表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/14

蘇生:前

──ぎぃぃっ、いっぃぃぃぃっ……──


 歪な叫びが発泡スチロールの箱から響く。腐敗防止のドライアイスの中、乳児の体がぎちちと動いた。肌は青白く、薄く開かれた目は濁っている。

 

「──坊や‼︎」


 女は我が子に駆け寄った。待ち侘びた二度目の産声。女の頬が紅潮する。

 

「ああ坊や‼︎ 私の坊や‼︎」


 喜色満面で女は子を抱き、頬擦りする。肌は冷たく肉は硬直しきっていたが、全て些細なことだった。

 この汚らしい街に潜り込み、堪えて待ち続けて再びこの子と会えたのだから。

 

「今度はママ間違えないから。絶対貴方を守るから」

 決意の言葉を注いで(そそいで)子を撫でる。再び出会えた我が子が愛しくて仕方がない。

 

 女は集積したビル群の中で一際大きいビルの最上階──この街でいっとう見晴らしが良く、隠れやすく、清潔な部屋に居を構えていた。同じ階には本国から同行させた使用人と護衛を詰めさせている。

 

 女が居るのは我鳴防波(ガーミンぼうは)。法治及ばぬ混沌の街。

 

 この街では『物』は『動く』。

 『動く物』は『キ物』と呼ばれる。

 

 

◼︎──────

 

 

 我鳴(ガーミン)には陽が差す場所が少ない。無秩序に積み重なった建造物群が陽光を遮るからだ。

 だが屋上はさんさんと陽が降り注ぐ。アンテナが無尽蔵に建つ雑然とした屋上で、女は息子に語りかける。

「良いお天気ね」


 息子を失ってから鬱々としていた気分は嘘のように晴れていた。我が子を取り戻した女の顔は穏やかに凪ぎ、慈愛に満ちている。

 窮屈で汚らしいとしか思えなかった街の風景も輝いて見えた。

 

 奇跡の街に女は心から感謝した。ベビーカーの中の我が子はひゅうひゅうと不規則な呼気を繰り返し、時折ぎちちと歯を鳴らす。

 

 遅くに授かった我が子は染色体に異常があった。

 出生前診断で子に不具があると知った夫は、早々に堕胎を勧めてきた。体外受精で健康な我が子をつくり、代理母に出産して貰おうとも言ってきた。

 怒りと共に女はそれを跳ね除けた。ようやく授かった我が子をなぜ(あや)めねばならないのか。

 

 夫との関係がぎくしゃくする中、彼女はがむしゃらに子を(はぐく)んだ。一流の医師による検診と健康管理を受け、『良い』とされる胎教も片っ端から試した。

 息子の産声は弱々しいものだったが、それすら愛おしく、女の庇護欲をあおった。

 愛と財を尽くして彼女は丁重に我が子を育てたが──

 忙しなくも喜びに満ちた生活は呆気なく終わりを迎えた。

 子を失った女は、悲嘆の底に突き落とされる。

 

 そんな(おり)だ。死者が蘇る街の噂を聞いたのは。

 その街では『物』は『動く』。

 『物体として在れば』命終えた『もの』も『動く』──よみがえる。

 

 すがる思いで、女は息子を抱いてこの街に潜り込んだ。

 無法の街はすんなり女を受け入れる。金を振りかざせば妥協できる程度の安全と豊かさも確保できた。

 

「──でも、この子を育てるのに相応しい街ではないわ」

 女は吐き捨てる。

 奇跡の街は雑然とし過ぎて混沌の(てい)を極める。法治がないので住人は容易く悪事に走り、店舗に並ぶのはまがい物や粗悪品ばかり。闇医者の跋扈も当たり前。


「さっさと戻りましょう。本国に」

 女はベビーカーをひいて居宅に戻る。息子をベビーベッドに寝かせると、ぎ、ぎ……と歯軋りが聞こえた。

 女は微笑むと、黒電話のダイヤルを回す。

 

「もしもし、ガイドさん? 息子が()()になったので、本国に戻ろうと思って。ええ……ええ……夫には気づかれないように。お願いね」

 この街と本国のパイプ役である観光ガイド──美煌(ミーファン)と言ったか──に指示を下し、受話器を置く。

 子供の件で夫とは疎遠になっていた。我鳴(ガーミン)に入ったことも勿論告げていない。

 夫は本国の高官だ。女が噂に名高い我鳴防波(ガーミンぼうは)に身を寄せたと知ったら目くじらをたてるに違いない。

 

「生活費と養育費を払ってくれれば、もうどうでもいいわ。あんな人」

 悪態をついてベビーベッドの傍らの椅子に座る。

 

「ママには坊やが居るものね」

 微笑みながら、女は冷たい我が子を撫でた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