蘇生:前
──ぎぃぃっ、いっぃぃぃぃっ……──
歪な叫びが発泡スチロールの箱から響く。腐敗防止のドライアイスの中、乳児の体がぎちちと動いた。肌は青白く、薄く開かれた目は濁っている。
「──坊や‼︎」
女は我が子に駆け寄った。待ち侘びた二度目の産声。女の頬が紅潮する。
「ああ坊や‼︎ 私の坊や‼︎」
喜色満面で女は子を抱き、頬擦りする。肌は冷たく肉は硬直しきっていたが、全て些細なことだった。
この汚らしい街に潜り込み、堪えて待ち続けて再びこの子と会えたのだから。
「今度はママ間違えないから。絶対貴方を守るから」
決意の言葉を注いで子を撫でる。再び出会えた我が子が愛しくて仕方がない。
女は集積したビル群の中で一際大きいビルの最上階──この街でいっとう見晴らしが良く、隠れやすく、清潔な部屋に居を構えていた。同じ階には本国から同行させた使用人と護衛を詰めさせている。
女が居るのは我鳴防波。法治及ばぬ混沌の街。
この街では『物』は『動く』。
『動く物』は『キ物』と呼ばれる。
◼︎──────
我鳴には陽が差す場所が少ない。無秩序に積み重なった建造物群が陽光を遮るからだ。
だが屋上はさんさんと陽が降り注ぐ。アンテナが無尽蔵に建つ雑然とした屋上で、女は息子に語りかける。
「良いお天気ね」
息子を失ってから鬱々としていた気分は嘘のように晴れていた。我が子を取り戻した女の顔は穏やかに凪ぎ、慈愛に満ちている。
窮屈で汚らしいとしか思えなかった街の風景も輝いて見えた。
奇跡の街に女は心から感謝した。ベビーカーの中の我が子はひゅうひゅうと不規則な呼気を繰り返し、時折ぎちちと歯を鳴らす。
遅くに授かった我が子は染色体に異常があった。
出生前診断で子に不具があると知った夫は、早々に堕胎を勧めてきた。体外受精で健康な我が子をつくり、代理母に出産して貰おうとも言ってきた。
怒りと共に女はそれを跳ね除けた。ようやく授かった我が子をなぜ殺めねばならないのか。
夫との関係がぎくしゃくする中、彼女はがむしゃらに子を育んだ。一流の医師による検診と健康管理を受け、『良い』とされる胎教も片っ端から試した。
息子の産声は弱々しいものだったが、それすら愛おしく、女の庇護欲をあおった。
愛と財を尽くして彼女は丁重に我が子を育てたが──
忙しなくも喜びに満ちた生活は呆気なく終わりを迎えた。
子を失った女は、悲嘆の底に突き落とされる。
そんな折だ。死者が蘇る街の噂を聞いたのは。
その街では『物』は『動く』。
『物体として在れば』命終えた『もの』も『動く』──よみがえる。
すがる思いで、女は息子を抱いてこの街に潜り込んだ。
無法の街はすんなり女を受け入れる。金を振りかざせば妥協できる程度の安全と豊かさも確保できた。
「──でも、この子を育てるのに相応しい街ではないわ」
女は吐き捨てる。
奇跡の街は雑然とし過ぎて混沌の体を極める。法治がないので住人は容易く悪事に走り、店舗に並ぶのはまがい物や粗悪品ばかり。闇医者の跋扈も当たり前。
「さっさと戻りましょう。本国に」
女はベビーカーをひいて居宅に戻る。息子をベビーベッドに寝かせると、ぎ、ぎ……と歯軋りが聞こえた。
女は微笑むと、黒電話のダイヤルを回す。
「もしもし、ガイドさん? 息子が元気になったので、本国に戻ろうと思って。ええ……ええ……夫には気づかれないように。お願いね」
この街と本国のパイプ役である観光ガイド──美煌と言ったか──に指示を下し、受話器を置く。
子供の件で夫とは疎遠になっていた。我鳴に入ったことも勿論告げていない。
夫は本国の高官だ。女が噂に名高い我鳴防波に身を寄せたと知ったら目くじらをたてるに違いない。
「生活費と養育費を払ってくれれば、もうどうでもいいわ。あんな人」
悪態をついてベビーベッドの傍らの椅子に座る。
「ママには坊やが居るものね」
微笑みながら、女は冷たい我が子を撫でた。