蘇生:後
「お迎えにあがりました」
数日後の夜、観光ガイドが女の居宅を訪れた。
ガイドは長い髪を無造作にまとめ、黒い道服を着込んでいる。素っ気ない姿は少年のようにも見えた。
ガイドの変貌に女は首を傾げる。
「どうしたの、その格好」
「お気になさらず」
らしからぬ姿の観光ガイド──美煌は淡白に告げる。
金で雇っただけの相手だ。女もそれ以上は追求しない。
今は早く本国の邸宅に帰りたかった。
帰って我が子に一流ブランドの服を着せ、栄養満点なミルクを与え、ふかふかのベッドに寝かせてやりたかった。息子との忙しなくも満たされた生活に想いを馳せ、女はまなじりを緩ませる。
美煌はその様子をじっと見つめる。ややあって、傍らのベビーカーに視線を落とした。
「御子息が快癒されたとのこと。ご尊顔を拝しても?」
夫人は眉を寄せたが、顔を見るだけなら──と承諾する。
美煌は膝をついてベビーカーの中を覗く。
鎮座する赤子の肌は青白く、硬直した肉体は歪な姿勢で固まっている。薄く開いた目からは濁った目がのぞき、ひび割れた唇の奥からは、ぎち……ぎち……と歯軋りの音。
功夫使いは嘆息する。『元気になった』夫人の子息は屍のキ物──屍物と化していた。
どこからどう見ても赤子の死体。それがぎこちなく動いている──それだけだ。
『物』のキ物は放っておく我鳴の住民だが、屍物は忌避する。故人の遺骨を粉々に砕く風習はその現れだ。
だが、『外』からやってくるに悲嘆にくれた人々は所感を別にするらしい。
彼らは家族や恋人の『蘇生』を願ってこの街を訪れる。気持ちは察するが動く死体をつくらないで欲しい。
そも動く死肉は生物か? 屍が動けば蘇りか? いくら動こうと、屍に魂が戻るわけではないというのに?
──繊細なことを考えるのは止めよう──
美煌は思考を切り替える。利き手に『気』を巡らせ、屍物の『脈』と『点』を見る。
森羅万象は『脈』を持つ。脈は『龍脈』や『気脈』と呼ばれ、『龍穴』や『経絡』といった『点』を経由して『気』を循環させる。『気』という力の巡りこそが万象の要。
キ物も『脈』と『点』を持ち『気』を巡らせることで自律を可能としているようであった。
が、『脈』はこんがらがり『点』は見当違いの位置にある。『気』の巡りも滞りまくりだ。
目前の屍物の『脈』と『点』もでたらめで、『気』の滞りがあちこちにある。
なので崩すのは容易だった。
「──疾ッ‼︎」
美煌は赤子の額を『気』をまとった掌打で穿つ。
『気』の巡りがでたらめなキ物は、『点』を刺激するだけで『崩れる』。
赤子の屍の額が割れた。首が落ち、四肢ももげた。死んだ赤子は『人』としての形を失った。
夫人は目を見開いて、我が子の崩壊を見ていた。
「──あ」
数秒の沈黙のあと
「──あぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」
絶叫が響く。
我が子を『崩された』母親は鬼の形相で美煌に詰め寄った。
「人殺し、人殺し、ひとごろし‼︎ 私の、私の坊やを‼︎ ──あぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」
「私の行いは『殺人』ではありません。『遺体損壊』が妥当かと」
掴みかかる夫人の手をひらりとかわし、美煌は真顔で答える。
「うるさい‼︎ 人殺し、人殺し、人殺し──‼︎ よくも私の坊やを‼︎」
「申し訳ありませんが、貴方の悲嘆を私は知り得ない」
なおも伸びる手をかわしながら美煌は告げる。子のない独り身が、子を亡くした親の悲しみを理解しようなどおこがましかろう。
「そして、我が子の屍を『動かそう』という貴方の心情も理解しかねる」
歪に動く我が子を見て、思うことはなかったのだろうか?
