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第95話 俺は、この女の方がいい

 歓声が、耳障りだった。

 ふたりの闘いを観戦しているハイオーク達が、無邪気に沸き立つ。

 酒臭い息と興奮した雄叫びと歓声が、修練場を埋め尽くす。

 バルカの胸に、熱い怒りが込み上げた。

 ラケーシは最初から、メトーリアに対して、本気の攻撃を繰り出していた。


 それでもまだ、どこかで「遊び」の余地があった。


 だが……。

 メトーリアの剣がラケーシの腕を浅く切り裂いた直後から――彼女の『意』が変わった。

 それをバルカは即座に察知した。

 今は明確で、冷たい殺意がメトーリアに向けられている。


(なんでだ、なんでこうなったッ)


 今のバルカは万全ではない。

 ラケーシの淫気が未だ心身を蝕んでいるが、バルカは修練場に上がろうとした。

 ふたりの間に割って入ろうとした。

 決闘の掟などはどうでもよかった。

 背中の戦斧の柄を握りながら、こめかみに指を当て、念話をメトーリアに送ろうとした。


 だが、逆にメトーリアの言葉がバルカの意識に走って届いた。


(バルカ、大丈夫だ。私を信じてくれ)


 彼女の言葉に、バルカは動きを止める。

 視界の端で、メトーリアの背中が見える。

 青白い闘気が、彼女を包む。

 そして、バルカはハッとして剣を握るメトーリアの手を見た。


(……わかった、信じる。)


 バルカは拳を握りしめ、観戦席に留まる。


「おいッ、いいのか?」


 レバームスが動揺した声をあげるが、バルカは何も言わずにメトーリアを見つめ続けた。


    ×   ×   ×


「これで……終わりだよ、メトーリア!」


 振り下ろされた魔槍斧の斬撃をメトーリアの剣が――受けた。

 赤紫の淫気が渦を巻いて青白い闘気と紫電を帯びた剣を浸食し、メトーリアに纏わりつく。


 ラケーシの唇が、勝ち誇った弧を描いた。

 瞬転、ラケーシは魔槍斧を空間収納してつま先を軸に半回転し、再出現させた魔槍斧を逆手に持った――。


「!?」


 そのままメトーリアを貫く突きを繰りだろうとしたラケーシだったが、魔槍斧を握った手に強烈な違和感を感じ、危うく武器を取り落としそうになって、激しくラケーシは動揺した。


 慌てて飛び退り、魔槍斧を両手持ちにする。


「なんだ!? なんで、あたしの手がッ」


 利き手の感覚がおかしい。

 真綿越しに掴んでいるような魔槍斧の柄の感触に、ラケーシは戸惑いながらも油断無くメトーリアを睨む。


 そして、メトーリアの持つ剣に変化が生じていた事に気づく。

 青白い闘気を纏っているのは同じだ。

 しかし、その闘気に混じって、さっきまで無かった紫電を刃が帯びていたのだ。


「なんだ……それは」


 メトーリアはゆっくり立ち上がり、掌をラケーシに向ける。

 掌に、紫色の紋様が輝いていた。


「お前から学んだんだ。お前が直接接触で私の心身を淫気で蝕んだように、私は阻害(デバフ)スキルをお前に気取られないよう発動して、お前の腕を麻痺させていたんだ」


 執拗に接触によって淫気を直接浸透させようとラケーシの手がメトーリアの体に触れるたびに、それを掌で押し退けながら、メトーリアは淫気を浴びるのと引き換えに、己の阻害スキルを密かにラケーシの手に直当てしていたのだ。


 さらに魔槍斧の振り下ろしの攻撃を受けた時、メトーリアは阻害スキルの気……紫電を発する害気を全開にして剣に伝わせ、ラケーシの利き手に直撃させていた。


    ×   ×   ×


 レバームスがひゅうっと口笛を吹いた。


「やるじゃないか。嬢ちゃん阻害スキル使いだったのよ。知ってたのかバルカ?」

「ああ」

「相手の霊体と強制的に繋がろうとするルスト・アーツは、使用時に自らの霊体が無防備になるからな。闘いは振り出しに戻ったって……とこか?」

「いや、メトーリアの阻害スキルは魔物のヨロイ狼が行動不能になるくらいには強力だ。効果を麻痺(パラライズ)に限定し、しかもそれをラケーシの手にだけ集中して浴びせている」


    ×   ×   ×


 ラケーシは歯を食いしばり、魔槍斧を構え直すが――手が震え、柄をしっかり握れない。

 麻痺の効果が、利き手を蝕み始めていた。

 メトーリアはこの隙を見逃さず、剣を振り上げ、ラケーシの魔槍斧を狙う。


「――ッ!」


 直撃は回避したが、剣から斬風が放たれ、その衝撃でラケーシの麻痺した手から魔槍斧が弾き飛んだ。

 メトーリアは剣の切っ先を、ラケーシの喉元に突きつけた。


「降参しろ、ラケーシ」


 ラケーシは体を震わせ、喉元に迫る冷たい刃を感じながら、睨み返す。


「……負け……ない……」


 彼女の声が、かすれる。

 害気の効果が、腕から全身に広がり始めていた。

 だが、ラケーシの瞳に、最後の炎が宿る。


「まだ、終わらない……ッ」


 彼女は喉の奥で低く唸り、観客席に向かって両手を広げた。


「皆、力を貸せッ!!!」


 その瞬間、修練場全体が震えた。

 観客席のハイオーク達から、次々と霊気が立ち上り、ラケーシに向かって流れ込む。


「これは……ッ」


 ラケーシから強烈な闘気が放射され、メトーリアの体が後方へ押し流された。


(群れ全体にかけるバルカの大規模支援(バフ)魔法の、逆ッ!!??)

