ゆうれい:後
女は我鳴住人としては恵まれていた。片親だったが飢えや暴力とは無縁だったし学校にも通わせてもらった。成人後は飯店に勤めつつがなく過ごしていた。
ただ、恋人がろくでなしだった。女の金で遊び暮らす恋人は借金をくりかえし、彼女は身体を売ることを余儀なくされた。
極めつけに「夢見が良くなる」と恋人が勧めてきた薬は阿片だった。
阿片中毒で働けなくなった女を置いて恋人はどこぞに逃げた。
中毒症状の激しい痛みと幻覚の中、女は首をくくる。
──いた、い……。くる、しい……──
助けを求めて彼女は徘徊する。
ここ最近、寒いだけだった部屋に住み着く人ができた。藁にすがる思いで助けを求めても、相手は飛び上がって逃げるだけだ。
──たすけて……たす……けて……──
今日も彼女は助けを求めて部屋の入居者にすり寄った。が、かえってきたのはバズーカで打ち出された餅米だ。
──や……いや……‼︎──
餅米はなぜかぴりぴり痛い。彼女はバズーカを持った黒衣の男から距離をとる。
「おもちゃの火箭筒も存外使えるものだね」
つぶやいた男は今度はラジカセを取り出した。再生スイッチが押されると、ノイズ混じりの経が流れだす。
──やだ……や……!──
ありがたいはずの経は何故か女の意識を遠のかせた。このひとは助けてくれない──悟った彼女は扉をすり抜け部屋から脱出した。廊下にはツインテールに黒いフリルのワンピースを着た可憐な少女がひかえている。
「そっち行ったよ姑娘。風水師から買った符を試してみて」
「承知いたしました」
少女はこたえると、スカートの裾をふわりと持ち上げた。スカートの中からバサバサと大量の符が舞い落ちる。
スカートの黒と舞い散る白い符のコントラストは美しかったが、女は怖気に震えた。
少女は一枚一枚符を拾い、女の周りに並べ始める。八方を符で囲まれた時、女に衝撃が走る。びりびりと打ち据える何かに、彼女は動けなくなってしまった。
「魚拓……もとい鬼拓をとらせて頂きますね」
楚々と微笑む少女の手はやはりバズーカを握っている。
「ご容赦を」
しとやかな忠告の後、発射されたのは墨、墨、墨、墨。だが、墨の勢いは女を助けた。ぶちまけられた墨で女を囲う符の数枚が吹っ飛ばされたのである。
──なん……で……! どう……して!──
なぜどいつもこいつも助けてくれないのか。一体自分が何をしたというのか。混乱しながら女は逃げた。
廊下の端、鉄の外階段につながる扉をすり抜ける。普段はなぜかこの扉の先に進む気にはならないのだが、今は違った。黒衣の男と黒い少女から一ミリでも多く距離をとりたい。
通りにつながる鉄階段を滑るようにくだる。
階段をくだり切った場所には符がびっしり貼られた檻があったが、なんとか避ける。
その先にはこれまた符が貼られまくった生コンクリート入りのドラム缶があったが、こちらも避けた。
通りに逃れた彼女はこれ以上なく安堵する。薄まる意識で空をあおげば、ビル群に切り取られた我鳴の狭い夜空が見える。
──あ……──
ネオンで薄ぼやけた夜空に、女は輝く光を見つけた。
──ほ……し……──
小さな光に手を伸ばす。すると、天上から糸が垂れてきた。ほのかに光る糸は蜘蛛の糸のようにか細い。
おそるおそる糸をつかみ、女は気付く。
娑婆に救いはなく、地上にあるのは女のように救いを求める衆愚のみだと。
救われたくば、手を伸ばすべきは天上の仏であったと。
──あぁ……。そうだったのね……──
穏やかに悟り、女は蜘蛛の糸を抱く。死してなお救いをもとめた彼女は、静かに苦界を去っていった。
◼︎──────
「鬼さん、いらっしゃいませんね」
「逃げられちゃったかぁ」
姑娘とともに檻とドラム缶の中身をあらため、チェンはほぞを噛む。
風水師の符で鬼を拘束したまでは良かった。だがその後がまずかった。魚拓──というか鬼拓──用の墨で符の陣形を崩してしまうとは。
生け取り鬼の希少価値を思うと、彼女を逃したのは惜しい。だが、鬼があとかたもなく消えたのだとしたらチェンにも利がある。
これで夜中に仔空に叩き起こされることはなくなるだろう。チェンの安眠は確約された。
「今回はまぁ、これでいいかな。次に同じ鬼が出た時は、シバきたおして捕まえよう」
「はい、お父様」
チェンが勢いこむと、姑娘はにっこり笑ってうなずいた。
「ところで父さん」
可憐な黒い少女から平板な少年の声が出る。
半陰陽のリャンが少女をやっている姿が姑娘だから特に不思議なことではない。理解してはいるのだが、姑娘の姿形からリャンの個性が出てくるとその都度チェンはびっくりする。
「『姑娘は禁止』って言ってたのに、この件で俺に姑娘出させたのは何でなの?」
「出るのは女の鬼だって聞いてたからさ」
チェンは首裏を掻く。
「お前が女人をやっていれば、何かあったときに取り憑かれるのは男の私で済むかな、って」
「俺を心配してくれたんだ?」
リャンはかすかに頬をゆるめ、チェンにすり寄った。我が子に甘えられるのは悪い気はしないが、少女の格好で甘えられると決まりが悪い。チェンはそっと養い子から距離をとる。
「あ、そうだ。仔空の前では絶対に姑娘になってはいけないよ。彼、そうとう女好きみたいだし」
「大丈夫ですよ、お父様」
しとやかにリャン──ではなく姑娘が答える。ころころ男女を切り替えないで欲しい。
「仔空兄様は、美煌姉様にぞっこんのようですから」
「……変わった趣味してるね、彼」
呑気な親子の会話は我鳴のギラつく夜に吸い込まれていった。




