勝利の余韻よりも、あの男の言葉が妙に頭から離れなかった。
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