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01.あなたは誰

 誰かにとってのハッピーエンドは、きっと誰かにとってのバッドエンドだ。

 

 今まで私が読んできたファンタジー小説のラストは、いつだってハッピーエンドだった。ヒロインとヒーローが幸せに結ばれて、キスをしておしまい。私は満足して本を閉じる。


 でも、物語に登場するのはヒロインとヒーローだけじゃない。主要キャラクターからほとんど目につかないモブキャラクターまで、たくさんの登場人物がいて、たくさんの視点がある。


 本当のハッピーエンドなんて、きっと存在しない。


 だって、少なくとも私にとって、これはハッピーエンドなんかじゃない。

 私が中学二年生の頃、とある架空の国を舞台にしたファンタジー小説「アマリリス」が世界中で大流行した。

 

 小説の主人公の名は、マーサ・パーカー。

代々続く吸血鬼ハンター家系の一人娘で、彼女の視点でこの小説は展開していく。


 可憐な容姿からはとても想像できない勝ち気で無鉄砲な性格で、時に読者をハラハラさせながらも、つい応援してしまう魅力的なヒロインだ。

 

 そして、彼女と対になるもう一人の主人公が、クラウス・モスティン。別名、私のかつての推し。


 彼は人間の母親を持つ半吸血鬼で、自分に流れる化け物の血に苦しむ、哀しく美しい青年だ。

 

 ハンターの娘であるマーサと半吸血鬼のクラウスは最初こそ敵対関係にあるものの、人間を殺めず心優しい彼に、次第にマーサは惹かれていく。


 許されざる恋に落ちる二人のロマンスと、マーサの血を狙う冷酷な吸血鬼とのシリアスな攻防が、この本の大きな魅力になっている。


 そして今。どういうわけか、私はこの小説の中にいる。かつて世界中が熱狂した、この小説「アマリリス」の世界の中に。

 

 私は大学の卒業を控え、サークル仲間と共にヨーロッパに旅行に来ていた。


 人生の夏休みとも言われる大学生活。この最後の時間を目一杯楽しもうと、最大限奮発して五カ国を巡る旅だ。このために、夏休みは必死でアルバイトを掛け持ちした。

 

 旅行の計画を立てる中で、私たちは皆、中学時代に小説「アマリリス」に夢中になっていたことが分かった。当時の推しキャラについて議論が白熱するうちに、誰かがこんなことを言い出した。

 

「せっかくならさ、小説の聖地巡礼してみようよ!」


 もしかしたら、私が言い出したような気もする。

 

 実際に小説のモデルとなった街に来てみると、確かにところどころに小説の中で見たものと同じような建物があり、私たちは大いに盛り上がった。


 街の中心からやや外れた場所には、地元一の観光名所である貴族の古いお屋敷がある。小説にも登場するため、ファンの間でも有名な場所だ。

 

 お屋敷には、私たちの他に観光客は三組しかいなかった。混雑を覚悟して来たけれど、さすがにもう十年近く前の小説だから、一般の観光客しか来ていないのかもしれない。

 そして今はバカンスの時期でもないから、一般人は少ない。


 ラッキーだね!なんて、みんなで言い合った。

 

 広いお屋敷の中はとても豪華だけれど薄暗く、重々しい雰囲気が漂っていた。なんだか、屋敷の空気が背後霊のように少しずつ肩にのしかかって来るみたい。段々と気分が悪くなってくる。

 

「歴史のある場所ってそんなものだよ。何百年という間の、人々の悲哀が刻まれてるんだから。」

 

 史学科専攻の里緒菜が平然と言う。私は内心、早く外に出たいなと思っていた。でも、せっかくの皆の楽しい時間を壊すわけにもいかず、ふらふらと後をついて行くしかなかった。


 誰とも知れない肖像画が飾られた、長い長い廊下の向こう側。薄暗い闇の中でふと、ザワザワと人の話し声のようなざわめきが聞こえた。


 それで、その後はどうしたっけ?気になって見に行ったような……

 正直、その後のことはよく覚えていない。


 気がついた時には、私は荘厳な大広間で何十人ものメイド達に囲まれていた。

 

 目の前にある重厚な扉の上に彫られた大蛇の紋章。これは世界中のアマリリスファンなら皆、見覚えがあるはずだ。

 

 読んだ覚えじゃなく「見覚えがある」というのは、実写映画で目にしているから。

 

 確か映画の撮影においても、この屋敷が使われていたはずだ。一瞬、作品のファンへの小粋な仕掛けで、映画のセットをそのまま屋敷に置いているのかとも思った。


 でも。目の前にいる三人は、どう頑張っても映画のセットだとか撮影だとか、そういうことでは説明がつかない。


 長い赤毛を綺麗に結い上げた、小柄で可憐な女性。彼女はまるでマーサ・パーカーに見える。


 その隣で彼女を守るように立ち、対峙する相手を見据える濃いブラウンヘアの男性。これはどう見ても、クラウス・モスティンだ。その態度からは張り詰めたような緊張が伺える。


 そして、彼らと向かい合って優雅に微笑んでいる、このもう一人の男性は……。


――一体どういうこと?


