第85話 ギルベーダの説得と女格闘士の屈辱の涙
フィラルオークの生存圏を脅かした触手の魔物群と戦った時、バルカ達はアーガ砦を拠点とした。
その砦からさらに北の高山帯へ進むと、切り立つ山々に囲まれた広大な窪地が姿を現す。
火山活動によってできたこの地を、オーク達はドレーキクレーターと呼ぶ。
そこにオークの都モーベイは存在した。
クレーターの外輪を形成する山々は高さ数百メートルにもおよび、はるか上空からなら、外輪山が壮大な円を描いているのを一望できる。
大自然の要害に守られたその窪地には低木林が広がり、オークが騎乗に使うダイノボアという巨大な猪が放牧されている。
さらに目を引くのはフロストパームの大農園だ。
品種改良されたものなのか、フィラルオークの集落や根の谷大穴付近にあったものより樹高が半分以下だが、それでも五〜十メートルはある。
モーベイはフロストパーム農園の奥……外輪山北部を背にするようにして在った。
城壁はない。その代わりにモーベイは水をたたえた深い濠に囲まれている。
濠にかかった橋の両端に警備兵の詰め所があったが、何百年もの間、侵攻されなかった歴史があるため、警備兵の数はわずかだ。
立ち並ぶ石と丸太の家屋は造りこそバサルデの城下町と似ているが険しい外輪山に囲まれている土地の性質上、敷地を広くすることを避けて高層化がしている。
三階建て四階建ての建物が多く、いずれもオークの背丈にあわせて建造されているため、どれも戸口が大きかった。
モーベイの都城は高い城壁こそないが、黒い火山岩を掘り抜いた『石窟城』ともいうべきもので、無骨だが堂々たる立派な佇まいだった。
一番高い中央の塔屋――天守の主である君主はいない。
オーク族の君主は、四百年以上も不在なのだ。
君主の居城のそばに、君主の居城に次ぐ規模の宮殿が建っている。
こちらも石造りではあるが、オークとしては珍しく、外壁には多数の彫刻が施されていた。
そこは本来、君主のつがいである后や側室たちの住まう後宮だったが、今では君主の代わりにモーベイを治める、ルサイド氏族長の居館となっていた。
× × ×
宮殿内部には壁や円柱など、いたるところに大ぶりのジオルミ結晶が設置されてあった。
火山活動による地質が影響しているのか、結晶はみな赤く輝き、その光は揺らめいていた。
宮殿内は紅蓮の炎の中にいるようでもあり、巨大な生き物の体内の中にいるような温かさと圧迫感があった。
円柱回廊の奥にある、后の間の巨大な扉がけたたましい音とともに開かれた。
「邪魔するで~♪」
扉を蹴手繰って后の間に入ってきたのはギルベーダだった。
后の間は広く、竜の刺繍が施された絨毯が入り口から奥まで伸びており、その先に豪奢な椅子があって謁見の間のような造りになっていた。
椅子に座っていたオークの女が立ち上がる。
だがそれを制するように女の側にいた、いかにも魔法の使い手といった風情の髑髏の首飾りに長い杖を持った年かさの女オークが、ギルベーダと椅子に座っていた女性の間に立ちふさがった。
「ギルベーダ殿! このような振る舞いは――!?」
ギルベーダは今日、ルサイド氏族長ラケーシと会う約束をしていた。
しかし、他人の居館に勝手に入り込んで部屋まで押しかけるのは無作法極まる行為だ。
それを老婆は咎めようと声を荒げたのだが――ギルベーダを見て、絶句した。
「まあまあ〜、ギアラバおばばよ。落ち着きんさいや」
ギルベーダは、女を一人連れてきていた。
……正確にいうと担いでいた。
今まさに、自らの巨体とさほど見劣りしない背丈のオーク女を仰向けの姿勢にして両肩に担ぎ上げているのだった。
ギルベーダの後から武装した侍女達が次々に入室してギルベーダを取り囲むが、みな顔を強ばらせている。
ギアラバ――シャーマンの出で立ちをした老婆――を押し退けるようにして、椅子に座っていた女がギルベーダの前に立った。
「テッサ……」
女はギルベーダの肩の上で悶え苦しんでいる女の名を呼んだ。
「ラ、ラケーシ様……申し訳ありま――ぐあっ!」
「ラケーシよぉ、こいつはお前の部下かなんか?」
「テッサはルサイドの女だけど、私の直属じゃない。彼女はウルドログなので普段はモーベイにいない。だから――」
「あーそうか。なるほどのう♪ それで儂の顔を知らんかったわけか。儂とお前の仲のことも――な!」
