第二話 拠点の始まり
あの化け物どもから、一刻も早く――とにかく離れなければならない。
とはいえ、そのためにはまず道具を作るところから始めなければ。
鉱山の周りを歩き回り、石や枝、草を拾っていく。使えるものは何でも試す。
それらの素材を用い、石でツルハシと斧を打ち、ナイフを削る。木の枝で簡素な弓を形にし、矢も何本か拵えた。
ゴブリンに対抗できるほどの武器が欲しいところだが、いまは手持ちの物で凌ぐほかない。
村に戻れば何か役立つ物が残っているかもしれない。だが、あの惨状を前にして、生きて帰れる気はしなかった。
おそらく、もう誰も――誰ひとりとして――生きてはいまい。
これまで自分が村でどのように扱われていたかを思えば、心が動かぬわけではない。
けれど、目に焼きついた死の光景。たとえ、それが自分の知る誰かだったとしても――もう、どう感じればいいのかさえ分からなかった。
俺が知っている土地は、村の周辺に限られている。
鉱山から石材を運んだ道、薬草の採れる斜面、水汲み場へと続く川。
その程度だ。森の奥のことなど、何ひとつ知らない。
喉の渇きを覚え、川へ水を飲みに向かう。
途中、ゴブリンの姿を警戒したが、幸い、あの醜い化け物どもは現れなかった。
とはいえ、今後奴らが水を求めてこのあたりへ現れる可能性は十分にある。
敵は村の中だけに限らない。そう思い込むのは危険だ。
鉱山のすぐ傍に川がある。水源の確保という点では拠点に適しているが、それだけで選ぶのは浅はかだ。
だが、できることならこの場を離れ、より安全な地に新たな拠点を築きたい。
次に考えるべきは、食料だ。
何も獲れなければ、雑草でも虫でも口にするしかないが……できれば肉がほしい。
狙うなら、あの素早いウサギだろうか。
弓を手に、森の中を歩く。
しばらくして、糞を見つけた。
まだ新しい。近くに居るはずだ。
周囲を慎重に探ると、大きな木の根の間に小さな穴を見つけた。
中に気配を感じた瞬間、パッとウサギが飛び出してきた。
反射的に矢を放つ。運よく命中し、転げるようにしてウサギは動かなくなった。
ヴィンセル鉱山から少し離れた、木と岩に囲まれた目立たぬ場所を見つけた。
そこを仮の拠点とする。
当初は鉱山を拠点にしようかと考えたが、開けた場所にあるせいで敵に見つかりやすい。
村から距離を取りたいという思いもあり、やはり不適と判断した。
採集した植物で寝床を作り、そばに焚き火を起こして肉を焼く。
ウサギの皮で水袋も作った。これで多少遠出しても、水の心配は減る。
違いは、想像以上に大きかった。
その晩は、不安と高揚が入り混じり、眠りは浅かった。
それでも、無事に朝を迎えられたことが、ただ嬉しかった。
それから数日、探索範囲を少しずつ広げながら生活を続けた。
森はどこまでも広がっているが、目立った進展はない。
戦闘手段は相変わらず乏しいものの、木の盾を作ったり、道具をいくつか予備として拠点に置いた。
何も無いよりは、遥かにマシだ。
昨日は鹿を狩ることに成功し、さらにはオオカミさえ倒すことができた。
鹿狩りの経験はあったが、オオカミは別だ。
戦闘経験の浅い俺にとって、それは命懸けの試練だった。
だが、生まれつき備わっていた拙い火の魔法を牽制に使いながら、どうにか戦う術を身につけつつある。
それに、気のせいかもしれないが、身体の基本的な能力もわずかに向上してきた気がする。
そういえば以前、鉱山で赤黒い石を拾った時、不思議な光に包まれて、石が忽然と消えた。
それ以降だ。ある能力が身についたと気づいたのは。
――地図作成の能力。
元々そんな力などなかった。
だからこそ、あの時以外に原因は考えられない。
意識を向ければ、頭の中に歩いた場所の地形が、ぼんやりと浮かび上がってくる。
新たに踏み入った場所は地図の中に組み込まれ、記憶に刻まれていくように感じられた。
どうやら、能力の発現と同時に地図も作られ始めたらしい。
そのため、かつて幼き頃に住んでいたであろう場所や、村へ移動してきた道の記録は反映されていなかった。
いまはまだ、ごく狭い範囲の地図にすぎない。
それでも、心強い力だ。
今後、行動範囲が広がるにつれて、この能力の恩恵は増していくだろう。
直接戦いに役立つ力ではない。
だが、地理に疎い自分にとっては、なにより心強い贈り物だった。
こんなふうにして、能力が目覚めることは、世の中では“普通”なのだろうか。