 この人たちは本物だ。実写映画で、流行りの俳優たちが演じたキャラクターなんかじゃない。小説に描かれていた細かな特徴を寸分の狂いもなく反映した、正に小説の登場人物そのもの。


 昨日パブで飲んだウイスキーが今更襲ってきて、もしかして私は二日酔いで倒れてリアルな夢を見ているとか?気分が悪かったのも、そのせいだったのかもしれない。

 

 それにしても、なんでこんな夢なんだろう。


 確かにティーンエイジャーだった私は小説「アマリリス」に、いや正確には主人公のクラウスに大いにハマったけれど、この作品はもうとっくに過去に置いてきたはずだ。

映画だって何回も観たけれど、もう何年も忘れていたのに!

 

 いくらモデルとなったお屋敷に来たからと言って、こんな夢を見る程にまだこの作品が好きだったんだろうか?


 夢なら夢で、個人的にはもっと見たいものがたくさんあるのに。

推しのアイドルとか俳優とかインフルエンサーとか、大学生の私が夢中になっているのは、もうアマリリスではない。私の脳は気を利かせて、そういうものを見せてほしいところだ。

 

――まあ、夢に文句を言っても仕方ないか。


 はあ、とため息をついて目の前の三人に視線を戻す。


 主人公のマーサとクラウス。そういえばクラウスに夢中だった私は、映画版のキャストには少し物足りなさを感じたものだった。


「クラウスはこんなにワイルドじゃないでしょ?!彼はもっと美しくて繊細で悲哀を背負っていて……」


あの頃の私がもしもこの場にいたら、発狂していたかもしれない。だって、彼の特徴をそっくりそのまま反映した、誰が見てもクラウスという本物がそこにいるんだから。


 実写映画のマーサとクラウスは、登場人物の中で誰よりも華があった。二人の整った容姿については小説の中で何度も言及されていたし、そもそも主人公なんだから映画として引き立たせるのは当然だ。


 そんな彼らにしても、今目の前にいるマーサとクラウスにはとても敵わない。私の脳が描き出したこの二人は、美しく凛としていて、街で見かけたら思わず振り返ってしまいそう。


 それでも、今この瞬間にこの場の視線を集めているのは、マーサとクラウスではないのだ。

 

 彼らが緊張を隠すこともなく向き合っている、背の高い若い男性。三人目の登場人物。

 彼は異様な存在感で、その場の全てを圧倒していた。


 主人公二人の美しさを光で例えるならば、この男の美しさは闇だ。漆黒の闇。闇は全てを覆い隠し、光は見えなくなってしまう。

 

 ウィリアム・スペンサー。通称「レスター公爵」。


 表の顔は、莫大な富を誇る公爵家の一人息子。若くして家督を継いだ、聡明で容姿端麗な青年。でも実のところ彼は、強大な力を持つ吸血鬼一族の一人で、正真正銘の純血の吸血鬼だ。

 

 人間の味方となって、人間らしくあろうと必死でもがいているクラウスとは全く異なり、この男にとって人間などは自分たち吸血鬼が狩るための、下等な存在にすぎない。


――冷たく残酷で、闇に生きる正真正銘の化け物。


 恐怖に震えながら命乞いをする人間の生き血をワイングラスに注ぎ入れ、今まさに生き絶えていく様を見て微笑むような邪悪な男だ。


 そう、つまり彼はこの物語の悪役。


「こんなところまでわざわざお越しくださるとは。父が存命であれば喜んだことでしょう。」


 マーサとクラウスに向かって微笑む様子は、絶対に間違いない。とても上品なのに、どこか相手を蔑んでいるような態度。慇懃無礼な口調。温度のない目。


 この男が、あのレスター公爵だ。


 そしてつまり、私が今いるこの場所は、レスター公爵のお屋敷だ。


――その吸血鬼は、ブロンドの髪に死人のような青白い肌、薄いグレーの瞳。

やや中性的で、まだどことなく少年らしさが残る顔立ち。

見るもの全てを魅了する高貴で美しい青年だが、同時に人間を本能的に恐怖させる何かがある。

人の理が通用しない暗く残忍な目は、私の全てを見透かしているようで落ち着かない。

 

 マーサの視点からレスター公爵を描写した小説の一節だ。細かな言い回しなんかは間違っているだろうけれど、とにかくこんな内容だった。


 目の前の男は、全くもってこの通り。見た感じはきっと、私よりも少し年下だろう。でもあどけなさとか可愛らしさとか、そういうものとは全くの無縁で、なんというか……親近感というものがごそっと欠如している。

 

 小さな顔にすらっと伸びた首、広い肩幅、長い手足。まるでパリコレのモデルが十八世紀の貴族の衣装を着ているみたい。信じられないぐらいに美しい。怖いぐらいに。


 一目見れば分かる。絶対にこの男は人間ではない。

 

 私は、本能的な恐怖に襲われた。

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