「~~~っ!!!」
ギルベーダはテッサの首と足を掴み、自らの首を支点にしてテッサの背中を弓なりに反らせて、痛めつけていた。
さらに締め付けを強められ、言葉にならないテッサの苦悶の声を聞いて、ラケーシ・ルサイドは俯いて彼女から視線を逸らした。
オークの都モーベイの頭領にしてルサイド氏族の長であるラケーシは、一度見たら忘れられない顔立ちをしていた。
顎先が細く、頬骨が高い。
人間の美的感覚からしても十分すぎるほどに通用する、彫りの深い野性味のある美貌と淡く薄い緑色の肌はルサイド氏族の女性の特徴だ。
その中でもまわりの侍女達に比べて、ラケーシは群を抜いて際だっていた。
淡い緑色のきめ細やかな肌をしたしなやかな肢体が、タイトな朱色のドレスと、赤みがかった金色の宝石が散りばめられた首飾りや腕輪で彩られて、ひときわ照り輝いて見える。
うっすらと濡れた、深紅の色あいの右眼も印象的だ。
左眼は、頬にかかる黒髪で隠れて見えない。
「顔そむけんと、こっち見ろやラケーシ」
そう言われてラケーシは物憂げなまなざしで、ギルベーダの皺深い顔を正面から見つめた。
ギルベーダは満足げに笑みを浮かべ、舐めるような視線を向けながら浮ついた声を発した。
「ほんま面倒くさかったで~? コイツ、“貴様がラケーシ様とつがうなど絶対に許さん”とかなんとか喚きながら儂に決闘しかけてきよったんじゃ」
ギルベーダはテッサの背骨をじわじわと痛めつけながら――ときおりテッサの足の付け根あたりに指を滑らせて、其処此処をまさぐりつつ――事の経緯を語り始めた。
× × ×
ギルベーダがモーベイに着いたのはザズを処刑した直後だ。
バルカ達がバサルデ城地下に潜入した半日前ということになる。
モーベイに来たギルベーダはすぐさまラケーシとの謁見を求めたが、ワールドノード通過時に半日分の時間が経過して、夜になっていたので会うのは明日ということになった。
ギルベーダはこれまでに、もう何度もラケーシと会っている。
会う度に求婚しているが、ラケーシはなかなか承諾しようとしない。
ギルベーダはしびれを切らしていたが、それでもラケーシに対する態度だけは丁重だった。
モーベイは整然と規律が整い、統制が効いている。
これは、ラケーシの威令が行き届いているからだ。
このモーベイと周辺の豊かな土地を、そっくりそのまま手に入れたいギルベーダの思惑が、ラケーシに対してだけは穏便な対応をしている理由だった。
だが、それだけでは無いようにギルベーダ自身は思っていた。
「惚れた弱みっちゅうやつかねぇ~」
その夜はモーベイの都城周辺に居館を構えている氏族長の歓待を受けることとなった。
どの氏族長もギルベーダの力の前に屈服しており、ラケーシに対しておとなしい分、反対にここでのギルベーダとその部下たちのふるまいは横暴を極めた。
ダイノボアの管理を任されているダムバラ氏族のところでたらふく飲み食いをしたあとはパーム農場を管理しているアブラン氏族の接待を受けた。
ギルベーダは朝まで飲み明かした。
そこで、農場を荒らしていたモンスターを退治し、同じく居館の広間でアブラン氏族の歓待を受けていた朝食中のテッサにギルベーダは目をつけたのだ。
「あの女、ええ尻しとるのう。ちょっとこっちに連れてこい」
「はっ」
ふたりの部下がテッサの元へと歩み寄ったが――。
即座に部下は叩きのめされた。
ギルベーダは酒を飲み干してから、興味深そうに目を細めた。
「ほ~、やるやん」
テッサは睨みつけながらギルベーダに近づいた。
彼女は武器を携行してはいなかった。
鎖骨あたりまで真っ直ぐに布が垂れている黒い頭巾に額当て。革の腰巻と胸当てという露出度の高い出で立ちで己の鍛え抜いた肉体を誇示している。
背が高く、筋骨隆々としたたくましさは男のオークにもひけをとらない。
「貴様か。ラケーシ様にしつこく言い寄ってるギルベーダとかいうジジイは」
「ほほっ。気が強いのう。調教のしがいがありそうじゃ」
「お前ごときにラケーシ様は渡さん! 私と勝負しろ! そして――」
「ええで。お前が勝ったらラケーシへの求婚はやめる。そんかわり儂が勝ったらお前はわしのモンや」
被せ気味に言いたかったことを逆に言われ、しかも望んでいた条件を引き出せたことにテッサは鼻白んだが無言で頷いた。