魔法や特殊技能を持つ者もそれなりにいるらしいし、それと同じなのかもしれない。
――もし人の住む場所に辿り着けたなら、そういう話も聞いてみたいものだ。
ある日、探索中に、開けた場所にぽつんと佇む廃墟を見つけた。
規模は小さいが、建物の形は保たれている。人の気配は感じない。
――だが、何かが潜んでいるかもしれない。
警戒しつつ、ゆっくりと廃墟へ近づく。
……いた。
ゴブリン。
目に映るのは一体のみ。だが、建物の奥にまだ潜んでいる可能性は否定できない。
もし一体だけで離れていれば、戦ってみる価値はある。
慎重に周囲を回り込みながら観察すると、他の個体は見当たらなかった。
運が良いことに、目の前のゴブリンは廃墟から離れつつある。
(……追ってみるか。ここで一歩、踏み出してみよう)
狩りは別として、俺はまだオオカミという動物相手にしかまともに戦ったことがない。
これは、初めての「モンスター」との戦いになる。
ゴブリン。
人間より背は低く、腕力もそこまでではないと聞くが、醜悪な存在だ。
熟練の冒険者ならともかく、俺のような素人が油断していい相手ではない。
それに、複数を相手取るなど、自殺行為だ。
周囲にもう一体でもいたら、即座に逃げると決めておく。
ゴブリンは、さらに森の奥へと足を運んでいる。
(……狩りにでも出たのか?)
いや、ひょっとすると――
あれはこの地に住み着いたのではなく、俺と同じく探索に来ているのではないか?
あるいは、あの村を襲った一団の一員という可能性はないか?
だとすれば、非常に厄介だ。
今の状況を奴が仲間に伝えれば、やがて複数のゴブリンがこの周辺へ現れる。
つまり、俺の生活圏が危険地帯へと変わる。
だが、もしここで倒せば、奴が戻らないことに不審を抱いた他のゴブリンが、複数で調査に来るかもしれない。
……どちらを選んでも、楽な道ではない。
(どうする?)
――よし、やるしかない。
この先を生き延びるには、戦う力が必要だ。
経験を積める機会を、無駄にはできない。
それに、一匹でも減らせば、危険もいくらか軽減されるはずだ。
倒したあとは、拠点を移す。
もし他にゴブリンが居た場合は……すぐに逃げ、別の場所へ拠点を構えると決めておこう。
さて――
この距離なら、多少の音が出ても問題ない。
仮に別の敵が出てきたとしても、十分に逃げきれる。
足音を殺し、石斧と木の盾を構えながら、静かに距離を詰めていく。
このボロ服も、移動時の音が出にくいという点では役立ってくれる。
金属鎧など着ていれば、こうはいかなかっただろう。
『ギャ……?』
物音に気づいたのか、ゴブリンがこちらを振り返った。
その瞬間、渾身の力を込めて、斧を振り下ろす。
バゴォンッ……ッ!
骨が砕ける音が響き、続けざまに数度斧を振り抜く。
ゴブリンは、抵抗する暇もなく絶命した。
―もしかすると、最初の一撃だけで倒せていたかもしれない。
だが、興奮していたのだろう。もし反撃されていたら…と思うと、攻撃の手を緩めることはできなかった。
周囲を見渡す。……敵の気配はない。
(……よし!)
幸運にも、無傷で倒せた。
これなら、もう少し探索を続けられそうだ。
ゴブリンの武器を確認してみたが、今の自作の石斧のほうがよほどマシに思えたので、持ち帰るのはやめた。
再び廃墟へと向かい、様子を探る。
まずは、手前にある損傷の激しい建物を覗く。
何もいない。使えそうなものも、見当たらない。
他のいくつかの建物も似たようなものだったが、奥に比較的損傷の少ない建物を見つけた。
その周辺にも、ゴブリンの気配はなかった。
建物内を調べると、一部壊れかけた設備のようなものを発見する。
(これは……炉、か?)
おそらく、鉄やレンガを作るための設備だろう。
鍛冶屋のグリズ親方のもとで働いていた経験が、ここで役に立った。
間違いない。これは、かつて俺が見た炉の構造と同じだ。
間近でじっくりと見る機会など、今まで一度もなかった。
だが、こうして見ていると――
(……自分でも、作れるかもしれない)
素材さえ揃えば、きっと可能だ。
せめて鉄鉱石が残っていれば、探すときの目安になるのだが……。
慎重に辺りを探ると、土に埋もれかけた鉄鉱石とインゴット、そしてレンガを発見した。
「……やった」
もう他に何もなさそうだ。
早く拠点に戻り、荷物をまとめよう。
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