第一話 地の底に灯るもの
親は、いない。
幼い頃、もう顔すら思い出せない男に拾われ、この家へと連れてこられた。
初めて対面した家主の、冷たく見下ろすような目を今も忘れられない。
「働け。そうすれば生かしてやる」
寝床と食事の代わりに求められたのは、労働力だった。
それが果たして“割に合う”ものだったのか、当時の自分には判断する知恵も余裕も──なにより、選ぶ権利すら無かった。
仕事は多岐にわたった。木を切って運び、石材を採ってはまた運び、薪割り、狩り、薬草の採取──やるべきことは尽きない。
扱いは奴隷に近かったかもしれないが、わずかばかりの自由は与えられていた。
それでもこうして生き延びてきたのだから──案外、運が良かったのかもしれない。
自分についてわかっているのは、人族であること、年齢はおそらく十代半ばから後半、そして男であるということ。
この世界では、十五を過ぎれば“成人”として扱われるのが一般的だという。自分の正確な年齢は知らなかったが、二年前に勝手に“成人”になったことにした。
名前もなかった。いつも“おい”とか“おまえ”とか、適当に呼ばれていた。それが嫌で、成人を機に自分で名乗ることにした。
──エイギス。
実際にそう呼ばれることは滅多にないが、それが俺の名前だ。
この村では、日が昇って沈むのを四百回で「一年」と数える。だが他の村や町、あるいは異なる種族や国では、また別の尺度があるのかもしれない。
村の人口は二十人にも満たない。ここしか知らない自分にも、外の世界はきっともっと広くて、さまざまな文化や生き方があるのだろうと、そう思わせる。
この村にもひとり、人族以外の者がいた。
名をドゥルエーモ。種族はドルヴィアン。
ドルヴィアンは生命力が高く、病に強い。一方で、その容貌は他種族から忌避されがちだ。
かつて、軽い気持ちで「トカゲみたいだ」と言って、ひどく痛い目を見たことがある。
昔、彼が深手を負いながらこの村に辿り着いた時、歓迎はされなかったが、治療と食料を与えられた。
その恩義から、今では村のために尽くしている。
彼自身は、傷の後遺症で戦う力を失っていた。
それでも、自分に何か残せるものを──と、道具の作り方などを教えてくれた。
慣れてくれば、その表情に乏しい顔からでも、なんとなく感情が読めるようになる。不思議なものだ。
さて、今日もやるべきことが山ほどある。
鍛冶屋のグリズ親方から鉱石運びを頼まれていたし、狩人トルケルの手伝いにも行かねばならない。錬金術師アトラ婆さんには、採取した薬草を届ける約束になっている。
もちろん、何か見返りがあるわけでもない。ただ、村の人間たちに都合よく使われているだけの存在だ。
そんなことを考えていると、主人のヴェンが現れた。
──面倒だな。
いや、むしろ今日の仕事を考えずに済んだだけマシかもしれない。
「ここにいたか。今日はヴィンセルに行け。石材が足りん。量は少なくていい。取ってこい。わかったな」
「ヴィンセル鉱山ですか? はい。ではすぐに行きます」
「急げよ」
「……はい」
石材か。きつい仕事だが、急げば陽が沈む前には戻れるだろう。
さっさと済ませてしまおう。
ヴィンセル鉱山は、すでに鉱物が枯渇している。だが石材は今でも良質なものが採れるため、放棄されずに残っている。
──もっとも、いまや通うのは俺ひとりだけだ。
ヴェンは嫌がらせのつもりか、「鉄の道具はお前に貸せない、自分で作れ」などと言う。
さらに、「必ず鉱山の最奥から石を削ってこい」とも。
「鉄の方が効率がいいですよ」と訴えたこともあった。だが、怠けようとしていると勘違いされたのか、殴られたうえで鉄鉱石の塊を投げつけられた。
「これが材料だ。作れるなら作ってみろ」
確かに、奥の石は質が良いとされているらしい。だが、俺にとってはただの手間だ。無駄が多いぶん、むしろ効率は悪くなっている。そのことに、あの男は気づいていない。
このあたりに出る危険な生物といえば、せいぜいオオカミくらい。鉱山への道のりも、さして危険はない。
獣道を踏み分け、森を抜ける。昼間でも薄暗いのはいつものことだ。
薬草を探す余裕があればよかったが、今日は時間が惜しい。仕方なく先を急ぐ。
やがて、木材で補強された鉱山の入口が見えてきた。
松明を手に、坑道の中へと足を踏み入れる。
坑内は薄暗く、壁に備え付けられた鉄の籠に火を灯しながら進む。
最奥までたどり着くと、頼れるのは左手の松明の明かりだけだ。
それを足元に置き、自作の石製ツルハシを手に、言いつけ通りに石壁を削り始める。
──同じ石で石を砕く。まったく、非効率の極みだ。
それでも道具が壊れれば作り直し、また削る。それを繰り返す。
カーン カーン カーン──ボロッ、カラカラ……。
しばらく掘り進めていると、何かが違った。
石の中に、砂を含んだような、柔らかい感触の層がある。
ツルハシで集中的に削ると、そこは脆く崩れていく。
やがて、何かがポトリと落ちた。
──これは……なんだ?