「うるさい! うるさい! うるさい! うるさぃぃぃぃぃ‼︎」
夫人の叫びはなおも響く。異変に気づいたのか、夫人の護衛と使用人がまばらに部屋に入ってきた。
「あの女を八つ裂きにして‼︎」
憤怒の形相で夫人は側仕えたちに命じる。
「手脚をもいで生きたまま下水に放り込んで‼︎ 決して楽には死なせないで‼︎」
側仕えたちは夫人と美煌を交互に見やる。
多勢に無勢は避けたい。美煌は早々に奥の手を使うこととした。
「旦那様の面子を一番に考えましょう」
側仕えたちに告げると、彼らは目配せをして一様に頷いた。
屈強な護衛が夫人を押さえ込む。夫人はけたたましく叫んだ。
「お前──お前ぇ‼︎ 貴様らの主人は私でしょう⁉︎ 主人に無礼を働くとは何事か‼︎」
「我々は貴方の従者である前に、旦那様の従者なのですよ」
「正気に戻ってください、奥様」
加勢したもう一人がうんざりしたように告げた。
夫人は現在属している家──夫の家の側仕えを伴っていた。
彼らの正式な雇用者は夫人ではなく彼女の夫だ。夫人の我鳴入りは端から夫に筒抜けだった。
美煌は、旦那様と夫人の両者から雇用されていた。
旦那様の依頼は夫人の監視と安全の確保。夫人の依頼は本国から我鳴へのルートの確保と居室や買い物の手配など。
屍物の破壊は美煌の意思による。
ただでさえ混沌とした郷里に『動く死体』という不浄を増やしたくなかったのだ。
功夫使いとしての美煌は我鳴の清掃を是とする。
夫人が居室から連れ出されてほどなくして、彼女の叫びは途絶えた。
側仕えの一人がやってきて告げる。
「奥様にはしばらく眠って頂きます。後日改めて本国へのルートを案内して頂けませんか?」
「承りました」
美煌はベビーカーに目をやる。
「御子息も本国にお帰りになるのですよね?」
側仕えは虚無の目でベビーカーを見る。
「私、じゃんけんが弱くて」
「はぁ」
「じゃんけんに負けて坊ちゃんのお世話を承りました。日に三度坊ちゃんを拭き清め、ドライアイスの交換を致しました」
「はぁ──」
割と同情した。
「これ以上死体の相手をしたくな──もとい、坊ちゃんを奥様の側に置いたらどうなるか。そちらで坊ちゃんを弔ってください」
丸投げされ美煌は眉を寄せる。
「追加料金次第で承りますが──よろしいのですか? 旦那様にとっても大切な御子息でしょうに」
「でしたら、旦那様にご確認を」
側仕えは携帯電話端末を恭しく差し出した。美煌は旦那様直通の通話ボタンを押下する。
──私の跡取りは完璧で優秀な子が相応しい。本国の技術を駆使して次の子をつくるので、それは処理してくれたまへ──
旦那様の言を美煌は理解しかねた。ただ、彼が目の前にいたら御子息の遺骸を彼の口に突っ込んでいたと思う。
高貴な方の考えは度し難い──ひとまずそう割り切った。
「一千万紙幣で御子息の供養を承ります。支払いは迅速に願います」
追加料金を請求すると、美煌は力をこめて通話終了ボタンを押下する。端末がめきりとひしゃげた。
散らばった赤子の遺体を拾い集め発泡スチロールの箱に積めると、美煌は廟に向かう。
北方の中つ国からの流れ者が多い我鳴には、商売繁盛の神や健康長寿の神を祀る廟が点在する。
無法の街にも『信仰』や『験担ぎ』といった祈りは存在していた。
廟の堂主に断りを入れ、中庭で赤子を荼毘に付す。
小さな身体は炎に包まれても簡単に燃え尽きない。抗うかのように踊る火の中で形を保つ。
「──貴方はどうしたかった?」
思わず問うた。
動く屍となってでも母の側に居たかっただろうか? それとも両親に悼まれながら送り出して欲しかっただろうか?
散った命からの返答はない。
荼毘の炎だけが揺らめき弾け、赤子を灰に返していく。
ネオン入り乱れる我鳴の夜は、荼毘の炎を覆い隠すほどに明るい。
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後日、茫然自失としていた夫人の元に封書が届く。
その中身は遺灰であった。
姿を変えた我が子に夫人が何を思ったのか。知る者は居ない。