 

「レイドマジックの一種――群れの力を一人の戦士に結集させる、オークの秘術さ」


 ラケーシの体が、急速に回復していく。

 害気による麻痺効果が剥がれ落ち、指が動き、足に力が戻る。

 彼女はゆっくりと、魔槍斧を拾い上げた。


「これが……ルサイドオークの力だ……!」


 魔槍斧の斧刃に埋め込まれた緑の宝玉が激しく輝く。

 結集した霊気が闘気に変換され、ラケーシと魔槍斧に宿り、禍々しい威圧感を放ちはじめた。


 メトーリアは剣を構え直すが――その剣身に、細かな亀裂が入っている。


「……ッ!」


 あきらかに質も強度も上のラケーシの魔槍斧と何度も切り結んだことと、急激なレベルアップを遂げたメトーリア自身の闘気と害気が剣に過大な負荷をかけていた。


 ラケーシが叫ぶ。


「喰らいな!」


 修練場にいる数十人分のオークの力を集めて強化された魔槍斧の一撃が放たれる。

メトーリアは剣で受け止めるが――


 耳をつんざく震えるような音が響き、メトーリアの剣は根元から砕けた。


 折れた刃が地面に落ち、青白い闘気が散る。

 メトーリアは後退し、折れた剣の柄を握りしめる。

 圧倒的な優位に立ったラケーシだが、その顔に余裕は無かった。

 

「あたしは……負けるわけにはいかないッ」


 魔槍斧が、再び振り上げられる。


 その時――


 バルカの声が響いた。


「メトーリア!」


 叫びながら、バルカは自らの戦斧を投げた。

 暗灰色の光沢を放つ重厚なストレンジメタルの戦斧が回転しながら飛来し、メトーリアの手に収まる。

 瞬間、戦斧が光を放ち、形状を変える。

 

 斧身が細長く伸び、両刃の黒い刃が形成され――全体の形状がはげしく変化していった。

 それを見たラケーシは激しく動揺し、大きく目を見開いた。

 バルカの戦斧は非常に強い霊気を放っている。

 戦斧自体に霊体が備わっているほどの高位武器であり、バルカ専用の武器である事がラケーシには分かっていた。

 この手の武器は真の所有者であれば軽々と扱えるが、それ以外の者には非常に重くなって扱えない代物なのだ。

 だが、バルカの武器はメトーリアにその身を委ねるかのように、戦斧の形態から彼女がさっきまで手にしていたのと殆ど同じ……手になじむサイズの長剣に変化したのだ!


 メトーリアの蒼い瞳が藍方石(アウイナイト)のように輝いた。


「ッ!」


 彼女は手にした新たな剣を構え直す。

 漆黒の刃を持つ剣に、彼女の闘気と害気が融合し、青紫のオーラが渦を巻く。

 ラケーシは後退る。


「そ、そんな……!?」


 メトーリアは地面を蹴って前に出た。


「これで……終わりだ、ラケーシ!!!」


 剣閃が閃き、ラケーシの魔槍斧に直撃する。


 ――ガァァァン!!


 衝撃でラケーシの体が吹き飛び、魔槍斧が空中で砕け散る。

 緑の宝玉が粉々に割れ、淫気の残光が消える。

 ラケーシは地面に叩きつけられたまま、動かない。


 修練場が静まり返る。

 メトーリアの体に一気に疲労が押し寄せた。

 剣を杖のようにして体を支え、息を荒げながらバルカを見つめる。


「……バルカ」

「メトーリア……」


 バルカはメトーリアに駆け寄った。

 負傷した彼女の腕に治癒スキルの光を帯びた手を当てながら、長剣形態になった武器を受け取った後で、ぐったりとした彼女の肩を優しく抱いた。

 淫気は完全に払われていた。


 観客席が、混乱と驚愕に包まれる。


「ラケーシ様!」


 テッサが叫びながらゼフラと共に駆け寄って、ラケーシを抱き起こす。

 ラケーシはゆっくり目を開き、バルカを見つめる。


「バルカ……あ、あたしが勝っていたのに、決闘に割って入るなんてっ」

「大勢のオークの力を集める魔法を使っておいて何が決闘だ」

「あたしには、あたしたちにはあんたが必要なんだ……オークの君主に……あたしと……君主に……なって……」


 その言葉が、静まりかえった修練場に重く響いた。

 周囲のオーク達は固唾を吞んで聞いている


 バルカの表情が、わずかに硬くなった。


「俺は……お前のものにはならない。メトーリアと、地上のフィラルオークの元で共に生きる。まずはそこからだ。それから先のことは、すぐに決める気は無い」


 ラケーシの顔が、捨てられた子供のような表情になった。厚めの唇が震えている。


「あたしを……受け入れないなら、モーベイからも、地底界からも出ていってもらうしかない。それでもいいのか」


 バルカは静かな眼で、追いすがる彼女からメトーリアへと視線を移した。

 そして、メトーリアを抱き上げながら、


「俺は、この女の方がいい」


 と、はっきりと言った。

 

「ここは、俺の居場所じゃなかった」


 そう言い残して、バルカはレバームスと共に、ルサイド宮殿から去って行った。


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