松明の明かりにかざして見ると、それは手のひらほどの赤黒い石だった。
宝石だろうか? そんなはずはない。
宝石とは、もっと輝く、美しいもののはずだ。
それでも、この石にはなぜか目を離せなくなる。吸い込まれるような感覚に、時間の感覚すら曖昧になる。
「持って帰っても、どうせ取られるだけだよな……。いや、そもそも“変なもん拾ってくるな”って、殴られるだけか」
これまでも、そうだった。
少しでも価値のあるものは奪われ、気に入らなければ殴られた。
“あれをやれ、早く終わらせろ”“次はうちだ”“あたしが先だ”──まるで村共有の道具のような扱いだ。
『このまま使い潰されるだけの人生に、意味はあるのか』
握った手に、自然と力が入る。
──そのときだった。
パアアァァァァァァッッッ!!
石が、突如として強い光を放ち始めた。
「うわっ!!」
光は波のようにうねり、自分へと流れ込むように──そして、やがて光は収まり、石は忽然と消えていた。
……
我に返ったとき、どれほど時間が経ったのかはわからない。
反射的に自分の身体を触る。
痛みも異常もない。恐ろしくはあったが、無事らしい。
深く息を吸い込み、気持ちを落ち着けた。
──いまは、それで十分だ。
起こった出来事については、いったん頭から追い出し、作業を再開することにした。
「遅くなれば、何をされるかわかったもんじゃない」
そう思い直したのだ。
石材を十分に採り終え、村へ戻る道を急ぐ。
予想通り、陽が沈む前には戻れそうだった。
……だが、村が近づくにつれ、違和感が胸に広がる。
煙が上がっていた。料理の煙にしては黒すぎる。
次の瞬間、耳に届いたのは──悲鳴だった。
思わず身を伏せる。何が起こっている?
焼けた木や肉、金属の匂いが鼻を突き、嫌な予感が背中を走る。
そして──見た。
異形の影。村が、襲われていた。
丸腰の村人たちは農具や弓で応戦するも、敵の剣や棍棒の前では為す術もなく、次々と命を落としていく。
中には、村人の頭を槍で貫き、それを掲げながら家々に火を放つ者もいた。
──あれは、ヴェンだったものだ。
身体が凍りつく。目を逸らしたくても逸らせない。
見たことはなかったが──おそらく、ゴブリンという魔物だ。
……中には一回り大きな個体もいた。あれも同じ種族なのか?
なぜ、こんな場所に? ここにはそんなモンスター、いなかったはずだ……!
死体が散乱し、村の終焉を突きつけられる。
──そのとき、視線が合った。
体格の良いゴブリンが、こちらを見たような──気がした。
が、すぐに逸らされる。
気づかれてはいない。
今だ──逃げろ。
走った。無我夢中で、ただ走る。
胸が苦しい。息が上がっているのか、それとも心が張り裂けそうなのか。
走って、走って──這うようにして、ようやくヴィンセル鉱山に戻ってきた。
ほかへ逃げても、安全とは限らない。だが、この鉱山からは来たばかりだ。ならばモンスターはいないはず。
実際、そこに奴らの姿はなかった。
地面に倒れ込み、呼吸を整える。
土にまみれた身体も、今はどうでもよかった。
「はあっ、はあっ……ふう……」
張り詰めた緊張が、ほんの少し緩んでいく。
それでも、考えなければならなかった。
──これから、どうするのかを。
村が滅んだ。それはもう、どうしようもない事実だった。
あの状況で、生存者がいる可能性は限りなく低い。
この場所が安全だという保証もない。
とはいえ、いまの自分には、何もない。
他の村を目指すにも、どこに何があるかもわからない。
ならば──まずは、この自然の中で、生き延びるしかない。
食料と水を確保しながら、少しずつ移動する。
これまで、さまざまな仕事を押しつけられてきた。だが、その経験が、いまの自分には“生き延びる術”として残っている。
……モンスターさえ、いなければ。
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