こうして決闘が始まった。
テッサが地面を蹴り、右拳をギルベーダの顔面に叩き込む。
ガキン! 衝撃音が響いた。
だが、ギルベーダは微動だにしない。
テッサの拳は、黒鉄のような肌に弾かれた。
「へっへっへ」
全身の肌が緑から黒に変化しているギルベーダ。
しかしテッサは動じることなく腰を深く落として拳を開き、ギルベーダの鳩尾に闘気を込めた掌底を叩き込んだ。
「――っ!?」
「ほう、『発勁』か。東方の戦闘スキルやんけ」
全くダメージを受けていない様子のギルベーダにテッサは目を見開く。
だが、すぐに後方に飛び退いて鼻で笑った。
「そんなに体を固めていては素早く動けんだろうが阿呆! 一発で無理ならぶち抜くまで何発でも――お゛」
テッサの見立てに反し、目にもとまらぬスピードで間合いを詰めたギルベーダの掌底が彼女の腹にめりこんだ。
「う゛ぷっ!」
逆に腹筋を貫かれたテッサは、吐瀉物混じりの少量の胃液を吐き出しながらも必死に呼吸を整えながら後方に下がり、自らの肌を灰褐色に変化させた。変化した色こそ違えど、ギルベーダが使った全身防御スキルと同種のスキルだ。
攻守はあっけなく逆転した。
ギルベーダはテッサの腕を掴んで体勢を崩しつつ、手打ちの拳打でテッサの顎を、脇腹を打ち、再度鳩尾に一発――。
「がはっ!?」
衝撃は内臓を貫き、背中まで突き抜けた。
テッサの肌は元の緑色に戻り、彼女はその場に突っ伏した。
ギルベーダは屈み、テッサの頭巾と髪を掴んで引き起こす。
「はい、これでお前は儂のもんな」
「……ラ、ラケーシ様はお前をつがいの相手になど、絶対に、しない」
「お前、ホンマにええ尻しとるのう。ラケーシの前で鳴かせちゃるわ」
そういってギルベーダは両手でテッサを軽々と頭上に持ち上げた。
「な、なにを――ぎゃあああ!」
テッサを肩に担ぎ、その体をグイグイと折り曲げながらギルベーダは歩き出す。
「まあ、ラケーシはな、強引には手籠めにせんからその点は安心せえや。合意がなきゃ意味がねえ。だからこそ、こうやって“説得”しに足繁く通うわけなんよ」
× × ×
「――で、その足でここまで来たっちゅうわけや。こいつ、まあまあ強かったで? 職は格闘士といったところか? 一丁前に身体強化スキルを極めたつもりでいたのか、見ての通り露出度の高い格好でな。二、三発軽く打ち込んで腹筋ぶち抜いたらこのザマよ」
「ッ! ~~~~~ッ」
ミシ、ミシッ――とテッサの背骨が軋む音が部屋にいる皆の耳に届いた。
侍女達は手に戦棍を持ってギルベーダに向き合っているが、明らかに怖じ気づいていた。
「しかしまあ、若者はええのう……可能性に満ちとる。そう思わんか? ラケーシ」
「……」ラケーシは無言だ。
「じゃが同時に厄介でもある。若い奴らは短期間のうちに成長する。んでもって、レベルの高い戦士にでもなりゃあ、他の氏族の縄張りを奪う。老いて弱くなり始めたら他の奴がまた縄張りを奪い返して……ヒトカスやエルカスが地上に呪いを仕掛けたせいで、そんなんが何百年と続いた。やーっと地底界で儂に逆らう奴がいなくなったと思ったら、都に顔を出した途端に、この小娘みたいな跳ねっ返りに挑戦される!」
そういってギルベーダは一瞬テッサの体を浮かせたかと思うと、器用にも今度はうつ伏せにさせた状態で右肩に乗せた。そして、太鼓でも叩くかのように自分の頭のすぐ隣にあるテッサの雌馬のようにたくましい尻を引っぱたいた。
盛大な打撃音が響き、テッサは仰け反った。両目から涙がこぼれた。
苦痛ではなく屈辱の涙だった。
バシン! と、さらに一発。
「かはっ!」
衝撃は尻から内臓まで浸透した。
苦鳴をあげたテッサを担いでいる腕にギルベーダは万力の力を込める。
すさまじい圧だった。声も出ず悶絶する女格闘士の尻をギルベーダは大儀そうにさすった。
「ほ~れ、さっきよりかは抵抗しやすいやろうが。もっと尻の穴にギュ~ッと力込めてしっかり腹筋固めーや。そうせんと腰椎が砕けるでぇ?」
そういってギルベーダは腕の力をほんの僅かに弛めた。
「ぐッッ、んおあああああ!」
必死になって圧力を押し戻そうとして、顔を涙と涎で濡らしながら全霊の力を込めて体を震わす女の反応をギルベーダは嘲笑し、次はどうしてやろうかと思案するようにテッサの尻たぶを指でさする。
「ギルベ、そのへんで勘弁してやっておくれ」
ラケーシの頼みにギルベーダは反応し、にっこりと好々爺のような笑みを浮かべて一旦静止した。
テッサへの責めを止めたのかと思った直後、ストンと腰を落として膝をつくと同時に剛腕に力を込めた。
「オラ!」
ビクンと痙攣し、白目を剥いて動かなくなったテッサの体を床に転がし、ギルベーダは首を左右に傾けてコキコキと骨をならした。
「おお……テッサ! しっかりせい」
ギアラバが数人の侍女と一緒に駆け寄り、杖を振りかざして癒やしの術をテッサに施す。
「殺しちゃおらんけえ安心せえや。だがラケーシよぉ、儂が君主になるのをそろそろ認めろや。そしてつがいになろうや。儂はお前が待ち望んだ『力』を持っとる。オークという種族の限界を突破した力をのう……儂の『力』と最後の君主の后だった女の直系であるお前の『格』。この二つを持って地底界とモーベイのハイオークが一つになれば北の大地を統一できる。ヒトカスやエルカスがのさばる西にはいけなくても、南大陸やほかの地底界のエリアをぶんどれる」
ラケーシは目を閉じた。
ギルベーダはグラント氏族のオークだ。地底界で他氏族と血で血を洗う抗争を続けてきたが氏族の格は高いとはいえない。代々モーベイを統治してきたルサイド氏族長であり最後の君主エルグ・アモルシンの后だったゼラ・ルサイドの子孫であるラケーシと添い遂げることは、自らが全オークの支配者である正当性を満たすことになるのだ。
ただ――。
求婚を迫っているのには他にも理由があることをラケーシは見抜いていた。
現在の自分の強さには絶対的な自信を持っているギルベーダだが、かなりの高齢なのだ。
筋骨隆々とした肉体に乗っかっている白髪頭のしわくちゃの――見る度に吐き気がするほど醜いとラケーシが心底嫌悪している――顔が全てを物語っている。
ギルベーダは今は抑えられている老化が進行して衰えることを恐れているのだ。
ギルベーダはギルベーダで、ラケーシという女のもう一つの価値を見抜いていた。
ルサイドオークは優秀な治癒士・支援士(ヒーラー、バッファー)を輩出する氏族だ。
特にラケーシは自分と同様、オークとしてのレベルの頂点に達した存在であることをギルベーダは看破している。
彼女と契りを交わして霊体の結び付きを強め、ラケーシの加護を受ければ老化を長く抑えられると見込んでいるのだ。
いや、もしかしたら種族限界のさらにその上の限界を超越し、永遠の支配者になれるかも知れない——と。
「潮時か……」
「お、観念したか?」
ギルベーダが喜悦の笑みを浮かべた。
その時、
「ラケーシ様ァーー!」
叫び声にラケーシは俯いていた顔を上げ、ギルベーダは舌打ちをした。
「なんやいいところでッ?」
入り口に警備兵が立っていた。ルサイドオークの男だろうか。顔立ちはなかなか整っているがオークにしてはか細い体をしていた。
「申し上げますっ。ゼ、ゼフラ様がご帰還!」
警備兵の報告にギルベーダは目を剥いた。
「なぁにぃ~~~?」
「ゼフラ様は、バ、バ、バルカーマナフと名乗る男を同道しており、ラケーシ様にお目通りをと願っております……それから青い肌のエルフと人間の女が一緒です」
ラケーシが何かを言う前にギルベーダは口を開いた。
「ザズの部隊を退けたっちゅう下級オークやな。ラケーシ、安心せえや。そいつぶっ殺してすぐさまゼフラを取り返しちゃるけえのッ」
「いや、待てギルベ」
ラケーシの制止も聞かずギルベーダは后の間から飛び出していった。
残されたラケーシは思わず呟いていた。
「バルカーマナフ、だと……?」
「ラ、ラケーシ様」
ふと、息を吹き返したテッサが体を起こし、潤んだ瞳でラケーシを見上げていた。
「ラケーシ様、わ、私は――」
「お前ではあの男を止められはしない。だから、あたしは手を出すなと言った。その身を賭けた決闘でお前は敗れた。ならばギルベーダの女になるしかないでしょう」
「う……」
ラケーシはテッサに近づき耳元でささやいた。
「これも修行だと思いなさいテッサ……ギアラバ、引き続きこの子の治療を」
そう言い置いてラケーシは立ち上がり、ギルベーダの後を追った。
……バサルデ城と繋がるワールドノードは、君主の居城にある。




